第39話 「本城 詩織っていいます。えっと、まわりからは“しーちゃん”って呼ばれることが多いです。ってなんか急に自己紹介って恥ずかしいですね」
「わかった。古書店の前だ」
「違います。はずれです。前にもいったけれど、あてずっぽに適当なことをいうのはやめてください。当たっていてもはずれって答えますよ?」
あれから俺たちはこうやって、彼女と俺が以前であった場所についての話をするようになった。
大体毎日の帰り。
公園かあの禿が進行中のマスターの店なんかで。
だけれど、こうやって毎日適当な場所をいっていればあたるはずなのに、一向に答えが出てくる様子がない。田舎の狭い街だし、俺の行動範囲だって限られるというのに。
直接あうことができないときはメッセージアプリと通じて今と似たような会話を繰り返す。
一日に一回だけどこであったか俺が質問をして、あとは普通の会話をするというのがルールだった。
「好きな食べ物はなんですか?」
「卵焼き」
俺はすこしだけ、考えたあとそう返事をした。シオリのことを思い出す。そういえばシオリが初めて作ってくれた卵焼きはお菓子みたいに甘かった。もちろん、そんな話はしないけれど。
できるだけ無難な返事をする。子どものころ絵本でよんだ卵焼きがすごく美味しそうだったこと。あの太陽みたいなこっくりとした黄色がずっと心の中に残っていること。どんな味なのか何度も想像したし、あの頃のお弁当には必ず卵焼きが入っていたことも。
だけれど、シオリとのことは話さない。
俺だけ宝物にしたかったから。
俺とシオリだけの思い出。
誰かに話したら途端に風化して、価値のない石ころにかわってしまうんじゃないかと思うと怖かった。
彼女にそんな俺の隠し事をしながらの無難な話題をするとふんふんと頷く。
「卵焼きが好き」という子供っぽい答えにとくになんとも思っていなくて、ただ「そうなんだ」という感じ。
シオリと話したときに、シオリに子供っぽいと笑われないかと心配したのはどうやら自意識過剰だったらしい。
いたいなあ……昔の俺。
他にも色んな話をした。
好きな色に血液型なんていう小学生が自己紹介のときに書くような内容から、最近見た動画や子どものころの何気ない思い出まで。
彼女と話すのはとても話しやすかったし、楽しかった。
なんて言えば良いのだろう。
ずっと、昔から知っている人間と話しているみたいだった。
また、彼女の会話の距離感は絶妙だった。
敬語とくだけた口調がまざっていて、すごく遠すぎも近すぎもしなくて心地が良い。
そして、なによりも彼女の笑い声はシオリに似ていた
その笑い声をもっと聞きたくて、俺は気づくといつもよりたくさん喋っていた。俺が話せば話すほど彼女は笑ってくれる。すごく嬉しかった。
普段はこんなに人に自分のことを話さないのに。
普段の俺はどちらかというと聞き役だった。
実際、聞き役の方が日常生活においては美味しい役回りなのだ。
みんな自分の話を聞いて欲しいと思ってるから。
おとなしく相槌をうち、秘密は守り、相手の話の腰を折らない。
それだけで、相手は俺のことを信用し、良い奴だった思ってくれる。だから、俺は色んな人間の秘密を知っていた。
意外と人気があるのだ。俺みたいなふわっとしてどこにも属さない人間は。
良い奴と思われるのは悪くない。
どこのグループにもすいすい入っていけるし、馴染める。
ずっと、固まって一緒に行動するより、時々こっそり相手の話を聞いてやるだけの方がずっと気楽だった。
ずっとそういうスタンスで生きてきた。
だけれど今はそれだけじゃない。楽とか人間関係がうまくいくだけじゃない。
俺は怖かったんだ。
今ならわかる。
俺は素の「いいやつ」でなくなった自分が周りからどう思われるのか怖かった。
誰にも自分をさらけ出さずに表面だけするするとスムーズで軽い付き合いをする。
そうすれば、自分の心を誰かに覗かれたり、大切なものを人にみられて「大したことないね」なんて暴言をはかれて宝石を石ころにされてしまうことがないから。
俺は臆病な人間だったんだ。
だから、シオリにであうまで人にこんなに自分の話をするなんて今までなかった。
彼女と話すのはシオリが戻ってきたみたいですごく心地良かった。
自分っていうあやふやで、ぼやけた存在が、はっきりとした輪郭を持ち始める。
ああ、俺はここにいたんだ。
俺という人間は存在するんだということが実感できた。
体中にちゃんと血が流れて、指先まで温かくなるのが分かった。
良い子でなければいけない子供も、高校にはいってオチぶれた生徒も、アルバイト一つ受からないダメな高校生も、そこにはいなかった。
ここにはちゃんと「俺」という一人の人間がいて、好きなものも嫌いなものもあって、それが許されていた。
ああ、俺ここにいていいんだって思えた。
彼女といると、普段は絶対に人に話さない些細なことも、彼女に話したくなった。
窓の向こうの道を歩く子供が風船を持っていて、ふと子供のころ遊園地にいくと俺は必ず風船をほしがったのに絶対に買ってもらえなかったこととか、そんなどうでもいい話までしてしまう。ああ、シオリはこの話をしたとき、「じゃあ、今度ヘリウムで浮かぶ風船が売ってたら買ってあげるね」ってふざけていっていたっけ。
俺はひさしぶりに安心して誰かと話をすることができた。そう、シオリが死んで以来はじめてかもしれない。
夢中で話していて気づいたら、外は暗くなりかけていた。
こうなると日が暮れるのはあっという間だ。太陽がこっくりとしたオレンジ色になったのを合図に各家がシャッとカーテンを閉める。すると空もカーテンが閉められるごとに、一面にさあーっと紺色や黒の薄いベールを一枚ずつかけていくようにどんどん暗くなる。星の出番がやってくる。
俺はこの時間帯が子供の頃は大好きだった。
夜が来るのは怖いし、遊びを終わらせないといけないのは寂しいのに。なぜだか、その怖さや寂しさにどきどきして、不思議な悦びがあった。やっぱり俺は変なのかもしれない。
とりあえず、あまり暗くなるまで女の子が出歩くのはよくないので、今日は解散となった。
帰り際、俺は大変なことに気づいた。
彼女の名前を聞いていないどころか俺の名前も名乗っていなかった。
好きな食べ物から子供の頃の話まで相手は知っているというのに、一番基本である名前をお互いに知らないなんて変な感じだった。
なんだか、すごく恥ずかしかった。
「ねえ、君のこと何て呼べば良いかな?」
俺は苦し紛れにこう聞いた。だって、今更「俺の名前は西宮 アキラっていいます。あなたの名前を教えて下さい」なんて言えない。恥ずかしすぎる。
「
小さな声で聞こえなかった。それに彼女はいいかけてしきりに咳払いする。
あきらかに彼女は戸惑っていた。
「本城 詩織っていいます。えっと、まわりからは“しーちゃん”って呼ばれることが多いです。ってなんか急に自己紹介って恥ずかしいですね」
お互いをよく知っているはずの俺たちの自己紹介はその日の会話の仲で一番、ぎこちなかった。
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