第38話 「一か月間。よろしくお願いしますね」

「単刀直入に言おう。俺は君とは今まであったことがある」


 俺はできるだけ不意打ちを食らわせたかったので、彼女がストローの袋をピリリとやぶり、真っ赤なクリームソーダを一口すすろうとした瞬間に切り出した。

 ちょっとずるいかなと思った。


 彼女は「えっ」という顔をして、固まった。

 迷ったあと、彼女は静かに、


「どうしてそう思うんですか?」


 と俺に尋ねる。

 質問に質問で返すなんてずるいなあと思う。

 そして、簡単には答えをくれなさそうだった。

 彼女は「さあ、答えて」と言わんばかりにこちらをまっすぐと見つめる。

 牛乳瓶の底をくりぬいたみたいな分厚い眼鏡のせいで、彼女の正確な表情は読み取りにくい。


「……なんとなく」


 俺は、しかたなく正直に答える。

 だって、はっきりとした根拠はなにもないのだから。

 正直に答えるほかなにもできない。

 すると、彼女はぽかんとした顔で俺をみつめたあと、笑った。

 そして、しばらくしてこう言ったんだ。


「なんとなくって……ああ、私を試そうとしたんですね?」


 また、質問で返事をする。

 ずるい。

 だけれど、さっきとまでとは違って声はちょっと弾んでいて楽しそうだった。


「でも、そんな風に答えるってことは君は俺とどこかであったことがあるんだろう。普通に考えて、本当にあったことがないのなら、ひとこと『いいえ』といって否定するだけでよかったはずだ」


 彼女の唇の端はきゅっと上がり、いかにも楽しそうだった。


「ええ、じゃあ、白状しますね。私はあなたと会ったことがあります」

「どこで?」

「あら、本当に思い出せないんですか。探偵になるには観察力と必要なときに情報を引き出せる記憶力が必須ですよ」

「探偵になるきないんだけど……」

「あら、そうですか。では、ワトソン君になるなら医学部を目指すんですね」

「なんで、俺の進路を勝手に決めるんだよ!」


 ひさしぶりに楽しくなった。

 彼女と話すと言葉がぽんぽんと飛び出してくる。

 シオリが死んでから俺はまた人と必要最低限しか会話をしてなかったというのに。彼女と話していると、必要ないことであってもどんどん話したくなってしまう。


「まあ、冗談はこのくらいにして、私があなたに過去にあったことがあるのは確かよ」


 彼女はすました顔をしてそういったあと、クリームソーダをすする。

 紅いグレナデンシロップ色のソーダは、アイスクリームがずいぶんとけてしまったせいで可愛らしいピンク色をしていた。まるでアメリカのダイナーで提供されるストロベリーミルクシェイクのような強烈に甘いピンク色だった。


「一体、いつ?」

「それを教えたら面白くないじゃない」

「前に街の中で……?」


 俺はあてずっぽうにそんなことをいうと。


「適当にいってるでしょ。やっぱり覚えてない」


 彼女はあきれたというように首をふった。

 でも、俺がこの制服をみたことがあるのはシオリと一緒に街を歩いたときや図書館でたまに見かけるくらいだ。

 その二択なんだから絶対あたるはずである。

 なのに、なんでそんなに自信をもって否定できるんだ。

 どこか街中であっている可能性だってあるはずなのに。


「それで、聞きたいことはそれで全部ですか?」


 彼女は、俺に畳みかけるようにいってきた。


 俺が手に入れることができたのは彼女と俺が以前にあったことがあるという情報だけだった。

 不意打ちをしたのに情けない。

 しかも、この店だって俺が常連のなれた環境だというのに。

 主導権はすっかり目の前の眼鏡の女の子に握られていた。


「じゃあ、こうしませんか。私と仮の友達になるんです。一か月間。そしてその間に以前私とどこで会ったか思い出してください」


 彼女の手がそっと俺の手にのびかけてた。一瞬手を握られるのかと思った。

 だけれど、その手は俺の手を包み込むのではなく、まっすぐと差し出された。

 ビジネスで握手を求めるときみたいに。


「わかった。あくまで仮というのなら……」


 俺は、もう断る口実が見つからなかった。それにこの奇妙な感覚の正体もしりたかった。それに、目の前の彼女としゃべるのは久しぶりに言葉がぽんぽんと出てきて、胸のつかえがとれていくみたいで心地が良かった。


 俺が了承したことを聞いた途端、彼女はつかんだ手にぎゅっと力を込めて微笑んだ。

 小さな手なのに意外なくらい力強かった。まるで、なにかに縋りついているかのような、そんな必要がなさそうな自信たっぷりな彼女のふるまいとはなぜか真逆だった。


「一か月間。よろしくお願いしますね」


 俺はこのとき、一か月経ったあとのことを聞いていないことに気づかなかった。

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