第37話 「ああ、ザクロシロップ。すごくかわいいですね」
俺は翌日の放課後、昨日の公園のすぐ近くにある古びた喫茶店にいた。
シオリと初めて一緒にきて、それからも何度も来ていた喫茶店。
禿げた店主をマスターと呼び。メニューも大体制覇している。
最近、マスターはさらに禿げた。
ドアをあけたとたん、ドアの上についている錆びかけた真鍮のベルが、『ガラン、カラーン、ゴローリーン』と調子っぱずれでやる気のない音を鳴らし埃をまき散らした。
「いらっしゃい、ま……なんだ。いつものでいいか?」
今まで一度だって、ちゃんと「いらっしゃいませ」と言われたことがない。
よくつぶれないなこの店。
「いやあ、今日も閑古鳥のキューちゃんが元気ですねえ」
と俺は、マスター曰く“オブジェ”として飾られている、空っぽの鳥かごに話しかけるふりをする。
マスターは、ちょっとだけ驚いたように目を見開いたあと、奥にもどっていった。
そういえば、マスターとこんな風に話すのはひさしぶりかもしれない。
いつもは最初に来て以来、この店で一番明るそうな場所、窓際のテーブル席に座っているけれど、今日はその席に座る気にはなれなかった。というか、シオリの座っていた場所に誰かが座るなんて考えられない。
だから、その一つ向こうの壁際の席に座る。
違う席に座るなんてはじめてだ。
窓際の席から、ほんの一メートルも変わってない位置なのに見える景色が結構違った。あんなところに写真たてが飾ってあるなんて気が付かなかった。写真たてのなかには可愛らしい九官鳥の写真が飾られていた。
ちょっと薄暗い普通の喫茶店だった。
木のテーブルに革のソファー。意外なことに、木のテーブルはきちんと磨かれて、革のソファーはどっしりして座り心地がよかった。
あまりにも座り心地がよくて、昔読んで、ソファーの中に人間が入っていて絶妙に座る人間の体重を受け止める素晴らしい椅子の物語を思い出した。今考えると、あれって単なる過激なストーカーだけれど、昔の物語だからやたらと不気味に感じて、怖かったのをよく覚えている。
そして、この席から見ると店の雰囲気もずいぶん違った。
いつもの古びてごちゃごちゃした店の中は、アンティークなものがさりげなく飾られたおしゃれな店に見えた。
どういうことだろう。
パサッ、カタッ。ゴン。
無愛想なマスターが、ストロー、コースター。そして、コーヒーフロートの入ったグラスが順番に置かれる。「そんなに、乱暴におくと髪の毛もぬけるよ」といいたいのを我慢する。
さすがにグレナデンシロップで乙女チックになった、クリームソーダを飲むのはためらわれたのだ。だけれど、コーヒーは苦い。適当に「コーヒーにアイス浮かべたのつくれる?」ってきいたら、それ以来マスターは作ってくれるようになった裏メニューだった。
「今日は、元気そうだな」
いつもはなにも言わない無愛想なマスターは、無関心そうな口調でいう。
「最近の俺、そんなにだめそうだった」
「ああ、だめだね。ゾンビみたいだった。正直見てられなかった」
意外だった。マスターがそんなに俺のことを見ていたなんて。
いつも、客としているのに迷惑そうな顔をするマスターなのに。
たまにはなんか世間話でもしてみようかなと思って口をひらきかけたとき、
ガラガラリーンという入り口のベルの音がなった。
「いらっしゃいませー」
やっぱりマスターは俺以外の客のときはちゃんと言ってる。なんだよ俺だけなめやがって。
なんだよこの差は。
さっきまで、眠いのかと疑うくらい細いおっさんの糸目は、今度は三日月がたなってニコニコしていた。
彼女が俺の前の席にすわると、マスターは手早く水とおしぼりそして、メニュー表
をもってきた。
「どれにしようかなー。迷っちゃうなあ」
そういって彼女はメニューを眺める。
一人だけ、楽しそうだ。
「あっ、クリームソーダがある。すみません、クリームソーダください」
たっぷり時間をかけて悩んだあと、彼女は注文した。
ここのクリームソーダはメロン味じゃないことを言おうとしたけれど、一人でぺらぺらしゃべっているので口をはさみそこねた。
始めてきたとき俺もクリームソーダをたのんだんだった。
だけれど、出てきたのはメロンソーダではなく、グレナデンシロップをソーダで割ったピンク色のクリームソーダ。
もし、メロン味が好きで頼んだんならがっかりするだろう。
教えてあげなかったのは不親切だったなと反省する。
せめて注文したクリームソーダをみてがっかりする前に教えてあげよう。
「実はここのクリームソーダは人間の血が入っているという噂なんだ」
俺はなぜかすごく意地悪な言い方をしてしまった。
すると、彼女は驚いたように眉をつり上げてすぐに。太めの眉がはっきりと動くが瞳は相変わらず牛乳瓶の底みたいな眼鏡のせいではっきりとは表情を読み取りにくい。
「嘘」
と言った。にやりと笑ってどうせ嘘でしょってわかっているようだった。
「本当さ」
俺は反撃する。できるだけひょうひょうとしたかんじでこたえる。
「嘘でしょ」
彼女は笑う。
「本当です」
俺がむきになって言い返す。
「嘘」
「本当」
「本当」
「うそ……って、ああ!」
引っかかってしまった。
彼女はやったああというように手を小さく上げて喜んだ。
なんだかこんなこと前にもしたことがあるような気がした。
そんなふざけたことをしていると、マスターが真っ赤なクリームソーダを持ってきた。そして、「サービスです」という言葉とともにクッキーがでてきた。
「ほらね、真っ赤だろ。これはマスターが夜な夜な人を殺めて死体の処理のために抜いた血なのさ」
俺が勝ち誇ったようにいうと、マスターからトンとクリームソーダをもってきた銀色のトレーで頭をたたかれた。
「グレナデンです」
「ああ、ザクロシロップ。すごくかわいいですね」
「ごゆっくりどうぞ」
やっぱり、マスターは俺にだけ愛想がわるい。
マスターが去ったあと、そう言ってふくれてみると、彼女はクスクスと笑い出した。
つられて、俺も笑った。
こんな風に笑うのは久しぶりのような気がした。
久しぶりすぎてほほの筋肉がすこし痛かった。
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