第35話 「お試しで一ヶ月、一ヶ月だけでいいんです」

 目の前の女のこは綺麗なお辞儀をしていた。

 ひざ丈のスカートに女性の体のラインを極限まで抑えてやぼったく、見せることを目的にしたような制服を着ているのにも関わらず、その瞬間の目の前の女の子はすごくきれいだった。


 シオリと一緒で姿勢がとてもいいのだ。

 こうやっていると、似ていないはずの赤の他人なのにもかかわらずシオリに似ている気がしてきてしまう。


 まっすぐとピンと伸びた背筋。

 シオリに似ていると思ってしまうと、俺はあまり冷たくできなかった。


「お試しで一ヶ月、一ヶ月だけでいいんです」


 彼女は俺に一歩近づいて懇願した。


「一ヶ月……?」

「ええ、一ヶ月だけでいいんです」


 目の前の少女は、こちらをじっとみつめる。

 頬からは涙の粒が幾筋か流れ落ちていた。

 まずい。女の子を泣かすなんて。いや、俺、なにもしてないけれど。


 女の子を泣かせたらきっとシオリは俺のことを叱るだろう。

 俺はつい何かをするとき、「もしシオリがいたら~」と考えてしまう。


 無気力でありながらも、なんとか毎日生活をしているのは「シオリがいたら~」と考えるせいだ。ちゃんと学校に行かなきゃ、「もしシオリがいたら学校にいかないと」って叱るだろうとかね。

 きっと、シオリだったらこんな状況になったとき、「ちゃんと、相手の女の子の話をきいてあげて」っていうだろう。


「なんで、一ヶ月だけなの?」

「それは、状況に応じてです。延長はありません。とりあえず、一ヶ月、やってみませんか?」


 意外と押しが強かった。

 さっきまでおどおどしていたのに。


 噓泣きだったのかな。


 俺が断ろうとした瞬間、彼女はふらりとバランスを崩しかけた。

 慌てて、俺は立ち上がって支える。

 今度はあのときと違って、位置エネルギーや加速が加わっていないので、彼女はぽすんと俺の腕のなかにおさまった。


 温かくて、すごく懐かしい良い匂いがした……これは、シオリの匂いだ。

 俺は一瞬、シオリが戻ってきたような気がした。

 お帰り……シオリ。


 いや、シオリは死んだんだ。俺の頭のかろうじて正常な部分がそうさけぶ。

 驚いて行動したのと、女の子が急に胸のなかにいるのと、もうよく分からない。けれど、非日常が重なりあって俺の胸はドキドキしていた。

 もし、シオリが帰ってきたなら、いや俺の幻想だとしても、少しでもシオリが近くに感じられるならそれでいい。


 シオリのいない人生なんて生きていても仕方ないのだから。


 俺の胸に寄りかかる少女はとても温かくやわらかくそしてどこか儚かった。

 まるで、今この瞬間にいるのが奇跡みたいで、ちょっと目をそらしたらどこかにいなくなっちゃいそうだ。さっきまで、やぼったいと思っていた少女は不思議な透明感があった。もう二度とシオリを失いたくない。


「すみません。私ったら……でも、あのときもこうやって助けてくれましたね」

「い……いや……」


 声までシオリにそっくりなような気がしてきた。俺は自分の感覚がここまでくるっているのか驚いて、とりあえず慌てて否定した。

 あまりにも否定する俺をいぶかしんだのか、彼女は今度は俺からすっと離れて、一歩下がった。


 さっきまでの柔らかさと温かさが消えて、急に胸にぽっかり穴があいたような気分になった。あれだけ彼女のペースに巻き込まれまいようにと思っていたのに、こうやって離れられるとこちらから手を伸ばしたくなる。

 どうして、こんなに俺はドキドキしたり寂しくなるのだろう。


 俺の中で二つの声がせめぎあう。


 一つは、シオリなら「こんなにおかしくなるくらいまで悩まないで。ちゃんとまっとうに生きて」というだろうと俺が想像した声。


 そして、もう一つは。「この女を通してシオリの幻覚をみつづけるのはどうだろうか」という甘い悪魔のようなささやきだった。


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