第31話 「あの、助けてくれてありがとうございます」

 空から女の子が降ってくる。

 普通だったら、非日常のはじまりだろう。

 胸を躍らせるような冒険やドキドキするような恋の始まり。

 大抵の人はそんなものを想像する。


 だけれど、俺のときは違う。

 空からスカートをはためかせた女の子なんか降ってこない。

 まず、降ってきたのは何か小さくて固いもの。


 そのとき、俺はまた図書館にいた。

 あいにく市立図書館は相変わらず休館していて、県立の大きな図書館に。

 その図書館は変わっていて、エントランスをはいると長い階段があっって視聴覚ルームやホールのある二階にまっすぐ行くことができるという作りをしていた。

 石造りの冷たい階段が西洋のお屋敷のようにどまんなかにでーんと偉そうにしているのだ。


 硬質なものが図書館の階段を叩く音がした。

 なんだろうと、上を見上げる。


 すると次の瞬間、悲鳴とともにその何かのあとを女の子が落ちてきたのだ。そのときだった、微かだけれどシオリの声をきいた気がするんだ「助けて」って言っているシオリの声を。

 そして階段の中程にいた俺はあわてて、女の子の方に手を広げる。

 なんでそうしたのかは分からない。

 ただ、慌てて女の子が落ちてくる前で立ちはだかった。

 もちろん、俺は女の子を抱き留めるとこなんてできない。

 いくら女の子が軽かったとしても、位置エネルギーと加速がついた女の子をとっさに抱き留めるのは至難の業だ。

 ラグビー部とかに入ったがたいのいいやつじゃないと無理、というか怪我をする。


 そして案の定、俺は女の子の下敷きになってそのまま階段を落ちた。


 ああ、これで死んだとしたら、きっとシオリもそんなに怒ったりはしないだろう。空中で女の子の体が俺の腕のなかに飛び込み、だけれど、俺がその力を支えきれないと悟ったとき俺はそんな風に思った。


 次の瞬間には、「ズササササーッ」という階段を転がるというより、体を打ち付けながら滑り落ちる衝撃が走り、痛みよりも熱さが体中を支配した。


 まわりからのどよめき。


「大丈夫か!」


 警備員のおっさんが真っ先にかけよってきた。

 俺の目はまだ微かに開いていたので、おっさんが俺の顔を確認するなり、「こいつかあ」と顔をしたのが見えた。


 次に目をあけたとき、一番最初に見えたのは天井だった。

 オレオのクリームみたいな真っ白な天井がそこには会ったと言いたいところだけれど、よくある適当に黄ばんでいるのか模様なのか分からない公共施設にありがちな天井がそこにはあった。


「あのっ、大丈夫ですか」


 耳がキンキンとする。

 頭が痛い。

 俺は顔をしかめる。

 無意識だけれど、眉間に力が入って皺ができているのが分かった。

 呻き声をあげる。


「私のせいでごめんなさいっ」


 また女の子の声がキンキンと響く。

 こっちは頭がいたいというのに。

 どうやら、俺は女の子を助けられたけれど、死ぬこと葉出来なかったらしい。

 眉間に皺をよせているのがあまりにもしんどいのでもみほぐそうとすると冷たいタオルが額にのっていた。


 ああ、ここはどこなんだろう。

 ずっと、このままでいるわけにもいくまい。

 家に帰って、ちゃんと冷やさなきゃ。


 俺が起き上がろうとすると、慌てて女の子とめる。

 さっきから鬱陶しいな。


 女の子は黒髪のお下げでメガネといういかにもマンガからでてきた真面目な女の子がそこにはいた。

 どちらかというと暗くて地味。

 だけれど、来ている制服はここらへんで有名な女子校のもの。そう、シオリと同じあのチェックのスカートだった。


「あの、助けてくれてありがとうございます」


 蚊の鳴くような小さな声で、目の前の少女は言った。

 黒髪に茶色のフレームのメガネ。

 顔を俯いたまま、すごくおどおどした印象の女の子だった。


「ああ、うん」


 俺は適当に返事をする。

 どうでも良かった。

 死ねなかったことに腹が立っていた。


「あの、お礼を……」

「いいよ、そんなの」


 俺は体の痛みを久しぶりに感じて無性に腹が立っていた。

「痛い」って感じることがシオリへの裏切りだと思ったんだ。

 もう死んでしまったシオリはなにも感じることができないのに。

「痛い」って感じる俺は生きている。

 それだけで俺とシオリの距離はとてつもなく離れているみたいだから。

 俺は起き上がって身の回りのものをもって、外にでた。

 どうやら、俺は図書館の職員用の廊下の椅子に寝かされていたらしい。適当にあるいたら、簡単にでることができた。


 シオリがいない人生なんて何の意味も無い。

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