第21話 「ねえ、これが……今この瞬間が夢だったらどうする?」

 海なんて子供のときから見慣れているし珍しくないと思っていた。

 別に海水浴をするわけじゃないのに、わくわくした。


 シオリと一緒に見るだけで景色が違って見えるのだ。


 季節はずれの海なんて、潮風がべたっとしてにごった色をしているのかと思っていた。

 だけれど、今俺の前に広がる海は、すごく綺麗だった。


 のっぺりとするような青じゃなくて、墨を流したんじゃないかと思うほど色の濃いところもあれば、さっとチューブから出したばかりの絵の具を水で溶いたのを筆で一撫でだけしたような明るい青が不規則に混ざっていた。

 そして、その間を波がゆっくり行ったり来たりを繰り返していた。


 二人で浜辺を歩く。


 浜辺には道がない。

 やわらかい砂の絨毯の上を進んでいく。


 馬鹿みたいな大昔の青春ドラマなら、浜辺で追いかけっこするのかもしれないけれど。

 俺もシオリもただ歩くだけだった。


 普通の道と違って、砂浜は歩く度にちゃんと俺たちの足跡が残っていた。


「ねえ、これが……今この瞬間が夢だったらどうする?」


 シオリはちょっと振り返り、自分でつけた地面の足跡を指さして数えながら言った。


「夢? どうしたの急に……」

「いいから、もしもの話。子供の頃はもしもの話ってよくしたじゃない」

「まったく……そうだね、自分を呪うかも。せっかく、こんなに可愛い女の子とデートしていたのに目を覚ますなんて馬鹿野郎ってね」


 そういったあと、「それか寝直す」と付け加えたら、シオリは笑いながらポカポカと俺の腕を叩いた。まったく痛くない。


「シオリはどうする? 目が覚めたら俺はまだ君のことをしらないの」


 そう尋ねるとシオリは悲しそうな顔をして黙ってしまった。


「……諦める。遠くからあなたが生きていることを確認して、安心して諦める」


 シオリはそう小さく吐き出した。

 まるで、とんでもなく苦いものを噛んでしまったけれど、どうしようもないときのような顔をしていた。

 俺にはなんでシオリがそんな表情をするのかまったく分からなかった。


「えー、ちょっと酷くない? 普通、そしたらまた知り合えるように頑張る的なこというんじゃないのー」


 俺はどうすればいいのか分からなくてわざとおちゃらけて言った。

 だけれど、「ううん。そのときは諦める」と言って首を振るばかりだった。

 どうして、シオリはそんなに悲しそうにするのだろう。

 ただの“もしも”の物語なのに。

 俺たちは無言で浜辺を歩き続けた。


「ねえ、アキラ君。お腹すかない?」


 しばらく歩いたところで、シオリはそういった。

 俺たちはレジャーシートを広げてお弁当を食べた。

 もちろん、予告通りのサンドイッチだ。


 シオリの持ってきたサンドイッチはツナとキュウリと卵だった。

 そして、予告どおり確かに俺の好きなものだった。

 卵のサンドイッチは分厚い厚焼き卵が挟まれていたのだから。


 耳を切り落とした真っ白なサンドイッチだった。

 マヨネーズと和えられたツナはパンとパンをくっつけるようにお行儀よくとどまり。

 キュウリは皮を向いて塩もみされているのか薄い翡翠色とバターの香りがとても上品だった。

 そして、卵はなんと厚焼き卵が挟まれていた。パンよりも分厚い卵がこっくりとした黄色を見せびらかすように断面が露わになっていた。ちょっとだけ、焦げ目が見えるのはご愛敬というところだろう。


「ごめんね。本当はからあげとかもっと凝ったものつくりたかったんだけど。ちょっと間に合わなくて……」


 シオリは豪華なサンドイッチを並べながら。そんなことを言ってしゅんっと落ち込んでいた。


「そんなことないよ。すごくおいしそうだ」


 俺は一生懸命シオリの作ってくれたサンドイッチを褒めるが、なぜだかシオリは曖昧に微笑むだけだった。


 サンドイッチは本当に美味しかったのに。

 ツナはベーシックな味付けだけれど、そこに黒胡椒がたくさん隠し味にされていてぴりりと辛く食欲をそそる。

 キュウリは変な青臭さがなくて、まるで英国のアフタヌーンティーで気取ってたべるサンドイッチのようだった。

 そして、言うまでもなく厚焼き卵サンドは絶品だ。いつもよりほんのちょっと甘みがつよくて、焦げ目があるのがより食欲をかきたてた。


 こんなに美味しいのに、シオリはほとんど食べなかった。

 一番さっぱりしているキュウリならいけるのではないだろうかと思ってすすめると、やっとのことで受け取る。


「私、キュウリ嫌いなんだけど、こうやって丁寧に処理したやつだけは食べられるの。でもね、メロンは皮を剥いてもだめ」

「なんで自分で好きじゃないものいれたの?」


 俺がそうツッコミをいれると、シオリはぽかんとしたてから、


「そっか。嫌いなものなら作らなきゃ良いのね」


 意外そうにつぶやいた。

 あまりにもぽかんとした表情がハムスターのようで可愛らしくて笑ってしまった。

 ときどき、シオリはこんな風に天然なところがあるのを最近よくわかってきた気がする。

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