第11話 「私のおかげ?」
「あのさ、母さん……」
シオリのおかげというか、シオリのせいで俺はその日、久しぶりに母親に話しかけることになった。卵焼きのレシピを聞かなければいけないのだ。
随分、自分から話しかけていなかった気がする。俺がダメなやつになってから。
もちろん、必要最小限の会話はする。同じ屋根の下にいる以上それまで避けてしまうと生活ができなくなってしまうから。
それでも、俺も母親も必要以上の会話をすることはここ最近なくなっていた。昔なら、みんなでテレビをみたり夕食を食べているとき何気ない会話があったけれど、俺は両親と一緒に食事をとることもテレビをみることも無くなっていた。
向こうも不快だろ。できそこないの息子なんてみたくないはずだ。いままで、金も手間もかけてきたのに、高校に入った途端この落ちぶれようだもん。
「どうしたの?」
母さんはちょっと、驚いたような顔をした。
へいへい、どうせ俺がいることにも気づかなかったんですよねー。だめな息子のことなんて見たくないし、意識の外側に追いやって起きたいですよね。
「いや、ちょっと聞きたいことがあって」
「なによ。改まって……」
「たいしたことじゃないんだけど、昔よく卵焼きつくってくれたじゃん」
「ああ、あんたが大好きだったからね」
母さんは急に表情を緩める。昔を懐かしんでいるみたいだ。きっとあのちゃんと『よい子』だった俺の姿を思い出しているのだろう。母さんにとって自慢の息子だった俺を。
「あれの作り方、知りたいんだ」
「家庭課の宿題でさ」と慌てて付けくわえる。
なんだか恥ずかしかったのだ。
宿題といったせいだろうか。母さんは「今から作ろうか」といって、キッチンに立った。
俺は宿題といった手前もあるし、あとで作り方をシオリに伝えなければいけないのでメモ用紙を片手に母さんが料理するところを見せてもらう。本当はスマホで動画をとった方が楽なのだが、結局そのままじゃシオリに送ることができないのでメモの方が無難だった。
カシャカシャと菜箸が銀のボールの中で卵を小気味よく混ぜる音を聞いているとなんだかすごく懐かしい気分になった。
子供のころはよくこうやって母さんが料理する様子を眺めたり聞いていたなあ。小学生のころは勉強だってリビングでやっていたし。
普通に母さんが料理する音を聞きながら勉強したりしていた。
なのに今は勉強もしないのに、しないからかもしれないけれど、一緒の空間にいるのを避けていた。
できあがった、卵焼きを母さんと二人で食べる。
「ちょっと焦げちゃったわね」
「でも、おいしいよ」
俺と母さんは久しぶりに和やかに話した。
前は、何か喋れば全ての言葉に棘があるように感じていたし、無言になれば無言になったでその空気は辛かった。
だけれど、今日は無言でもそんなに気まずくなかった。
無言でも大丈夫ということがシオリといて分かったせいだろうか。
俺はその夜、シオリに卵焼きのレシピと一緒に、『ありがとう』とメッセージを送った。
すぐに『今、電話していい?』というメッセージがきた。
「どうしたんですか急に?」
「いや、君のおかげで久しぶりにまともに母親と口をきいたんだ」
「私のおかげ?」
シオリはちょっとだけ困惑していた。
だけれど、いきさつを話すとほっとしたような声で
「私は関係ないです。アキラ君が自分で頑張れただけですよ」
と静かに言ってくれた。
「でも、俺にとっては君がきっかけをくれたおかげなんだ。ありがとう」
「……」
なぜだかしばらく無言が続いた。
しばらくして、
「じゃあ、そういうことにしておきます。もちろん、私のおかげと言うことで何か素敵なものをごちそうしてさるというのなら、やぶさかではありませんが」
とちょっと、悪戯っぽくシオリは言った。
なぜか、遠くで救急音が聞こえたような気がした。
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