第10話 「今度はちゃんと作りたいから、アキラ君のおうちのレシピ教えてください」

「ごめん、やっぱりなんでもない」


 シオリはそういって、すぐに卵焼きの入ったタッパーを引っこめた。

 そして俯く。

 細い首筋の肌はその奥の血管が透けそうなくらい白く、透明感があった。それが徐々に赤くなっていくのが分かる。

 そして、チェックのスカート。


 たしかに、俺はこの光景に見覚えがあった。

 シオリが俺に助けてもらったというバスでの出来事のときそっくりだった。


 座ったときに見えるタータンチェックのスカートに紺色のブレザー。ありふれているのに、すごく上品な雰囲気が漂っているけど。

 確かに、俯いていると顔も見えない。美人かどうかまでは分からない。昨日、シオリを疑うようなことを言って悪かったなあとあらためて反省する。


「ねえ、それくれないの?」

「だって、よく考えたら、アキラ君にとっては私は一昨日はじめて会ったような人間なのに。もう手料理を食べてとか重すぎる……コーヒーだって家で用意したかったんだけれど、なにか変なモノとかはいってないか心配するかなあって一緒に買うようにしたのに。こんな急に手作りのもの私ったら、やっぱり変だよね……気持ち悪いよね……」


 そういって、さらにシュンと肩を落とす。

 全く予想外の反応だった。

 食べ物につられるわけじゃないけれど、さっきのタッパーから見えた卵焼きはすごくおいしそうだった。


 よれたり、形が崩れたりしないように、丁寧に四角いタッパーに併せて並べられた卵焼きはすごく真面目な感じがした。

 悪いことを考えている人間にはないまっすぐさというか。


 最初にシオリに声をかけられたときはあやしげなやつだと思っていたけれど、今こうやって昨日たくさん喋ったり、今朝のような静かな時間を共有したあとだと、シオリのことを疑う気持ちはほとんどなくなっていた。


「その卵焼き、食べてみたいな。せっかく君が作ってくれたんだし」


 俺は思いきって言ってみた。

 すると、シオリは顔をあげた。


「本当にいいの?」


 まだ不安そうな顔をしている。


「うん、俺が食べたいんだ」


 同意を示すように大きくゆっくりと頷くと、シオリがやっとわらった。そして、おずおずとタッパーを差し出す。小さなフォークを添えて。


「上手にできているか分からないけど……」


 卵焼きは改めてみても、すごくおいしそうだった。

 たっぷりとした余裕のある黄色が誇らしげにたたずんでいる。

 フォークで突き刺すと、じんわりと水分がにじみ出る。

 焼きすぎないけれど、ちゃんと火が通っていていいかんじだ。


「いただきます」


 ちゃんとそう言ってから俺は、シオリの作った卵焼きを口にした。


 えっ?

 なにこれ?


 卵焼きを噛みしめた瞬間、俺は軽いパニックになった。

 別に食べ物の味がしなかったとか言うわけではない。


「ごめん、口にあわなかった? ごめんなさい。吐き出しても大丈夫だから」


 俺の様子をみて、シオリは慌てた様子で俺にハンカチを差し出した。俺は一生懸命に首をふる。

 まずいとか吐き出すとかそういう話じゃないよと伝えるために。

 だけれど、シオリは不安で泣き出しそうな顔をしていた。


 違う、違うんだ。シオリ。

 別にシオリの料理が下手だとかまずいんじゃないんだ。

 ただ、俺が予想していた味と違っただけ。


 そう、シオリが作った卵焼きはとっても甘かったんだ。


 今まで、卵焼きは甘いと思っていた。

 そして、俺は昨日シオリに話したときも「あの絵本の卵焼きはきっとあまくておいしいんだろうなあ」と話した。

 だけれど、甘いの種類が違ったんだ。


 俺の言っている卵焼きの『甘い』は、だしやみりん、あとは卵本来の甘さをイメージしていた。家の母親の作る卵焼きがだしの入った卵焼きだから。


 だけれど、シオリが作ってきたのは別な甘さの卵焼きだ。

 聞いてみると、ミルクと砂糖が入っているという。

 お菓子に近い『甘い』だった。よくよく考えてみると、配合や調理法は違うけれど、プリンの材料と全く一緒だった。どうやら、シオリの家は子供のころからこっちの『甘い』卵焼きを食べていたらしい。


 泣きそうなシオリにそれを説明するのは大変だった。


「美味しかったよ。ごちそうさま」


 シオリを説得して、コーヒーを飲みながら甘い卵焼きを食べ終えたころ周りはだんだん通勤通学の人が増えてきていた。


 シオリといると本当にあっという間に時間が過ぎていく。


「今度はちゃんと作りたいから、アキラ君のおうちのレシピ教えてください」


 帰り際、シオリは俺にそういって、約束させた。

 俺があまりにも渋るので、最後は『ゆびきりげんまん』までさせられた。

 シオリのちっちゃくて細い小指が俺の小指に絡みつく。

 なぜだか、それだけなのに俺はとてもドキドキしてしまった。

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