第3話 「あのとき……気づいてくれたのはあなただけ。本当にうれしかった」

 早退を決めた俺は、頭痛が痛い(誤用だとは分かっているけれど、なんだか俺はこの表現が好きなのだ)はずなのに、スキップをしながら、学校の学校の正門をくぐり抜けた。


 きーん、こーん、かーん、こーん


 後ろに聞こえた午後の授業が開始されるチャイムがすごくまぬけに聞こえた。

 教室という檻に閉じ込められている哀れなニワトリクラスメイトどもよ、牙を抜かれて、そのちっぽけな脳みそにおがくずのような知識を詰め込むが良い。


 俺は心の中で悪態をついた。

 ズキンっとこめかみが脈打つように痛くなった。

 本当は、ちゃんと普通に勉強しなきゃいけないなって思っていた。

 だけれど、人間サボることを一度覚えてしまうとなかなかその癖をぬくことが難しい。

 常に楽な方法へ、楽な方へと流れてしまう。


 どうしたら、また前みたいにちゃんと出来るのか、俺には分からなくなっていた。


 その日は珍しく、俺は学校のすぐ近くにある、図書館の前からバスにのった。

 いつもなら、駅前まで行ってからバスにのるのだが、頭が痛いと言って早退するのに、癖で駅の本屋にふらりとよったらまずいと思ったのだ。


 俺が乗ったとき、バスはとても空いていた。

 普段なら、通勤通学の時間帯だと立っていても乗ることができないなんてこともあるのに、ガラガラだ。

 ああ、これはまた一つ楽なことを見つけてしまったと思いながら俺は優先席などこの時間帯にメインにバスに乗る人が使いやすそうな席をさけた、後ろの方の席にすわる。


 地元のバス会社のせいか、そのバスはぼろかった。

 最近だと、ノンステップバスといって、後ろの席まで平らで段差がないのが主流だと思うのだが、流石地方都市。

 これだけ通勤通学で毎日人が使っても、日中の利用者が少ないせいか、お金がないのか、ものすごく古いバスがときどき走っている。


 バスの後ろ半分の席は、一段上がったところにあるのだ。

 お年寄りによっては、この一段がしんどいらしくて、後ろの席が空いていても立ったままのっている人がいるくらいの不親切設計である。


 俺はどうせバスの終点である車庫の近くで降りるので、のんびりと半分うつらうつらしながら、バスの後ろの席に座っていた。

 というか、気づくと眠っていた。


 目をあけると、俺がのったときと異なって、随分人が乗っていた。

 どうやら、何校かテスト期間だったらしい。

 意外なことに、中学と異なり高校はテストの時期や授業一コマあたりの時間がことなる。

 なんだか変なのと思ったけれど、そういうものなら仕方ない。ちなみに、ウチの学校は結構、一コマあたりが長い方なのでしんどい。


 目をあけたとき、一番最初に目に入ったのはミントグリーンの紙袋だった。さわやかで可愛らしい色だった。たぶんどこか、女の子向けの洋服屋かちょっと高級なスイーツのお店のものだろう。


 ちょっと上等な質感の紙で表面は破れにくそうな、つやつやした加工がされていた。そして、なにやら英語なのかフランス語なのかわからないけれど、お洒落そうな文字が白で書かれている。

 辞書みたいな重いものをいれても大丈夫そうな紙袋だった。


 そして、次に見えたのがチェックのスカート。ああ、やっぱりどこかの高校の生徒かと思った。

 再びまどろみに戻ろうと目を閉じようとしたとき、俺はある異変に気づいたのだ。

 なんか、影がぐらぐらしている。


 危ない!


 俺は、急いで立ち上がってその影の主の腕をつかんだ。

 その腕は驚くほど華奢で頼りなかった。


「大丈夫ですか?」

「えっと、はい……」


 女の子は下を向いたまま、なんとか答える。声の調子から言っても具合が悪そうだった。


 俺は、慌てて立ち上がって女の子を自分の座っていたところに座らせた。


「……ありがとう、でも……」


 女の子は顔を上げないまま、蚊のなくような声でいった。

 そして、立ち上がろうとする。


「いいから、テストだからって無理しちゃだめだよ。寝不足になるまで頑張るなんて、体によくない」


 俺は紙袋に入った辞書を指さしていう。普段高校生活で辞書なんて置きっ放しだ。もって帰るとしたらテストの時くらいだろう。


「私、がんばりたいんです。やれるだけのことやって、がんばったぞって自分自身に胸をはりたい」


 すごく健気だった。だけれど、俺は何て返せば良いか分からなかった。俺自身は適当で自分でちゃんと頑張れていると胸を張れるような高校生活をできていなかったから。


 そして、病院の前の停留所でバスを降りた。

 ただ、それだけのことだった。


 助けたなんて、そんな大袈裟なことはしていない。

 ただ、目の前に具合の悪そうな人がいることに気づいたから席を譲った。ただ、それだけだった。


 なのに、目の前の少女は、こう宣うのだ。


「あのとき、とても具合が悪かったの。だけれど、気づいてくれたのはあなただけ。本当にうれしかった」

「そんな、大したことしてないし」


 ただ、それだけのことにこんな感謝されるなんて。俺は照れくさくてなんか気まずくて頭を掻いた。


「あのときは、助けてくれてありがとうございました」


 そう言って、目の前の美少女は深々とお辞儀をした。

 彼女が華奢な首からさげている、水色の滴のペンダントがきらりと光った気がした。

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