1,5部 日常の裏にあった日常
第17話 あるバレンタインデー1
――バレンタインデー。
それは洋菓子店にとって重要な書き入れ時である。
「いらっしゃいませー! はーい、列に並んでくださいねー!」
湊の休憩中、店のレジを担当する俺は、笑顔で客の列を捌いていく。
今日はバレンタインデー。
言うまでもなく忙しい一日である。
本職ではないレジ打ちを必死にこなしていると、ようやく客が捌けてきた。
「はー……しんど。つっても、これからが本番だけどな」
一番忙しいのはバレンタイン前日であるが、前もって買い忘れた人、夕方から夜に掛けてのデートで必要になった人などの駆け込み需要で、負けず劣らず忙しい。
おかげで、商品棚に並べたお菓子は八割方消滅。
すぐに新しい商品を補充しなければ。
「お、空いてる時間帯に当たったかな? ラッキー」
その時、新しいお客さんの声が聞こえてきた。
「いらっしゃいま……って、深紅か」
振り返ると、そこにいたのは私服姿の友人。
「やっほー、ちーちゃん。随分売れてるみたいだね」
軽く手を振りながらも、深紅は目敏くガラガラになった商品棚を見ていた。
「まあな。今日売れなかったら死活問題だ。それで、深紅はどうしたんだ?」
「もちろん、バレンタインデー用のチョコを買いに来たんですとも」
当然と言えば当然の答えに、しかし俺は少し意外さを覚えた。
「深紅なら自分で作れるだろ? なのに、わざわざ買いに来たのか」
料理が専門とはいえ、深紅はお菓子だって上手い。
去年作ったチョコレートの出来は、思わず俺も唸るほどだった。
「うん。ま、偵察っていうか勉強みたいなもの? ちーちゃんのチョコ作りの腕を体感しようと思って」
きらりと輝く深紅の目。
こいつ、俺の技術を盗みに来やがったな。
「抜け目のない奴め……まあいいや、どれを買うんだ?」
ガラスケースの商品棚には、予算や好みに合わせて色んな種類のチョコが置いてある。
「そうだなあ。せっかくだし、ちーちゃんが見繕ってよ。甘さ控え目のビターな奴で、あんまり本命感の出ない形がいいな。数は十個」
「あいよ」
どうやら一〇〇%義理チョコにするつもりらしく、変な勘違いを生まないものが欲しいらしい。
とりあえずハート型は避けて、値段もお手頃なビターチョコを選んで包んだ。
「ほい。四千円になります」
「むぅ……結構いくね。常連相手の義理チョコが大半だし、お父さんに経費請求しなきゃ」
ぶつぶつ言いつつ、支払いを済ませる深紅。
彼女は紙袋の中のチョコを数えると、その中の一つを取り出し、こっちに返品してきた。
「あ、ちーちゃん。これ」
「ん? どうした。もしかして数を間違えてたか?」
ミスったかと思い、顔をしかめる俺に、深紅は笑顔のまま首を横に振った。
「ううん。これ、ちーちゃんにあげる分のチョコ。ちょっと早いけどハッピーバレンタイン!」
「おかしくね!? 俺が作ったチョコを俺にプレゼントするの!?」
「うん。もちろん、ホワイトデーも楽しみにしてるから!」
「俺が作ったチョコを俺にプレゼントした上、そのお返しも俺がするの!? マッチポンプ感が半端じゃないんだけど!」
なんだ、この謎の現象! ほぼ俺の一人バレンタインじゃねえか!
「ちなみに、うちの兄さんにもこのチョコをあげるつもりだからね。ちーちゃんが丹精込めた手作りチョコを、兄さんに受け取ってもらえるよ」
「誤解を招くわ!」
なんか俺が深紅を経由して、聖に本命チョコ贈ってるみたいなノリになるじゃん!
「じゃあちーちゃん、また学校でね」
「待て! せめて聖にあげるチョコだけは別の店で買ってくれ! 今なら返品も受け付けるから!」
必死に引き留める俺の言葉は届かず、深紅は何故か生温かい笑みを浮かべて去っていくのだった。
明日学校で聖に会うのが、怖い。
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