第16話 そして、エピローグ

 エピローグ。


 嵐のような一日が終わった。


 結婚式と披露宴は無事に終わり、先生も今頃新居に着いた頃だろう。


「体育館の片付け終わったよ」


 夕方の調理実習室。


 修羅場の痕跡を示すように使いっぱなしの調理器具が散乱する中、湊がやってきた。


「……おう。お疲れ」


 もうくたくたになって丸椅子に座っていた俺は、軽く手を挙げて彼女を出迎える。


「こっちは全然片付いてないね」


 実習室の惨状を見るなり、苦笑を浮かべる湊。


「ま、全員満身創痍だったからな……行儀は悪いが、片付けは明日に回す」


 突発的にウェディングケーキを作った俺と深紅はもちろんのこと、本来三人がかりでやるはずだったコース料理を、途中から一人で仕上げた聖も完全に体力を使い切っていた。


「そっか。大変だったもんね」


 そう言いながら、湊は俺の隣に椅子を並べて座った。


「結果、無事に終わったからいいけどな」


 俺は小さく笑い、今日一日の修羅場を総括した。


 終わりよければ全て良し。


 反省点は多くあれど、結果として成功だったのなら今日はいい一日だったさ。


「あれだけ苦労したのに、笑ってそう言い切れるのが千隼のすごいところだよね」


 湊は、半ば呆れたように呟いた。


「好きでしてる苦労だからな。文句を言う理由なんてない」


 キッパリと言い切ると、湊はくすぐったそうに微笑を浮かべる。


「……ん。今日はありがとね。千隼が励ましてくれなかったら、折れてた」


「おう、どういたしまして。感謝されるのは気持ちいいからもっとしろ」


 真面目に答えるのがなんだか気恥ずかしくて、俺は冗談めかした答えを返した。


「確かに。今回に関しては可能な限りの感謝をしなきゃね。というわけで」


 言うなり、湊はぽんぽんと自分の太ももを叩いてみせる。


「……なんだよ」


 意図が分からず首を傾げる俺に、湊は悪戯めいた流し目を向けてきた。


「ひざまくら。お礼として特別に」


「マジか。じゃあ遠慮なく」


 疲労困憊な状態ですら、これはちょっとテンション上がる。


 湊の気が変わらないうちに、身を任せてしまおう。


 重力に任せるまま彼女のほうに倒れ、太ももの上にぽすんと頭を載せる。


「おー……」


 思わず感嘆の吐息を漏らす俺であった。


 なんかこう、物理的に柔らかくて気持ちいいのもあるけど、精神的にもすごい癒されるというか、最高だわ。


「普段は出し惜しみするくせに、今日は大盤振る舞いだな」


 いつもの湊だったら、親しき仲にもギブアンドテイクありと言って、なんやかんや対価を要求してくるのに。


 そう疑問に思って訊ねると、彼女は優しいまなざしを湛えて答えた。


「自分で始めたイベントは、なるべくみんなWin-Winで終わらせたいからね。このままだと、頑張った千隼が一方的に損しちゃうし、ここは全力で労わないと」


「……そっか」


 奔放に振る舞って、みんな巻き込んで、それでも最後はハッピーエンドを目指す。


 そんな湊なりのけじめなのだろう。


 だったら、俺も疑うことなくこの報酬を受け入れよう。


「あ、けど聖にはやるなよ。あいつも今回は頑張ったけども」


 一応、釘を刺しておく。


「やらないって」


「なら良し」


 満足して頷く俺に、湊はからかうような表情を浮かべた。


「ヤキモチ焼きだな、千隼は。そんなに私のことが好きか」


「そりゃあもう。自分でも呆れるくらいに」


 俺の答えに、彼女はくすりと小さく笑った。


 微睡みにも似た、心地よい沈黙が流れる。


「……千隼がこうやって私のために頑張ってくれるのが嬉しくて、私は無茶なことをするのかもしれないね」


 ぽつりと、湊がそう呟いた。


「何だよ、急に」


 唐突な言葉に、俺は少し照れ臭くなった。


「別に。ちょっとそう思っただけ」


「そっか」


 再び、沈黙。


「……俺も、同じようなものだな」


 湊が輝いている姿を一番側で見たくて、彼女に振り回されている。


 毎回修羅場で、へとへとになるまで疲れて、目が回るほど振り回されて――だけど。


 こうして何かをやり遂げた時の気持ちを、湊と共有した時。


 その全てが報われたような気がするのだ。


「……なんか、眠くなってきたかも」


 緊張の糸が切れたからだろうか、全身を包んでいた疲労が睡魔に変換されていく感覚がした。


「ん。寝てていいよ。下校時刻になったら起こしてあげるから」


 優しい、普段はあまり聞けない湊の声。


 それを聞きながら、俺は静かに意識を手放した。






 ――夢を見ていた。


「おおきくなったらけっこんしようね、みなとちゃん」


 十年も前の話。


 実家の洋菓子店で、幼馴染みの女の子にプロポーズをした時の夢だ。


「けっこん? ちはやくんと?」


 髪の毛をポニーテールにした愛らしい幼馴染みは、俺が生まれて初めて作ったクッキーを食べながら、小首を傾げている。


「そう! ぼくがをつくるから、ふたりでけっこんしきあげるんだ! そしたら、ずっといっしょにいられるよ」


 途端に、幼馴染みの少女もパッと顔を明るくした。


「ほんとっ? なら、けっこんする!」


「やった! やくそくだよ?」


「うん!」


 少女の手を握り、幼い俺は幸せの絶頂を味わっていた。



 それから十年経った今、俺はこう思う。


 ――まあ、今も結構悪くないけどな、と。

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