第14話 結婚式
そうして迎えた結婚式の施行当日の朝。
三月末の大安を選んだにもかかわらず、珍しい春の雪が降っていた。
「みなさん、おはようございます。今日はとうとう本番です。生憎の天気ですが、今日まで練習してきたことを出して、最高の結婚式にしましょう!」
教室の教壇で、湊がスタッフに挨拶をする。
今日は学生として先生を送るため、サービススタッフは全員学校の制服。
本番までに、クラスメイトたちは全員計画に参加してくれた。
先生の人望がそれだけあったということだろう。
「では、それぞれ持ち場に着いてください。千隼と高梨兄妹はこっちに」
全員が自分の持ち場に向かう中、俺たちだけが湊に呼び出された。
「どうした、何か追加の仕事か?」
そう訊ねると、湊はゆっくりと首を横に振った。
「三人とも、今日はずっと厨房に籠もるでしょ? だから、先に宮國ちゃんに顔を出しておいたほうがいいんじゃないかと思って」
高梨兄妹も、言われてようやく気付いたというように頷いた。
「確かに。あたしたち、直接式を見ることはできないんだもんね」
「お嬢のお心遣い、感謝します」
俺も賛成だ。
今日の主役に挨拶をするのは大事なことである。
「じゃ、一緒に行こうか」
湊の先導に従い、俺たちは廊下を進む。
そうしてやってきたのは視聴覚室。
「失礼します。新婦さん、今大丈夫ですか?」
ドアをノックしてから湊が声を掛けると、中から「どうぞ」という先生の声が聞こえてきた。
四人で部屋に入る。
するとすぐに、用意された化粧台の前に座る、ウェディングドレス姿の宮國先生が目に入った。
「みんな、おはよう」
――思わず、見惚れた。
純白のウェディングドレスが朝の柔らかい日差しを反射して、キラキラと輝いている。
「わぁ……宮國ちゃん、綺麗!」
「よくお似合いです、先生」
高梨兄妹が口々に褒め称える。
「本当に。直接見られてよかったですよ」
俺も素直な気持ちを言葉にする。
そんな俺たちに、先生は立ち上がって近づいてきた。
「ありがとうね。諦めてた結婚式を挙げられるのもそうだけど、みんなに祝ってもらえるのが本当に嬉しい。先生、今日のことは一生忘れないわ」
その言葉に、改めて気が引き締まるのを感じた。
「ええ。最高の結婚式にしてみせますよ」
俺が請け負うと、先生は穏やかに笑った。
「うん、よろしくね」
そうして時間を見れば、そろそろ厨房に入らなければいけない時間だ。
「では、俺たちはもう行きます。湊、あと頼んだ」
「うん、任せて」
俺と高梨兄妹は先生に会釈をすると、視聴覚室を出ていく。
「……なんか、気合い入るね」
深紅が、ぎゅっと拳を握りながら呟いた。
それに、彼女の兄も頷く。
「うむ。ここから先は戦場に等しい。油断はするなよ、二人とも」
その言葉に、俺は一つ深呼吸をしてから応じた。
「ああ。当然だ」
窓の外を見ると、朝から降り続いた雪は止んでいた。
あまり知られていない話だが、一部の例外を除き、実はケーキというのは焼いてから時間が経ったほうが、生地が馴染んで美味しくなるとされている。
そのため、俺もウェディングケーキの生地は昨日のうちに焼いて冷蔵庫に入れておいた。
なので、今日やるのは主にその組み立てである。
「あ、始まったよ」
作業開始から一時間。
深紅の声で顔を上げた俺は、調理実習室の黒板に立てかけられたタブレットPCを見る。
画面の中には学校の講堂が映っており、今まさに結婚式が行われていた。
これは料理提供のタイミングを図るため、撮影班のスマホ画面を映したものである。
「……これが終わったら披露宴だな。深紅、やるぞ」
「了解、兄さん」
講堂での式が終わればすぐに体育館での披露宴。盛り付けのタイミングだと判断したのか、高梨兄妹のギアが一段上がった。
途端、厨房に熱が籠もる。
外では薄く雪が積もっているというのに、それを感じさせない熱気。
「……よし、出来た」
本格的に作業を始めた高梨兄妹とはよそに、俺の作業が一段落する。
飾りの生クリームを除き、全てのパーツが組み込まれた三段ウェディングケーキ。
運搬の難易度を下げるため、調理実習室で仕上げるのはここまで。
残りは、舞台袖まで運搬した後に盛り付ける。
「手が空いたぞ、聖。そっちの準備手伝うか?」
俺が担当するのはレモンの
どちらも早朝の時点で仕込みは終わっていて、あとはタイミング良く盛り付けるだけだ。
「不要だ。俺も深紅も、思いのほか調子がいい。お前はケーキに集中しろ」
不敵に笑い、俺の援軍を断る聖。
確かにホテルでの修行の成果か、二人の動きには淀みがなかった。
高梨兄妹め、また一つ腕を上げやがったな。ちょっと悔しい。
「はいよ。んじゃ、そうさせてもらう」
聖の言葉に甘え、俺は手伝いを取りやめて湊に電話を掛ける。
「業務連絡。ケーキが完成した。運搬スタッフを寄越してくれ」
『分かった。三分で到着させる』
必要最低限のやりとりだけで通話が切れる。
俺はスマホを仕舞うと、外を見た。
「雪は止んだままだな……」
吹雪くようなら、ケーキが汚れないようにルートを変える必要があったが、これなら練習通りの道順で十分だろう。
「お待たせ! ケーキ運ぶよ」
声が聞こえて振り向くと、そこにいたのは運搬用の台車を押す湊だった。
そして、その後ろには見慣れた顔も。
「任せろ、桐生」
筋肉を殊更アピールしてくるのは、アメフト部の笹本。
ガッシリとした肉体には安定感があった。
彼の隣には、同程度の体格を持つ男子もいる。確か杉崎と言ったか、笹本と同じアメフト部の部員だ。
平地は台車で運び、階段を降りる時に二人の力を借りるプランである。
「二人とも頼んだぞ」
俺が声を掛けると、運搬スタッフの二人はにかっと笑った。
「任せとけ!」
「練習の時と同じ感じだろ? なら、いけるって」
確かに、この二人は運搬練習の時に一番安定していたペアだ。
練習通りにやれば、問題なく運べるだろう。
見送る俺の前で、力自慢の男子二人が台車にケーキを載せて調理実習室を出ていく。
「最後の盛り付けはいつやる?」
残った湊に訊ねられ、俺は調理器具を用意しながら答える。
「邪魔にならないならすぐに行って仕上げる。早めに手を空けたいからな」
余裕こそがミスを減らす一番の工夫である。片付けられる作業はさっさと片付けて、落ち着いた状態をキープしたい。
俺の要望に、湊は頭の中で披露宴の手順を確認するように考え込んでから、軽く頷いた。
「……うん、大丈夫だと思う。ケーキの保管場所はスタッフの動線に被ってないから、完成形を置いといても平気」
「よし、ならやろう」
俺は用意した調理器具一式を抱えると、湊と一緒に調理実習室を出た。
早足で笹本と杉崎の後を追う。
と、ちょうど彼らが階段に差し掛かったのが遠くからでも見えた。
「あ、追いつけそうだね」
湊が明るい声で言い、歩く速度を上げる。
俺もそれに追従しようとして――何か、背筋に怖気のようなものが走った。
「………………っ!」
厨房で長く戦ってきた者に備わる第六感。トラブルの気配を察知する嗅覚。
朝から降り続いた雪。中と外の温度差と、それにより結露した通路。巨大なウェディングケーキによって隠された足元。
即ち、練習通りじゃない環境。
「待っ――」
確信もないまま、俺は前の二人に声を掛けようとする。が、時既に遅し。
杉崎が、ぐらりと揺れた。
「ちょ、おい!」
同時に、笹本が相方の異変に反応して一人でケーキを支える。
さすがアメフト部。それだけでピタリとケーキの揺れが止まった。
ほっとしたのも束の間、笹本が目を剥く。
「杉崎!?」
見れば、体勢を崩した杉崎が頭から階段に落ちそうになっている場面だった。
「くっ……」
笹本が苦渋の表情を浮かべたのは一瞬。
すぐに彼はケーキを手放し、倒れそうな杉崎の手を引いて支えた。
その結果、
「え」
呆然としたような湊の声。
ふわりと宙を舞う巨大なケーキ。目の前の光景が、まるでスローモーションのように流れていき――
階段の踊り場に、ウェディングケーキがぶちまけられた。
――凍り付いた。
空気も、思考も、未来も。
全員がその場から一歩も動けず、ただただ硬直する。
そんな中、湊がすとんと崩れ落ちた。
「……終わった」
呆然としたその一言が、再び時を動かす。
「す……すまん! 俺はなんてことを」
最後、ケーキを手放した笹本が、青ざめた顔で謝ってきた。
「いや、元はと言えば、俺が転んだせいで……どうしよう」
杉崎も、同じ表情でうろたえる。
が、そんな彼らに対し、湊は力無く首を横に振った。
「……ううん。二人は悪くない。私のミスだ、これ」
彼女は、座り込んだまま拳をぎゅっと握る。
「雪が降って、練習と違う環境になったのに全く対策を取らなかった。注意を促すことすらしなかった。練習通りにやることで頭が一杯になって、リスク管理を怠るなんて。そこに気付くのが私の仕事だったのに……!」
「双葉……」
重苦しく、絶望的な空気。
そこに――
「はいここまで。今は反省する時間じゃねえ」
――俺が手を叩いて割って入った。
三人の視線がこっちに集まる。
それを確認して、俺はなるべく淡々と告げた。
「笹本」
名前を呼ぶと、彼はビクッと肩を跳ねさせた。
まるで裁定を待つ罪人のように青ざめた彼に、俺はぽんと背中を叩いてやる。
「よくやった。ファインプレイだ」
「は……?」
まさか褒められるとは思わなかったのか、笹本は呆然としていた。
そんな彼に、俺は笑顔を向ける。
「今最悪だったのは、ここで杉崎が怪我をして救急車を呼ぶ騒動になること。そうなれば結婚式は台無しだ。よく防いでくれた、助かったよ」
「桐生……」
今最もショックが大きいのは、自分の意思でケーキを手放してしまった笹本だ。
だから、ケーキを作った俺の口から今の行動を労ってやらなければならない。
でなければ、傷になる。
「何はともあれ、ここをそのままにはしておけない。二人とも、悪いが掃除用具持ってきてここを片付けてくれ」
「わ、分かった」
「すぐ持ってくる!」
やることを与えられた二人は、責任感からか急いで掃除用具を取りにいった。
残るは、いまだ俯く湊だけ。
「後悔しても起きてしまったトラブルをなかったことにはできない。かと言って、結婚式を諦めるわけにもいかない。じゃあどうすればいい? 湊」
思考を前に動かすためにあえて訊ねると、彼女はゆっくりと口を開いた。
「……トラブル対応して、式を成功に導く」
「正解だ。分かってるならまず動くぞ」
「けど……ウェディングケーキだよ!? 代わりなんて利かない。誤魔化そうにも誤魔化せないタイプのミスじゃん!」
俺が促しても、湊の身体に力は戻らない。
それでも、俺は更に言葉をぶつける。
「『誰かにとっての特別な一日。私は、それをちゃんと支えられる人でありたい』。お前が言ったことだ。ここで諦めたら、その信念が嘘になるぞ」
湊は、はっとしたように顔を上げる。
結婚式をやりたいと言ったのはこいつで、そのためにみんなを巻き込んだのもこいつで、今こうして式が動き出したのも、こいつの力だ。
だから、湊だけは何があっても折れてはいけない。
それが彼女の役割であり、責任だからだ。
「この程度のことでへこんでるんじゃねえ。いつだって笑って、人を振り回して、それでも最後はなんだかんだでみんな楽しかったって、そう言わせるのがお前だろ」
湊はいつだってそういう奴だ。
色んな人間を巻き込むくせに、他人を損させて終わりにはしない。自分が損して終わりにもしない。
目指すのは問答無用のハッピーエンド。
そんな湊だからこそ、俺はいつだって苦笑しながらも、溜め息を吐きながらも、最後には逆らうことなく巻き込まれているのだ。
「千隼……」
湊は俺の目を見て、小さく呟く。
それからゆっくりと目を瞑り――もう一度開いた時には、いつもの湊に戻っていた。
「うん、そうだね。後悔も反省も、やることをやってからにしよう」
「その意気だ」
一度前を向けば思考が早い。
湊は少し考えてから、テキパキと指示を出してきた。
「とにかく、披露宴の順番を変更して時間稼ぎをする。ケーキ入刀をなるべく後ろに持っていくから、その間に千隼は新しいケーキを用意して」
「分かった。それで何分稼げる?」
練習では一からケーキを作る場合、三時間が必要だった。
高梨兄妹のどっちかをサポートにつけても、二時間は固いだろう。
「そうね……多分、今からだと稼げて90分。それで足りる?」
しかし、湊は俺の見積もりとはかけ離れた数字を出してきた。
――不可能に決まってる。
俺の理性が、パティシエとしての冷徹な計算が、そう結果を告げてきた。
「十分だ。なんとかする」
それでも、俺は頷いた。
何故なら――決して折れないことが湊の役割であり責任なのだとすれば、俺の責任は、こいつが折れないよう力を尽くすことなのだから。
「俺は90分で代わりのケーキを用意する。お前はお前の仕事をしろ」
なに、不可能の一つや二つ、乗り越えてみせるさ。
――さあ始めよう。ここからは先は進むも地獄、戻るも地獄の大修羅場だ。
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