第13話 幼馴染とウェディングケーキ

 スポンジケーキに生クリームを塗り、フルーツを載せてはまた重ねる。


 精密に、寸分の狂いもなく。


 晴れ舞台を迎える人の人生の重み、積み重ねを表わすように何度も何度も繰り返す。


「……よし、こんなもんか」


 料理部の部室となる調理実習室。


 全ての工程を終えた俺は、深く溜め息を吐いた。


「すごい……よくこんなの作れるね」


 深紅が感心したように作業台の上を見た。


 そこにあるのは、三段重ね、高さ一メートルのウェディングケーキ。


 結婚式前に、試作品として作ったものである。


「一から作って……作業時間はだいたい三時間ってところか」


 まあ、このサイズと仕上がりのきめ細やかさなら、こんなもんか。


 予め下準備をしておけば、もっと縮められるだろう。


「これほどのサイズにもかかわらず一段目は潰れず……しかし生地が固いわけでもない。どういう絡繰りだ?」


 聖もケーキを見ながら、渋面を浮かべている。


 自分が理解できない構造をしているのが悔しいのだろう。


「企業秘密だ」


 これは俺の黒歴史が詰まった修行の日々の成果である。そう簡単には教えられない。


「それは残念だ……と、そうだ、こちらもコース料理のメニューを完成させた。お嬢に渡してくれないか?」


 言いながら、聖はコース料理が書かれたリストを俺に差し出してくる。


「構わないが……自分で渡せばいいんじゃないか? あいつ、もうすぐここに来るぞ」


 リストを受け取りながらも疑問を覚える俺に、聖は肩を竦めてみせた。


「そうしたいのは山々だが、これからホテルに行かねばならなくてな」


「ホテル? 実家の店じゃなくてか」


「ああ。俺たちは結婚式については素人だからな。ホテルスプラウトで再び修行をすることにしたのだ」


「なるほどな」


 通常のレストランでは注文が入った順に料理を作っていくものだが、結婚式は『集団調理』という特殊な工程になる。


 普段よりも多くの客を、全く同時に捌かなければいけないというやり方。


 ビストロ出身の彼らには、確かに慣れる時間が必要だろう。


「そういうことだから、もう行くね。じゃ、ちーちゃんまた明日」


 兄に付いていくつもりらしく、深紅も手を振って別れの挨拶をしてきた。


「了解。頑張れよ」


 去っていく二人を見送り、俺はウェディングケーキを見る。


「サイズはこれで大丈夫かね……」


 一応、標準サイズで作ってみたものの、学校のドアや天井など、ルートの途中で引っかかってしまえば台無しだ。


 そうならないよう、実際に本番を想定した運搬を一度は試しておかないと怖い。


 なんてことを考えていると、調理実習室のドアをコンコンとノックする音が聞こえた。


「失礼しまーす。お、すごいウェディングケーキじゃん」


 振り向くと、入室してきたのは湊だった。


「おう。まだ試作段階だがな」


「いやいや、十分立派だよ……ん? このピンクの飾りは……桜?」


 ぐるりとケーキを見回していた湊が、ケーキの飾りに気付く。


「ああ。卒業シーズンだし、桜の塩漬けをトッピングしてみた」


 アンビバージュという、スポンジに染み込ませるシロップにも、桜のリキュールを使っている。


「うん、いいと思う! こういうメッセージ性があるケーキは映えるからね。さすが千隼、いいものを作る」


 手放しで褒めてくれる湊。こう言われると悪い気はしない。


「まあ、これくらいはできるさ」


 ちょっと照れながら答えると、湊がくすくすと笑う。


「そうだよねー? だって私との約束を守るために、一生懸命練習してたもんね。あ、もしかして今でも練習してたりする?」


「やかましい。仕事でやってるだけだ」


「否定はしないんだ」


 褒め言葉から一転、いきなり分の悪い流れになってきた。


「とにかく、今回は宮國先生のために作ったものだからお前は関係ない」


「はいはい。それにしても、宮國ちゃんが急に結婚式にゴーサインを出してくれるとは驚いたね」


 湊は、ふと思い出したようにその話題に触れた。


「そうだな。ま、本心じゃ結婚式を挙げたかったってことなんだろう」


「ふうん……もしかして千隼、何かした?」


 探るように、俺の顔を覗き込んでくる湊。


「さあな。婚約者にでも説得されたんじゃないか?」


 彼女に内緒でウェディングケーキの営業を掛けた手前、ここは無関係を装っておこう。


「そっか。ま、そういうこともあるかな。けど残念だね、もし説得したのが千隼だったら、ちゅーの一つくらいしてあげようと思ってたのに」


「やっぱり俺が頑張りました! マジで!」


 一瞬で前言を放り投げる俺である。


「残念。もう締め切りました」


「くそっ! くそっ!」


 本気で悔しがり、地団駄を踏む十六歳男性。


「また次の機会に頑張ってね。ていうか、高梨兄妹は?」


 湊が本題に入ったことで、俺も正気に戻った。


「ああ、高梨兄妹からコース料理のリストを預かってるぞ。確認してくれ」


「む、それは重大だね。千隼をからかってる場合じゃないわ」


 リストを差し出すと、彼女はそれを受け取り、中を確認した。


 フランス料理のコースにも様々なパターンがあるが、今回行うのは先付けアミューズ前菜オードブルスープポタージュ魚料理ポワソン氷菓子グラニテ肉料理ヴィアントデザートデセールコーヒーと菓子カフェ・プティフールの八品を使ったものだ。


「デセールがウェディングケーキになるパターンだね、そつがない。ただ……」


 頷いて認めた後、湊は少しだけ眉根を寄せた。


「作業時間が曖昧かも。もうちょい正確な時間を出してくれたほうが、サービススタッフもやりやすいかな」


 湊の要求に、俺は首を横に振った。


「お前に頼まれれば二人はやるだろうが……やめとけ、失敗のリスクが上がる。料理ってのは、ある程度の『幅』を持たせることが大事なんだ」


「どういうこと?」


 湊も飲食店に務める身だが、基本的にお菓子畑の人間だ。あまり料理の世界のことはピンと来ないのだろう。


「これは製菓と料理の最大の違いでね。製菓は計画性が大事で、料理はアドリブが大事なんだ。なんせ料理で使う食材ってのは基本的に生き物だろう? 個体差があるんだ」


 同じ規格の同じ食材でも、ものによっては数百グラムの誤差が出ることになる。


 その誤差を計算せずに料理をしても、うまく行くはずがない。


「食材のサイズ、厨房の気温、湿度、調理器具の性能……料理ってのは、その誤差を修正しながらやるものだ。大まかな時間は出せても、そこまでだ」


 だからプロ用のレシピでは『材料を何分焼く』とか『何分茹でる』みたいな、具体的な作業時間が書いていることは少ない。


 『きつね色になるまで焼く』とか『芯が残る程度に茹でる』のように、状態の変化が書かれたものが主流だ。


 料理初心者に不評な『塩少々』って表記も同じ理屈である。


「なるほど……料理は難しいんだね。けど、製菓だと時間が出せるようになるんだ?」


「ああ。料理とは逆で、製菓は準備と計画性が物を言う調理だからな」


 小麦粉、砂糖、バター。製菓の主力となる材料は、個体差の影響を受けない食品。


 だからこそ逆にアレンジやアドリブを入れてしまえば、その分の誤差が諸に出てしまう。


「まあ卵や果物も使うからアドリブが全くないってわけじゃないけど……いかにレシピに忠実で計画性を持つかってのが成功の秘訣だ」


「そっか。じゃあ千隼の作業時間はある程度細かく管理していいんだね?」


「まあな。注文があったら言え、可能な限り融通を利かせてやる」


 それで少しでも湊の負担を軽くできるのなら、俺としても断る理由はない。


 その言葉に安心したのか、彼女は少しほっとしたように要望を口にしてきた。


「分かった。じゃあ早速だけど、朝はおはよう、夜はおやすみのメッセージを毎日欠かさず私のスマホに送ってください」


「私生活の管理はまた別の話ですけど!?」


 この女、初手から全然関係ない要求をぶちこんできやがった。


「続いて、学校ではなるべく他の女子と話さないように」


「束縛が強い!」


「そして進路調査書には、うちのホテルへの就職を第一希望で書いてください」


「そこまでの融通は利かせられねえわ!」


 危うく人生のタイムスケジュールを管理されてしまうところだった。


「とにかく、融通を利かせてやれるのは少しだけだ。一応、本番も忙しいんだからな」


 お菓子の利点は作り置きが効くことだが、それでも俺の作業量は多い。


 ウェディングケーキだけではなく、コース料理の中にある氷菓子、コーヒーと菓子も俺の担当だ。


 これをほぼ一人でやるのだから、修羅場も修羅場である。


「うん、分かってる。無茶は言わないから」


 湊は予想よりも物わかりがいい様子で頷いた。


「じゃ、他に打ち合わせすることもないな。あとはとりあえず料理の給仕担当を連れてきてくれ。ウェディングケーキを運ぶ練習をさせたい」


「了解。頑張ってね」


 ひとまず全ての話が終わったところで、俺は湊に背を向けて調理器具の片付けに入った。


 と、その時である。


 ぽふ、と音を立てて、湊が俺の背中に抱きついてきた。


「湊? どうした」


 驚いて背後を見るも、彼女は俺の背中に額を付けていて、表情が窺えない。


「……別に。ただ頑張ってる千隼を喜ばせてあげようと思って」


 普段の明るさとは違う、どこか細い声。


 それで、なんとなく彼女の気持ちを悟った。


「本番が近くなって、怖じ気づいたか?」


「う……」


 ぎゅっと俺の身体に回した手に力が籠もった。図星らしい。


 そりゃあそうだろう。ホテル育ちとはいえ、湊はウェディングプランナーの役割を本職としているわけではない。


 唯一頼りになる経験者おれは、厨房で忙殺される予定。


 そして、その状況を生み出したのは、他ならぬ湊自身なのだ。


 わずか十六歳の少女が担うには、重すぎる責任である。


「……こうやって具体的な忙しさやリスクが見えてくると、どうしてもね……でも、私が弱いところを見せるわけにはいかないから」


 湊はこの計画の軸である。周囲に不安な顔を見せることは、決して許されない。


 その不安は、この計画に参加するメンバー全員に伝播するから。


「ずっとプレッシャーだったのか」


「……うん」


 普段とは違う気弱な返事。


 どうやら、抱えていた不安がここに来てパンクしたらしい。


「だとしても、俺に対してはもっと早く甘えてよかったんじゃないですかね」


 俺は自分の胴に回された彼女の手に、そっと自分の手を載せる。


 触れた手は俺より一回り小さく、そして冷たかった。


「そうしたかったけど……千隼、すごく大変そうだし。その状況を作ったの、私だし」


「柄にもなく変な遠慮しやがって」


 俺は一つ溜め息を吐くと、くるりと反転して湊に向き直る。


 少し驚いたような彼女の頬に手を当てると、目を合わせた。


「俺はお前の味方だ。いつでも。無条件に」


「……ん」


 真っ直ぐに告げると、少し照れたのか湊ははにかんで俯いた。


「恥ずかしいこと言っちゃって。そんなに私のことが好きか」


「まあな」


 さらっと肯定すると、湊が小さく笑うのが聞こえる。


 そうして次に顔を上げた時、湊とは普段の彼女に戻っていた。


「そんな無条件に味方なら、進路もホテルにしてもらいたいものだけどね?」


「いやいや。お前の中にはない考え方や視点を提供するのも味方の大事な役目なんで」


 味方と言っても、唯々諾々と湊に同意するだけのロボットではないのである。


「むぅ……都合のいいところだけ。ま、でもなんか気が楽になったよ。もうちょっと頑張れそう」


 俺から離れ、ぐっと伸びをする湊。


「そりゃよかった」


 俺が頷くと、湊は晴れやかに笑った。


「うん。じゃ、教室に戻ってみんなのこと呼んでくる。お互い頑張ろうね、千隼」


「おう」


 弾むような足取りで出ていく湊を見送って、俺も自分の仕事に戻るのだった。

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