第12話 本当に見せたいもの

 ウェディングケーキの予約が入ってから数日後の休日。


 湊のシフトが入っていないこの日、俺は翡翠屋で先生と打ち合わせをすることになった。


 厨房を師匠に任せ、店頭の仕事をこなすこと一時間。


 ベルの音を鳴らして店のドアが開いた。


「いらっしゃいませー……と、先生。お待ちしていましたよ」


 やってきたのは、少しラフな私服を着た先生だった。


「お待たせ、桐生君。わざわざ時間を作ってもらってありがとうね」


「いえいえ、これが仕事ですから。それより、そちらの方はもしかして」


 先生の後ろには、穏和な空気を漂わせる男性の姿があった。


「ええ。紹介するわ。私の婚約者の、杉森和也さん」


「はじめまして、杉森です。ほのかがいつもお世話になっているようで」


 礼儀正しく挨拶をしてくる杉森さんに、俺も一礼を返した。


「桐生千隼です。こちらこそ先生にはお世話になりっぱなしで」


「はは、ほのかは生徒に慕われているようだね」


 安心したような杉森さん。


 と、俺たちのやりとりを見た先生が少し顔を赤くした。


「も、もう。それはいいでしょ。それより早く打ち合わせをしましょう」


 仕事の評判を身内に話されるのが恥ずかしいのか、あるいは婚約者の惚気を生徒に聞かれるのが恥ずかしいのか、先生は強引に本題に入った。


「そうですね。では、お掛けください」


 空いていた喫茶スペースの席に二人を座らせ、対面に俺が座る。


「では早速ですが、ケーキの相談をしようと思います。何か希望はありますか?」


 すっと背を伸ばし、プロのパティシエとして訊ねる。


 二人はじっと考え込んだものの、まずは宮國先生が口を開いた。


「やっぱり白いショートケーキがいいかな。それでいい?」


 隣に確認を取ると、杉森さんも頷く。


「うん、賛成。サイズはどうする?」


「二人分……と言いたいところだけど、お互いの両親を呼ぶかもしれないわね。もう少し大きめに作ってもらう?」


「そうだね。多めに見積もって六人分かな。そのサイズでも大丈夫ですか?」


「ええ、もちろん」


 杉森さんの質問に頷きながら、俺は静かな確信を得た。


 ――やっぱり、先生は結婚式をやりたいんだな。


 夫婦間でケーキを共有するだけではなく、互いの両親も呼びたい。そしてドレス姿の写真も撮る。


 こんなのは、ミニチュアの結婚式みたいなものだ。


 なのに、湊が用意した本物の結婚式には乗らない。


 なんとも難しい話だ……と俺が思考の底に沈みそうになっていると、ピピピという軽い電子音が鼓膜に突き刺さった。


「あ、ごめんなさい。ちょっと失礼するわ」


 顔を上げれば、先生がスマホを持って席を立っていた。


 俺たちから少し離れたところで通話をする。


 残されたのは、俺と杉森さんの二人。


「桐生君。せっかくだから一つ聞いていいかな」


 手持ち無沙汰だったのか、通話する先生の背中を見ながら、ふと杉森さんが口を開いた。


「なんでしょう」


「ほのかは、学校ではどんな教師なんだい? 彼女、なかなか職場の人間には会わせてくれなくてね。すごく興味があるんだ」


 好きな相手のことはなんでも知っておきたい、という惚気かね。


 まあ気持ちは分かるので、ここは素直に答えるとしよう。


「とても生徒思いで、頼りになる先生ですよ」


「へえ」


 第一声が褒め言葉だったからか、杉森さんの目が興味深そうに輝く。


「うちの学校って、バイトの許可取るのが結構大変でして。時間帯や出勤日数の制限も厳しいし、許可が出るまで長いのなんの」


 俺と湊、それに高梨兄妹。


 家業とはいえ、明らかに学校のバイト許可の基準を超える組は、そもそも許可をもらえるのか怪しかったくらいだ。


「けど、そうやって困ってた時、宮國先生が戦ってくれたんですよね。おかげで今こうして働けているわけなんですけど」


 もしも違う人が担任だったら、今どうなっていたかは分からない。


 少なくとも、学歴よりパティシエのキャリアを優先する俺は、学校を辞めていた可能性もある。


「そっか。じゃあほのかは立派な先生だったんだね」


「ええ、とても」


 杉森さんの言葉に、俺は自信を持って頷いた。


 すると、彼は何故か少しだけ暗い顔で俯く。


「なら、俺は君に……いや、君たちに一つ謝らなければならないね。ほのかが急に転勤することになったの、俺のせいなんだ」


「……と、言いますと」


 事情が分からず困惑する俺に、杉森さんは苦笑を浮かべて口を開いた。


「ほのかはね、本当は結婚後も君たちが卒業するまで今の学校に残るつもりだったんだ。けど、そこで俺の転勤が決まってしまって……単身赴任って手もあったんだが、ほのかは俺に付いてきてくれることを決めたんだ」


「そうだったんですか……」


 そりゃ、新婚早々離ればなれは嫌だろう。


「だから、ほのかはそのことを君たちに申し訳なく思っているみたいでね。こうして君のところにケーキを頼むことにしたのも、せめてものお詫びということみたいで……ああ、もちろん君の腕を信じてるからっていうのも大前提だよ?」


 途中、失言と思ったか慌てたようにフォローを入れる杉森さん。


「ええ、分かってますよ」


 俺があえて笑顔を作って気にしてないアピールをすると、彼は軽く胸を撫で下ろした。


「……まあ、先生の気持ちは分かりました。実際、先生がいなくなることで難しくなる面っていうのは確かにありますからね」


 今後、俺や湊、高梨兄妹の仕事に関する後ろ盾は確実になくなるし、他にもそれぞれ先生に庇ってもらった生徒たちはなんらかの苦難を強いられるかもしれない。


 そういう生徒たちを途中で放り出すことになるというのは、確かに心苦しいものなのだろう。


「……そっか。だからうちのケーキはよくて、湊の用意した結婚式は駄目なんだな」


 途中で放り投げる自分が、生徒の厚意に甘えるわけにはいかないと思って。


 そういうことなら、俺がやるべきこと、言うべきことは一つだ。


「お待たせ。ごめんね、二人とも」


 その時、先生が電話から戻ってきた。


 と、そこで俺たちはそれまでの話題を切るが、そのせいで不自然な間が生まれてしまう。


「……二人とも、何を話してたの?」


 どこか訝るような先生の視線。


 それに、俺はしれっと笑みを返した。


「いえ、宮國先生が学校でいかに素晴らしい先生だったのかを話してまして。ね?」


 杉森さんに水を向けると、彼も笑顔で頷いた。


「ああ。ほのかは恥ずかしがって仕事の話をあまりしてくれなかったけど、随分と立派な先生っぷりだったみたいじゃないか」


 途端に、先生の顔が真っ赤になる。


「も、もう! 余計なこと言わないで、桐生君!」


「あはは。すみません。それじゃ、ケーキの打ち合わせに戻りましょうか」


 話を本題に戻しながら、俺と杉森さんは暗黙の了解で今の話題を秘密にするのだった。






 それから三十分ほどでウェディングケーキに関する打ち合わせを終えた後、その日は解散になった。


 杉森さんは新居の引っ越し作業をするために帰宅し、先生は自分が顧問を務めている部活の練習に顔を出すらしい。


「そういえば先生って女子テニス部の顧問でしたっけ」


「ええ。学生時代に少し経験があってね……ていうか、どうして桐生君も学校に向かっているのかしら」


 当然のような顔で隣を歩く俺に、先生が不思議そうな目を向ける。


「いや、ちょうど打ち合わせが終わるタイミングでフロアのバイトが来ちゃったので。暇になったから料理部のほうに顔を出そうかと」


 というのは表向きの理由で、俺の真の目的は他にある。


 もう一度、結婚式に対する先生の気持ちを確認することだ。


「……あの部活、まだあるんだ」


 まだ結婚式の計画が進んでいると思っているのか、先生はどこか警戒した様子を見せる。


「ええ。新作を試すのにいい場になりそうなので」


「……まあ、真っ当に活動しているなら文句はないですが」


 俺の理論武装に文句を付ける部分が見つからなかったのか、先生はそれ以上何も言わなかった。


 それに対し、俺は笑顔を返す。


「そう警戒せずに。俺たちとしても、来年度のことを考えるとあの部活は必要なんですよ。宮國先生という後ろ盾がなくなりますからね。うちでの仕事を咎められた時、『部活の一環だ』って言い逃れできたほうが便利でしょう?」


 少し、杉森さんが言っていた部分をつついてみる。


 これから俺が切り出す話に勝算があるか測るためだ。


「……そうね。確かに、そのほうがいいかもしれないわ」


 声のトーンを落とし、俯きながら答える先生。


 杉森先生の言うように、俺たちに対して申し訳なさを感じているようだ。


 それなら、俺は遠慮なくそこに踏み込もう。


「昔……幼稚園の頃の話なんですけどね。俺も湊にプロポーズしたことがあるんですよ」


 唐突に、明るい表情で俺はそんな過去を語った。


 すると、空気を変えたかったのか、先生も明るい笑顔で頷く。


「へえ、確かに桐生君ならしてそうね。そんな昔から双葉さんのこと好きだったんだ?」


「ええ。我ながら呆れるほど一途なもので。けどね、あの時はそれだけじゃなかったんですよ」


「……というと?」


 小首を傾げる先生に、俺は僅かな懐かしさを覚えながら過去を振り返った。


「俺と湊は、自分の家の仕事が大嫌いだったんですよ」


 そんな俺の言葉が意外だったのか、先生は軽く目を見開いた。


「それはなんというか……今の二人からは想像付かないわね。どうしてかしら?」


 訊ねられて俺は、思いっきり仏頂面を作ってから答える。


「考えてもみてくださいよ。ホテルも洋菓子店も、人が休んでる時に忙しい仕事でしょう? 周りの友達が家族で遊びに行っている間、俺と湊はいっつも留守番なんです。子どもとしては、嫌いにもなるでしょう」


「なるほど。確かにそうかも」


「でしょ? だから俺と湊は二人でいつも遊んでて……絶対に家の仕事なんか継ぐものかと固く誓っていましたね」


 思えば寂しい幼少期である。


 あの頃は、こうして二人揃って家業の修行をしているなんて、とても思わなかった。


「そこから、二人ともどうして今みたいになったの?」


「きっかけは、ある結婚式に参加したことですね」


 花嫁のベールを引いて歩くベールガールと、結婚指輪を運搬するリングボーイ。


 互いの両親にしつこく頼まれ、不承不承ながらその役割をこなすことになった俺たちは、初めて両親の仕事ってやつを見たのだ。


「信じられないほど綺麗な花嫁、見たこともないほど豪華なケーキ。その場にいる人たちはみんな二人を祝うために集まってて……子どもながら、これが特別な日なんだと肌で分かりましたね」


 目を閉じれば、今でも思い出せる。


 きっと人生で一番華やかな日の一つ。何年経っても、この日の輝きが色褪せることはないのだろうと、そう思った。


「そう……素敵ね」


 自分の結婚式を挙げることを諦めた先生には眩しく聞こえるのか、なんとなく複雑そうだった。


 が、俺は再び過去の感情を思い出して眉間に皺を寄せる。


「そうですね。けど、だからこそ逆に腹が立った。自分の子どもを放置して、他人の幸せの世話をするなんて何事だと。ええ、今思うと嫉妬でしょうね」


 俺が食べるケーキはいつも店の余り物。なのに、あのウェディングケーキはなんて豪華で特別なのだろうと。


「だから俺は速攻で湊にプロポーズしました。もう親なんか当てにしていられないと。ウェディングケーキも自分で作って、自分でさっさと幸せになってやろうと思いまして。パティシエの修業も、その計画のために始めたんですよ」


 思えば、人生で一番早まった時のエピソードである。


 家業への反発から始めた修行だったのに、気付いたらパティシエの仕事そのものにのめり込んで今に至るという、ミイラ取りがミイラになってしまった話だ。


「ふふっ、桐生君らしいわね」


 俺の黒歴史を、微笑ましそうに聞く先生。


 それを少し恥ずかしく思いながら、俺も微笑を返した。


「……かもしれません。けど、湊はどうやら違うことを考えていたみたいです。あいつはなんていうか、恨むに恨めなかったんです。結婚式を挙げた人があんまりにも幸せそうだったから」


 ああ――きっと恨むより先に魅了されてしまったのだろう。


 その奇跡みたいな時間を、自分の手で作り出せるという可能性に。


「誰かにとっての特別な一日。それを支えられる人間になりたい。あいつはそう言いました」


「双葉さんらしい、素敵な信念だと思うわ」


 どこか寂しそうに、申し訳なさそうに呟く先生。


 きっとこれから、そんな信念を持つ俺たちを見届けることができないと、そう感じているからなのだろう。


「ええ。けど……そんな信念も、俺の目標も、決して俺たちだけで守れたわけじゃありません」


 そこで俺は立ち止まる。


 先生も一拍遅れてから立ち止まり、俺に向き直った。


 真剣な、だけど少し困惑の色が滲む宮國先生に、俺は真摯に言葉を紡ぐ。


「俺たちは子どもですから、自分一人ではままならないこともたくさんある。そんな時に守ってくれたのは、いつでも周りの大人でした。親や師匠、それに……宮國先生も」


「桐生君……」


 俺の言葉が予想外だったのか、先生は目を見開いた。


 構わずに、俺は本心からの台詞をぶつける。


「だから、先生には最後に俺たちの一番いいところを見せたいんです。先生が理解して、守ってくれた俺たちの全部。それは俺がパティシエだからでも、湊がホテリエだからでもありません。俺たちが――先生の生徒だから」


 それが俺の偽らざる想い。


 お世話になった相手に、自分の一番いいところを見せたいという、それだけの我が儘。


 沈黙が周囲を支配する。


「……私は」


 静寂が数秒続いた後、先生はおもむろに口を開いた。


「私は、そんなにたいした人間ではないわ。君たちのことを途中で放り出す、駄目な教師よ」


 俯き、自虐するように呟く先生。


 だけど、それでも俺の答えは変わらない。


「だからこそ、です。俺たちが先生の助けなしでもちゃんとできるってところ、見てもらわないと」


 今回の計画は、先生の助けを借りずに建てたもの。


 だから、これがうまくいけば、もう宮國先生の助けを借りずとも自分たちで計画し、行動し、信念を守るための手段を選ぶことができると、そう証明できるはずだ。


『そうしないと宮國ちゃんは安心できないだろうからね』


 ふと、湊が呟いた言葉が耳の奥に蘇る。


 思えば、あいつは最初から気付いていたのかもしれない。


 俺たちが自立して行動することこそが、宮國先生を送り出すのに最適の餞別ホスピタリティであると。


「これは俺たちの挑戦であり証明です。だから、見ていてください。先生の守った生徒が、どれだけ成長したのかを」


 そう告げると、俺はただ静かに先生の答えを待つことにした。


 もう、言うべきことは全て言ったから。


 やがて、先生は笑いたいのか泣きたいのか分からないような複雑な表情で、口を開いた。


「……もう。ずるいわ、桐生君。そんなこと言われたら断れないじゃない」


 そうして、先生は俺たちの気持ちを受け入れてくれた。


「セールストークも鍛えてるので」


 俺が冗談めかして答えると、先生もくすりと笑った。


「ふふっ、そうね。けど、これじゃケーキの打ち合わせはまた一からやらなきゃいけなくなるわよ?」


「……おっと。それは盲点でした」


 せっかくの仕事が一つ台無しになってしまった。


 ま、師匠もこの結末なら何も言わないだろう。きっと。

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