第11話 そして営業へ
結婚式の計画が始まってから今日で一週間。
この間、クラスメイトから有志のスタッフもそれなりに入り、式の施行準備がようやく始まっていた。
「いい? 今回はスタッフのほぼ全員が初心者です。多くを教えても半端になるから、それぞれに教える仕事は一つだけ。その代わり、各部門の報連相を密にして、トラブルに対処するようにして」
放課後の教室で、湊がクラスメイトにサービススタッフとしての立ち回りを教えていた。
「スタッフは常にホスピタリティを大事にしてください。これは宮國ちゃんにとって一生に一度の儀式です。成功に必要なのは笑顔と気遣いだと心得るように」
張り切ってるな、湊の奴。
まああいつはこの計画の屋台骨なんだから、頑張ってもらわないと困るわけだが、張り切りすぎて途中で倒れないか心配でもある。
「双葉、気合い入ってるよな」
教室内を見守る俺の背中に、誰かが声を掛けてきた。
振り返ると、真っ先に目に入ったのは重厚な筋肉。
「笹本か。もう放課後だぞ、部活はいいのか?」
何故かアメフト部に行かず、制服姿の笹本がそこにいた。
「ああ。俺もこの計画に一枚噛んだからな。双葉の指導を受けねえと」
と、笹本は意外なことを言ってきた。
「お前、あんなにへこんでるのに結婚式を手伝うことにしたのか。どういう風の吹き回しだ? もしや女に対する煩悩を捨てて仏門にでも?」
「出家はしねえよ!」
「そうか……一応、動物性の食材を使わないお菓子もうちにはあるからな」
「精進料理の案内とかしなくていいから! やめろ、その気遣い!」
どうやら俺の予想は完全にハズレだったようだ。
「なら、どうして手伝う気になったんだ?」
普通に訊ねると、笹本は少しだけ真面目な表情を作った。
「ま、先生は俺にとって恩人だからな。正直、美人教師がいなくなるっていうんで、へこみはしたが、それで祝福できないような人間にはなりたくねえ」
――ふと、思い出す。
入学したばかりの頃、笹本はアメフト部の先輩相手に一度喧嘩沙汰を起こしたことがあった。
先輩が他の一年生をいじめに近い形でパシリにしようとして、彼がそれを止めようとした結果、殴り合いに発展したとか。
そのまま停学になりそうだった彼を救ってくれたのが、確か宮國先生だったはず。
「……そっか」
彼の真面目な気持ちを茶化す気にもなれず、俺はただ静かに頷いた。
「おう。だからまあ、双葉と桐生にも感謝してるさ。ちゃんと、自分の手で先生を見送る機会をもらえてさ」
そうして、彼は俺の肩にぽんと手を置くと、教室に入っていった。
その背中を見守っていると、湊が笹本に気付いたらしく教室の入り口を見る。
同時に、俺と目が合った。
軽く手を上げると、湊は小さく頷き返す。
「じゃあみんな、さっき渡したマニュアルを元にそれぞれ練習してみてください。私があとで確認します」
切りの良いところで指導を切り上げると、湊がこっちに来た。
「お疲れ、大変そうだな」
今回の湊はウェディングプランナー兼スタッフの教育係兼サービスの責任者兼企画者という、一人何役やるんだという有り様だ。
「まあね。ただ、私が言い出したことだし、これくらいはやらないと」
少し疲れているようだったが、それでも充実した表情の湊。
心配ではあるが、本当に無理ならちゃんと助けを求めるのがこいつだ、ここは信用して任せよう。
「それより千隼、何かあったんじゃないの?」
「おう。とりあえずコース料理の草案を作ったからチェックしてくれ」
俺はメニューリストが書いてあるメモを湊に渡す。
彼女はそれを一通り読むと、眉根を寄せた。
「いい感じだけど……完成には程遠いね」
「これ以上は参加者の好みやアレルギーを聞かないと無理だ。当然、俺のケーキもな」
要するに、新郎新婦に内緒の現状では、これ以上進めようがないのである。
「了解。そっちの人手は足りそう?」
「足りないがなんとかする。初心者で頭数揃えるより少数精鋭のほうが動きやすいしな」
基本的に厨房というのは危険な場所だ。
刃物や火を使うし、作業台や冷蔵庫は固い金属で角があり、洗剤や油が床に零れて滑りやすくなることもある。
忙しい中に息の合わない初心者を放り込めば、大怪我を負う可能性もあるのだ。
「ま、そうだね。分かった、そっちに関しては完璧に千隼を頼りにするけど、任せていい?」
「おう。厨房の中のことは全部俺がどうにかする。お前は外のことだけに集中しな」
「うん。頼りにしてる」
そう言うと、湊はこつんと俺の胸に自分の額を当て、じっとする。
数秒そうしてから、彼女は顔を上げて笑みを作った。
「……よし、充電完了。仕事に戻るね!」
「ああ。俺も」
そうして、二人ともまた作業を再開しようとした時だった。
ピンポンパンポーンという効果音とともに、校内放送が流れる。
『一年A組の双葉さん、桐生君。宮國先生がお呼びです。職員室に来てください』
思わず、湊と目を合わせる。
……これは、その時が来たってことかな。
「呼び出された理由は分かりますね、二人とも」
職員室。
眉間に皺を寄せた宮國先生は、俺たちを見るなり一つ溜め息を吐いた。
「さあ、なんでしょう。不純異性交遊でも問題になりましたかね?」
「それに関しては目を瞑っているので違います」
俺が誤魔化そうとすると、宮國先生に粋な返しをされてしまった。
「今回呼び出したのは、つい先日創部された料理部の件です。なんですか、これ」
渋い顔をした宮國先生が差し出してきたのは、湊が活動するに当たって栗原先生に提出した活動計画――即ち結婚式をやろうと書いた計画書である。
ちらりと職員室の奥を見れば、栗原先生が申し訳なさそうな顔でこっちを見ていた。
噂好きのおばちゃん先生がやらかしたといったところか。
「とうとうバレましたか。まあ作業日程的にもそろそろ知らせないといけなかったので、ちょうどいいですが」
秘密の計画がバレたにもかかわらず、湊はしれっとそう言ってのけた。ハート強いな、こいつ。
と、先生は渋い表情から一転、少しだけ困惑したような色を見せた。
「あのね、二人とも……気持ちは嬉しいけど、こんなに気を遣ってもらわなくていいわ。他にやりたいこと、やるべきこともあるでしょう。私の個人的なことで、こんな大事にされるのは申し訳ないわ」
そう言われて、俺は返す言葉がなくなる。
もしかしたら喜んでくれるかもと思ったが……駄目だったか。
こうなる可能性も考えてはいた。そして、こうなった時は無理強いをしないことも。
「私たちのことなら気にしなくても平気ですよ、好きでやってることなので」
「気にしないわけにはいかないでしょう。辞めるとはいえ、私は教師です。学校を私物化するつもりはありません」
「そこはほら、部活動の一環なのでギリギリ私物化じゃないみたいな感じで!」
堂々と言い切る湊に、先生はどこか呆れたような表情を見せた。
「なかなかの屁理屈ね……けどね、双葉さん。私は本当に結婚式を挙げる気はないのよ。それは、ちゃんと話し合って決めたことだから」
静かに、だけど確固とした意思で拒絶を告げる先生。
そんなふうに言われてしまったら、こちらとしてもこれ以上食い下がることはできない。
「……分かりました」
湊もこの場の説得では超えられない壁を感じたのか、神妙な面持ちで頷いた。
俺たちの様子を見て、先生も表情を緩める。
「うん。気持ちはすごく嬉しかったから。これは本当」
「……はい。では失礼しました」
全く粘らずに引いた湊を意外に思いながら、俺も一緒に職員室を出る。
そうして少し歩いたところで、彼女は足を止めた。
「あそこまではっきり拒絶されるとはね」
顔をしかめて、小さく溜め息を吐く湊。
俺も同じ気持ちだ。
「ちょっと意外だったな」
先生が結婚式を断念したのは予算の問題だけだと思っていた。
だが、そうであればここまで強烈な拒絶はないはず。
かといって、結婚式に対する憧れがないかというと……間違いなく、ある。
「無理強いするわけにはいかないから一度計画は中断にする。けど、本当にこのままにするわけにもいかないし……うーん」
腕組みをした湊が唸る。
先生のためにどうするのが一番いいのか、真剣に考えているのだろう。
「湊。あんまり踏み込んでも余計なお節介かもしれないぞ」
「そうだけどさ……」
だが、ここで式を挙げなかったことを、いつか先生は後悔するかもしれない。そう分かっていて何もしないのもまた不義理ではないか。
言葉にしない湊の想いを察しながらも、俺は一つ溜め息を吐いて割り切った。
「とにかく中断するしかないだろ。計画を進める大義名分がない今、強行してもクラスメイトたちが付いてくるとは思えない」
先生が直接拒否したということになれば、俺たちの計画から離反する生徒も出てくるだろう。
そこでバラバラになってしまえば、いざ再開となった時にしこりが残ってしまうかもしれない。
「……そうだね。悔しいけど、ここは引く。ただ、宮國ちゃんには改めて話を聞こう。あの先生を、このまま見送るわけにはいかないからね」
湊は、強い意志の籠もった視線で職員室を振り返った。
きっと、そこには彼女にしか分からない決意、視点があるのだろう。
ともあれ、今やることはそれを貫くことではなく、撤退することだが。
「それじゃあ善は急げだ。湊はクラスメイトに事情を説明してきてくれ。俺は家庭科室行って、発注を止めてくる」
「了解」
頷き、教室へ進む湊。
俺はそれを見送ってから、家庭科室ではなく――職員室に舞い戻った。
「失礼しまーす」
意味もなく小声で挨拶しながら入ると、宮國先生が怪訝そうな顔をしてこっちを見た。
「どうもどうも。一分ぶりですね」
「桐生君? どうしたの、いったい。何か忘れ物でもした?」
懲りずにやってきた俺に、宮國先生は不思議そうだった。
が、今はさっきとは別の用件である。
「いえいえ。今度はお仕事の話でして。今は先生の教え子ではなく、翡翠屋のパティシエとしてここにいると思ってください」
「翡翠屋の?」
まだ事情が見えないようで首を傾げる先生。
俺は一度きょろきょろと辺りを見回すと、小声で用件を告げる。
「前にも言ったじゃないですか。式は挙げなくてもウェディングケーキは必要なんじゃないかって。あれの営業にやってきました」
「ああ……そういえば」
俺の言い分に、苦笑する先生。
「あ、言っておきますがこれ、湊には内緒にしてくださいね。完全にあいつの計画とは関係ないうちの営業ですから」
こんなタイミングでの営業は、バレたらめちゃくちゃ怒られるからね!
とはいえ、式が白紙になった今こそが営業的にはベストタイミングでもある。
「ふふっ、桐生君も双葉さんに負けず劣らず商魂たくましいわね」
「自営業はこれくらいハングリーでないとやっていけませんから」
楽しそうに笑う先生に、俺はしれっと返した。
「ええ、そうね。前にも言っちゃったし、どうせだからケーキくらいは桐生君のところでお世話になろうかしら。それならちゃんと予算のうちだしね」
結婚式とは違い、こっちの営業は快諾してくれた。
「ええ。うちの店ではオーダーメイドも承っていますよ。今度、婚約者の方と一緒にうちの店にいらしてください。プランを話し合いましょう」
「そうさせてもらうわ」
営業スマイルの俺に、先生も笑顔で頷いた。
「よし! じゃ、湊に怪しまれないうちに撤収しますのでこの辺で。詳しい日程はまた後ほど」
俺は手短に挨拶をすると、そそくさと職員室を後にした。
ひんやりとした廊下に出ると、営業スマイルを引っ込めて一つ息を吐く。
「……とりあえず保険は打っておいた、と」
もしも式がこのまま中止になれば、後悔するのは先生だけではない。湊もだ。
先生に受け入れられるようなうまいやり方があったんじゃないかと、陰で悩むのがあいつである。
そうならないよう、最低限お祝いできる可能性だけは残しておくのが俺の役割だ。
「……ま、式を施行できれば、それに越したことはないけど」
静かに呟き、俺は家庭科室に向かった。
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