第10話 下準備

「宮國ちゃんの説得は最後だね。絶対、遠慮すると思うし。こっちが現実可能なプランニングをしてからじゃないと、心を動かせない」


 結婚式の計画を建てるべく、まず何をするべきかという話になった途端、湊は当然のようにそう言った。


「おいおい、花嫁に内緒で結婚式の計画って、成立するのか?」


 前代未聞の手順に呆れる俺に、湊は自信満々に頷いた。


「もちろん! それに、そうしないと宮國ちゃんは安心できないだろうからね」


「……? どういう意味だ」


 湊の言葉の意味が分からず、俺は首を傾げる。


「ま、それは追々ね。それより、花嫁に内緒にするなら、次にやるべきは何か、分かるよね?」


 俺の疑問に答えるつもりはないらしく、さらりと次の話題に入る湊。


 こいつが答えないと決めたのなら、問い詰めても無駄だろう。仕方なく、俺は次の課題について考え始めた。


「順当に考えれば、優秀なスタッフの確保だな」


「正解!」


 俺の言葉に、湊は満足そうに頷く。


 とはいえ、結婚式のスタッフなんてゴロゴロ転がっているわけがない。


 心当たりがあるとしたら……やはりあの二人だろう。






「お待たせしました、お嬢。高梨兄妹、ただ今参上致しました」


「急に呼び出しなんて珍しいね」


 放課後の空き教室。


 俺と湊に呼び出された高梨兄妹が、不思議そうな顔でやってきた。


「悪いね、いきなり。ちょっと大事な話があって」


 湊が真剣な顔で切り出す。


 高梨兄妹とは親しい仲だが、だとしてもこれはプロとプロの交渉だ。


 条件が折り合わなければ断られることだってあり得る。


「実は、二人に頼みがあるんだけど」


「なるほど、承りましょう。で、何をすれば?」


 早っ!? 俺の予想とは裏腹に、聖は内容も聞かずに承諾した。


「兄さん、早い。さすがにもうちょっと聞いてから」


 深紅が呆れたように兄を見るが、聖の表情は揺るがない。


「聞くまでもない。お嬢が困っているのなら助けぬ理由はないし、我々に頼んだということは、我々がこの件に適した人材であるということ。よって承る」


 さすが双葉一族の忠犬である。こいつの忠義心を甘く見ていたようだ。


「あはは……ありがとね、聖。でも、まずは事情を説明するよ。実は――」


 居住まいを正すと、湊は大まかな事情を説明する。


 それを聞いて、深紅も興味深そうな顔をした。


「へえ、結婚式かあ。面白そうじゃん。料理人としてのいい経験になるし、あたしもいいよ?」


「さっきは二つ返事で承諾したが……大当たりの案件だったようだ」


 深紅とは違う興味の視線を、聖が俺に送ってきた。


「久々にお前の本領が見られるということだな、千隼」


「……まあ、否定はしない」


 肩を竦めて、俺は聖の言葉を認めた。


 俺の担当は当然ウェディングケーキ。


 パティシエとして、俺が最も得意とするジャンルである。


「ふっ……それは楽しみだが、一つ問題が」


 不敵に笑ってから、聖は湊に向き直った。


「予算はどうするのです? 事情が事情だけに先生に出してもらうわけにもいかないのでしょう。とはいえ、結婚式の費用など俺たちが個人でどうにかできるものではない」


 当然の懸念。俺たちも、そこについては考えてある。


「うん。だから私たちで部活を作ろうと思う」


「ほう?」


 湊の答えに、聖の目が輝いた。


「部活の名義は料理研究部。その部活動の一環として、結婚式における料理の研究を実践で行う……という名目で、先生の結婚式を挙げちゃおうという寸法だね」


 湊が具体的なプランを話すと、高梨兄妹はそれぞれ反応した。


「当然、活動費用は部費から降りると……なるほど。お嬢もちーちゃんも考えてるね」


 純粋に感心した様子の深紅に対し、聖はまだ慎重な態度を崩さなかった。


「実現できるのであれば、素晴らしいアイディアかと。ただ、この時期の部活設立はギャンブルになるでしょう。顧問が見つかるかどうか」


 学校を去る宮國先生を顧問にできないのは当然として、他の先生も手が空いている人は既に他の部活の顧問を担当しているだろう。


 聖の懸念に、今度は俺が口を挟んだ。


「それはこっちも承知の上だ。とはいえ、やらずに諦めるにはあまりにももったいない可能性なのも確かだろう。試す価値はある」


 ちらりと湊に視線を送ると、彼女も軽く頷いた。


「私も同感。ひとまず部活動の設立を申請してみて、失敗したらその時に次の手を考えればいいってことでどう?」


 そう話すなり、湊はいつの間に用意していたのか、部活動申請書をポケットから取り出した。


 それを見て、聖もようやく頷いた。


「ふ……確かに案ずるより産むが易し、ということもありましょう。俺も賛成です」


「よし、職員室にゴーだよ!」


 音頭を取る湊に続いて、俺たちは職員室へ向かった。


「これが最初にして最大の壁だな……失敗したら、次はどうするか」


 廊下を歩きながら、俺は最初の山場に少し緊張する。


 深紅も同じ懸念を覚えたのか、小さく頷いた。


「そうだね。予算が決まらなければプランは立てられないし、どれだけ早く部活を形にできるかが鍵を握ってると思う」


 計画が順調に滑り出すか、暗礁に乗り上げるか。


 その分かれ目である。


「失礼しまーす。栗原くりはら先生いますかー?」


 緊張する俺たちを尻目に、湊は堂々と職員室に入るなり人探しを始めた。


「あらぁ、双葉さん? この前はごちそうさまね。娘も喜んでたわよ」


 現れたのは、眼鏡をかけたおばちゃんの先生。


 三年生担当だから俺たちとは接点がないが、確か古文の先生だ。


「いえいえ、喜んでいただけたのなら幸いです。で、ちょっとご相談があるんですが」


 しかし、湊はそんなこと関係ないと言わんばかりのフレンドリーさで接していく。


「あら、なに?」


「実は私たち、お菓子と料理の部活を立ち上げようと思っていまして。先生、一口乗りません?」


「ほう……お菓子と料理、ということは、つまり?」


「ええ。顧問であれば食べ放題。なんなら晩ご飯のおかずをテイクアウトできちゃったりして。もちろん、活動は月に数回、先生の負担になることもしませんとも」


 まるで悪代官と越後屋のような雰囲気の会話になっていた。


「いいわね……よし、乗ったわ」


「ありがとうございます!」


「ん。手続きしといてあげる」


 湊が笑顔で申請書を渡すと、栗原先生はそれを受け取って自分のデスクに戻っていった。


 それを見送って、湊は職員室の前で見守っていた俺たちのところにやってくる。


「よし、クリア」


「お前すげえな!?」


 あまりにも鮮やかな手管に、俺は普通に驚いてしまった。


「いや、ほんと……お嬢、今のどうやったの?」


 深紅も目を丸くして湊を見る。


「そりゃもう、日頃からの人間関係よ。具体的にいうと、この間千隼の作ったパウンドケーキを職員室に差し入れしたでしょ? あの時に一番喜んでくれたのがあの栗原先生だったわけよ」


 種明かしを聞いて、俺は素直に納得した。


「そうか……それでお前は、あの先生ならお菓子で釣れると判断したんだな?」


「人聞きの悪い言い方だけど、まあその通りだよ。普段から賄賂と心遣いは大事にしておくべきってことだね」


 自分のほうがよっぽど人聞きの悪いことを言いながら、またにやりとあくどい笑みを浮かべる湊。


「とりあえず、これで結婚式用の予算も問題ないし、結婚式以降も店の予算を使わずに新作の試作ができる場所を手に入れたからね。千隼はもちろん、聖と深紅も有効に使うといいよ」


「お前、ホテル従業員ホテリエより政治家のほうが向いてると思うよ……」


 新たな才能が発掘された瞬間だった。


「ともあれ、めでたく計画が進んだことには違いない。であれば、次は同志を集める必要があるだろう」


 湊の強かさに圧倒される俺たちをよそに、一人冷静だった聖が話を進めた。


 彼の言葉に、湊も首を縦に振る。


「そうだね。勧誘は私と深紅でやろうと思う。この中では顔の広いほうだし」


 俺は誤解を招かぬよう、大半の女子と親しくしてないし、聖は普通に変人だからな。


 確かにこの二人が適任……なのだが。


「いや、勧誘は深紅と聖のほうがいいんじゃないか? 湊は勧誘よりスタッフの教育に回るべきだ」


「まあ、それでもいいけど」


 湊は少し首を傾げながらも、俺の進言を受け入れた。


「俺はどちらでも構わん」


「あたしも。ま……惚気も聞きたくないし、さっさと行きますか。じゃ、また結果はあとで報告するね」


 聖は特に他意もなさそうに、深紅は俺の真意に気付いたように溜め息を吐いてから、教室に戻っていった。


 それを見送って、湊は不安そうな顔をする。


「聖に任せて大丈夫かな? 悪い子じゃないけど、あんまり勧誘には向かないような」


「大丈夫、むしろ逆に向いてる。あいつは見た目がいいからな、仲良くなりたい女子は多いんだよ。ただ、変人過ぎて接点がないだけで」


「逆に言えば、接点を求めて参加してくる子が見込めるってことね……なるほど」


「そういうことだ」


 納得した様子の湊に頷き返すと、彼女は何故か悪戯っぽい表情を浮かべた。


「あ、今の『なるほど』は聖について言ったんじゃないよ? どうして私が勧誘するのを千隼が嫌がったのかが分かった、っていう意味の『なるほど』ね。千隼、私目当ての男が入ってくるのが嫌だったんでしょ?」


「………………」


 絶妙な鋭さを見せる幼馴染みに、俺は沈黙してしまった。


「あ、図星か。よしよし、千隼は可愛いなあ」


 しまいには、俺の頭を撫でてくる湊。


「やめろ! 何を愛でてくれてるんだ!」


 くそう! 自分の顔が赤くなってるのが分かる!


「いやいや、そうやって心配されるのも嬉しかったりするからね。千隼はそれでいいと思うよ?」


「うるせえ! 半笑いで言うな!」


 全てが上手くいったのに、何故か俺だけ恥をかく非常に不本意な展開になったのだった。

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