第9話 先生の結婚

 なんとなく、クラスの様子がおかしい。


 そう気付いたのは、ホテルの繁忙期が終わり、俺たちが日常に回帰してから少し経った頃だった。


「なんか妙な雰囲気だな。浮き足立ってるような、でもちょっと暗いというか」


 昼休み。

 湊と二人きりで昼食を摂っていた俺は、朝から抱いていた疑問を話題に載せた。


 内緒話をしてはテンションを上げている女子がいたと思えば、一方で少し暗い男子がいたり。退屈な日常に何か刺激物が放り込まれた時の空気が漂っている。


「クラス替えにしちゃ大袈裟すぎるし……湊、何か知らないか?」


「さあ? 確かにちょっと変な感じはするけどね。どうしたんだろう」


 湊も俺と同じ感覚を覚えているのか、小首を傾げていた。


 トレンドに敏感な湊にしては珍しい。どうやら彼女もホテルの仕事に忙殺されて、アンテナが鈍くなっているようだ。


「誰か詳しい人に聞いてみよっか」


 そう言うなり、湊はキョロキョロと周囲を見渡し、ある人物にターゲットを定めた。


 そこにいたのは、体格のいいマッチョなソフトモヒカンという、やたらいかついキャラ立ちをした男子生徒。


「……なんだ、あのうなだれっぷり」


 俺は思わず呆れた声を零してしまった。


 巨体のモヒカンマッチョは分かりやすく机に突っ伏しており、せっかくの筋肉も心無しか艶がない。


 まあ、一番この教室の異変を体現してる男なので、話を聞くには相応しいが。


「へい、笹本。そんなに項垂れてどうしたの?」


 湊が気さくに呼びかけると、笹本は机に突っ伏したまま、顔だけ動かして俺たちを見た。


「……なんだ、バカップルか。そっとしといてくれ、今は幸せな奴らの顔を見たくない。しっしっ、あっち行け」


 いきなり手で払われ、俺と湊は顔を見合わせる。本当にいったい何があったのか。


 今度は俺が呼びかけることにした。


「どうした、笹本。がさつで脳筋なお前らしくもない」


「初手死体蹴り! 落ち込んでる人間にはもっと優しく声を掛けろ!」


 バネ仕掛けのように上半身を起こす笹本。


「なんだ、元気じゃん。心配して損したわ」


「さっきの罵詈雑言のどこに心配要素があった!?」


 文句を言いつつも、一度テンションを上げたらある程度元気が出たのか、笹本は一つ溜め息を吐いてこっちを見た。


「まったく……人が静かに落ち込んでる時に何の用だよ」


 さっさと情報を吐いたほうが俺たちを追い払えると思ったのか、笹本は話を聞く姿勢になる。


 そこに、湊が改めて質問を重ねた。


「いや、教室が妙な雰囲気だから、何かあったのかなって」


 彼女の質問に、笹本は少し意外そうな顔をする。


「なんだ、お前ら知らないのか。宮國先生が学校辞めるんだよ」


「え」


「マジか」


 さらりと笹本が放った言葉に、俺と湊は驚いて硬直した。


「なんでまた急に……」


 戸惑う俺に、笹本は肩を竦めて答えた。


「結婚したから、新居から通える距離に引っ越すんだとさ。それで学校にも転勤願い出したとか。ほら、彼氏にプロポーズされたって、ちょっと前に噂になってただろ?」


「そういえば、そんなこともあったな。それでお前は落ち込んでるのか」


 俺の言葉にまた心の傷が痛んだのか、笹本はがっくりと肩を落とした。


「そーだよ。せっかく美人教師が担任という奇跡に当たったのに……あーあ」


 丸まった彼の背中に、俺はぽんと手を置いた。


「まあ、元気出せ。元々お前には手の届かない高嶺の花と思えば傷も浅いだろう」


「浅かった傷にたった今塩を塗りこまれたんだが! もうほっといてください!」


 笹本は俺の手を弾くと、いじけたようにまた机に突っ伏してしまった。


 むぅ……励ましたつもりだったんだが。傷心男のカウンセリングというのは難しいものである。


「けど、この教室の空気はそういうことだったか」


 それなりの数の男子が落ち込んでいたのは、恐らく笹本と同じ理由なのだろう。


 そして、女子がはしゃいでるのは結婚というおめでたいワードについてか。


「なるほど、そういうことね……私もすっごいショックなんだけど」


 が、その女子である湊は、何故か男子と同じリアクションをしていた。


「お、他人の祝い事で湊が溜め息とは珍しいな。まあ宮國先生はいい先生だったから、いなくなるのは俺も残念だけど、めでたいことなんだし、素直に見送ってあげようぜ」


 そう言ってみるが、湊の機嫌は直らない。


 沈んだ表情のまま、こっちを見つめてきた。


「そりゃ祝ってあげたいよ? 一年間すごくお世話になった先生だし、私も宮國ちゃんのこと大好きだから。けどね、そうはいかない事情もあるんだよ」


 暗く、シリアスな雰囲気の湊。


 もしや、俺の知らないところで何か宮國先生とトラブルになっていたのだろうか。


「ど、どういう事情が……?」


 デリケートな話題かもしれないので、慎重に訊ねてみる。


 すると、湊は今まで溜め込んだ感情を爆発させるように声を張り上げ――。


「うちのホテルに、宮國ちゃんの披露宴の予約が入ってない!」


「そこ!?」


 ――ものすごくどうでもいいことを叫んでいた。


「お前、人の祝い事にそういう商売っ気を出すのもどうかと思うぞ……」


 つい、俺は呆れた視線を幼馴染みに向けた。


 が、彼女はそれに構う様子もなく、ぷくっと頬を膨らませた。


「そうじゃなくて。私はね、宮國ちゃんのことをうちのホテルで祝ってあげたかったんだよ。せっかく縁もあるんだし、色々とやってあげたいなって思ってたのに……私がそんなことを考えてる間、宮國ちゃんが他のホテルで楽しく披露宴を決めてたと思うと……うぅ」


 わざとらしく泣き真似をしてみせる湊。


 とはいえ、彼女が自分なりのやり方で宮國先生を祝ってやりたかったって気持ちは理解できた。


「なんだ、そういうことか……俺はてっきりホテルの売上を伸ばそうとしてるのかと」


「…………………………そんなわけないでしょ」


が説得力を奪ってるんだわ! こんな特大のワンクッション置く奴は図星指された奴だけだからね!」


「何を言うかね! 私はただ宮國ちゃんも披露宴でハッピー! うちも潤ってハッピーというWin-Winを目指してただけですけどー!? 何か悪いことしてますかね!」


「してないけども! ただその開き直りは後ろめたいことがある人間の開き直りだよ!」


 いかん、どうでもいいところでヒートアップしてしまった。一度落ち着こう。


「ていうか、まだ披露宴するホテルを決めてないんじゃないか? ジューンブライド狙うにしても三カ月あるし、春休みで時間が出来てからゆっくり決めるって方針かもしれないだろう」


 考えられる可能性を示すと、湊も納得したように頷いた。


「確かにそれはあり得る。じゃ、今から営業掛ければうちのホテルで披露宴をしてくれる可能性も上がるのでは? こうしちゃいられない、すぐに宮國ちゃんのところに行かなきゃ!」


 ガタッと音を立てて椅子から立ち上がる湊。


「商魂たくましいな、お前は」


 それを感心半分呆れ半分で見守っていると、湊に手首を掴まれた。


「ぼさっとしない! 早く行くよ!」


「え、俺も?」


「当たり前でしょ! ほら早く!」


「お、おい」


 と、半ば強引に引っ張られてしまう俺であった。






「え? そもそも披露宴どころか式を挙げる気もないんだけども」


 職員室。


 早速突撃した俺たち……というか湊に向かって、宮國先生はきょとんとした様子でそう告げた。


「うむむ……結婚式しない派閥の人間でしたか」


 湊は残念そうに呻いた。


 商魂たくましくはあっても、式を挙げるよう強要したりしないのがこいつである。


 それを好ましく思いつつも、さっさと用件が終わったことに俺はほっとするのだった。


「ま、最近はそういう人も増えてますしね。俺はいいと思いますよ……ところで、式は挙げなくてもウェディングケーキくらいは欲しくありません? 二人で食べられるサイズの小型ウェディングケーキを扱ってる洋菓子店があるんですけど、いかがです?」


「コラ千隼! さっきあれだけ私の営業を叩いてたくせに、何を自分の店の営業を始めてるのさ! 宮國ちゃんは私の客だよ!」


 ぐいぐいと俺を押しのけようとしてくる湊。


 が、俺も足を踏ん張って宮國先生の正面をキープする。


「はっ、お前の営業は失敗しただろうが! 引っ込んでろ! 今は二人でのお祝いに、小さくも立派なウェディングケーキを添える時代だ!」


「なんだとー!? 言っとくけど、私は自分が結婚する時は盛大にうちのホテルで式を挙げる予定だからね!」


「そのプランは是非とも後で聞くが、今はまた別の話だ! ほら引っ込め!」


「二人ともー? ここ職員室だからね?」


 騒ぐ俺たちを、宮國先生が苦笑しながら宥めてくる。


 それで理性を取り戻した俺たちは、醜い争いをやめた。


「とにかく、申し訳ないけど式は挙げないから。ドレスを着て写真を撮って、あとは二人でケーキを食べるくらいにしようかと思ってるわ。その際は桐生君のところでお世話になるかも」


「是非お待ちしております」


「むぐぅ……」


 小さくガッツポーズをする俺と、悔しそうに歯噛みをする湊。


「ごめんね、双葉さん。せっかく祝ってくれようとしたのに」


 湊のリアクションを見て、先生は少し申し訳なさそうな顔をした。


 それを見て、湊もちょっと恐縮した様子になる。


「いやその、こちらとしても強引過ぎたというか……ごめんなさい」


 しゅんとする湊。


 少し空気が重くなりそうになった時、宮國先生はどこか悪戯っぽい表情を浮かべる。


「ふふっ、私は式を挙げないけど、二人の結婚式には行きたいな。是非呼んでね」


 露骨にからかわれた俺は、思わず渋面を浮かべる。


「いや、そんな先のことまでは考えてないというか」


「『ぼくがうぇでぃんぐけーきをつくるから、ふたりでけっこんしきあげるんだ! そしたら、ずっといっしょにいられるよ』」


「おい、一言一句間違えずに再現するな!」


 俺が人生最大に早まった時の台詞を、棒読み口調で再現する湊。


 何が不満なのか、じとっとした目でこっちを見てくる。


 俺たちがそんなふうに睨み合っていると、先生はくすりと笑みを零した。


「幼馴染みで結婚なんて素敵じゃない。応援してるわ。私の分まで素敵な式にしてね」


 その台詞に何か思うところがあったのか、湊が先生のほうに向き直る。


 俺も、今の台詞には結婚式への憧れというか、未練の残滓のようなものを感じた。


「……言いたくなければいいんですけども、先生が式を挙げない理由ってなんですか?」


 訊ねられた先生は、軽く目を見開いてから、優しい微苦笑を浮かべた。


「あんまり生徒に生々しい話をするのはよくないと思うけど……まあ最後だしね。自分の生徒に隠し事をするのも嫌だから、素直に答えるわ」


 そう、一つ前置きをしてから語る。


「私と彼……旦那さんになる人は、大学時代に知り合ったんだけど、二人とも大学には奨学金で通っててね。最近、ようやく返し終わったところなの。それもあって、ようやく結婚ってことになったんだけど……」


 結婚式を挙げるほどの余裕はないってことか。


「二人も、もし奨学金で進学するなら、卒業後の人生設計もしっかり考えてね……という、先生からの最後の授業」


 照れ隠しのつもりなのか、先生は最後に冗談めかしてそう付け加えるのだった。






 職員室を出た俺は、一つ小さな溜め息を吐いた。


「大人って大変なんだな」


 そう隣の湊に話し掛けるも、反応がない。


 見れば、彼女はじっと何かを考え込んでいる様子だった。


「湊?」


 名前を呼ぶと、彼女はようやく顔を上げてこっちを見る。


 その目は真っ直ぐで力強く、何かを企んでいる時の顔だった。


「――ねえ千隼。宮國ちゃんの結婚式、私たちで作らない?」


「は?」


 案の定、予想外の提案をしてきた湊に、俺は思わず間抜けな声を上げてしまった。


 が、すぐに我に返る。


「あのな、先生は結婚式を挙げないって言ってるんだぞ? それを無理強いしてホテルスプラウトで決行しようってのは、賛成できないぞ」


 もしも無理強いするつもりなら止める。


 そういう意思を込めて反対したが、湊は首を横に振った。


「違う。うちのホテルでやるんじゃない。


 湊の言葉の真意が分からず、俺は眉根を乗せる。


「俺たちで……? どういうことだ。ホテルを使わないなら、どこでやるつもりなんだ」


 そう訊ねられるのを待っていたかのように、湊は不敵に笑うと、自分の足元を指差した。


「決まってる――学校でやるんだよ」


「おい、正気か?」


 結婚に適した施設ではない。専門のスタッフもいない。前例もない。


 少しでも結婚式というものを知っているプロであれば、この怖さが分かるものだ。


 が、湊は最高に楽しそうな笑みを浮かべて、俺の問いに頷いてみせる。


「もちろん! 私がいて、千隼がいる。それに何より、この学校には宮國ちゃんを祝いたい気持ちがある。なら、宮國ちゃんを送り出すのに、これ以上適した場所はないよ」


 どう考えても、修羅場になる案件。


 絶対に断るべきだと、俺の経験が囁いている。


 しかし――


「……しゃあねえな。乗ってやるよ」


 溜め息一つで、俺はその修羅場に乗り込むことを決めた。


「さすが千隼! いや、正直めちゃくちゃ反対されるかもと思ったけど」


 喜び半分、驚き半分という表情で俺の顔を覗き込んでくる湊。


「あほか、本音を言えば反対に決まってる。ただ、俺が降りてもお前はやるだろ?」


「もちろんやるね」


 キッパリとした湊の即答。


「なら、こんな修羅場が確定してる現場にお前だけ放り込むわけにもいかないだろ」


 渋い表情で付き合うことを決めた俺に、湊はくすぐったそうな表情を浮かべた。


「さすが千隼。私のことが好きすぎる」


「おう。俺に惚れられた幸運に感謝しとけ」


「そうしとく」


 仏頂面で答える俺に笑い返すと、湊は宣言した。


「それじゃあ、これから宮國ちゃんの結婚式のプランニングを始めます!」



 こうして、俺たちは今年度最後の大仕事に取りかかることになるのだった。

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