第3話 お嬢と愉快な仲間たち

 昼休みを告げるチャイムが鳴るなり、俺はぐっと伸びをした。


「やっと終わったー……」


 授業の疲労を癒すように、俺は深々と溜め息を吐いて机に突っ伏す。


 将来パティシエになる俺としては、学校の成績など気にしなくてもいいのだが、うちの師匠が『馬鹿は優れたパティシエになれない』という教育方針を掲げているので、こっちも手を抜くことはできないのである。


「やっほい、千隼。お昼食べよー」


 と、疲労困憊な俺とは対照的に、授業直後でも元気な湊がこっちに近づいてきた。


 昼食の誘いに来ているのに、本人は手ぶらである。


「おう、いいぞ。今日は学食か? それとも購買?」


「ううん。今日は高梨兄妹の日です」


「なるほど」


 湊の言葉に、俺が頷いたのとほぼ同時だった。


「失礼する! 我らが一族の主人ロードたるお嬢と、我が盟友・千隼はおられるかな?」


 めちゃくちゃいい声でめちゃくちゃ痛い台詞を吐く男が、堂々と教室に入ってきた。


 きらきらと輝く赤毛の髪と、モデル並に整った顔立ち、そして高身長。


 『中身が痛いこと以外は完璧』と名高い我が友人、高梨聖たかなしひじりである。


「兄さん、邪魔」


 彼の後ろから同じく赤毛の少女が現れ、迷惑そうに聖を押しのけて教室に入ってきた。


 肩にかかるくらいに伸ばしたセミロングの赤毛と、リスのように大きな目をした可愛らしい顔立ち。小柄ながらプロポーションのいい肢体。


 『痛い兄を持っていること以外は完璧』と名高い我が友人、高梨深紅みくである。


「聖、深紅。こっち」


 湊がひらひらと手を振って二人を呼ぶ。


「お待たせして申し訳ありません、お嬢」


 湊に向かって、恭しく礼をする聖。


 そんな兄を、深紅が呆れたような目で見ていた。


「兄さん、無駄に大きいのに動きがオーバーで邪魔。ほら、大人しく座る」


 文句を言いつつも世話焼きなのが深紅という少女で、隣の机を俺の机にくっつけると、自分と兄の分の椅子を用意した。


「はい、ちーちゃん、お嬢。これ頼まれてたお弁当」


 深紅は自分の椅子に座ると、鞄から俺と湊の前に弁当箱をちょこんと置いた。


「お、さんきゅ」


 俺が礼を言うと、兄に向ける冷たい表情とは違った、明るい笑みを見せてくれる。


「ううん。あたしたちもちゃんとお小遣いもらえるし、二人の意見を聞けるのは貴重だから」


 高梨兄妹の実家はビストロを経営しており、この兄妹もそれぞれ腕の立つシェフである。


 なので、俺たちはたまにこうしてお互いの料理やお菓子を食べながら意見交換をしているのだ。


「にしても、そのお嬢って呼び方、そろそろやめない? ちょうどもうすぐ学年も変わるし、切りよく呼び名を変えて新生活ってことで」


 さっきからお嬢というあだ名で呼ばれている湊が、苦笑交じりにそう提案した。


 が、俺の隣に座った聖が、大袈裟な仕草で首を横に振る。


「何をおっしゃりますか。お嬢は我ら一族の恩人であり主。敬うのは当然のこと」


「……あと、その中二病丸出しのキャラも改めたほうがいいよ?」


 湊ががっつり気力を削られた様子でツッコむ。この女をここまで疲れさせることができるのは、この聖くらいだろう。


「まあ実際、お嬢で定着しちゃったし、今更呼び方変えるほうが違和感あるよ」


 深紅も兄ほど極端な態度ではないもの、お嬢呼び継続派らしい。


「うむ。かつて崩壊した我が城。そこに差し伸べられた救世主の手。あの温情を忘れるなど、人の在り方ではない」


 深々と頷く聖。


 今の聖語を日本語に訳すと『昔、実家の店が一度潰れた際に、双葉一族に一家まとめて拾ってもらったので、今でもそれを感謝してます』ということである。


「湊、無駄だ。今まで何度言っても変わらなかっただろ。好きにさせてやれ」


「うむぅ……まあいっか」


 諦めるように促すと、湊も溜め息一つ吐いて不満を仕舞い込んだ。


「それより、ご飯食べよう」


 気を取り直したように、湊は弁当箱の包みを開ける。

 それに合わせて、俺も自分の分の弁当を開けた。


「へえ……サンドイッチか。これ具は豚肉のパテか?」


 田舎風パン《パン・ド・カンパーニュ》と呼ばれる丸いフランスパンをスライスし、そこにパテを挟んだ、ビストロらしい一品である。


「うむ、ポークパテのサンドイッチ。パンは深紅が司り、パテは俺が作った」


 聖が堂々と胸を張って答える。こいつはいつも自信満々な奴だが、今回は特に自信があるらしい。


「いただきます」


「いただきまーす」


 俺と湊は、それぞれ真剣な表情でサンドイッチにかぶりついた。


 最初にフランスパンのしっかりした食感と小麦の香りが口いっぱいに広がり、その後すぐに豚の旨味とピンクペッパーの爽やかな風味が追いかけてくる。


「……美味いな」


 俺が素直な感想を零すと、湊も同意するように頷いた。


「うん、美味しい。腕を上げたね、二人とも」


 揃って認めると、兄妹は小さくハイタッチした。


「よかったー。今回は好評みたいで」


 ほっとしたように胸を撫で下ろす深紅。


 この四人は忌憚のない意見を言い合う間柄であり、出来が悪いものはかなりストレートに酷評されるので、彼女の緊張はよく分かる。


「聖が上手いのは当然だが、深紅もパン作りの腕を相当上げたなあ。驚いたよ」


 パンと製菓はかなりジャンルが近い存在なので、俺としても細かい分析ができる。


 そのため、深紅の上達具合がしっかりと伝わってきた。


「ふふ、ありがと」


 機嫌よく微笑む深紅の隣で、何故か湊も満足げに頷いていた。


「いやあ、身近にこれだけいいシェフとパティシエが揃っているのは、私にとって最大の幸運だね。これほどの青田買いチャンスはないもの」


 いつもの妄言を吐く湊に、俺は白い目を向ける。


「何度も言うが、俺はお前のとこに入るつもりはないぞ」


「千隼に同意だ。お嬢には申し訳ないが、俺にも跡継ぎとしての責務があるのでな」


 立場のある男二人は、湊の意見を真っ向否定。


「あたしは別にホテルに就職してもいいけどねー。ま、兄さんやちーちゃんほど腕はないけど」


 一人気楽な深紅が湊の言葉に同意する。


「深紅……! 君だけが心の支えだよ!」


 感動した様子で、ひしっと深紅に抱きつく湊。


「あー、よしよし。薄情者の男たちと違って、あたしは味方だからねー」


 ぽんぽんと湊の背中を叩いてあやす深紅。


 湊よりも立場を取った俺たちとしては、何も言い返せない。


 何か都合の悪い流れを切り替える武器はないか、と思っていると、ちょうどよく用事を一つ思い出した。


「そうだ、湊。パウンドケーキ持ってきたぞ」


 俺は鞄から綺麗にラッピングされたパウンドケーキを取り出す。


 この前話した、教師たちへの差し入れの品である。


「あ、本当? それなら昼休みのうちに持っていったほうがいいね」


 さすがの現金さというか、新たな用事を切り出された途端、湊は泣き真似をやめて平常心に戻った。


「サンドイッチ、ごちそうさま。じゃ、私ちょっと用があるから」


 高梨兄妹に挨拶をして立ち上がる湊。


「俺も行くか?」


「ううん。こういうのは女子が持っていったほうが、受けがいいものだからね」


 湊は俺の付き添いを断ると、そそくさと教室から立ち去っていった。


「お嬢もお忙しいな」


 その背中を見送りながら、聖がぽつりと呟いた。


「ま、常に働いてないと死ぬような奴だからな。あれはあれで楽しんでるんだよ」


 俺が溜め息を吐いて同意すると、高梨兄妹は何故か妙に生温かい目で見つめてきた。


「いやあ、さりげない惚気、さすがっすね。ちーちゃん」


「そうだな。ほんの一言から愛情が伝わってきた」


 からかってくる二人に、俺は仏頂面を返した。


「やかましい。事実とはいえ黙ってろ」


「相変わらず事実なのは否定しないんだね」


 苦笑する深紅。


 一方、聖は不思議そうに小首を傾げた。


「千隼だけではなく、お嬢も満更ではないように見えるがな。いい加減、くっついてみる気はないのか?」


「あるわ。毎日思ってるレベルだぞ。とはいえ、このままくっついてもな……」


 俺たちの間にある超えられない壁――将来どこに就職するのか。


 そこをうやむやにして付き合うこともできるのかもしれないが……長く一緒にいるつもりなら、それは絶対にぶつかる問題だ。


 俺たちは、その一番大事なことを曖昧にしたまま付き合えるほど器用じゃない。


「例の問題か。お互いに妥協ができん部分となると難しいな」


 俺と同じく跡継ぎの立場を持つ聖は、こっちの気持ちも分かってくれたようで頷く。


「とはいえ、いつまでもずるずる引っ張るのは嫌なんだよなあ。俺の愛情が急げと言っている。なんかいい案はないかな?」


 せっかくなので、二人に相談してみることに。


 付き合いのいい高梨兄妹は、それぞれ真剣に考えてくれた。


「そうだなあ……じゃあ、ちーちゃんに匹敵するパティシエを用意するっていうのはどうかな? その人がホテルに就職すれば、お嬢もちーちゃんの進路にこだわらなくなるんじゃない?」


「おお! いいアイディアだな!」


 理想を言えば、俺が店を継ぎ、湊もうちに就職してほしいところだが、そこは妥協範囲。


 とりあえず俺が店を継ぐことができるこの提案は、いいところを突いている。


「難しいだろうな」


 が、聖は妹の出した提案をキッパリと否定した。


「え、なんで? 良い案だと思ったんだけど」


 首を傾げる深紅に、聖は難しい顔で語り始めた。


「この男に匹敵するパティシエなど、そうはいないからだ。よっぽどの天才を拾ってこない限り、千隼の代わりにならん」


 そう断言する聖。


 そこまで言われてしまうと、俺としても少し照れるというか。


「いやいや、過大評価だって。俺、そこまで天才ってわけじゃねえし」


「うむ。才能自体は天才と呼ぶほどではないだろうな」


「おい。自分で謙遜しておいてなんだが、上げて落とすな」


 俺の言葉にあっさり同意した聖に、冷たい視線を向ける。


 が、彼は無駄にイケメンな顔立ちから爽やかな笑みを繰り出してきた。


「ふ……だが、お前はお嬢が絡むと、とことん強い。火事場の馬鹿力というやつだな。お嬢の下で働くのならば、お前以上の逸材はそうそういないだろうよ」


「む……それは、まあ」


 そういう評価なら、悪い気はしない。


 と、俺たちの会話を聞いていた深紅は、納得したように頷いた。


「そっかー、確かにお嬢の審査は厳しそうだしね。この作戦は厳しいかなあ、うむむ」


 悩む深紅。

 すると、今度は彼女の提案を否定した聖が、何か思いついたように口を開いた。


「逆に、千隼がいつでもホテルを手伝えるようになればいいのではないか?」


「どういうこと? 兄さん」


「うむ。むしろ翡翠屋の人員を補充し、いつ千隼がホテルの手伝いに行っても店が回るようなバックアップ体制を作るのだ。千隼と同等の人材は望めなくても、バックアップ要員くらいなら見つけるのも不可能ではあるまい」


 言われて、またも俺は納得の声を零した。


「おお! それなら確かにいけそうだな!」


 うちの厨房を完全に任せることはできずとも、俺の仕事を補助してくれる奴がいれば、好きなときに湊のホテルを手伝いに行く余裕ができる。


 それなら湊から妥協を引き出せるかもしれない。


「まあバックアップとはいえ、これもまた翡翠屋のキッチンを担えるほどの人材となると、探すのは大変だろうがな」


 と、注釈を付けてくる聖。


 確かにその問題はある。あるが、かなり可能性に満ちた選択だ。


「うちの店のキッチンの補充か。となると、やっぱりある程度うちの味を知ってる人間が理想だな。それでいてお菓子か料理の基礎能力があり、それなりの素質があることが見えてる存在……」


 俺が条件を挙げていくと、深紅が苦笑を浮かべた。


「それは高望みしすぎでしょ。あんまりいないよ? そこまで条件揃った人なんて」


 という深紅に、俺と聖がじっと視線を送る。


「な、何よ。二人とも」


 深紅が落ち着かなさそうに俺たちを見比べた。


 そんな彼女をよそに、俺はちらりと聖のほうを見る。


「……聖」


「うむ。うちに遠慮はいらん」


 言葉少なに、兄の許可を得る。


 そこで俺は深紅に向き直り、彼女の手を両手で握って真っ直ぐに目を見た。


「――深紅。うちに来ないか?」


「え、あたし?」


 キョトンとした様子でこっちを見つめ返してくる深紅。


 そんな彼女に、俺は更に強く迫った。


「ああ。深紅ならうちの味をよく知ってるし、才能だって申し分ない。厨房での立ち回りも完璧だ。深紅、うちに来てくれ!」


「そ、そんな急に言われても……パティシエールになるつもりとかなかったし」


 深紅は困惑も露わに目を泳がせる。

 が、そんな彼女に俺はさらに迫っていく。


「心配するな。これほどのパン作りの腕があれば、パティシエールへの転向も簡単だって! お菓子作りの勉強も、俺が責任を持って面倒見るから!」


「で、でも……」


「頼む、深紅! 俺にはお前が必要なんだ!」


「そ、そんなに?」


「ああ! お前が欲しい! ずっと大事にするから!」


「へえ、私よりも?」


「もちろん! 誰よりもだ――ん?」


 どうも最後の質問だけ声が違ったというか、深紅の口が動いてなかったというか、そもそも背後から聞こえてきたような気がして、俺は首を傾げる。


 そして、ゆっくりと後ろを見ると、そこには満面の笑みを浮かべた湊がいた。


「ちょっと席を離している隙に何をやってるのかと思えば、へー、深紅のことを口説いてたんだ?」


 なんだろう、笑顔なのに般若のようなオーラを纏っているように見える。


「い、いや、これはその……」


 あまりの威圧感に、俺は喉が引き攣ってうまく喋れない。


「とりあえず、握ってる深紅の手を離してあげたら? ああ、でも別に私が言うことじゃないか。だって付き合ってないもんねー、私たち」


 言われて、俺は慌てて深紅の手を離した。


「じゃ、じゃああたしはこれで……えと、パティシエール転向はちょっとやめておこうかな?」


 深紅は無理やり笑顔を作ると、そそくさと逃げ出してしまった。


 残されたのは俺と湊、そして中二病を極めた影響か、この空気を理解できないらしい聖。


「いやあ、深紅を誘うとは目の付け所がいいね、千隼。あの子なら腕もあるし、可愛いし、翡翠屋を一緒に切り盛りするにはピッタリだと思うよ?」


 怖い。めちゃくちゃ怖い。


「き、切り盛りって……違うから。そういう夫婦的なニュアンスじゃなくてですね。おい、聖! お前からも何か言ってやってくれ!」


 俺は援護を求めて、事情を全て知る男に話を振った。


「お嬢、心配することはありません。千隼に浮気心のようなものはなかった」


 落ち着き払った態度で説明する聖。さすが俺の親友! 信じてたぜ!


「本当にぃ?」


 ちょっと疑わしげな目で俺と聖を見比べる湊。


 とはいえ、聖の態度があまりにも潔かったからか、少しトーンダウンしていた。


 そこに、更なる援護をするべく聖が笑顔を浮かべて語りかける。


「本当ですとも。千隼は一言も愛情を口にしなかった。ただ『俺が責任を持って面倒を見る』とか、『俺にはお前が必要だ』とか、『お前が欲しい』とか言っていただけです」


「聖くーん!? なんでそんなピンポイントで誤解を招くワードだけチョイスするの!? 前後を切り抜いたせいで文脈変わったじゃん!」


 援護どころか、とんでもないフェイクニュースをぶちこんできやがった!


「へー……そんなプロポーズみたいなこと言ったんだー? いや、みたいじゃないかな? 実際に私から乗り換えて深紅にプロポーズしちゃったってことでいい?」


「よくないです!」


「あ、それと千隼は『うちに来てくれ』とも言っていたな」


「お前もう黙ってろ! この中二コック!」


 絶妙のタイミングで火に油を注ぐ自称友人。


 と、そこまで話したところで仮面のような湊の笑顔が崩れ、彼女はぷくっと頬を膨らませた。


「千隼のうわきものー! 弁解なんかしないで深紅とでも誰とでも付き合えばいいじゃない!」


「いや俺が好きなのは湊だけだから!」


「じゃあうちのホテルに就職してくれる!?」


「それはちょっと」


「千隼のうわきものー! やっぱり深紅と一緒に切り盛りしていくつもりなんだ!」


「違います! ほんと湊のことだけが好きですから!」



 この後、湊の機嫌が直るまでに百回ほど愛してると言うハメになる俺であった。

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