第2話 差し入れを考える幼馴染


「急げ湊! 校門閉まるぞ!」


「ちょ、待ってよ千隼! そんな速く走れないし!」


 朝の通学路を、二人揃って全力疾走する。

 現在時刻は午前八時五十分。一限目の開始まであと十分しかない。


「そこをなんとか頑張れ! いざとなったらお前は置いていくからな!」


「はくじょうものー! 元はといえば、千隼が仕込み終わらせるのに時間かかったから遅刻しそうになってるんでしょー!」


「お前がラブレターとか持ち出すから時間がかかったんだよ!」


 醜い責任の押し付け合いをしながら、俺たちはなんとか時間ギリギリで校門を抜ける。


「も、もう走れないんだけど……」


 だが、そこで湊はスタミナ切れを起こし、昇降口で上履きに履き替えたところでへろへろになっていた。


「仕方ないな。俺だけでも遅刻を回避するから、湊はあとからゆっくり来い」


「それが好きな子への態度ですかね!?」


「大丈夫、俺は遅刻した湊も大好きだからな! あと、うちに就職するなら学生時代の内申点なんて不問にしてやるから安心しろ!」


 そう言い残し、俺は一人で廊下を進む。


 俺たちの教室があるのは三階だ。今の湊に階段という最後の難関を通り抜ける体力はないだろう。


 残酷な判断だが、二人まとめて遅刻するより一人でも間に合ったほうがいい。パティシエには常に冷静な判断が必要なのだ。


「私はそっちの店に就職しないって言ってるでしょうが! 待って千隼! 私も連れてって!」


 ゾンビのような足取りながら、まだ内申点への執念を燃やす湊。


「無理だ! 丁重にお断りします!」


「じゃあ私のことおんぶしていいから! ほら、私に密着できるチャンスだよ!」


 湊の提案を、俺は鼻で笑う。


「あほか! おんぶで階段昇るなんて地獄以外の何物でもないわ! そんな見え見えの罠に乗ると思ったか!」


「思ってます!」


「情けないことにその通りなんだな、これが! 運んでやるからさっさと来い!」


 俺がしゃがみ込んで湊を待つと、彼女は飛びつくように背中に乗ってきた。


「さすが千隼、変なところでだいぶバカだね!」


「うるせえ、悪かったな!」


「私はそんな千隼が大好きだけどね!」


「ならよかったわ! しっかり掴まってろよ!」


 俺が立ち上がると、湊はバランスを崩さないようにするためか、ぎゅっと力を込めて抱き着いてきた。


 それはそれでちょっと幸せなのだが、これから待ち受ける階段は、それじゃ相殺できないくらいの地獄である。


「千隼のかっこいいところが見たいなー」


 やっぱり降りてもらおうか……と日和ったところで、逃げ道を塞ぐように湊が囁いた。


 こうなっては逃げるわけにはいかない。


 俺は一つ深呼吸をすると、思いっきり前を見据えた。


「俺のバカヤロー!」


 単純で見栄っ張りな自分自身を罵倒しながら、階段を昇るのだった。






 ――キーンコーンカーンコーン。


 一限目の終了を告げるチャイムを、俺は机に突っ伏したまま聞いた。


「おーい、千隼。そろそろ回復した?」


 机の前にやってきた湊が、様子を窺うように俺の頭を指でつついてくる。


「まだ膝がガクガクだわ……」


 人一人を背負っての階段昇りという、レスキュー隊みたいな運動をした代償は大きく、俺は疲労困憊のまま一限目の時間を過ごした。


「まあ、おかげで遅刻はしなかったし、お疲れ様」


 労っているつもりなのか、湊が俺の頭を撫でてくる。


 子ども扱いされているようで不本意だが、割と気力が湧いてきてしまった。我ながら残念な奴である。


桐生きりゅう君。双葉ふたばさん」


 そんな話をしていると、誰かが俺たちの苗字を呼んできた。


 揃って振り向くと、そこにいたのはピシッとしたスーツを着こなした、髪の長い大人の女性。


 俺たちの担任教師である、宮國みやぐにほのか先生だった。


「二人とも、今日は遅刻寸前だったみたいね?」


 バツの悪いことを指摘され、俺たちは気まずさに目を背ける。


「ちょっと朝が忙しくてですね……な?」


 ちらりと湊を見ると、彼女も苦笑いを浮かべた。


「ええ。予定外のトラブルがありまして」


 俺たちの言い訳に、宮國先生は一つ頷いた。


「まあ、二人の事情は分かっているから、そこについては厳しく言わないけど」


 お説教にはならなさそうな気配に、俺は小さく胸を撫で下ろした。


 宮國先生はまだ二十代と若く、見た目も綺麗で話が分かる先生のため、生徒たちから絶大な人気を誇っている。


 なので、俺たちのバイトについても、ある程度の理解はしてくれているのだ。


「ただ、今日は二人とも日直だったの、覚えてる?」


「「あ」」


 先生の言葉に、二人揃って声を上げる。


 完璧に忘れていた。朝早く来て、やらなきゃいけないことがあったのに。


 俺たちのリアクションで大体察したのか、先生は小さく嘆息した。


「やっぱり忘れてた。ある程度は他の子がやってくれたけど、まだ残ってる仕事もあるから、ちゃんと二人でやっておいてね」


「分かりました」


 俺が頷くと同時、宮國先生のポケットか軽快な電子音が鳴った。電話がかかってきたらしい。


「ちょっとごめんね……もしもし、どうしたの? もう、職場にまで掛けてきて……」


 俺たちに軽く詫びてから、先生は電話に出る。


 それをなんとはなしに見送っていると、湊に袖を引っ張られた。


「千隼、今のうちに日直の仕事やっちゃおうか」


「そうだな」


 俺は立ち上がると、まだ微妙に重い身体を引きずって歩き出した。


 資料室に行って、次の授業に必要な資料を取ってこなくては。


「……先生、誰に電話してたんだろうな」


 廊下に出ると、俺は隣の湊にさっきの話題を振る。


 どうも仕事関係の連絡じゃなさそうなので、少し引っかかった。


「多分、彼氏じゃない?」


 さらりと言う湊の言葉に、俺は少し驚いた。


「へー……宮國先生、彼氏いたんだ。まああれだけ綺麗で性格もいい人なら当然か」


 なんか納得する俺に、湊はじとっとした目を向けてきた。


「まあそれには同意だけど、好きな子の前で他の女の人を褒めるかね、普通」


「女の人って……先生だぞ?」


「先生でもですー。千隼だって私がイケメン教師にきゃーきゃー言ってたら嫌でしょ?」


 言われて、その光景を想像してみる。


…………うん、普通に嫌だな。


「すみません。気を付けます」


「うむ。気を付けてください」


 陳謝する俺に、湊は鷹揚に頷いた。

 それから、彼女は何か思い出したように「あ」と呟く。


「話を戻すけど、どうやら宮國ちゃん、彼氏にプロポーズされたらしいよ」


「マジで? 結婚するの?」


 新たなニュースに、俺はまたも驚く。


「そうみたい。羨ましい限りだね、私には煮え切らない幼馴染しかいないというのに」


「本当は俺もとっくに煮え切ってるんだがな。お前がいちいち冷や水浴びせて冷ましてるだけで」


 湊が俺をホテルに就職させる計画さえを諦めれば、すぐにでもまた煮え切るというのに。


「冷や水を浴びせてるのは千隼のほうだと思うんですけど。大人しくうちのホテルに就職さえしてくれれば丸く収まるというのに」


 またいつもの平行線に辿り着き、睨み合う俺たち。


「……不毛だな」

「……不毛だね」


 が、すぐにその虚しさに気付いて争いを収めた。


「ねえ、それよりもっと有益な話題なんだけど、そろそろ教師たちに差し入れを持っていったほうがいいと思うんだよね」


 湊が唐突に話題を転換させる。


「なんだ、急に」


 いきなりの提案に困惑する俺に、湊は自分の考えを話し始めた。


「ほら、私たちも来年から二年生になるじゃない?」


「まあそうだな」


「そうなると、多分担任も変わるだろうし、その人が宮國ちゃんみたいに私たちの仕事に理解のある人とは限らないでしょ?」


 湊の言葉に、俺も真剣に頷いた。


「確かに。それは俺たちにとって大きな問題だな」


 うちの学校はバイトの許可を取るのがかなり難しい。

 俺と湊のように朝にシフトが入ったり、労働時間が長かったりするバイトはまずアウト。


 だが、それを宮國先生が特別に取り計らってくれたのだ。


「でしょ? 宮國ちゃんが出した許可を、新しい担任が覆さないとも限らない。だから、今のうちに職員室に差し入れを贈って、心証をよくしたいと思うんだ」


 湊らしい、計算高い立ち回りだ。

 だが賛成。これは確かに必要な仕事である。


「差し入れはいいが、何を持っていく? やっぱりお菓子か?」


「うん。千隼の作ったお菓子がいいと思う。一度こっちのお菓子を受け取ってしまったら、その件についてはなかなか反対しづらくなるのが人間というものだからね」


新たな担任が俺たちの仕事に反対したくても「でもお前、その仕事で作ったお菓子を喜んで食ってたじゃん」的なことを言われたら、返す言葉がなくなるというもの。


 湊らしい腹黒い策だが、今回は見逃そう。味方にすると本当に心強い女だ。


「じゃあお菓子で決定だな。となると、何を作るかが大事になってくるけど、やっぱりショートケーキあたりが無難かね?」


 奇を衒わない王道なら外れはないだろうと思ったが、湊は首を横に振った。


「悪くないけど、最適解じゃないかな。うちの教師はおじさんが多いから、甘いのはダメって人も結構いそうだし、生クリーム系は保存に気を遣うから。ショートケーキで攻めるなら、そこそこレシピをアレンジしないと」


「アレンジか。どんなのがいいかね?」


 参考までに訊ねてみると、湊が改めて条件を挙げた。


「まずは生クリームと砂糖不使用は必須条件ね」


「甘さ控えめってレベルじゃねえな。それお菓子として成立しないだろ」


 いきなり根幹部分を大胆に切り落とす湊である。大胆すぎて致命傷になってる。


「いやいや、甘いだけがお菓子じゃないでしょ? たとえば、おせんべいみたいにしょっぱい系のお菓子だってあるじゃん?」


「まあ、そうだけど……」


「というわけで、おせんべいからヒントを得て、スポンジケーキに使う小麦粉をお米に変えようと思います」


「米!? 米粉ですらなく米!?」


「はい! さらにおせんべいからもう一つヒントを得て、隠し味に醤油を入れます」


「隠れないから! 異物感がすごすぎて、かくれんぼが成立しない!」


「というわけで、今のところ卵、米、醤油という材料なわけだけど、これをパラパラになるまで炒めます」


「炒飯だよねそれ!?」


 洋風のショートケーキに和風のおせんべいを足したら、中華の炒飯になるという神秘。


「炒飯じゃないし! 何故ならこの上にいちごが乗るから!」


「いちご炒飯! 料理史に残る合体事故だわ!」


 ドン引きする俺とは対照的に、湊は自分のアイディアに満足したのか、清々しい表情で頷いていた。


「よし、じゃあさっそくこれを作って職員室に届けよう!」


「逆に心証悪くなるだろ! こんなもん作るバイトなら辞めちまえって言われるよ!」


 もはやちょっとしたテロである。


 俺の説得がようやく届いたのか、湊も少し考えるように眉根を寄せた。


「確かに。いちごはちょっとないかな。じゃ、無難にえび炒飯にでもしようか」


「お菓子はどこいった!?」


 ――こんな無駄話を延々続けた後、最終的に俺の独断で差し入れはパウンドケーキに決まるのだった。

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