第11話

 幻の水飛沫が舞い散る中、魔術師の体が地面に叩きつけられると同時に太陽の光が辺りを照らし始めました。もう夜が明けたようですね、盗賊団との決着もついて気持ち良く朝日を拝めそうです。


「が……は……」


 顎を砕かれ、力の奔流に揉まれたうえに地面に叩きつけられた魔術師はもうボロボロ、指一本も動かせない様子です。

 そんな魔術師のもとにサイモンが歩み寄っていきました。

 サイモンの大きな目からは先程までの怒りが消え、かわりに分け隔てない慈悲の光が灯っています。その眼差しでサイモンは魔術師を見下ろしていました。


「命まで取る事はいたしません、あなたの処遇は法の裁きに委ねます。ですがあえて傷を癒す事もしません。体の動かぬ苦しみの中で、願わくば己の罪をかえりみん事を……」

「…………」


 魔術師は何も答えません。いや、これは答えられないと言うべきでしょうか? マーレの必殺技が思ったよりも強力だったせいでマジに死の淵に瀕していると思われます。


「……やっぱりちょっと癒しましょうか」


 さすがにこのままでは死んでしまいますね。いきなり言った事を覆すようでかっこ悪いですけど、人命にはかえられません。それがたとえ悪党といえどもです。

 サイモンの手から温かな光が放たれ、魔術師の傷を塞ぎました。これで少なくとも裁判にかけられる前に死んだりはしないでしょう。


 それから少しして、魔術師をはじめ取り押さえられた盗賊たちが拘束され、次々に馬車へと乗せられています。どこか近くの町まで移送して、そこの兵士に引き渡す事になったとの事でした。

 サイモンはその光景を村から少し離れた場所で見ていました。ただ、事態が解決したというのに、その巨大な背中はどこか寂しさを感じさせます。


「よっ、どした?」

「マーレ……」


 パチンと平手でサイモンの尻を叩きつつ、マーレがいつものように陽気に話しかけました。


「いやいや、凄かったねえ。まさかの大魔法! あんたがあんな凄い魔法使えるなんて信じられないわ」

「実際のところ僕も驚きです、なんだか勢いで使えてしまいました」

「ま、私の必殺奥義ほどじゃないけどね」

「はは、そうですね」


 サイモンは微笑んで返事をしました。すると、サイモンの寂しげな笑いが気に食わなかったのか、はたまた謙遜が気に障ったのか、マーレはその返事に少々不満そうです。


「なによー、謙遜しちゃって。あんな魔法使えるのなんて司教とか賢者クラスとかじゃないの? しかもサイクロプスって、本来あり得ない事なんだから自信持ちなさい!」


 またマーレがサイモンの尻をバシバシと叩いています。マーレもあんな奥義を出せるくらいですから意外と力があるようで、この平手もけっこう痛いと思われますね。

 それを全く顔に出さないのはサイモンの優しさか、もしくは何か思うところがあるのか。


「いえ……僕はそんな立派なものではありません」


 おや、『思うところがある』の方だったようです。サイモンはマーレに叩かれている事など気にもならない様子で自分の手を見つめていますよ。


「確かに……魔法は使えました」

「使えるならいいじゃん」

「マーレも見たでしょう、僕は彼らのひとりを掴み上げ、もうひとりにぶつけて建物すら破壊しました。これだけの魔法の力があるのならば、あれは不要な暴力だったはずです。それなのに……僕は沸き上がる破壊衝動を抑えられなかった」

「ふーん」

「ふーんって……」


 マーレの気のない返事に今度はサイモンが不満そうです。そんなサイモンの気持ちなどお構いなしに、マーレは相も変わらずマイペースでした。


「だってサイクロプスじゃん、そりゃそうもなるわよ。むしろあんなもんで済んで凄いって言ってんの」

「そ、そういうものなのですか」

「でも気を付ける事ね。ゴリマッチョは美少女には敵わないと相場が決まっているのよ」

「普通は逆だと思うのですが」

「あるのよ、誰にも逆らえない宇宙の法則が……」


 遠い目で語ってますけど余計な話はどうでもいいです、前半だけ聞いておきましょう。

 そう言われればそんな気もしますし、そんな問題ではないような気もします。でもこのマーレのポジティブな考え方は見習いたいですね、サイモンも少しだけ気が楽になったようですよ。


「そうですね……過去を悔いるよりもこれからをどうするかが大切ですね。相手を知り、愛のこもったハグで優しく包み込めば、凍った心も溶かせるのですから」

「……それ、私にはやめてよね」

「え?」


 残念ながら、サイモンにはマーレがどの部分をやめて欲しいのか理解できませんでした。たぶんハグの部分だと思います、今のサイモンにやられると背骨くらい簡単に逝きそうですから。


「そう言えばマーレ、ありがとうございました」

「んぁ?」

「村の人たちが人質に取られた時、大人しく自分まで人質になってくれたでしょう? 僕はてっきり無視して暴れるかと思ってしまいましたよ」

「あんたねぇ。ま、このマーレちゃんにかかれば簡単に全滅できたけど、人間に被害が出たらあんたが嫌がるかと思って我慢してあげたのよ。ほら、感謝! 感謝しまくりなさい!」

「はははっ、もちろんですよ。そうでなくともお二人にはとても感謝して――」


 セリフの途中ですがサイモンの背中に冷たいものが走りました。盗賊の襲撃という大騒動があったので仕方のない事かもしれませんが、その普段から感謝している相手を忘れてしまっていた事を思い出したのです。


「ああっ! バジニアさん!」


 サイモンは大慌て、ここは任せて先に行けパターンで任せたっきり忘れてました。もしかしてやられちゃってたりなんかして、などと嫌な予感が頭をよぎります。

 サイクロプスの素晴らしき目で辺りを見回すと……あ、いました。


「ほな、よろしゅうな」


 見つけました、バジニアです。盗賊の人数が多いので、複数に分けた馬車の何台目かを見送っていました。そこに駆け付けようとする巨大な影に気付いたようですよ。


「バジニアさん、ご無事でしたか!」

「あら、サイモン。思い出してくれて嬉しいわあ」

「も、申し訳ありません」

「ふふっ、冗談よ。任せ言うたんはウチやし」

「いえ……本当に申し訳ありませんでした」

「もうええて。ウチにもちゃーんとプロテクションかかったし、あの程度の相手なら一本でも余裕や、気にする事ないって」

「一本、ですか?」


 平謝りのサイモンを慰めてくれるバジニア。その言葉の中にサイモンにはよく意味の分からない言葉が混じっていました。するとそこにフォローを入れるかのようにマーレが割って入ってきましたよ。


「バジニアの言う通り気にする事ないわよ、だってこいつ元ヤンていうか――」

「せいっ!」

「ギニャー!」


 割って入った途端、バジニアの鋭いボディブローがマーレの言葉をドスリと遮ります。


「言わんでええ事は言わんでええの、わかった?」

「うえぇ……わ、わかった」


 真っ黒い瞳でガンを付けられ、マーレはもちろんサイモンも委縮しています。なるほど、マーレの言おうとしていた話の内容は聞かなくてもだいたいわかりました。


「こ、こんなわけでバジニアを心配する必要はないってわけさ……」

「わかってて本人目の前に言うマーレもある意味尊敬します。それとバジニアさん、できればもっと穏便にツッコミを入れていただけると助かるのですが」

「助かるって、サイモンの心が?」

「心が」

「んー、まあそれなら大丈夫やろ。なんせマーレは人魚やし」


 この世界に住む者ならば一度は聞いた事があるであろう「人魚の肉を食べると不老不死になる」という伝説。人魚が人前に出なくなった理由のこの噂は、今では完全なる迷信として幼児さえ知っている常識となっています。

 しかし噂には元となる原因があるもので、実は人魚族は凄まじい生命力と再生力を持っていたのでした。


「ほらアレ、何やったっけ」

「暇な時にチキンレースやってたあの話ね。いやー、うっかり胴体真っ二つになっちゃって、あれは痛かったなー」

「そんな状態から治ったんですか……というか何やってるんですか本当に」

「ぷぷっ」


 ふと、マーレが笑っています。この逸話にはまだ笑うポイントがあるのでしょうか。


「どうしました?」

「いやだって、魚なのにチキンレースだなんて……わはは! 面白いでしょ!?」

「……そうですね!」


 優しいサイモンは一緒になって笑ってあげました。今の人類に必要なのはこの思いやりの心なのかもしれません。

 というわけで、これでこの話はお終いにしましょう。


 さて、三人が楽しく語らっているところに近付く人影がありました。


「おお、こちらにおられましたか」


 声をかけてきたのはコミス村の村長です。この人も短い間にサイクロプスだの盗賊だのなかなか運の悪い人ですね。

 しかしこれは好都合、実はサイモンも村長に話があったのです。でもサイクロプスの巨体で村の中を行くのは迷惑かと思案していた所でした、向こうから来てくれて助かります。


「まずは感謝を述べさせていただきたい。皆様、村を救っていただきありがとうございました」


 村長は深々と頭を下げました。もうサイクロプスだからといって腰を抜かすような事はありません。聖なる魔法で村を救ってくれたのは、まさしく目の前にいるサイクロプスなのですからね。


「頭を上げてください、当然のことをしたまでですよ」


 サイモンはにっこりと笑顔で答えました。サイクロプスの満面の笑みというのはそれはそれで不気味なので、村長はやっぱりちょっと引き気味な様子でした。


「い、いやいや、なんと気高いお方だ。怪物扱いしてしまった自分が恥ずかしい。……それはそうと、何故愚かな怪物のフリをなさっていたのでしょう?」

「え? あ、それはその、まあ成り行きと言いますか……」


 とはいえ、最初から流暢に話しかけていてもしっかり警戒されたでしょうから、成り行きに任せた結果オーライという事で良しとしましょう。

 と、ここでサイモンは話を変えるついでに自身の用件を切り出しました。


「そうだ村長さん、実は折り入ってご相談したい事があるのですが」

「ええ、もちろんよろしいですよ。村を救っていただいたお礼をしなければと考えていた所です。何も無い村ですが、お望みのものがあれば何なりと」


 横で聞いていたマーレとバジニアも「あ、そうそう」といった表情をしました。それぞれ村に来た本来の理由を思い出し、マーレは必要な物資のピックアップを、バジニアはサイモンが探している人物の似顔絵を取り出して準備をしていました。ところがどっこい。


「僕にも村の復興を手伝わせてはいただけませんか?」


 サイモンの要求はそのどちらでもありませんでした。というか要求と言っていいのかどうか微妙なところ、これにはマーレとバジニアはもちろん村長もびっくりです。


「それはこちらとしても願ったり叶ったりではありますが……本当によろしいのですか?」

「ええ、もちろんです。僕の体格と力なら重いものでも多く運べますし、もし怪我をされた方などいらしたら回復魔法も使えますから。ぜひとも皆様のお役に立たせてください」


 盗賊の襲撃で火災も発生し、村は思ったよりもボロボロになっています。この状況を見てサイモンはいても立ってもいられなかったのでしょう。熱心に頼み込むサイモンに村長も快諾、いくらかの事を話した後に笑顔でいったん村の方へと去っていきました。

 おっと、納得いかなそうな顔をしている人物がいますよ。バジニアはただ驚いているだけですけど、マーレはかなり不満そうですね。


「ちょっとサイモン、どういう事よ! お礼にかこつけていろいろ貰うチャンスだったのにー!」


 わりと酷い事を言っていますが、サイモンはそんなマーレに優しく語りかけます。


「確かに、物資の調達や人探しもあります。でもそんなに急ぐ事はありませんよ。それよりも、僕は目の前の人たちが困っているのを放っておけないのです。この被害は僕が招いた部分もあるのですから」

「あんたがいなくてもあの盗賊はここを襲ってたわよ」

「どちらにしろ、見て見ぬふりはできません。僕は己のするべき事をするまでです」


 するとサイモンはマーレとバジニアを正面から見据えると、姿勢を正しペコリと頭を下げました。


「お二人とも、ありがとうございました。もともと無理を言ってここまで来てもらったのです、村の復興まで手伝ってくれとは申しません。またいずれ、落ち着いたら会いに行きますね」

「サイモン……」


 サイモンの別れの言葉を聞き、マーレがすうっと息を吸い込みます。


「マグロストレートぉ!」


 その瞬間、バジニアは目撃しました。ドリルのような水流をその身に纏い、大砲のように突撃するマグロの雄姿を!


「ウッッゲェエー!」


 たまらず悶絶するサイモン。解説しますと、マーレの必殺ストレートパンチがサイモンに炸裂したわけです。ふたりの身長差ゆえに非常に危険な部位に命中してしまったのですね。


「な……なにを……なさるので……」

「あんたねえ、水臭いのよ。ここまで連れて来たくせに、こんな面白い事から今さら降りろって言うわけ?」


 どうやらマーレも手伝ってくれると言いたいようですね。持つべきものは友人です、なんともありがたい話ですよ。これで地面にうずくまるサイモンを見下ろす構図でなければ最高なんですけどね。


「マーレの言う通りやで。前にも言うたやろ、親切は受け取っとくもんや。面白くなってきたトコやないの、ウチらにも手伝わせてな」

「マーレ……バジニアさん……」


 バジニアもマーレと同じ気持ちのようです。でもサイモンは嬉しくはありつつも、ダメージを受けて動けない事を心配して欲しいなとも思いました。


「ふふ、そうですね、今さらでしたね。それではお二人とも……これからも……よろしく……ガクリ」

「サイモーン!」


 サイモン、暁に死す! マーレとバジニアの悲痛な叫びが空へと響きました。

……いえ、死んでませんよ? 時間も朝ですけど暁と言うにはだいぶ日が高くなってますし。

 なにはともあれ、サイモンは薄れゆく意識の中で、新たなる友を獲得した喜びを噛みしめていたのでした。金的に回復魔法が効けば良いのですけど。


 それにしてもここまで他者の事を優先するとは、これではいつ記憶が戻るかわかったものではありませんね。

 ちょっと、会いに行ってみる必要があるかもしれません。

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