第9話

 すっかり日も落ち、静かな村は夜の闇に包まれます。


「わあ……」


 サイモンは空を見上げて小さく声をこぼしました。満天の星空は漆黒の空に浮かぶ宝石のよう、その美しさにため息をついたのです。


「そう言えば、こうして空を見上げるのはいつ以来だろう……」


 ここでの『いつ以来』というのは普通の人とは少し意味が違います。だってサイモンは自分が何者なのかすら覚えていないのですから、たとえ『いつ』があったとしても本人にはわからないのです。

 ふうっ、とまたため息をひとつ。どこまでも広がる星空は、美しさと同時にどこか寂しさを感じさせました。記憶の無いサイモンにとってはなおさらです、もしかしたらこの世界に自分を知っている者はいないのかもしれない、そんな気さえしました。


「サイモン」


 ふと、誰かがサイモンに声をかけました。見れば、バジニアがスープ鍋を持って立っていますよ。大きさのせいもあって家の中に入れてもらえなかったサイモンのために夕食を持って来てくれたようです。

 もっとも、家の中に入れてもらえなかったというよりは、村の端にある納屋に繋がれていると言ったほうが正しいですかね。


「いくらサイクロプスやからて、首に鎖巻いて外! ちゅうんはあんまりやな。ほら、あったかいスープもろて来たで」

「ありがとうございます、バジニアさん。そちらは大丈夫ですか?」

「あはは、そんなカッコでウチらの心配? 大丈夫よ、今マーレが旅の武闘家らしく適当な武勇伝とかかましてみんなの注目集めまくっとるから、アンタはゆっくり食べ」


 話によれば、マーレが村人の気を引いている間にサイモンの食事を持って来てくれたという事でした。ありがたい事ですね、持つべきものは友達です。

 サイモンは思います、魔物である彼女たちがこんなにも良くしてくれるのは、自分が同じ魔物であるサイクロプスだからなのだろうかと。

 自分が元人間である事は話していますが、本当に信じてくれているかどうかはわかりません。でも、きっと自分が普通の人間だったとしてもマーレたちの態度は変わらない、サイモンはそんな気がしてなりませんでした。


「そうなんですか。……なんだかおかしな事になってしまいましたね、どうしたものでしょう」

「そやなあ、誰も見とらんし今のうちに逃げてもええんちゃう?」

「しかしそれではマーレを置いて行くことになります」

「あの子なら大丈夫やて、いざとなったら全員ぶちのめしてでも……」


 うーん、やっぱり発想がどこか魔物的。でもサイモンとしてはさすがにそういうわけにはいきません。


「それがマズイのですよ。僕が逃げた事で揉め事になったらマーレが責められるかもしれませんし、強引に脱出しても結局村に迷惑がかかってしまいます」


 あちらを立てればこちらが立たず、思ったよりも面倒な事になってしまいました。

 マーレの事はもちろん大事です、しかし村人も傷付けたくはありません。マーレたちが自分に良くしてくれるように、魔物と人間が仲良くできればいいのにと、サイモンは少しだけ理想を夢見るのでした。


「ふふっ」


 バジニアが小さく笑いました。


「どうかしましたか?」

「サイモンは優しいんやね」

「いえ……自分が正しいと思った事をやっている、ただそれだけの事です」

「ふぅん。ほんま、こんなサイクロプス見た事ないわ。アンタええ男やね、サイクロプスにしとくのはもったいないで」

「本当はサイクロプスではないはずなのですけどね」


 あくまで冷静なサイモン、この男にかかればいい雰囲気など余裕で粉砕されます。これにはバジニアもちょっと苦笑いです。


「……?」


 はて、何でしょう。その時、サイモンが何かに気付きました。


「どうかしたん?」

「何か……いや、誰かがいます。夜の闇に紛れていますが――」


ビシュッ!


 次の瞬間、闇夜を切り裂く風切り音がサイモンめがけて鳴り響きます。


バシッ!


 音の正体は鋭く放たれた矢でした。

おっと残念、サイクロプスの夜目と動体視力を舐めてもらっては困りますね。大きな目は狙いやすくわかりやすい弱点なのでしょうが、狙いがわかっていれば直前で矢をつかみ取るなどサイモンには造作もない事なのです。


「刺客か!? サイモン大丈夫!?」

「はい。ですが敵意を持った集団が来ています、村の人たちに知らせてください」

「にしてもよう気付いたな……ウチも油断しとったわ。その村のモンとはちゃうの?」

「おそらく違います。あの装備に動き、戦闘慣れした様子ですから」


 襲撃者の事を知らせるべくバジニアに走ってもらおうと思ったサイモンでしたが、その矢先、少し離れた家から火の手が上がるのが見えました。


「あれは!? 大変だ!」


 こんな時に捕まっているフリなどしている場合ではありません。しかし、立ち上がろうとするサイモンの前に数人の男たちが姿を現し取り囲みます。

 星明り程度の夜でもサイモンにははっきりとわかりました。取り囲む男たちの中に見た顔が、昼間に出会った傭兵が含まれていたのです。

 男たちがサイモンの側にいるバジニアを見て何やら話しています。


「おい、ここにも誰かいるぞ」

「関係ない、始末しろ。それより早くデカブツを首だけにしちまえ」


 なんという事でしょう、男たちはサイモンの首を狙っているだけでなく、目撃者……いえ、村全体を襲撃する気で襲ってきているようです。


「アンタら、昼間の傭兵やな。なんや、本業は盗賊っちゅうわけか?」


 バジニアも男たちの中に見た顔がいる事に気付いたようです。そして男たちもまた、バジニアに見覚えがあるようでした。


「お前、あの格闘女の仲間だな。丁度いい、恥をかかせてくれたお礼はたっぷりしてやるぜ」


 言い終わるかどうかというところで、男は素早くバジニアに斬りつけました。


ガキン!


 激しく金属のぶつかる音、男の刃はバジニアには届いていません。バジニアの手にはいつの間にか取り出したであろう優美な装飾のドスが握られ、男の振り下ろした剣を難なく受け止めていたのでした。


「オモロいなあ、そのジョーク笑えるで。芸人としては下の下やけどなあ」


 男たちを挑発しつつ、バジニアはサイモンに目配せします。


(ここはウチだけでじゅうぶんやから、アンタは皆のところに行き!)

(わかりました!)


 バジニアの合図を受け取ったサイモンは立ち上がり、マーレや村人が集まっている家を目指します。隙を伺い、取り囲む男たちの間を縫って――


「どわあぁ!」


 あ、いや、その必要はありませんでしたね。よく考えたらダッシュするサイクロプスなんか人間が止められるわけがありません。サイモンは気付いていないようですが走っただけで二人くらい跳ね飛ばして失神させています、バジニアが楽になって良い事です。


 サイモンが駆けつけた時、火の手はすでに何軒かに広がっていました。炎に照らされて武装した男たちの姿が見えます、やはり傭兵もとい盗賊団の襲撃を受けていると見て間違いないでしょう。

 村人たちはみな集会場に集まっていたためまだ人的被害は出ていないようです。しかし火事をこのまま放っておくわけにはいきません。


「あなたたち、何をやっているのですか!」


 サイモンが叫びました。また自分が巨人である事を忘れています、その咆哮のような声だけで周囲の空気がビリビリと震えました。

 当然、盗賊たちも気が付きます。気が付かないわけがありません、でっかい一つ目巨人が叫んでいるのですからね。まあサイモンとしても気付いてもらうために叫んだのですから問題はないでしょう。


「サイクロプス? 鎖が外れているぞ!」

「いや、というか今喋ってなかったか?」


 予定ではサイモンの元に向かった者たちがとっくに始末しているはずだったのでしょう、盗賊たちは姿を現したサイクロプスに戸惑っています。

 ですがそんな事はサイモンには関係の無い事、サイモンは目の前の状況を解決する事で頭がいっぱいなのでした。


「火を消さねばなりません! 手を貸してください!」


 なんて、こんな事を言われても相手は盗賊なのですから聞いてくれるはずありません。


「やっぱり喋ってるぞ」

「何言ってるんだコイツ?」


 とまあこんな感じで驚くか呆れるかといったところでしょうね。ですがお人好しのサイクロプスは決して諦めません。


「早く!」


 再びの衝撃波のような怒号と共に、サイクロプスの大きな瞳が怪しく輝きました。するとどうした事か、周囲の盗賊たちがビシッと姿勢を正し消火活動に協力し始めたではありませんか!


「はひいい!」


 全員、自分でも何をやっているのかわからないという様子ですが連携は見事です。手際のよいバケツリレーで火元にどんどん水をかけていき、巨人の主導もあってほどなく火災は消し止められました。


「おい……自分で付けた火を消すなんて、俺たちはいったい何をやってるんだ?」


 突然の消火活動に息を切らし、盗賊たちは自身の正気を互いに確認しています。それはそうとしてその言葉、サイモンは決して聞き逃しませんよ。彼は目ほどではありませんが耳も良いのです。


「何と言いました? 火を付けたのはあなた方なのですか?」


 薄ら暗い夜の闇から、怪しく光る巨大な目が盗賊たちを睨みつけます。これは完全にスイッチが入っています、怒っていますよ。

 さっきは何故だか協力してしまったものの、盗賊たちも負けてはいません。怒れるサイモンは体格もあってド迫力ですが、ここで引き下がっては盗賊の名が廃るというものです。


「そうだよ、それがどうした!」

「てか、お前の所にも刺客が行っただろうが! 気付けよ!」


 盗賊たちは武器を構え直し、ゆっくりとサイモンとの間合いを図っています。

 しかし――


「黙りなさい!」


 ここ一番の大爆発、いや、これはやっぱりサイモンの怒号でした。この爆発のような声と大きな瞳に睨まれるとどうしても逆らう事ができないのか、はたまた本能が恐怖に染まってしまうのか、盗賊たちはみな正座してサイモンの前に並んでしまいます。


「あなた方は何を考えているのです! 今回は人がいなかったから良かったものの、放火は重篤な被害を出しかねない大罪ですよ!」

「……おい、俺たちなんで座って……」


ドォン!


「そこ! 私語を慎む!」

「はひぃ!」


 態度の悪い生徒を叱責するかの如く、近くの壁を叩くサイモン。こういう事で脅かすのはあまり褒められた事ではありません、せっかく火を消した家の壁に大穴が開いてしまった事も含めてね。

 その後も延々とサイモンのお説教は続きます、そのため盗賊たちはかなり疲れた様子で顔が真っ青になっていました。

 ただ、盗賊たちはここにいる者が全員ではないとサイモンは気付いていませんでした。そしてそれは危険な事態を引き起こす事になるのです。


「おい、喋る巨人ヤロウ! こっちを見やがれ!」


 サイモンが声のした方向を見ると、あのリーダー格らしき男が立っていました。なんと、村人たちを捕らえ人質に取っているではありませんか!

 人質の中にはマーレもいます。村人を盾にされて抵抗できなかったのでしょうか、先頭に跪かされその首筋には男の剣が今にも掻き切らんと突き付けられています。


「ごめんサイモン、捕まっちゃった」

「マーレ!」


 サイモンはマーレをはじめとした人質を確認すると、すぐにリーダー格の男に向き直りました。


「人質を取るなんて、なんと卑劣な!」

「うるせえ! このクソ女が猛獣みたいに暴れまくるから仕方なかったんだよ、こっちは二人も半殺しにされてんだぞ!」


 よく見ると、剣を突き付けている男も結構なケガを負っているようです。その様子からマーレの暴れっぷりが目に浮かぶようですね。ま、自分が悪いんですけど。


「それは……なんともご苦労様でした」

「わかりゃいいんだよ」


 しばし微妙な空気が流れましたが、サイモンは気持ちを新たに仕切り直す事にしました。


「あなた方は……いったい何のつもりなのですか!」

「お前たちが悪いんだぜ? こっちは討伐料金だけで引き上げてやろうかと思ってたのに、手柄を横取りされたあげく恥までかかされちゃあ黙ってられないよな? だからサイクロプスの首を慰謝料として貰ってやろうというわけよ」

「僕が目当てというわけですか。ならば村人は関係ないでしょう、放しなさい」


 サイモンの言葉に、男は下卑た笑いを見せつけました。


「そうはいかねえんだよ。俺たちの受けた心の傷はそれはそれは深~くてなあ、このクソ女の命を足しても足りやしねえ。へんぴな村だがかき集めれば多少の金にはなるだろうよ、もちろんやったのはお前って事にしておいてやるぜ」

「……この人数、僕たちと別れた後に集めたとは思えませんね。はじめからそれが目的だったのではありませんか?」

「さあ、どうだろうな。どのみちお前らに選ぶ権利は無いがね」


 先程まで正座して説教されていた男たちも立ち上がり、リーダー格の男に合流しました。

 この絶体絶命の大ピンチの中、サイモンは意外な行動を取ります。


「村長さん、この材木をお借りします」

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