第2話

 深い森の中をズンズン歩いて行く新人サイクロプス。相変わらず自分が進んでいる方角さえわからない状態でしたが、それとは別にわかってきた事もありました。


「わあ、凄いな。ちゃんと遠近感が取れてる」


 それはサイクロプスとしての身体能力です。サイクロプスは目がひとつしかないので遠近感が取れているのか前々から疑問に思っていた彼でしたが、実際に自分がなってみてその高性能さに驚いているようです。

 ちなみに、自分の事は名前さえ思い出せないのに、一般常識とか他の事はしっかりと覚えているのは記憶喪失あるあるらしいですよ。『前々から』というのはそういう意味です。

 ともかく、ひとつしかないからなのかサイクロプスの目が想像以上に高性能だという事はわかりました。他には三メートル強というこの巨体、視点が高く遠くまで見渡せます。そうでなくとも大きな体で闊歩するというのはどこか気持ちの良いものですね。


 ただ……この森の木は大きなものばかりなので、森の探索という点では通常サイズとたいして変わりはありませんでした。あくまで木々の間にあるものを高い視点で見渡せるというだけの事、たかだか三メートル強ではそんなもんです。

 そして、ずいぶん歩いて来ましたがほとんど景色が変わっていません。さらに目下の問題は食べられそうなものをいまだに見つけられていないという事でしょう。定番である木の実もキノコもさっぱり見当たらないではありませんか。

 そもそも、たとえ見つけたとしてもサイクロプスが満足するにはどれほどの量が必要なのでしょう。そんな量を毎回都合よく見つけられるものでしょうか。


「ううん、人間だった頃は何をやっていたのか思い出せないけど、もっと野生の魔物の生態とか勉強しておけばよかったなあ」


 魔物の弱点とかそういう事なら知識はあるようですが、さすがに生態までしっかりと調べている者はそうはいないでしょうね。

 何にせよ、このままでは人を探すどころではありません。森の中で遭難して死亡! なんて嫌な想像なんかしちゃって、新人サイクロプスは背中に何とも言えない寒気を感じました。


「いつの間にかサイクロプスになって、おまけに何もしないまま餓死したらお話にもならないじゃないか。これはちょっとマズイかもしれない」


 こんな時にネガティブな事を考えると悪化するばかり。だいぶ焦りが出てきたようで、空腹な事も重なりちょっとフラフラしちゃってます。


「み、水……せめて水が欲しい」


 食料がなくとも水さえあれば多少は生きられます、人間と魔物で同じならばですが。といってもここは深い森の中、木の実を見つける方が早いんじゃないかな――と思われたその時。


パチャッ


 どこからかわずかに水音がしました。もうこの際、泥水でもなんでもいいと新人サイクロプスは気力を振り絞ります。

 水音のした方向へひたすら進む、這いずってでも辿り着く! そんな諦めない心が報われる瞬間がやってきました。なんという事でしょう、あれだけ木ばかりだったのに急に視界が開け、そこには大きな池があるではありませんか。

 これぞまさしく天の助け、魔物にも適用されるのかどうか知りませんけど。まあとにかく助かりはしました。


「助かった~!」


 新人サイクロプスはもう夢中になって水に顔を突っ込みます。池の水はとても清らかで、喉を鳴らし水を飲み込むごとに活力が満ちていく、そんな気さえしました。


「ぷはあ……ん?」

「……」


 たっぷりと水を飲み、気力も回復したところでザブリと頭を上げたサイクロプス。するとその時、不思議な事が起こりました。

 水に浸かっていた顔を持ち上げた瞬間、目と目が合って一瞬時が止まります。本当に止まったわけではありません。どういう事かと言いますと、つまり目の前に人がいたのです、目の前というか池の中に。

 サイクロプスの大きな瞳に映し出されたその姿はどう見ても人間でした。それもウェーブのかかった青い髪も美しい、うら若き乙女が目の前に! 見た感じ裸で!


「うわーっ!」

「キャアー!」


 想像もしていなかった出来事に驚きの悲鳴を上げるサイクロプス。それは相手も同じだったらしく悲鳴がハーモニーを奏でます。


「申し訳ない、まさか水浴びをしている方がいるとはつゆ知らず! 決して覗いてはおりません、誓って!」

「ひゃああ、私は美味しくありませんよ! そりゃ他に比べればはるかに美味しいかもしれないけど、もしかしたら美味しすぎてむしろお腹を壊したりなんかしたりして……」

「……ん?」

「……へ?」


 再び、一瞬時が止まりました。土下座するサイクロプスと慌てふためく乙女は、ほんのちょっとだけ目と目を合わせて見つめ合った後、池の中の乙女が何かを察したようでケラケラと笑い始めます。


「あっはっは! なにそれ、サイクロプスの土下座とか初めて見た!」


 まだ土下座スタイルを崩していないサイクロプスを前に、その態度から安全を確信した乙女は態度がガラリと変わりました。


「あーびっくりした。サイクロプスなんてこの辺じゃ見ないから、てっきり私を食べに来たのかと思っちゃった」

「いえ、決してそのような事は。確かにお腹は空いていますが……」


 水だけでは空腹な事実は変わりません、またグウとお腹が鳴りました。それでも乙女はまだ笑っています。空腹なのに暴れない、品行方正なサイクロプスがツボにはまってしまったようですね。


「あっははは! ふぃー、笑った笑った。私はマーレ、あなたは?」

「これは申し遅れました。僕の名前は……えっと、実はですね……」


 名乗りたくても名乗れない、だって記憶が無いから。そんな事情をサイクロプスは説明しました。こういう時、名前というものはやはり大事なのだと痛感します。

すると、うんうんと頷きながら聞いていたマーレが何かを閃いた顔をしました。


「じゃあ私が名前を付けてあげよう! そのままじゃ呼びにくいし」

「それは助かります、ご親切にどうも」


 マーレは頬に指を当て、わざとらしく悩む素振りを見せています。でもこれ絶対悩んでるフリですよ、だって思考時間が短いし、何ならちょっとニヤついてますから。


「よし、サイクロプスのモンスターだからサイモンはどうかしら?」

「薬効のある草だから薬草くらい安直ですね」

「あんた薬草さんディスってんじゃないわよ。なら他の候補にメダマッチョとかあるんだけど」

「サイモンにしましょう、とても気に入りました、ありがとうございます」


 名も無き新人サイクロプス改めサイモンは、この話が長引くと嫌な結末を迎えそうな気がしたので話を切り上げる事にしました。その一方でマーレが今度は驚いたような顔をしています。


「あら、あの話は本当だったのね」

「どうかしましたか?」

「意見を通したいときは絶対嫌がるであろう条件と二択にして迫ると良いって聞いてたから」

「そんなにサイモンにしたかったのですか?」


 そう言われると複雑な思いですが、サイモンという名を気に入ったのは事実でした。もしかしたら忘れてしまっている本当の名前と似ているのかもしれませんね。


「私、思うのよね。ギャップ萌えってあるじゃない、あれって常に正しいとは限らないと思うワケよ」


 サイモンが新たなる名前を噛みしめていると、なにやら急にマーレが語り始めました。


「あるじゃない、と言われても僕にはよくわかりませんが」

「それよそれ、進行形でやってんじゃないの。サイクロプスが知的で温厚とかどの層狙ってんのよ!」

「見た目はともかくとして、根が真面目なものですから」

「まあそれは置いといて、名前の話ね。私みたいな美少女がゴンザレスとかゴツい名前でしたー、でかわいいと思える? そこいくと見た目がゴツいやつはいいわよね、サイモンでもメダマッチョでもしっくりくるんだから。その点では美少女はマッチョに劣るというわけね」

「僕が可憐な女性名でも違和感あると思いますけど、キャサリンとかマーガレットとか」

「マーガ劣等というわけか」

「急にダジャレきた……ギャップの話はどこに行ったのでしょうか」


 不毛な会話が唐突に始まり唐突に終わるこの感じ、何なんでしょうね。


「ところで、呼び名を決めていただきありがたいのですが、その……そろそろ上がって服を着ていただけないでしょうか。いつまでも水の中では体を冷やしてしまいますし」


 互いの名前も分かったところで、マーレの問題は解決しましたがサイモンにとっての問題はまだ解決していません。そう、マーレはいまだ裸なのですよ。

 人と話す時は目を見て話すべきだと思ってはいてもこの状況、どうしても顔を背けながら話してしまいます。幸いというべきか、体全体は水面や岩で隠れていたり、危険な胸の先端は長い髪で隠れているものの、サイモンにとっては同じ事でした。


「服?」

「服です」

「あー、そういう事。大丈夫よ、私人魚だもの、ほら」


 そう言うと、マーレはいきなりザブンと波を立てながら岸へと飛び出してきました。

 彼女の言う通り、その下半身には魚のような鱗が……ありません、普通に足があります。これでは何の解決にもなっていませんね、サイモンの目は大きく視力が良いだけにやり場に困っています。


「ちょっとマーレさん!?」

「ほら、ここここ、ちゃんと見てよ」

「見てよと言われましても……」


 仕方がないので、顔を手で覆いながら危険な部分を見ないよう慎重に視線を動かします。

 それでマーレの示す場所、足首から先を見てみると……なるほど、鱗がありました。足ヒレのついた長靴みたいになっています。


「ほら、私ってちょっと他にないくらいの美少女でしょ? でも見ての通り魚要素が少ないから、妬んでる他の子にイジられたら嫌じゃん。それでこんな池にひとり暮らしってワケなのよ。あー、ツラいわー」

「特に聞いていませんがそうなのですか。それより何か着てください」

「人魚族には服とかそういう習慣がないもんで」

「ではせめて水の中に戻ってください」

「しょーがないなあ」


 ようやくマーレは水の中に戻ってくれました、さも面倒くさそうに。それにしても人魚だったとは驚きです、魚要素があれだけ少ないのですから、多少生臭い気がする以外は気付かなくても仕方がないですね。どうりで周囲に服が置かれていないハズですよ。

 とりあえずまた水に入ってくれたので、サイモンもようやく少しは正面を見る事ができます。安心したらまたお腹が鳴りました、そういえば空腹だったのです。


「おや? サイモンくん、お腹減ってるんだっけ」

「ええ、まあ。心苦しいのですが何か施していただけると助かります。今は何も出せるものはありませんが、お礼はいずれ必ずさせていただきます」


 ここまで自力で見つけられなかった以上、背に腹は代えられません。時には他者を頼る事も大切なのです、ここはひとつ頼ってみるとしましょうか。

 すると、マーレが少しだけニヤリと笑ったような気がしました。

 嫌な予感がします。サイモンはマーレを頼るような発言をした事を、心のどこかで少しだけ後悔しました。


「困ってると言えば、私もちょっと困ったことになってるんだぁ。サイモンならきっと解決できるから、助けてくれないかなー?」


 ほら来た、マーレが急にかわい子ぶってきました。

 しかしお堅いサイモンには通用しません、さっきまでの態度を知っていればなおさらです。でもまあ、お人好しですから助けちゃうんでしょうね。


「お困りならば協力は惜しみません、と言いたいところですが空腹で力が入らないのです。……助けになるでしょうか」

「つべこべ言わない! さっき私のハダカ見たでしょ、慰謝料だと思えば安いものよ」

「服を着る習慣がないって言ってたのに」


 水を飲みに来ただけで、なんだか変な子に捕まってしまったサイモン。裸族にこんな事で怒られたのは彼くらいのものでしょう。

 しかし困っている者を見捨てるわけにもいかないので、ここはマーレの頼みごとを引き受ける事にしました。ただ、引き受けるかどうかを先に聞いて内容を言わないのはどうかと思いますがね。

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