サイクロプスになる前が思い出せませんが困った事があれば言ってください

ダイナマ

第一章 ワケありサイクロプス

第1話

 人の立ち入らぬ恐ろしい場所というものは、いつの時代も存在するもの。その理由は様々ありますが、ここはどういった場所なのでしょうね。

 ほら、ちょうどそこの冷たい床の上で冷たくなろうとしている人がいますよ。その男の魂は、今まさに深く暗い闇の中へと沈んでいこうとしていました。


(どうなりたい?)


 何も見えず、指一本動かせない男に呼びかける声。沈みゆく男は最後の力を振り絞り、呼びかける声へと答えます。


「強く……力が……欲しい……」


 その一言で男は全ての力を使い果たしてしまったのでしょう、その後はもはや何の動きも見せません。

 哀れなるかな、ただただ底なしの奈落へと消えてゆくのを待つばかり。そのままであるならば、ですけどね。


(お望みのままに)


 しかし男の願いは了承されました。

ああ何という幸運でしょう。男の魂は朽ちゆく肉体から解放され、永遠の闇から抜け出す事に成功したのです!

 さて、これからこの幸運な男はどうなるのでしょう。ふふ、面白ければ良いのですがね。


*****


「はっ!?」


 ある朝、鳥のさえずりに呼び起こされ、男はひとり目を覚まします。顔色が真っ青で汗もびっしょり、優雅な目覚ましだったというのに目覚めのほうはかなり悪かったようですね。


「夢……か。いたた、なんだか体が痛い」


 目覚めの悪さの原因には体の痛みもあるようです。それもそのはず、男が寝ていたのはどこかの廃墟の石畳、寝心地など柔らかなベッドとは比べるまでもありません。

 どうやら男は自分がなぜこんな所で寝ているのか状況が飲み込めていない様子です。ついでに、状況を確認しようとしたところで大変な事に気付きました。


「あれ……何やってたんだっけ? というか、僕は……誰?」


 なんとこの男、記憶を失っているではありませんか。それも自分の名前すら。


「あわわ、な、何がどうなってるんだ!?」


 男は慌てて周囲を調べます、何か自分に関する手掛かりを求めて。しかしそこは石造りの壁すら半壊しているような廃墟、いくら探しても何かが見つかるわけもありませんでした。

 あ、いや、そうでもなかったようです。男はふと、大きなカーテンに目を付けました。多少破れてはいますが、周囲の状況を見ればこれだけ残っているのは奇跡と言えるでしょう。

 とすれば、この裏に何か無事なものがあるかもしれません。さっそく男はカーテンを掴むと勢いよく開きました。すると――


「ぎ、ギャー! 出たあ!」


 なんという事でしょう。勢いよく開いたカーテンの向こう側には窓があり、その窓から大きな一つ目の怪物がこちらを見ているではありませんか。もちろんただの絵などというつまらないオチではありません、その証拠に怪物は頭を抱えてあたふたとうろたえているのですから。


「ぼ、ぼ、暴力はいけません! ここは穏便に話を……あれ?」


 しばらく慌てまくった後、なんともいえない違和感で男は落ち着きを取り戻しました。なんせ怪物はうろたえるばかりで全く襲ってくる気配がないのですからね。

というか、その動きに違和感を覚えるのも当然といえば当然です。


「これ、鏡か」


 そう、窓だと思っていたものは大きな姿見の鏡だったのです。いやいや、絵とたいして変わらないオチでしたね。でも男にとっては「なーんだ」でホッとできない理由がありました。


「鏡ってことは……こ、これ僕!?」


 男はだんだんと状況がわかってきたようです。そういえばさっきから目線が妙に高い事にも気付きました。身長でいえば軽く三メートル以上はあるでしょうか、かなりでかいです。

 体つきもムキムキで逞しいったらありません、それでいて皮膚もゴツゴツと岩のように頑強なのだから物理に関しては言う事なしでしょう。


 もうおわかりですね、男はどこからどう見ても屈強な単眼巨人サイクロプスでした。でもこの動揺っぷりはどうした事か、これではまるで自分はサイクロプスではなかったとでも言わんばかりですよ。

 ここで、男はさっきの悪夢を思い出しました。記憶はなくともそういう事は思い出せるようで、夢の内容がだんだんとハッキリしてきました。

 謎の声、例えるなら女神のような人物に「どうなりたい」と聞かれ、「力が欲しい」と答えた。あれは本当に夢だったのか、実は現実に起こった事なのか、それはこの現状が答えなのでしょう。


「力って……そういう事じゃなくない!?」


 なくない――なくない――。巨人の叫びが空しくこだまします。

 まあ気持ちはわかりますね。こういう時は凄い能力とかを与えられるものでしょうに、これほど種族単位で物理全振りに来るとは思いもしませんよ。

 それから彼にはどうにも『自分はサイクロプスではなかったはず』という確信的なものがあるようです。考えてもわかる事ではないのですけど。


「ううん、これからどうしたらいいんだ……」


 崩れた壁から見える外の景色はどこまでも続く深い森、人の気配なんか全くありません。

 記憶もなく、ここがどこかもわからないまま放置プレイの真っ最中。こんな姿ですから人に会ったら会ったで騒ぎになる事は必至、どっちにしろ詰んでます。途方に暮れるのも仕方がないというものです。

 ですが男は諦めませんでした。しばらくは廃墟の中で三角座りして佇んでいたものの、意を決したようにスッと立ち上がります。サイクロプスの三角座りはどこかかわいくて珍しいですね。


「そうだ、あの女神様!」


 あの女神様とはもちろん、夢で見たあの女神様です。おそらく人間であった男をサイクロプスに変えた張本人だと思われるあの女神みたいな人です。と、少なくとも男はそう思っているようですね。

 ついでにその女神様(仮)の顔も声もはっきりと思い出せるみたいです。


「あの人を探して元に戻してもらおう。元の、人間の姿に!」


 立ち上がった男は、さっきのカーテンを取って体に巻き付けました。

 転生の際のサービスで腰巻だけは身に着けていましたが、どうにも彼は裸では落ち着かないようです。筋肉があると見せびらかすために薄着になりがちな男性も多いようですけど、この男にはそういった趣向はないのですね。

 巻き付けたカーテンはちょっとボロかったものの、三メートル強ある骨太な体にはちょうどいいマントでした。いい布を使っているのでホコリっぽい以外は問題ありません。

 さあて、そうと決まればいつまでもこんな廃墟にはいられません。男はちょっとだけ慣れない様子で、その丸太のような足をズシンズシンと踏み出しました。


「でもせっかく願いを叶えてもらったのに、元に戻して欲しいっていうのは失礼かなあ。何かお土産でも持っていったほうがいいかもしれない」


 悩めるサイクロプス、でもちょっとズレてます。目の前にあるのは巨大な廃墟と深い森、女神を見つけるどころかどこへ行ったらいいのかもわからないこの状況で菓子折りの心配なんかしてますよ。きっとかなりのお人好しです。


「よし、まずは――」


 グゥゥゥ


 気合を入れようとしたところでお腹が鳴りました。考えてみればいつから寝ていたのかわかりませんからね、のん気なものだと呆れるのはかわいそうというものです。


「……何か食べられるものを探そう」


 こうして、訳ありサイクロプスの旅は朝食探しから始まったのでした。

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