B-4 白い世界の営み

  晩秋には雪が降り積もる国、カリア王国。

 晩秋に雷を伴う強風と、初めての白い破片を、それぞれ森と大地が受け止める。

 そこが永い冬の入り口と人々は受け止めていた。

 いつもと同じ、灰色の季節、そうなる運命は、突如裏切られた。

 灰色の空に映える新緑の緑が現れ、そして王国を染め上げて行った。

 染め上げた中心にいたカミユは、空模様を自分の感情に移してしまっていた。

「かあ……さん…… ナーガ……」

 母の名をつぶやくと、ふと心が熱くなる。母親のぬくもりを思い出しているのだろうか、それとも、知らぬ感覚に戸惑っているのか、あの日のセテの記憶とアーティファクトの映像が、ここ数日頭の中から離れないでいた。

まだ、ぼやけたままの映像。だが見たことが、自分の記憶の中に残っている。

「カミユ……」

 そばにいたエリスにようやくカミユは気が付いた。

「エリス、俺に母さんがいたんだ」

 エリスはコクンとうなずいた。

「よかった……、え、カミユ? なぜそんな顔をしてるの?」

 自分の表情がどんな表情か、エリスの言葉でようやく思い至った。

「あ、うん、ちょっとね。俺の、俺にとって、テオとミオが一番近くの家族で、おやじは、その、おやじだから。なんていうか、そのほかに、家族がいたって、母親ってところまで、頭が回ってないんだと思う」

 わずかにエリスが顔を曇らせた。カミユはすぐにそれが何かを察していた。

「エリス、ごめん、エリスも俺と同じだったんだ、ごめん、俺だけ母さんがいたってわかって、喜んで、とまどっ」

 口をエリスの人差し指で封じ込められて、カミユは言葉をつづけられなかった。

「カミユが喜ぶのもわかります、それでなぜ私に謝るんですか? 私もうれしいのに……」

 カミユは思わず首をかしげてしまった。

「え? どうゆうこと?」

「カミユにとってうれしいことだったら、私にとってもうれしいことなんです」

「でも、だって、エリスも親の記憶がなくてさみしいでしょ?」

 首を振ってエリスは答えた。

「さみしくなんてありません。カミユがいるから……」

 エリスはカミユの胸にしなだれかかって、微笑んでいた。

 支える少年はというと、真っ赤な顔で立ち尽くすのみであった。


 カリア王国を案内されることになった朝、珍しく晴天に恵まれどこまでも透き通るような高い蒼空が、カミユ達を包んでいた。

「さ、さむぅ~~」

カミユは足をじたばたさせながら少しでもあったまりたいと、全力で叫んだ。

 マリスがくすっと微笑んで目を閉じる。

エラ・リア・ラ・ラル・ア・リマスタ。我らが主の導きをここに、汝が子らに安らぎの空気を授けたまえ……

 マリスが詠唱を終えるとともに、全員の体が薄い光に包まれた。

「あ? え? 寒く……ない!? どうゆう、なにしたのマリス? 今の魔法?」

「神聖魔法ですね、自然との調和、たしか、シノプ・エクセル・ナトゥーアという神聖基礎の一つかと」

「テオさん、ご正解です。博識でいらっしゃいますのね~」

 マリスが体の前で手を合わせながらはしゃぐ。

「あ、神聖魔法なのか、初めて見た~~。古文書では見たことあったんだけどな~」

 精霊魔法においては、詠唱とともに魔法陣を描くことが必須であり、魔法陣を経由して、精霊に干渉しうる力場が発生する。だが、神聖魔法はその魔法陣がなく、詠唱(言霊)のみで発動が可能となっている、代わりに、神聖魔法の発動時には、トランス状態を伴う精神集中が必要であり、神聖魔法の使い手は常時、トランス状態の身を守るために、護衛の神官騎士を伴うのが常であった。

 だが、マリスには神官戦士がついていない。それは、神官戦士を伴う必要がないほどの短時間での集中と詠唱の早さゆえの所業であった。

「マリスは神官戦士無しで、神聖魔法を使うの、怖くない?」

 無防備な詠唱を目の当たりにして、ミオが率直な意見を伝える。

「子供のころから、ずっとこのようにしてまいりました。」

はにかんだマリスが答えながら一瞬だけ、ラスタに視線を向けた。

「私の騎士は一人だけ、と心に決めておりますの!」

 一人の男の頭が沸騰し、そして、沈黙した。ただ、その過程は誰にも気が付かれなかった。北国の姫君一人を除いて、誰にも…… ただ一つの笑顔だけがそれを認めていた。

 突如、寒風が吹きすさぶ。

「うぅ、マリスの魔法でも、完全には防げないのか……」

「いえ、これはっ!」

 マリスが空を見上げる。直後、テオが何かを感じ取る。

「何かきます! 全員、戦闘態勢を!!!」

 ラスタとカミユがほぼ、同時に剣を抜く。ミオがエストックを抜きつつ、手で、エリスとマリスを後方に誘導する。

 と、同時に、城からセテを先頭に戦士団が飛び出してきた。

「姫様!急ぎ中に!」

 戦士長のドルクが姫の手をつかもうとし、そして、その手を払われた。

「私の守りは不要です。みな!敵に集中して!」

 戦士団が目を見張るが、その眼をマリスが柔らかく見つめ返し、力強い意志を伝えた!

リ・リ・クルス・エ・マトリア 我らが子らに、勇ましき祝福を!

 戦士団とカミユ達は、うっすらと、だが力強い薄い光の衣に包まれた。

「これは?」

 テオが疑問をつぶやく

「戦神の加護、戦いのための力ですわ!」

 マリスの力強い言葉があたりに響く。

 戦士団に遅れて到着したセテが告げる。

「氷狼がきます。みなさんは城内に避難を!」

 一秒ほどの沈黙の後、カミユとミネルバが振り向かずに、言い切った。

「戦闘態勢!」

「われを見くびるのか? お前は……」

 ミネルバの感情を押し殺した声が後に続いた。

「ミネルバ、俺は神龍なんだろ、俺でもやれるだろ?」

 セテは失念していた。数日の間、客人として接するあまり、この二人が同族と上位族であることを完全に忘れ去ってしまっていた。

 恭しく首を下げる。

「失礼いたしました。カミユ様、ミネルバ。ほかの方への退避勧告は必要でしょうか?」

「不要!!!」

 カミユ、ミネルバ、ラスタ、ミオが同時に言い放つ。

「戦力が足りているなら、休みたいところなんですがねぇ、、、」

 絶妙に緊張を緩和させるテオ。いや、少々緩和させすぎた言葉だったようだ。

「テオ、怒るわよ!?」

 テオは背筋を伸ばして答えた。

「敵、かなりの速度で近づいています。接敵まであと10秒ほど。迎え撃ちましょう」

「了解」

「みんな、そのあと30秒時間を稼いでおいて」

「??? 了解」

 異口同音にラスタとミネルバから答えがあった。

「テオ、カミユをお願いね。また無茶するつもりだから」

 ミオのセリフが消える前に、前方からの見えない圧力を感知したミネルバが雪の積もった地面を蹴り、半瞬遅れてラスタが続きながら剣を薙ぐ。

 ミネルバはハルバードを縦に振った。その矛先が異常なほど重い。

 それでもミネルバはハルバードを振り切って、矛先を大地に突き刺した。

 反応は半瞬遅れてやってきた。

ミネルバの肩幅をかすめるように、強烈な冷気が吹きすさぶ。

 ミネルバのハルバードで、その先端を切り裂かれた冷気が、城壁にぶち当たり、城壁の雪を圧縮し、氷へと変貌させた。

 そして白銀に輝く体長10mにも及ぶ巨大な狼が目の前に存在していた。

 畏怖の対象に足りうる存在。

 だが、目の前にいる者たちは動じてはいなかった。

 視線を氷狼に向けたまま、ミネルバがマリスに尋ねる。

「戦神の加護とは我ら竜人族にも及ぶのか?」

「はい。等しく命あるものに加護が与えられます」

 ミネルバは首を縦に振って、つぶやいた。

「負ける気がしないな」

 言葉と同時に、雪面を蹴り上げ氷狼の顔面にハルバードをたたきつける。

 否、ハルバードの刃先が氷狼に触れる寸前で氷狼の姿が揺らぎ、そして消える。

「右!」

 声に反応して右側に盾を構えたラスタ。ミオは風の守りを右に集中させる。

 ミネルバはまだ空中にいた。そこに強烈な先ほどと同等の冷気が襲い掛かる。

 冷気の嵐に吹き飛ばされそうになったミネルバが突然全身を殴られるような衝撃を受けて吹き飛ぶ。その効果で冷気の範囲から体が弾き飛ばされた。

「すみません、これ以外の方法が思いつかなくて……」

 城とは逆の方向から力を受け、ミネルバはマリスの体に受け止められていた。

「今のは? いや疑問は後にしよう。感謝する!」

 痛みを振り払って、ミネルバは敵たる狼を探す。

 そして、意外なほどの距離をつかみ取った。

「いつの間にあそこまでの距離を!」

「行くしかないだろ!」

 ラスタが方向とともに雪の大地を蹴って、氷狼につっこむ。

 ふと、風がラスタの頬を撫でる。それに一瞬気取られた。

 疑問を頭から振り払い、氷狼に意識を集中させた。その瞬間……

 声が後ろから聞こえてきた。

「ライネ!」

 声に振り返る、その視界を影が過ぎ去った。

 ミネルバはその影を認めそちらに目を向け、ラスタはカミユがいるはずの後方に目をやり、そして目的を果たせなかった。

 ミネルバが目を氷狼に向けた、その瞬間に、すでに剣閃は氷狼を10を超えるほど切り裂いていた。

「みんな、今のうちに追撃を、ごふっ」氷狼に剣撃を浴びせ、最後の一瞬で後退して戦陣に舞い戻ったカミユが血を吐きながら声を上げた。

ミネルバ、ガルフ、ミオ、テオの4人は、一瞬の間を持って氷狼に斬撃を見舞う。そして、最後にラスタが止めを、氷狼の体に突き刺した。そして、氷狼の体は、ゆっくりと大地にひれ伏した。

 砦が一瞬静まり返り、そのあとはじけた。数秒ののち、カリアの城塞内部が沸き上がった。感謝の言葉や威勢の良い叫び声が、町全体を揺らした。

「フェンリルが死んだ、か…」

「お父様…」

 歩み寄ってきたカリア王に、マリスが声をかける。

「これで冬の死者がずいぶん減ることだろう、皆の者ご苦労だった。」

蒼穹から白い破片が舞い降り始めていた。

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