第26話 眠り
マルセイユの騒動から、丸二日が経過していた。日が天頂近くに座す時間帯に、帝都に大きな影が、その存在感を示しながら降り立った。
その影の主である戦艦ガレリアが、ゆっくりと港につなぎとめられ、下部のハッチが開いて高級将校の一団が降りてきた。そしてそれを迎える高級文官達が駆け寄る。
「殿下! おかえりなさいませ!」
知性の感じられる整った顔立ちの女性が、わずかにほほ笑んで自分の仕える主人を迎えた。
「ああ、トラシア、すまんな。色々手配を頼んで、助かった」
マルセイユの復興のための人材、物資の類は、帝都で行動していたトラシアがすべて寝ずに手配し、ほぼ完ぺきに主の要望にこたえていた。
「いえ、殿下、この程度でへこたれるほどやわではございませんわ」
そう微笑むトラシアではあったが、疲れは隠しきれずラスタに見破られた。
「トラシア、下がって休め。少なくとも目の下のくまが消えるまでな」
言葉はぞんざいだったが、トラシアから顔をそむけて言葉を放ったラスタからは優しさが感じられた。
「ありがとうございます。お言葉に甘えまして休ませていただきますわ」
自室へと足を向けて、そして、
「殿下の目の下のくまも、次拝見した時には消しておいてくださいませ」
唐突なトラシアの言葉に対して、ラスタは苦笑しながら手を振ってこたえた。
トラシアへの対応に反して、ラスタは王宮の救護室に横たわる、カミユのそばに来ていた。
「まだ、目を覚ましていないのか……」
エリスはずっとカミユの手を握り、ミオは顔を覗き込んでいるだけだった。テオがわずかにうなずくのみであった。
「あれから三日も経つのに……」
それから一昼夜が過ぎた後の臨時帝国議会。横幅に恵まれた男が声高に叫んでいた。
「あれほどの強力な、魔神すら一撃で葬る力など、この世に存在することすら許されない! 何のために存在するのか? 我々帝国の敵に回れば、帝国は滅ぶ以外の道はない! 魔神以上の脅威は今すぐ排除すべきです!」
声の主は、軍務大臣、カティッサ子爵。何が詰まっているのかわからない肥大した体を豪快に揺さぶりながら、その姿に似つかわしくない甲高い声を上げる。
その言葉に何人かの帝国議員がうなずく。それはすべて大公派の貴族たちだった。
怒り。その感情に支配されたラスタが、座席を蹴り飛ばして反論しようとしたが、わきからラキアスに肩を力強く抑えられた。
咳払いが聞こえ、その音をたどると、帝国議会の議長たる皇帝クラドスが軍務大臣をにらみつけていた。
「ふむ、ならば、そなたを向かわせればよかったの、打倒魔神の指揮官として。人の身で勝てたかどうかは不明じゃがな……」
皇帝の言葉を受けた男は、勢いよく回答しようと考えて席を立とうとしたが、横から肩を押さえつけられた。
「無理でしょうな。魔神と龍の争い、しかも龍が二匹でようやく勝てた相手。人間ごときが立ち向かえるとも思えぬ」
大公と呼ばれる男は潔く、弟たる皇帝の言葉を認めた。しかし、
「だが、魔神を倒した龍は、まだ年端もない少年。本当にこの帝国に味方してくれるか、誰が保証できるのだ?」
「あれは、我が子、帝都に仇なすものではないことを、私が、我が名とこの命で保障しよう!」
ラキアスは、力強く、魂を込めて言葉を放った。
大公は反論しなかった。ただ表情が苦々しく浮かび、そして、わずかにほくそ笑んだような気がした。
「意見は出尽くした。あの龍に対する攻撃も心配も無用。今後一切の手出しおよび議題とすることを禁ずる。反対のものは挙手せよ!」
一つの手も挙げられることはなく、帝国議会は終了した。
帝都郊外に位置するラスタの別邸
「カミユはまだ?」
帝国議会の招集を終えたラスタが、エリスとミオに尋ねる。
「まだよ。いつもみたいに眠っているのと同じなんだけど……」
エリスは無言でカミユの手を握っていた。
「あれから三日か…… ミネルバお前の意見は?」
議会の間も、心ここに非ずといった感のミネルバは、主たる発言者に返す。
「神龍の時は無限です。数日の眠りはそれほど驚くことではありません」
声はいつもと同じ、だが、顔は、真に主たる主を気遣う表情に支配されていた。
「ラスタ、帝国議会はどうだったのですか?」
緊急招集の帝国議会の内容が気になってテオが確認する。
「あまりいい内容ではない。ミオやテオに聞かせたくはないが、帝国軍部は今回の後手に回ったため、魔神を倒した銀の龍に狙いを定めている。議員の危機感をあおるような形で」
いきなり部屋の中が殺気立った。それもそのはず、帝国近衛団長と第一軍団長の二人が、本気で武器を抜いていた。
「守られた身でありながら! 恩を感じる心までなくしたか!」
「自分たちができないことを、こいつは成し遂げたんだ! 何もしてないやつがぁぁ!!!」
「ガルフ! ミネルバ! 落ち着け!」
これまでに見たことが無いほど、ラスタは鋭く声を放ち、二人をけん制する。
「そんな馬鹿どもは、俺とおやじが受け持つ! お前たちはカミユを頼む」
帝国皇太子は、これまでに何度か見せた表情で、頭を下げる。
いきり立ったミネルバであったが、主の行動にあっけを取られ、そばにいたガルフも、気をそがれていた。
「ガルフ、ミネルバ、カミユのために怒ってくれてありがと。でも、それで殴り込みに行ったら、カミユも怒ると思うわ。そんなのほっとけってね」
最後の方で無理やりカミユの声マネしたミオのセリフに、一同は微笑んで、カミユの寝顔に視線を移した。
「ここに全員がこうしていても何も始まりません。私とミオは技術省に行って、ドラゴンに関する記録をあたってみます」
「技術省の方は、テオとミオに任せる。ガルフ、ミネルバ、お前たちは俺についてきてくれ、殴り込みとは言わんが、叔父と軍務大臣の動きが気になる。少し兵を動かして情報収集したい」
ガルフとミネルバはうなずいて、ラスタに続いて部屋を出て行った。
「エリス、看病はお任せします。何かあったら、精霊で知らせてください」
トラシアに案内され、技術省の書庫に案内されていたテオとミオは、目の前の膨大な古文書に圧倒されていた。
「これだけあると、さすがに、壮観ですねぇ」
「ちょっと、感心してる場合じゃないでしょ、この中から何か手がかり探さないと」
感嘆しているテオを横目にミオは一番奥の古文書から手を付けようとした。
「ミオさん、ところでカミユさんの蔵書をご覧になったことは?」
手を伸ばしたミオに、トラシアが言葉をかける。
「カミユの持ってた古文書なら、私も一通り目を通しているわ。もちろんテオもね」
トラシアは、テオのわきにある古びた本棚を指さして言葉をつづけた。
「それでしたら、ここからお調べください。そちらの新しい本棚の方はすべてカミユさんの蔵書ですの」
「そうゆうこと、なんか似てるとおもったら、カミユの持ってたやつか……」
トラシアはゆっくりと首を縦に振ったのみであった。
「そういえば、カミユはまだここには来ていないのですか?」
至極当然の疑問をテオが放つ。
「魔神の時の蔵書は禁書庫でしたので、こちらはまだですわね。そのうちご案内いたしますわ。蔵書寄贈のお返しはまだまだ不足しておりますし」
カミユからはポーション作成道具を要求されたが、蔵書一つ分の返礼にもなっていないことは、この書庫の主が一番良く知っていた。
「カミユさんの蔵書はどうやって集められたのですか? すべて遺跡からですか?」
「遺跡で本が見つかるってのはあまりないわ。これまで全部で20冊ほどかなぁ?」
ちょっと思案して答えミオはテオの顔を見た。うなずきながらテオが答える。
「そんなものでしょうね。ほとんどは古物商のオッジから入手してます」
トラシアは驚いた表情を見せた。
「オッジ殿ですか! まさか、技術省に卸さずに、カミユさんに卸していたとは……」
「知ってるの?」
ミオの当然の疑問に、トラシアは複雑な表情で答えた。
「ある意味、天敵ですわね。悪い関係ではありませんが、競売などでは、ほとんど必ず競争相手になりますし、どこで仕入れてきたのか、高度な魔法の品を持ち込んでくれることもあったり、と、持ちつ持たれつな関係ですわ」
「へ~、それは知らなかった」
驚いた表情を浮かべるミオに対して、何となく気になったテオが質問する。
「トラシアさんは、直接会う前に、オッジからカミユのことを聞いたことはありますか?」
トラシアは、その言葉の意味が分からず問いかけた。
「オッジ殿からカミユさんのことを? いえお聞きしたことはありませんが、どのようなご関係が?」
「カミユは捨て子だったのですよ。拾ったのはオッジです」
悲鳴のような驚きをあげるトラシア。
「捨て子! てっきりラキアス卿の実子だとばかり思っておりました。ラキアス卿はことあるごとに、カミユさんの話をうれしそうに話しておりましたので」
ラキアス卿のうれしそうな表情がいくつも記憶の中に思い浮かぶ。それほどよく目にしていた光景だったため、テオの言葉を信じ切れずにいた。
「オッジがアリアの町の近くに現れて、それを見つけたのがラキアス卿よ。そして託された赤子がカミユなの。私もその場にいたから、覚えてるわ。私が抱いたら笑った気がして、私が育てるっていったのを、ラキアス卿が引き取る! って、奪い合いになりそうだったから」
「奪い合いになったのですか?」
興味津々にトラシアは話を促す。首を横に振ってミオが続けた。
「ううん。すぐに引き下がったわ。昔の話になるけど、ラキアス卿には本当は実子が生まれていたの。でも、生まれた時にすごく弱っていて、テオの薬も効かずに、生まれて3日ほどで…… 生まれた瞬間の表情と、カミユを見た時の表情がほんとにかぶってしまうくらい同じで……」
ミオはその時を思い出すように、たどる必要もないほどの記憶を言葉にした。
「カミユも、ラキアス卿になついていましたしね。小さいときはおとなしかったのですよ」
「そうそう、私が抱っこしたりしても泣かないし、素直だったし……」
テオとミオがうれしそうに話す表情を見て、このお二人とも親子なのですわね。心の中でつぶやいた。
「それにしても、本当に、なんであんな風に育っちゃったのかしら……」
(あなたのせいです)(ミオさんの育て方ですわ)
二人とも声には出さなかった……
帝国執務室に到達した3人は応接椅子に腰を沈めた。
「で、俺はどうすればいいんだ?」
偉丈夫な戦士が口火を切った。
「まずは情報だな、ガルフのところはいいとして、2軍、3軍の動きを知りたい」
ラスタは率直に聞いた。赤い騎士がそこに追加する。
「暗部の方はどうなさるおつもりで?」
「そっちは、おやじの手のものに探らせている。昨日からな」
「暗部の中だけでしょうか?」
「いや、暗部と叔父と軍務大臣、怪しいところ全部網羅させている。軍務大臣のところからはさっき情報が入った。今回の帝国議会の件で軍務大臣の発言は、何の指示もされていないそうだ。ただのバカだろ。あれは……」
「油断はなりませんよ、殿下」
ミネルバの言葉に、ラスタは首を縦に振った。その時、部屋のドアがいきなり開け放たれた。
ガルフとミネルバは即座に剣を抜き、ミネルバはラスタの前に、ガルフは侵入者に相対して、驚いた。
「陛下! 突然なにを、いえ、どうなされたのですか?」
「ラスタ、カミユはどこにおるのだ?」
「は? カミユは私の別邸で眠っておりますが……」
皇帝と呼ばれる男、クラドスは部屋の外に控えている執事に鋭く声を放つ。
「ラスタの別邸に、急ぎ兵を向けよ。何としても、カミユを守れ!」
その言葉に3人が色めき立つ。
「おやじ! 何があった!」
「グラムスの私兵と暗部が動いておる。標的はカミユじゃ」
その言葉を聞くや否や、赤い風が部屋を駆け出した。
「ミネルバ! カミユを守れ!!!」
それに続いて、ガルフとラキアスも駆け出した。
「おやじ、こっちは俺たちが、あの男は任せる!」
皇帝クラドスは覚悟を決めて首を縦に振った。
同時刻のラスタ別邸2階寝室。
「???」
疲れてカミユのわきで眠りに陥っていたエリスは、ふと目が覚めた。
自分の感覚の前に、弱い精霊の力を感じた。近くの木々に宿る、森の小妖精が踊っていた。
否! 小妖精の様子は、焦り、恐怖を伝えていた。
即座に、エリスは周囲に精霊力を張り巡らせる。その刹那。
部屋の、東と南、2方向の窓ガラスが砕ける。
窓の外の暗闇から、銀色の何かがエリスに迫る。
エリスのわきに飾られた観賞用の植木から、木のツタがエリスの周囲を回り、その銀色を阻む。わきに転がったのは投擲用のナイフだった。
敵! エリスは一瞬だけ恐怖に包まれ、そしてそれを完全に振り払った。これまで一度も感じたことのなかった感情によって。怒りと呼ばれる強く激しい感情によって。
「あなた方は何者ですか! なぜこんなことをなさるのですか!」
エリスの言葉には、驚異的な精霊力が乗せられていた。黒ずくめの人影はそれに圧倒されつつも、距離を詰める。
「それ以上近づかないで!」
エリスは、精霊力を行使しようと集中を行う。
黒づくめの一人がその隙をついて襲い掛かる。集中が解け、エリスはその黒い影を目で追う。その黒は自分の少し離れたところに突進していた。
その先には、自分の命よりも大切な存在があった。
黒い影が少しだけ宙に舞い、腕だけが見えないほど素早く振り下ろされた。
だが、エリスの目にはその動きがゆっくりに感じられた。だが自分の体も、手も、それ以上にゆっくりとしか動かせず、目だけがその光景のすべてを追いかけるのみであった。
その手はカミユの胸に押し当てられ、その手の先の銀色は、カミユの胸にゆっくり吸い込まれていく。
エリスはその銀色のわきからあふれ出す赤い液体、血を見て、半狂乱に陥った。
「カミユ! カミユ! カミユ! カミユ!!!」
部屋、屋敷、いや、敷地内の地面を含めたすべてが振動を始めた。
ラスタ別宅の周囲にある木々が一斉に揺らぎ、そして別宅の二階に枝、つた、木の葉を向かわせる。
黒い影の一人がそのつたに手を取られ、夜のとばりに吸い込まれると同時に、木の枝にその胸を枝で貫かれ、瞬間で絶命する。
悲鳴が木霊する、その悲鳴を聞いた瞬間に、自分も同じ悲鳴をあげた黒い影は一人ではなかった。
闇の中、木の枝で空中に引き上げられながら串刺しにされる男。木のツタに手足をもぎ取られ、悲鳴をあげながら首を引きちぎられる者。
ミネルバ、そして、直前で精霊から危機を伝えられたミオとテオが別邸の林前で合流した。
直後、阿鼻叫喚の悲鳴が屋敷から聞こえ、ミネルバが駆け出す。それをミオが体で止める。
「止めるな!」
「精霊が怒りに狂ってるわ。テオ、なんとか伝えて! 私たちは敵じゃないって」
テオはその言葉を聞いてはいなかった。すでに、完全なトランスで、周囲の大地の精霊に、全力で助力を頼む。
「通じた! ミネルバさん、行ってください。私たちも続きます!」
ミオが手を緩め、それまで引き絞られていた弓が放たれる。屋敷までは50mほどあったが、ミネルバは、ほんの数歩で、最速にいたり、近くの木の幹を蹴って主の眠る部屋に体ごと突き刺さる。
そこで目にしたのは、胸にナイフを突き刺された少年と、その体に泣きすがるエルフの女であった
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます