第25話 夕暮れ

マルセイユ近郊の空。夕暮れ近くになりつつある空が一瞬光に包まれた後、町の炎に再度照らされていた。

「なにがどうなった。観測! 報告を!」

 巨大な戦艦の中で初老の男が吼えた。

「魔神が海に飛ばされたところまでは確認しています。ただ、その後光に包まれて……」

「魔神を見失いました。目視確認および魔力探査ともに反応ありません」

 艦長ラキアスは、床を踏みならした。

「再度、全空を、全地上を探索! 魔神がどうなったか突き止めよ!」


 一瞬視界が上下にぶれた。

「終わったよ。おやじ。悪い、甲板で休ませて……」

 辺りに声が響き渡った。そして、船の揺れが収まった。

声を聞いたラキアスは、甲板へと走った。

一瞬の銀の光に目がくらむが、次に目を開けると、目の前にカミユが立っていた。

「カミユ! 大丈夫か!」

 走って駆け寄る。その腕の中にカミユが倒れこんできた。

「おい、おい! カミユ、どうした、どこか怪我したのか!」

 腕の中の血のつながらない我が子は、力なく腕に抱かれていた。

 そこに大きな深紅の龍がたどりついた。

「あ…… ミネルバ、ミネルバなのか?」

 深紅の龍がうなずき、そして、初老の男の腕の中の少年を見つめて、体をひるがえして近くに迫っていた、ファルコンウイングへと向かう。

 深紅の龍がファルコンウイングの甲板に出てきたエリスに手を差し出した。

「ミネルバさん? どうしたんですか?」

「カミユ様が、危ないのです。このままではおそらく、もたない……」

 一瞬意味がわからなかった。意味を理解してエリスが恐怖した。

「カミユ、カミユが! どうしたら」

「つかまってください。エリス様の力が必要なのです!」

 ミネルバの言葉が終るより先に、エリスはミネルバの手の上で乗って先をせかした。

「早く!」

 優しく、だが、迅速に、ミネルバはガレリアの甲板へと移動し、エリスを甲板におろした。

 エリスは半狂乱になってカミユに駆け寄る。

「エリス、カミユが、カミユはどうなったんじゃ! わしはどうすればいい? なんとかしてくれ!」

「ラキアス卿! 落ち付いてカミユ様を寝かせてください!」

 声の方を向くと、赤い甲冑に包まれたミネルバがたたずんでいた。

 だがその姿はあちこちから血をながし、左腕は明らかに折れていることが分かるほど、異様なねじれ方をしていた。

「ミネルバお前も……」

「今は私のことより、カミユ様を! やはり、まだ竜玉を受け入れるのは早かった……」

 ミネルバの後悔に近い言葉を聞いて、ラキアスは怒りや心配が混ぜ合わさったように、声を絞り出した。

「無理だとわかっておって、なぜ! い、いや、今はカミユを、治せるのか? どうすればいいんじゃ!」

「ミネルバさん、教えてください。私にできることを! そのために連れてきたんですよね?」

 ミネルバうなずいて、動く右手でエリスの左手を取って、カミユの胸に手をあてさせた。

「エリス様、カミユ様の竜玉。銀の宝玉を覚えていらっしゃいますか?」

 ミネルバの問いかけに、エリスは即座にうなずく。

「その宝玉がカミユ様の体の中に入り込んでいます。それを取り出す必要があります」

 エリスはうなずくが方法がわからない。次の言葉を待つ余裕はなかったが、その必要もなかった。

「カミユ様の胸に手を当てて、あの宝玉が自分の手の中にあると想像してください。あれはカミユ様の半身。エリス様とともにある存在でもあります……」

 エリスはミネルバの言葉に忠実にしたがった。


 カミユが龍に覚醒する時と同じように、胸の前で、自分の胸に左手をあて、カミユの胸に右手を当てる。

 カミユの胸とエリスの胸からわずかに銀の光があふれ初め、徐々に強くなる。

 それがガレリアの甲板を染め上げた時、唐突に光が消える。そしてエリスの手の中に銀の宝玉が収まっていた。

 エリスは戸惑って、ミネルバを見る。

 ミネルバは、安心したように、エリスを見つめていた。

「やはり、カミユ様が見染めたお方です。カミユ様はもう大丈夫ですよ。エリス様」

 ミネルバは安心して気を緩めてしまい、そのまま倒れこむが、それをラキアスが受け止めた。

「ラキアス卿。すまぬ。そなたにとってもカミユ様は大事な存在だった。だが、あの状況はカミユ様にしか任せられなかったのだ。いまだ覚醒しないとわかっていても……」

「ミネルバ、あまりしゃべるな。お前も相当傷ついておる。今は休め」

 ミネルバはうなずくが、それでも伝えないといけないことを、カミユの身内の二人に告げる。

「お二人にだけはお伝えしておきます。カミユ様は、竜人族ではありま……せん……」

 ミネルバの言葉を聞いた二人だったが、意味はつかめなかった。

「は? おい、ミネルバしっかりしろ! お前が竜人族といったのではないのか? それ以上に、今の状況でカミユが竜人族でないなら、いったいなんなのだ!」


 ミネルバは気を失って答えられないとラキアスは感じ取っていたが、腕の中のミネルバが、力を振り絞って、静寂を打ち破った。

「神龍…… 人と龍と魔神を統べる存在。それが、カミユ様の背負いし運命です」

「神龍?」

 ラキアスは、聞いたことがない言葉を聞いて、その意味を理解できないでいた。

 なぜか、エリスは自分の目から涙があふれていることに気がついた。

「え、あれ、私、なんで泣いているんでしょう?」

 エリスの眼からとめどなく涙があふれていた。そして、カミユの体にしがみついていた。

「エリス様も、カミユ様とともにある存在だと私は思います……」

 そう言葉を紡いだミネルバの体が重くなり、ラキアスは少しよろめいた。

「おい、ミネルバ! 気を失ったか…… 無理もない。竜人族と言えど、これだけの傷、追い込まれていたことも考えれば、感謝せねばなるまい……」

 腕の中で気を失ったミネルバを、優しく支え、そばにやってきた衛生兵にその体をゆだね、自分は我が子と、その連れ添いのそばに座り込んだ。

「カミユ。お前は…… いや、お前がなんであろうと、わしの、ラキアスの子に変わりはないわい。安心しろ!」


 気絶しているはずのカミユが笑ったような気がした。目の前の我が子はすやすやと、寝息をたて、連れ添いのエルフと穏やかに眠っているようにしか見えず、ラキアスはようやく周囲を見渡せた。


「とりあえず、わしらは生きておる。そうじゃろ?」

 そばに駆け寄ったガレリアの副官は、はい!と元気よく答え、火の消えたマルセイユと、空を赤く染めつつある太陽を見ていた。


 と、目の前にファルコンウイングが、飛び込んできたと思ったら、そこから、一人のエルフが飛び降りてきた。

「ラキアス卿。カミユはどこ!」

 ラキアスは苦笑して、自分の脇の我が子を幸せそうに見つめていた。

「おまえには何人親がいるんじゃ。この幸せもんが!」

エリスと一緒に横たわるカミユを見て、その体にすがりつくミオ。

 手首を取って脈拍を測り、安心するテオ。

 その二人の後ろに、ラスタ、ガルフ、トラシアが、安心したように立っていた。


「とりあえず、終わった。で、いいのか?」

 ラキアスはうなずいて、答えた

「ええ、おそらくは、わしの息子は、いつの間にか、大きくなっておりましたわい」

 ラキアスは破顔して答えた。ラスタには理解できなかったが、安心することだけはできた。

「まぁ、何よりだ。町の損害はかなりひどいが、復興できないほどではない。命は失われたが……」

 炎に煙る街並みを悲しげな顔で見つめる一国の王子は、胸の前で十字を切る。

 その場に居た者達は、そのしぐさに続いて、黙とうをささげる。


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