第24話 紅い空と銀色

マルセイユへとファルコンウイングは舳先を向けて、蒼と白の中を突き進んだ。

目的地が近付いて、船は徐々に高度を下げていった。

 唐突に、蒼と白に赤が加わった。

「何ぃ!」

 声をあげたラスタの眼前には、赤く染まるマルセイユの町があった。

 帝国内で5位以内に入る、大都市の、ほぼ全域が赤で包まれていた。

 煙る街の中、巨大な黒いシルエットが中央にあった。

「魔神!」

「魔神!」

 カミユとトラシアがほぼ同時に声をあげた。

 そのシルエットの周りに煙が上がる。

「ガレリア! 誰が!」

 その時、ファルコンウイングの伝声管から、乗組員以外の声が聞こえてきた

「殿下?」

 カミユにとっては聞きなれた声だった。

「おやじ?」

「カミユ! ファルコンウイングか! 少し離れろ! こいつはやばい!」

 伝声管からは、忙しく指示を出すラキアスの声が聞こえてきた。

「おやじに一人、任せてられるか!!!」

 カミユの声はほとんど怒声だった。

 そして、怒声で応じられた。

「おまえが何をできる! わしに任せておけ! おまえは引っ込んでおれ!」

「ふっざけるなぁぁぁ!!!」

 ガレリアとファルコンウイングの伝声管が、許容量を超える音を受け取って、悲鳴代わりにハウリングをおこした。

ガレリアとファルコンウイングが一瞬止まった。ちょうど、ガレリアの砲弾が黒い影に当たった瞬間だった。黒い影も、同時にひるんだように見えた。

 怒りに震え、操縦桿を両手でたたいたカミユの肩に、軽く手が載せられた。

「カミユ、私がまず行く!」

 ミネルバの言葉は誰にも理解できなかった。それでもミネルバは言葉をつづけた。

「エリス! もしかしたら、渡した宝玉を使わなければならないかもしれない…… その時は頼む。カミユ。これから後、起こることのすべてを吸収して、記憶してほしい」

 カミユは真摯なミネルバの言葉を誤解した。

「俺の前からいなくなるっていうんだったら、絶対ごめんだ!!!」

 ミネルバの真剣な表情に、カミユは本気の怒りで答えた。

 ほんのわずかにミネルバの表情が和らいだ。

「我が主の命ならば…… わが命、すべて賭けましょう」

 ミネルバは、カミユに膝まずいて、胸に手を当てて、誓う。

 そして、ファルコンウイングの甲板に足を進めた。舵をラスタに任せてカミユがその背を追い、エリスも胸の宝玉を握り締めて後に続く。


甲板の風は強く、カミユはよろめくエリスを支えていた。

「カミユ様。これから起こることを、その目に焼き付けておいてください……」

 真剣なまなざしを向けられたカミユは、それでも納得できなかった。

「死ぬんじゃないよね! ミネルバ! それだけは約束して!」

 赤髪の戦士は、優しいほほ笑みを浮かべた。カミユの記憶の中でも初めての表情だった。

「それが主の命ならば、私は喜んでお約束いたします。死ぬためにこれから事をなすわけではありません。生きるために」

 言葉づかいが既にいつものミネルバではなかった。その意味もつかめないまま、ただミネルバが本心を述べているのは伝わった。

 カミユはゆっくりとうなずいた。

「目に焼き付けると約束するよ」

 カミユのうなずきを確認して、ミネルバもうなずき返し、そして魔神へと面する。

 祈るように胸に手を当てると、甲冑の中から赤い光があふれ出してきた。その光にミネルバが飲み込まれた。その瞬間飛空艇が大きく下降し、カミユとエリスは一瞬宙に浮いて、そして今度は上昇してきたファルコンウイングの上に強めの着地を強いられた。

 衝撃に驚いたカミユではあったがエリスが心配になってエリスの方を向く。

 エリスは周囲を見渡して、そしてカミユの頭上を見て優しくほほ笑んでいた。

 カミユもエリスの視線の先を追い、そして、

「な、な、な……」

 カミユの目に入ったのは、大きな深紅の物体で、それがドラゴンの顔だと認識するためには顔を動かす必要があった。そして、ドラゴンの全身を認めた。

 これまでに、火竜と土竜には遭遇していたが、目の前の深紅のドラゴンは、桁が二つほど違っていた。全長は30mに及びそうな長大な体。しかし、恐れの対象にはならなかった。ドラゴンの目はまっすぐカミユを見つめていた、少し前の記憶にある優しい目と同じく。

「ミネルバさん! 戦うんですか?」

 唐突にエリスの声が聞こえた。そして真上のドラゴンから声が響いた。

「はい、まず私が挑みます! ただ、あの魔神は、私がこれまで遭遇した魔神よりもかなり強いと思います。カミユ様が出て来られるまでの時間稼ぎにしかならないでしょう。エリス様、カミユ様に宝玉を……」

 エリスは自分の首から胸にかかっていた宝玉を、戸惑って固まったカミユの首にかけた。

「それは竜玉です。そして、その竜玉はカミユ様のものです。私が守っておりました」

 話についていけず、おろおろとその場で戸惑うカミユ。

「カミユ様、私は、ご覧の通り竜人族です。通常は竜玉に龍の体を封印していました。」

「ミネルバ? ミネルバなの! 本当に?」

 ミネルバは人とは異なる体でうなずく。

 カミユは自分がパニックに陥っていることに気がついて、大きく深呼吸をした。

 わずかな時間目をつむる。そしてミネルバに問いかける。

「俺も竜人族なんだね? それも、もしかしたら、ミネルバよりも強力な!」

「今はそうお考えください。この戦いが終わったらすべてお話いたします」

 カミユはうなずいた。

「では、先ほど私が行ったことを思い出してください。後はカミユ様にしかできません。ですが御心配なさらず。竜人族は誰にも教わらず、本来の姿を生まれながらに知っていますから」

 ミネルバの顔がカミユの方から魔神へと向かう。魔神は少し前から深紅の龍を認めており、既に攻撃の体勢を整えて待ち構えていた。ミネルバがわずかに前に進みだした。

「ミネルバ! 死ぬな!」


 深紅の龍は振り返らなかった。ただわずかに首を縦に振った。そして風を起こしファルコンウイングを揺さぶった。カミユが足場を確認した時に、前方から轟音が聞こえてきた。

 ミネルバが大きなブレスを吐き、そして魔神はそれを片手であしらっていた。


 そばの伝声管から声が聞こえた。


「何がおこっとるんじゃ! 総員落ち付けぇ!」

「おやじ。ドラゴンはミネルバだ! 砲撃するなよ!」

「なんじゃと! あれがミネルバなのか? 竜人族じゃったのか!」

 ラキアスの驚きの声を聞いて、そしてさらに付けくわえた。

「この後、もう一体龍が出るけど、それも味方だから撃たないで。痛いのはごめんだ……」

「もう一体じゃと? おい、カミユお前、何言っとる?!」

 答えようか迷った時に、前方から大きな咆哮が聞こえてきた。


 深紅の龍が爪を魔神の体に突き立てていたが、体の表面でほぼ止まっており、魔神はそれを気にすることなく、龍を手でうち払っていた。そして、マルセイユの穀倉地帯にたたきつけられるミネルバが頭を振るって魔神を探していた。


 魔神は、背中の羽根をはばたかせて、土煙りと炎を巻き上げて中空に舞いあがった。両手の間に、不思議な黒っぽい稲妻の様な何かが形成され、そして、その手を交錯させたその瞬間に、黒い稲妻がミネルバに襲いかかる。


 ブレスで応戦しようとしていたミネルバではあったが、ブレスを吐くより稲妻に包まれる方が先だった。再度、大きな咆哮が世界を震わしていた。

 

「カミユ!」

そばにいたエリスが、カミユの袖をつかんでいた。猶予がないことを理解させられた。

「エリス、ブリッジに戻って。ミネルバのことは俺に任せて」

 優しい笑顔は作れなかった。だがエリスはブリッジに向かった。カミユの邪魔をしないように。


 ブリッジに戻ったエリスは、いきなりの質問攻めを受けることになった。

「エリス! あのドラゴンはどこから現れた! それにミネルバ、カミユはどうなった!」

「カミユは、カミユは甲板にいるの?」

「ミオ、落ち付いて!」

「ドラゴンのブレスが魔神に命中しました。ひるんでます。ですが、手傷は追っていない……」

「何がどうなってんだぁ!!!」


一同が感情を爆発させていた。エリスはカミユに倣って一度深呼吸して事実を伝える。


「あの赤いドラゴンはミネルバさんです。カミユはまだ甲板にいて、そして……」

 半瞬だけ迷った。ミオ、テオ。ほとんど親代わりの二人は驚くだろう。どうなるんだろう。でも伝えないと。

「ミネルバさんは竜人族です。そして、ミネルバさんから、カミユも竜人族だと伝えられました。カミユは今龍の姿を取り戻して、ミネルバさんを助けようとしています」

 伝えるべきことを全て一気に言葉にした。

「あれがミネルバ? カミユも竜人族?」

「カミユが竜人族、ってドラゴン? ドラゴンなの?」

テオは黙ってエリスの言葉をかみしめていた。

「竜人族! 本当に! いえ、今あそこにいるのがミネルバなのなら、それは確か……」

 ガルフは、既に考えるのを放棄していた。

「もうどうでもいい! とりあえず、ドラゴンは味方で、魔神が敵。今のところ圧倒的に不利ってことだけだろ!」

 ガルフの言葉に、一同は、ブリッジの前方のドラゴン、ミネルバを見やった。

 中空で、魔神と争いつつも、片手であしらわれるドラゴン。片手であしらう魔神。

 

エリスはミネルバと同じように胸の前で手をあわせ祈る。

カミユはミネルバと同じように胸の前で手をあわせ祈る。


 意識は、自分の胸にある銀色の石に集中していた。

 これが自分の姿。石ではなく、これが自分自身。

カミユの意識の中が突然銀色に染まる。


ガレリアのブリッジでもその光が認められた。

「なんじゃ、何が起きとる?」

「わかりません! ただ、ファルコンウイングから光が!」


 ブリッジの中も銀色の光に浸食され、全員が目をふさぐ。

 ただ、一人だけ声を発した。

「カミユ……」


 先ほどよりも大きく下降、というより、地面にたたきつけられるような衝撃を受けるファルコンウイング。一瞬で衝撃が消え。下降が優しく収まる。

 ミネルバの時は、ラスタが操縦桿をあげ、急上昇を行った。今回は、衝撃が強すぎてラスタも、操縦桿を手放して、後方に転がされてしまった。

 それでもファルコンウイングは安定していた。

 否! 安定させられていた。ファルコンウイングの下から、大きな手が船を支えていた。


「ラスタ、飛空艇はお願い。俺はミネルバを助けに行くから」


 正面のウインドウを大きな銀の目が優しく覗きこんだ。


「エリス、ミオ、テオ。行ってくるよ。ミネルバを助けて、あの魔神倒してくるから」


 ラスタは、言葉にしたがって操縦桿を握りなおしていたが、言葉を発することはできなかった。

 エリスはほほ笑んでうなずいて、そして、聞こえるかどうかわからない言葉を紡いだ。

「いってらっしゃい」

 目の前の銀の目が閉じ、そして遠ざかる。

 明らかに、深紅の龍よりも大きな力が飛空艇の内部にまで伝わってきた。


 銀の巨体が魔神との距離を、ほぼ数瞬の間で0にした。魔神は銀の龍に気がついていた。だが、意識に体が反応する前に、銀にしなる鞭のような尻尾によって中空にたたきあげられた。


 たたきあげられた体を安定させるために、背中の羽根を広げる。その片方がいきなり引きちぎられた。

 ガレリアもファルコンウイングも、大きな咆哮に遭遇した。

 両艦の船員が咆哮の元を探ると、銀の龍が魔神の片方の翼を引きちぎり、もう片方をつかんで空へと舞い上がっていた。


 カミユは、ガレリアとファルコンウイングから十分距離が離れたことを確認して、手の中にある黒い羽根を、魔神の体を引きずるように海に向かって全力で投げ飛ばした。


 魔神は状況に翻弄されたままだった。翼の片方を引きちぎられ、もう片方を強い力で引っ張られ、そして投げられた。到達地点は海面。魔力で力場を形成して足場を構築してから反撃する。即座に次の行動を思考からはじき出した。


 だが、その思考は実現できなかった。投げ飛ばされ空を切るように移動する自分に対して、銀の龍が追いついてきた。そして、世界が鋭くまぶしい銀の光に染め上げられた。


 魔神が最後に見えた光景は、銀の光……

魔神が最後に自覚したのは、自分の消去……

魔神の最後の思考の中には、なにもなかった……

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