第22話 続く夜と悪夢

重く濃い夢の中、目に見えないほど小さな粒が漂っている。その丸い粒がわずかにたわみ、ゆがみ、そしてその姿を現し始める。

「これが真実なのでしょうか……」

 トラシアは一冊の禁書を胸に震えていた。

 記述が心をとらえて離さなかった。魔神は確かに存在した。本にあった記載は、魔神の存在、その形態、それらの過去の行いを残していた。

 遠く水平線の果てまで続く蒼い空、白い雲、碧い海。次の瞬間、空は赤く染まり、雲はちぎれ消え去る。海は煮えたち、白い蒸気を上げて激しく揺らぐ。双頭の蛇がその中心にあった。そして、その体が膨れ上がり、異形の形へと姿を変える。

「それが魔神なのか…… そんな奴相手に俺たちは生き残れるのか?」

ラスタの顔は苦痛にゆがみ、絶望に支配されつつあった。その言葉に周囲の皆も言葉を紡げず、ただ、絶望を感じていた。

 希望の光は見いだせなかった…… わけではなかった。

「一つ言っていい? これを書いた人は生き残った。それは間違いないよね」

 一瞬の沈黙

「ああ! そうだ! 俺は馬鹿か? そんな簡単なこと、言われなくても気がつかないといけないのに」

 ラスタの声で、死んだ空気がよみがえった。

わきにいたエリスが一つの疑問を口にする。

「あの、魔神は竜巻の壁を越えられないんですよね? どうやってこの地にたどりついたのでしょうか?」

「あれは、魔神の本体ではない」

 そこにいた全員が息をのんで声の主を探した。

「ミネルバ、それはいったいどういうことなの? なぜあなたはそれを断言できるの?」

 ミオの声に、ミネルバはわずかな沈黙を保った。いつもよりも数段小さな声で、その問いに答え始めた。

「昔の話だが、私の想い人が、魔神に心を囚われた。そして、人から蛇へと姿を変え、そして魔神の姿へと、変貌を遂げた。人々の血と屍の力を使って……」

 しばらくの間、誰も音を出すことができなかった。

 その沈黙を破ろうとラスタが口を開けようとした、その時

「ミネルバさん、それ以上は、言わないでください。悲しすぎます……」

 エリスが涙を流しながらか細く、声を絞り出し、泣き崩れるようにカミユに倒れこんだ。

か細く泣き声が、沈黙を支配し、その場の全員がその支配に屈服した。

 だが、それでも、カミユはその静寂を打ち破った。

「ミネルバ、その魔神はどうなったの?」

 その言葉は、覚悟をもって受け止められた。

「私が止めた。その者の命もろとも……」

 半瞬、いや一瞬だけ時が止まる。

「倒せるんだね。普通に?」

「いや、普通には無理だが、おそらく、カミユ、そなたならできる」

 カミユにとってミネルバのセリフは理解不能だった。

「俺ならできる…… って、どうやって!」

 鋭い声を向けられたミネルバは、予想外に優しくほほ笑んだ。

「その時がきたら、私が教える。だから、私を信じてくれ」

 ミネルバの瞳を真正面から受け止めて、カミユはゆっくりとうなずいた。

 そのころには、トラシアも理性を取り戻していた。

「ともかく。帝国内に魔神の形跡があることだけは確か。その根源をどうにかして突き止めないといけませんわね」

 ラスタとガルフが力強くうなずいて賛同する。

「魔神、悪魔、か…… 」

 静寂の中、ぼそりと声が聞こえ、声の主以外の全員がその声の主に向かう。

「カミユ、あなた、何か知っているんじゃないですか?」

 テオは冷静に、だが、確実にカミユをとらえていた。

「…… うん、二年前、俺がコアクリスタル見つけたの、知ってるよね?」

 テオもミオも、記憶をたどって、ようやくたどり着いた。

「あのコアクリスタル、どこで見つけたの! いままで完全に忘れてたわ! 

今ここで吐きなさい、さぁ! どこ、どこよ!!!」

 ミオがカミユの首根っこを締め付け、カミユは全力で首を振って、目でテオに助けを求めた。

「はぁ、はぁ、し、死ぬ……」

「ミオ、落ち付いてください!」

 テオの言葉でミオは我に返って、カミユの首を絞めつけていた手を離した。

 神をあがめるような目つきでテオを見つめるカミユ。そして、無情な神の言葉を聞く。

「それ以上は、全部吐かせてからしてください。止めませんから……」

 時が止まる。カミユは口を開け、エリスを除くメンバーは、しばらく呆けた後にうなずく。さすがミオの旦那だと……

 エリスだけがおろおろと、ミオとテオの顔を交互に見つめた。

「エリス、落ち付いて、冗談よ、冗談……」

 セリフを放つエルフの目はわずかだが、鈍い光をたたえていた。

 エリスはカミユの頭を抱えるように、でも、周囲の人間の圧力に押されつつあった。

「2年前……」

おもむろにカミユが言葉を紡ぐ。

「アリアの町から、西に1日ほど向かって山肌近くで一人でキャンプ張ってたんだけど……」


--


「これって、魔法の封印だよな……」

少年は緊張して息を飲んだ。誰も周りにはいないのに、ひとりでに声が出ていた。

少年の目の前には、大きな岩の扉があり、そこには複雑な紋章が浮かび上がって、淡い光を放っていた。

「これ、開けられないかな?」

少年はそっと扉に手を触れた。すると扉が消え先へと続く道が現れた。

「なっ、俺魔法なんてつかってないぞ…… まぁ、いいか」

消えた扉に多少の疑問を感じつつも中を探る少年。

「なんだ? 天井が光ってる? 魔法なのか?これ」

一定間隔で天井が光る石でできている格子状に柱が立ち並ぶ部屋がそこにあった。

「動きはないな、入ってみるか」

1歩2歩、歩みを進めて左右を見渡す。すぐわきの角に四角い箱のようなものを認めた。

少年は慎重にその箱に近づいた。箱は30cm程度の長さの長方形をしていた。

「なんだろ、これ、開けられそうだな…… とりあえずは、拾うか……」

手を伸ばして箱を手にとって調べようとしたその時、真横から聞き取れない音がして音に向き合った。

異形のなにか…… 形容しがたい、自分よりもかなり大きな存在がそこにいた。

「なっ」

少年はとっさに、腰の剣を抜いて峰でその異形の怪物の胴を薙いだ。

一切の手ごたえがなかった。勢い余ってよろける少年。

少年の頭の中に昔読んだ古文書の一説がよぎった。

異形の者、押し寄せ人を食らう、攻撃はあたらず、魔法は効かず、ただ、食われるのみ、そは魔神の先兵なりし、悪魔なり。

やばい…… とっさに、左手が道具箱から出した小瓶を地面にたたきつけた。

聖水、神を信ずる者たちが作った魔力を込めた水。

聖水の水しぶきがはねて異形の者に触れる。すると、異形の者の体が雷の様な細かい光を放った。急に目の前の存在が濃くなり、そして、一瞬動きをとめた。

少年は出入り口の方向に向かって飛んで、体を向きなおして走り出した。後ろを振り向く余裕も、周りを伺う余裕も、すべてを捨てて走った。出入り口を抜け、それでも少年は足を止めず、入ってきた岩の亀裂を走り抜けた。


 少年が光の中に消え去った後、扉がゆっくりと閉じられていった。

存在の意識と同じく……


--


「帝国内に魔神がそんざいしているのか? 本当かそれ?」

 ラスタは半信半疑な目でカミユを問いただす。

「魔神かどうかはわからないよ。ただ俺は自分の経験を話しただけだし……」

 不信という名の空気をテオが打ち破る。

「あのクリスタルは相当高純度な物だったと思います。鋭く紫色に光っていましたし」

「テオ殿の言葉を補足させていただきますと、オークションで我々技術省が手に入れた中で、最高級の代物ですわ、あれを超えるクリスタルはそうそうありません」

……

「つまり、カミユが入った洞窟は前人未到に近いところで、高純度のクリスタルが転がっているような場所だった、と」

 トラシアは先の言葉を頭の中で思い起こしてから深くうなずいた。

 ラスタはしみじみとカミユを見つめた。

「な、なに?」

「おまえ、良く生きて帰ってきたな……」

 その言葉にテオが顔をしかめた。エリスはテオの表情を不思議に思ったが、すぐにそれが理解できた。なぜなら、ミオが怒りの形相でカミユの首を締めあげ始めたからだった。

「あ・ん・た・は~~。あれほど危険なところには行くなと、何度も、何度も、何度も、何度も。言ったでしょうが!!!」

 もはや息もできずに、ミオの両手に首でぶら下がるカミユ。

 ドタバタ劇がしばらく続いたが、エリスがカミユをかばうように立ちふさがって、ミオもようやく落ち着きを取り戻した。

「そろそろ、よろしいでしょうか?」

 トラシアがころ合いを見計らって声をかける。

「トラシア、何かあるのか?」

 ラスタはトラシアが何を言おうと声を上げたのか測りかねて、素直に声をかける。

「ニースの町は壊滅して、その痕跡から魔神の可能性が高い」

 トラシアの言葉にラスタがうなずく。

「カミユさんの言葉から魔神の手掛かりがつかめたと、私は考えます。ファルコンウイングで、その場所まで向かいませんか? 殿下」

 トラシアの言葉は建設的で反論をするつもりはなかった。ただガルフが懸念を提示する。

「魔神、悪魔相手に普通の武器は通じねぇぞ!カミユの話もそうだし」

……

トラシアはその言葉に腕を組んで考え始めてしまった。

 数分たってもその状況が改善されない中、カミユがミネルバに声をかける。

「ミネルバ、辛い話を蒸し返すかもしれないけど、ミネルバはどうやって魔神を倒したの?」

 ミネルバは感情を表に現さない、いつもの表情で答えた。

「竜、ドラゴンの力なら、魔神に通じる。私はその時竜に通じる武器を所有していた。私が今使っているこのハルバードが、竜の血を浴びているのだ」

 本当にわずかに、ミネルバの表情が曇ったことに対して、エリスは気がつかないふりをすることを心に決めた。

「なら、いけるんじゃねぇのか! その洞窟も!」

 ガルフの勢いのある言葉に、ミネルバはうなずいた。

「そうと決まったら、早速ですわ。私は飛空艇の準備にまいります!」

 トラシアが駆け足で部屋を出て、みんなもそれに続いて飛空艇のドックに向かう。


「カミユならできる……」

 エリスは誰にも聞こえないほどの小声でミネルバの言葉を思い返していた。


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