第20話 悪意の招待
ファルコンウイングは、カミユの宣言通り、2時間でニースの町にたどりついた。
かなりの高速度で中型飛空艇を飛ばしていたにもかかわらず、一行の疲労はほとんどなかった。かりそめの船長を務めたカミユに対してトラシアが惜しみない賛辞を贈った。
「素晴らしい素質、才能、いえ、もはやこれは、空を飛ぶ申し子とすら思いますわ!」
これまでの飛行時間はまだ数時間ほど、だが、帝国内でこれほどうまく飛行艇を操ることができるものはいないと、トラシアは断言した。
ミオは、あまりのほめ言葉に、カミユの鼻っ柱を折ってやろうと言葉を考えていたが、当のカミユは、トラシアの言葉に反応していなかった。
「カミユ、もしかして疲れたとか?」
ミオの言葉も聞かず、カミユは町に向かって走り出していた。
「カミユ、待ってください!」
エリスの言葉に、カミユは振り返った。その表情は真剣というより深刻な色に染まっていた。ほんの少しだけ、相手を安心させるための笑みを浮かべた。
「エリス、ごめん、ミオと一緒にゆっくり来てほしいんだ」
エリスとミオが顔を見合わせた。
「お願いだから……」
二人はその真摯な心に撃たれて素直にうなずく。
二人に対してうなずくカミユだったが、言葉は発しなかった。ゆっくりと町の方を見て緊張の色を深めた。
「ガルフいくよ! ラスタ、ミネルバ、トラシアさん。ついてきて」
カミユの言葉は感情の色がなかった。ただ、おもむろにカミユはロングソードを抜いて駆けだした。
いきなりの展開にガルフだけが反応した。背中のバスタードソードを抜いて、カミユの後をほぼ全速で追いかける。
「お、おい、一体何が……」
頭が展開についていけないラスタが疑問を投げかける。
ガルフは首だけ横に向けて伝える。
「町に意識を向ければわかるだろ、動きがなさすぎる」
ニースの町は事件があったとは言え、住民の数は1000を軽く超えているはず。しかし、町からは聞こえるはずの喧騒が、全くと言っていいほど聞こえてこなかった。
そこにあるのは、静寂……
異常以外の何物でもない。
「ミネルバ、カミユより先行しろ! トラシアは後続の安全を確保! テオ、殿は任せる!」
ラスタもロングソードを引き抜いて、飛ぶように駆けだしたミネルバを追った。
カミユは町の門にさしかかる前に、ミネルバに追い越された。
「ミネルバ、もう少し近くにいて!」
ミネルバはその言葉に過不足なく答えた。
「ストップ!」
門をくぐった直後にカミユから鋭い声が飛び、ミネルバが止まった。
そばまで追いついたカミユに背合わせに、ガルフが位置どった。そしてゆっくりとカミユと位置を変えるように背合わせのまま、ぐるりと回る。
ミネルバ、カミユ、ガルフの順に視界に入ったのは、いたるところに大量の血があふれかえる街並みと死体の数々だった。
「なんだこりゃぁ…… ミネルバ気をつけろ」
ガルフは変わり果てた街並みを見て、戦闘態勢を継続した。ミネルバはガルフの言葉にわずかにうなずく。その間も周囲に対する警戒はみじんも揺らがなかった。
「一体、何が起きたんだ?」
ラスタの疑問に誰も答えることができなかった。
一団は固まったまま、近くの血だまりの死体に近づいた。
「ミオ、風で生きている人探せない?」
「やってみるわ」
一陣の風が舞い、町の中に流れ込んでいく。ただ、それなりの規模の町全体の捜索は、時間がかかると予想された。
テオはそばの男の死体を丹念に調べていた。トラシアは別の死体を調べ始めた。
時折、思わず顔をしかめてしまうほどの死臭が漂ってくる。そんな中で一行は緊張を保ったままだった。
「死後数時間といったところでしょうか。死因は斬撃によるものですが……」
「どうかしたのか?」
言葉に詰まるテオの様子を不審に感じたラスタ。トラシアの言葉でその理由は判明した。
「人の力によるものではありませんわね」
「魔物か?」
ラスタはトラシアに確認するように話しかけた。
一方テオは、さらに死体を詳しく調べていた。そのそばにエリスがやってきた。
「テオさん、町からなにか感じませんか?」
「まずいわ! みんな逃げて!」
エリスの言葉を打ち消すようにミオが警告を放つ。
「どうした!」
「魔法陣よ、とんでもなく大きな、この町全体に張り巡らされてる。急いで町の外へ、ここも魔法陣の中なのよ!」
カミユはエリスの胴を抱えて飛空艇に向けて、全速で走りだした。
即座に、全員が同じ行動をとる。町の門に近づくにつれ、ラスタでもわかるほどの魔力が周囲に漂い始めた。
「ま、まずいわ。発動する……」
顔を真っ青にしたミオが、それでも走りながら危険を伝える。
先行していたカミユ、そのそばに追いついたミネルバ。カミユは抱えていたエリスをミネルバに預け、後ろを振り返ると魔法を唱え始めた。
「エル・クリル・ウルス、エト・ラトラ・ウルス。天の力、いかずちとなって敵をうて!
ライトニング・ブラスト!」
カミユの正面に浮かんだ魔法陣から、幾筋かの光が近くの物見やぐらに向かって、轟音とともに突き刺さる。根元付近の太い柱がえぐられ、物見やぐらは町の内へと倒れていった。
直後に、町全体の魔力が地面に吸い込まれ、黒い光が地面から中空へと立ち上る。
町の中心から外へと向かってきた黒い光の動きは、カミユ達の手前、物見やぐらの向こうまで到達してそこでほんのわずかな時間停滞した。
時間を稼ぐことに成功し、一行はぎりぎりのところで町の門の外に駆けだしていった。
物見やぐらが黒い光に飲み込まれ、魔法陣が完成する。
「こんな魔法があったとは……」
トラシアはあっけに取られて魔法陣に包まれる町を至近距離で見ていた。
最初にエリスが倒れこんだ、そしてミオ、テオが、その場にうずくまる。
「大丈夫か!」
ラスタはそばのミオを支え、エリスはミネルバが抱きかかえていた。
三人とも震えていた。
「精霊が、命が、魔力が…… 飲み込まれていく……」
「ダメ、こっちにきちゃ…… ああ……」
テオは周囲の大地の精霊の存在が消えるのを感じ、ミオには風の精霊が魔法陣に飲み込まれていくのを見ていた。
エリスは一言も言葉を発しないまま気を失った。
長い時間がたったような気がした。しかし、魔法陣の発動はほんの数秒の出来事であり、周囲の風景自体は先ほどと何も変わらないように感じられた。
その時、町の中から何かが崩れるような音が聞こえてきた。
倒れた物見やぐらの少し先、死体を調べていたあたりの建物が崩れ始めていた。
その地響きに呼応するかのように、その振動は町全体に広がり始め、砂煙が町を覆うほどに立ち上っていった。
「一体何が起きたというのだ……」
ミネルバの質問に答えられるものは誰もいなかった。
昼間の静寂があたりを包む、そこに動きが発生した。
「なんだ、ヘビ? 空を飛んでる?」
ラスタが呆けたように空を見上げた。自分たちとは町の反対側の空にラスタの言葉通り、確かにヘビが空を飛んでいた。初めは二匹の蛇が絡まっているように見えた。頭が二つあり、互いの胴をまとわりつかせていたが尾は一つしかなかった。双頭のヘビはさらにその異常さを際立たせていた。アルジェの砂漠で遭遇した蛇とは、その大きさがけた違いに大きかった。胴周りは家の扉ほど、長さは家を四回ほど巻きつけられるほど、遠くにいてもその大きさははっきりとわかる、明らかに異常な存在だった。
双頭の蛇はゆっくりと空の彼方に消えていった。
一行は双頭の蛇が飛び立ったあたり、町の反対側へと移動していた。町の中へは立ち入らなかった。警戒してのことという理由もあったが、今の自分たちに何かできることが残っているようには思えなかった。その無力さから少しでも遠ざかっていたかった。
「この辺りですわね」
トラシアはあたりを見渡しながら誰に言うでもなく声を出した。
「何か、手掛かりになるようなものを探そう」
ラスタの声で全員が捜索を開始する。
テオとミオは、まださっきの魔法のダメージが抜けていないようで、その場に座り込んでいた。エリスは気絶したまま、いまだ意識が戻っていなかった。
カミユはエリスの顔をそっとなでて、捜索に加わった。
捜索は町の中にまで及んで小一時間ほどを費やした。だが、成果はほとんどなかった。
「こちらには、がれきしかなかった」
「こっちも手掛かりなしだ。全くどうなってんだ」
ミネルバは首を横に振り、ガルフは両手をぶらぶらと振って、成果がないことを告げた。
「そうですか、私の方も何もつかむことはできませんでした」
トラシアも幾分うつむきがちに声を出した。
「まだ、諦めるのは早い。もう一回、周ってくれないか?」
ラスタの声が響くが、音のない町並みを前にして、うつろにこだまが聞こえてきた。
カミユは元気を少しだけ取り戻したミオが立ち上がろうとするのを認めて、その体を支える。
「ありがと、でも、大丈夫よ……」
よろけながら、気丈にふるまうミオ。そのまま、言葉を続ける。
「ねえ、みんな。町の中の方は調べたのね?」
ミネルバとガルフが力なくうなずく。
「それじゃ、こっちを調べてくれない? トラシアにはわかると思うけど、あの、怪しい手紙のにおいが、こっちの先から漂ってきてるの……」
ミオの指さす先は、町の門とは反対の森の中だった。
トラシアはうなずいて、ミネルバとガルフを促して3人で森に立ち入っていった。
「ミオ、あんまり、無理しないで。お願いだから」
カミユは優しく、手でミオの頭と髪をなでる。
「カミユ……」
ほんの10数年前を思い出したミオは、少しだけ感慨にふけって、それを振り払った。
「今は、そんな優しい状況じゃないでしょ? カミユ、あなたも守るべき人がいるんだから、そんなんじゃ駄目よ! しっかりしなさい!」
ミオの厳しい言葉に、カミユは息苦しくなったが、視線の先に横たわるエリスを見て、心を奮い立たせる。
「ミオ、ありがと。そうだね。がんばらなきゃ!」
小走りにエリスの元へと駆けていくカミユを、カミユに見えないように、極上の笑みで見送る。
「わきが甘いとはいいませんが、カミユには見せてはいけませんよ。甘えますからね」
頭を振り、ほんのわずかに笑顔のテオが、笑いながら苦言を口にする。
「説得力無いわよ。テオ」
ミオは、満面の笑みで答えていた。
そんなやり取りのしばらくのちに、トラシアが戻ってきた。
「何も見つかりませんでしたわ」
とぼとぼ、という音が一番似合いそうなほどに肩を落としてトラシアは戻ってきた。
そのあとから、赤い騎士が小走りに戻ってきた。
「ミオ、もしかして、この服か? 匂いがしたのは?」
「そう、それよ、確かに、アリアスの町であの暗殺者から出てきた手紙と同じにおい。間違いないわ」
ミネルバの持ってきたローブは、誰が見てもかなり上等な代物で、一般市民が簡単に購入できるようなものとは思えなかった。
「これは、誰が着ていたか、調べることができるかもしれません」
トラシアは、生地、作り、その他すべてを一気に分析して、感想を述べた。
その時、苦々しい表情を浮かべてラスタが、真相に近い声を出した。
「トラシア、調べる必要はない……」
全員がラスタを見て、呆然としていた。
「どうゆうこと?」
カミユがラスタに問いかけた。そして、幾人かは心当たりのある名前が出てきた。
「キルティス伯爵夫人のものに間違いはないだろう……」
そこにいた一同は、なぜそれをラスタが知っているのか、と目が、表情が、雰囲気が、口を開けずとも、意味を形にしてラスタに押し寄せてきた。
「う、いや、そ、それが帝都で飾ってあったのをみて、買おうと思ったが先客がいたんだ。それがキルティス伯爵夫人だった。それだけだ、それだけだぞ!」
トラシアはため息、うなずき、咳払いをゆっくりと行った後で話をつないだ。
「まぁ、殿下がどこの女性に贈ろうと思ったかは、ここでは取り上げないでおきますが、これと同じローブが他に作られた形跡は…… 確かになさそうですわね」
かなり豪華な金の刺繍で彩られた黒いローブは、少々きつい香水のにおいをあたりに振りまいていた。その香水の匂いはトラシアも心当たりがあった。
「キルティス伯爵夫人ですか…… 繋がりそうですわね」
トラシアの言葉にラスタはくぎを刺す。
「トラシア、憶測だけで話を進めるなよ。大公が関与していることはほぼ確実なんだ、それなりの実権を握っているんだ、今お前に死なれては困る」
少しだけ首を振って、気を取り直して応じる。
「気のある女性にならもっと気のきいたセリフを言うんでしょうが、まぁ、信頼の証でしょうかね。了解いたしましたわ。殿下」
少したじろいで、何か失敗したかと自分の言葉を頭の中で繰り返すラスタ、その男にカミユが割り込みをかける。
「ラスタ、話が見えないんだけど、キルティス伯爵夫人がなんで大公につながるの?」
「そういや、お前には話して無かったな。かいつまんで話せば、ワズ達に毒を渡してことを仕組んだ男は、キルティス伯爵の手のものだった。そしてその男に指示を出していたのが、この香水の香りの持ち主、しかし、男には大公の関与も疑われる。こんなところだ」
必要な情報は得られたが、今回のニースの町との関連はなく、カミユはつぶやいていた。
「この町を滅ぼした魔法と、双頭の蛇…… これらは一体どうつながるんだろう……」
「双頭の蛇?」
カミユの脇でうっすらと目を開けたエリスがつぶやく。
「エリス、大丈夫? 気分は? 起きられる?」
エリスはカミユの手をしっかりと握り返して、ただ悲しげな表情で答える。
「私は大丈夫です。ただ、精霊が取り込まれていく、その悲鳴が、苦痛が伝わってきて……」
カミユは優しくその肩を抱いて労わる。
「つらかったね。精霊は飲み込まれたけど、とりあえずは、終わったから。安心して」
エリスはゆっくりとうなずいた。そして、ふと思い出して、問いかける。
「あの、双頭の蛇と聞こえたのですが、何のことですか?」
「あの魔法が発動した後に、空を飛ぶ双頭の蛇が見えた。それを確かめにここまで移動したんだ。どうかしたのか?」
ラスタは、エリスを気遣いながらも事実を述べた。
「私、ずっと怖い夢を見てきました。それが双頭の蛇に襲われる夢なんです」
「え? これまでそんなそぶり一回もみなかったけど?」
カミユは驚いて声を上げる。その声にエリスはうなずいて答える。
「はい、カミユと出会ってから見なくなったんです。なぜだかはわかりません」
「カミユさん、何か心当たりはありませんか?」
トラシアの言葉に、一切思い浮かぶものがなく答える。
「いや、俺、何にもわかんないよ。一体何がどうして、そうなったのか……」
「いえ、エリスさんのことだけでなく、双頭の蛇に関して、古文書の記述とか」
意外なところから糸口らしき言葉が聞こえてきた。
「蛇ならば、悪魔の化身と言い伝えられているが、双頭の蛇がそうかどうかわからぬ」
声は赤髪の騎士から発せられた。
「悪魔!」
トラシアが叫び、何人かが驚いた表情を浮かべた。
「悪魔だと? いくらなんでも、連邦時代に伝説が残っているだけの存在だぞ」
ラスタの言葉はこの世界の常識だった。古代帝国時代に世の中に現れた災厄として、伝説として語り継がれてきたのが魔神。そしてその先兵として、使役され、大量虐殺を担ったのが、悪魔。
現代ではおとぎ話としてしかその姿を認められない、子供をしつけるための道具とすら使われている町もあるほどに、有名で、そして、空虚な存在だった。
「悪魔ですか、可能性としてはあり得ますわね。一度帝都に戻って技術局の書物を調べたいと思いますが、皆さん、よろしいですか?」
誰も異論をはさむ余地はなかった。ここで自分たちができることを、誰も見つけられなかった。
一行は乗ってきた飛空艇で町を後にした。全員が鎮魂の願いを町に向けた後に。
町には、風が吹き抜ける音だけが存在し、人の営みがあった記憶、それだけを形としてとどめる存在になった。
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