AoR-7「英雄の名は」
夢を見た。青く映える草原の中に、私は立っている。大地を埋め尽くすほど灰色の人型に、風に靡くいくつもの青い旗…。まるで、私のことを崇めているかのようだ。
これは夢なのか、それとも誰かの記憶か。
偉大なるモンゴルの王者、青き世界の支配者、テングリより遣われし裁きの人…。皆が私をそう呼んでいる。
馬が大地を駆ける。西へ、東へと、それは留まることを知らない。遍くすべてを支配し、法と支配を以って、偉大なる帝国を築いている。まるで、それが使命だと言わんばかりだ。
彼は自らを世界の法とし、人々を支配していった。誰も彼に逆らえなかった。逆らった者は、一族諸共滅ぼされた。抵抗は許されなかった。
やがて人々は畏敬し、彼の人を畏れた。
チンギス・ハーン。偉大なる青き世界の支配者。王の中の王。いつの頃からか、彼の名に代わる新たな贈り名が授けられていた。
「………」
世界が輝いて見える。目に見えるすべてのものが私の手の中にある。私に不可能はない。いずれ、この世の全てを我が物としてみせる。そう心に誓った。
「………。私は……」
瞳の中に青い火が灯る。人々の想いが、私の肉体を形作る。光が欲しい。自由が欲しい…。もう一度帝国を、我が手の中に…。
「っ……」
キラキラと輝くものが私の手の中に落ちる。これはいったい…。
自我が芽生えていく。暗闇の中に光が灯る。そして、私は青い草原の上に、一人降り立ったのだ。
懐かしい青い風の匂いだ。私はかつて、この草原の中に自由を謳歌していたのか?誰も彼処も私に膝をつき、忠誠を誓ったのか?私は再び生を授かり、この世に舞い降りたのか?
この気持ちはかつての王の物か、私の物なのかは分からない。けど、今感じているこの気持ちは間違いなく私のものだ。私という、私の内から生まれているものだ。それだけは間違いない。
私は"もう一度"この地上を支配したい。そして、叶えられなかった彼の願いを叶えたい。それが私以外の感情から生まれたものだとしても、私は叶えたいと思っている。
私は不可能を可能にした。そして、今もそれは変わらない。私は必ずや成し遂げてみせよう。私はもう一度、それを実現してみせるのだ。
…………
「………」
「お目覚めになられましたか、我が王」
「………。夢を見た」
「夢…ですか…?」
「ああ…。かつての人の歩んだ、王の夢だ」
白きペプロスを纏った支配の騎士…ホワイト・ホースから体を起こす。幾度とも見てきた、私の中に眠る、とある人の記憶に思いを巡らす。
テムジン…。チンギス・ハーンの異名を持つ、人中の王…即ち、王の中の王と呼ばれた人の記憶だ。どうも私はこの人間に支配されているようで好きになれないが、私にとってのアイデンティティであるような気がしていまいち否定できない。私の趣味や嗜好もこの人間に基づいていると思うと嫌悪感すら湧いてくるが、どうしてもやっぱり否定できない。
「どうかされましたか?」
「いや、なんでも」
倒木に腰を下ろして蒼い月を見上げる。こうして何度も見てきた月であるが、地上を淡く照らすそれは、いつ見ても変わらない美しさを見せてくれる。
懐にしまっておいた口琴を咥えて音を鳴らす。古来より伝わる我が民の音楽だ。
風に乗って口琴の音が流れる。私の魂の音が風に乗って辺りに流れる。何でもないただの音かもしれないが、私にとっては魂を表す一つの音なのだ。
ホワイト・ホースが瞳を閉じて私の奏でる音色に耳を立てている。どうやら、彼女も音楽というものが分かるようだ。
「この音が分かるか、我が麗しの白馬よ」
「ええ、分かりますわ、我が王」
「そうか。……お前にもウルスの魂が宿っているようだな」
「光栄に思いますわ。我が王」
「……その、我が王と言うのは止めてもらいたいものだがな」
「……申し訳ありません、チノ」
「それで良い。私とお前は家族なのだ。かしこまる必要はない」
ホワイト・ホースが静かに首を垂れる。……実に美しい姿だ。月下美人の儚い花のようだ。邪な感情が私の中を巡らすようでそそられるものがある。
天を仰ぎ見て、ホワイト・ホースに語りかける。私の魂のルーツというべきものだろうか。かつての私が口を開く。
「私は必ずや成し遂げよう。このリブトンと呼ばれる地から、偉大なるイェケ・モンゴル・ウルスを再興してみせる。その目的には、お前の約束されし勝利が欠かすことができん。我が子孫が成し得なかった偉大なる覇道に、お前の力が必要なのだ。……やってくれるか、ホワイト・ホースよ」
「もちろんですわ、我が王。私はその為に召喚されたのですから、いかようにも…」
そう言ってホワイト・ホースは静かに瞳を閉じた。まるでこの身の総ては王の物だとでも言わんばかりだ。
白い柔肌に手を伸ばす。この身体も、力も、すべてが私の物なのだ。我が帝国を築くに相応しい存在だ。我が寵愛の妃にして、侍らすのも悪くないだろう。
「王よ」
不意に私を呼ぶ声が聞こえた。見ると、燃えるような赤い髪に、黒い鎧を纏った騎士が立っていた。レッド・ホースだ。
「ベヒモスの調教が完了した。見に来い」
「……分かった。行こう」
席を立ってホワイト・ホースの元を後にする。レッド・ホースに連れられて宮殿の中に入ると、鎖に繋がれた黒い騎士の姿があった。これが、我が配下の騎士が捕えて来たというベヒモスという犀騎士の一人か。奇妙なバイザーを付けているが、ブラック・ホースの施した術の一つなのだろうか。
しかし、手ひどい傷を負っているようだ。だが、それにも関わらず只ならぬ覇気や殺気のようなものを放っているのが分かる。この私がゾクゾクするような高揚感を感じるほどだ。その名に恥じぬ武勇を持っているのだろう。
「がっ……あぁ……」
呻き声と共に鎖がジャリっと音を立てる。磔にされた罪人ように吊るされた姿は、さしずめ悔悟者を思わせるようだ。
悪魔に身を堕とせし犀騎士を騙る悪魔…。この姿こそが、ベヒモスの名を冠するに相応しいというものだ。これからは我がウルスの駒として、存分にその力を振るってもらおう。
「聞こえるか、ベヒモス」
「ぐっ……うぅ……」
「これより、お前はその力は、我がウルスの先鋒…覇道の道程として使わせてもらう。分かるな?」
「ウルスの……ために……」
ベヒモスが呟く。弱々しく吐かれるその言葉は、自らの意志に関わらず漏れているようだった。ブラック・ホースの調教…洗脳はきちんと為されているようだ。
「そうだ。お前の怒り、満たされぬ欲望、存分に振るうと良い。何もお前を妨げるものはない。私が許す。目に映る全てを、破壊するのだ」
ベヒモスの顎を持ち上げる。しかし、こうして見ると美しい顔をしている。こうして私の物にできたのは実に喜ばしい。美しく、それでいて醜い。これこそがベヒモスという悪魔の姿なのだ。
突如、ベヒモスから放たれていた殺気が瞬時にして私を捉えた。刹那、ベヒモスの右腕を縛っていた鎖が緊張したように激しく張りつめた。
バキンッ!
「ッ…!!」
ベヒモスが突如、自身の右腕を縛る鎖を引きちぎった。
バイザーを引き剥がた眼光が私を捉える。その眼光は、私を睨む目は、決して理性を失ってはいなかった。こいつは悪魔の姿をしながらも、未だ犀騎士としての理性を残していたのだ。
「僕は決して、お前たちに服従などしない…!誰がお前などに従うものか…!たとえ悪魔に成り果てようとも…決してお前などに…従いはしないッ!!!」
悪魔のような形をした篭手が振り上げられる。しかし、私を打ち砕くには不十分だった。
「ぎッ…!?」
振り下ろされた爪を湾刀で受け止める。私のような細腕に自身の剛腕が阻まれた事で驚きが隠せないようだ。動揺して次の一手が撃ちだせないでいる。
左腕を縛っていた鎖が引きちぎられる。中途半端にちぎられた鎖が宙を舞い、私に襲い掛かる。
「っ………」
湾刀に鎖が絡まる。ぎっちりと縛られた湾刀はベヒモスに支配され、自由に動かせない。
私の手から離れた湾刀がベヒモスの手に渡る。ベヒモスは巧みに湾刀の柄に鎖を巻き付けると、自身の得物とした。騎手は徒手にして死さずとは聞いたことはあるが、いざ目の前にしてみると中々興味深いものがある。私に扱いやすいように改造した偃月刀ではあるが、大躯なベヒモスが手にしては、短剣でも手にしているかのようだ。
ふと、ベヒモスの視点が私の背後を捉えた。そう思ったのも束の間、一条の矢が私の頬を掠めた。ホワイト・ホースの放った矢だ。
「我が王の危機というのに、何を突っ立っているのかしら、レッド」
「今のベヒモスでは我が王は倒せん。俺が出るまでもないだろう」
「……この不届き物…!なら私が伏してみせます!ベヒモス、覚悟っ!」
ホワイト・ホースの弓が白く輝く。短弓が長弓のように振る舞いを取ると、青く輝く矢がベヒモスに向かって放たれた。
ビームやレーザーのように思えるそれは、まるで銃火器のようだった。
弓矢とは思えないほどの一撃が次から次へと撃ち込まれていく。鉄と馬で戦う騎兵が、火薬と鉛で戦う砲兵に立ち向かっているかのようだ。
矢がベヒモスの鎧を穿つ。赤く熱された鎧が砕けて床に散らばる。ホワイト・ホースの弾幕に、ベヒモスは確実に追い詰められていた。ブラック・ホースの調教があったとはいえ、あまりにも一方的だ。
ベヒモスが膝をつく。奴の満足に動かせない体は、ホワイト・ホースの激しい攻めを如実に語っているかのようだった。ホワイト・ホースは構わず追撃を加えようとしたが、私は攻撃を止めるよう合図を出した。
膝をついて息を整えるベヒモスの前に立つ。抵抗を諦め膝をつく彼女は、忠誠を誓う騎士ようとも言えなくはないが、ここにいる彼女は、ただ膝をついて降伏するだけの敗北者でしかない。ならば、私のすべき事は一つだ。
「今一度告げる。私に服従するのだ。そして、その力を私の為に振るえ」
「誰が…お前なんかに…」
「………」
奴の手にしていた偃月刀を私の手に戻し、切っ先でベヒモスの顔を持ち上げる。その目は決して私に降伏するまいと、弱々しく輝いていた。
「お前の意見など聞いていない。私は誓えと言っているのだ。お前のような逸材を失うのは実に惜しい。私に降るというのであれば、お前の地位、名誉、そして、その身の保全を、すべて私が約束しよう」
「ふん…。お前に降るというのであれば、ここで悪魔や獣畜生に成り果てる方がマシさ…。力でもなんでも奪うと良い。……ここでお前に降るくらいなら、お前たちを道連れに死んでやる…!」
突如ベヒモスが立ち上がって、私に飛びかかってきた。しかし、それもレッド・ホースによって、あっという間に叩き伏せられた。
「がァッ…!?」
床に叩きつけられたベヒモスの背中に大剣が突き立てられる。その姿は、猛禽の餌食となった哀れな兎のようだった。
「ぐっ…!ギッ…!」
「愚か者が。我が王の勧告を無視して飛びかかろうとは、愚昧千万も良いところだ。それに、俺やホワイト・ホースの目もあるのだぞ?勇気と無謀は違うものだと騎士団で教わらなかったか?」
「ぐっ……。いくらでも言うと良い…。僕は決してお前たちの駒になど成りはしない…!」
「良い心がけだ。だが、無意味だ」
大剣から炎が吹き上がる。その熱は、突き刺されたベヒモスの肉を焦がし、耐えがたい苦痛が絶叫となって、ベヒモスの身を狂わせた。
「─────ッ!!?」
声にならない声で絶叫をあげている。体の内側から焼かれる感覚とは如何なものだろうか。
目は見開き、何の抵抗もできないままレッド・ホースの責め苦に身を捩って悶えている。鉄の焼ける臭いと肉の焼ける臭いが私の鼻をくすぐる。私の中に眠るテムジンの記憶が淡く蘇るようで変な気持ちだ。
ベヒモスの背中から大剣が引き抜かれる。短くも長い責め苦から解放されたベヒモスは、ブルブルと体を震わせていて苦しそうだ。
体を震わせながら肩で息をしている。もはや満身創痍だ。もはや彼女に戦えるだけの余力は残っていないだろう。
「ハァ……ハァ……」
「情けない限りだな、ベヒモス。もはや、私たちに抗うこともできまい。お前の力、使わせてもらうぞ。……ジュチ!!!」
私の輝きを授けた、我が息子の名を冠するセルリアンを呼ぶ。大軍を動かすカリスマと、人々を従わせるだけの、支配の力を持つセルリアンだ。
「父よ」
「ジュチ、この場の後始末をしておけ」
「御意」
「良い子だ。……ブラック・ホース!!!」
「はっ……」
浅黒い肌と黒いボロ切れを纏った魔術師が現れる。私に呼ばれた理由が分かっているのか、やや身を強張らせている。
「何故呼ばれたか分かっているな?」
「はっ…。ベヒモスの意志が思ったよりも強く、我が術が思ったよりも通じなかったようであります…。……調教が未完であった事、我が王に刃を向けさせた事、そして、ご子息に手を煩わせてしまった事…。面目もございません…」
「分かっておれば良い。……さあ、左腕を出せ」
「……?はっ…」
私の言葉にブラック・ホースが左腕を差し出す。顔も上げずに恐る恐る差し出された左腕に、私は偃月刀をゆっくりと上げた。
肉を断ち、骨を砕く感触が私の右腕に伝わった。どちゃりと魔術師の細腕が床に転がる。レッド・ホースもホワイト・ホースも驚いたようで、呆けた顔で私と魔術師を見ている。
「ぎっ……!!?ハ、ハーンよ……何を…!」
「二度と今回のような失態を晒すな。次はその眼が潰れると思え」
「ッ…!ハハァ…!」
「ジュチ、後始末を終えたらこいつにセルリウムを埋めておけ。分かったな?」
そう言って、私は改めてベヒモスと向かい合った。腹部に風穴を開け、膝をつく姿はまさしく敗北を喫した騎士のようだ。決して降伏しまいと、体を震わせ荒々しく息をする様は、まさしく高潔な騎士をして他ならない。このような高潔な志を眼前で打ち砕くは、私が至上とするの悦び。すべての人間の持つ醜い感情だ。そして、私はそれを良しとしている。
我が内に秘める輝きを放つ。俗に言う野生解放というものだ。私は戦うことは得意ではないが、この力を使ってあらゆるものを従えてきた。そして、それはこの悪魔の騎士とて例外ではない。
「王に跪け。そして、私に忠誠を誓え」
ベヒモスが顔を上げる。赤子のような純真な目には、私だけが映っている。
「悪に身を堕とせし汝の力、今こそ私に捧げよ。私は総てを呉れてやろう。汝の持つ正義、力、そして、蒼き空を…」
ベヒモスの目が涙に濡れる。絶対の力を目の当たりにした敗北者の涙だ。もはや抗えぬと悟ったのであろう。ベヒモスは、私に屈したのだ。
「私はこの世総ての悪であり、この世総てに法と秩序を敷く者である。彼の天上に、テングリの頂を仰ぐ時、汝は蒼き世界の祝福を授かるだろう」
王を前に膝をついたまま私を見上げている。その姿は、さながら赦しを請う罪人のようだ。だが、私は赦そう。そして、かの騎士を私の配下とするのだ。
「ベヒモス。汝に今一度問おう。私に…我がウルスに、汝のその力を…捧げてはもらえぬか?」
「……僕は…ハーンに…」
「………」
「僕の…悪魔の力を…捧げましょう…」
決まった。ベヒモスは、私に忠誠を誓ったのだ。今ここに、我が覇道の礎が築かれたのだ。些か力不足であることは否めないが、リブトンを制圧するには今ある戦力だけでも十分だろう。兵はジュチが用意してくれる。後は、勝算を誤らなければよいだけだ。
ベヒモスを支配したことで、私は宮殿を後にした。中からはブラック・ホースの呻き声が聞こえるが、私にはどうだって良い。命令の一つも満足に遂行できないのであれば、私にとっては取るに足らない存在だ。それはレッド・ホースやホワイト・ホースとて例外ではない。
「チノ!」
宮殿からホワイト・ホースが飛び出して来た。何やら、私に言いたいことがあるようだ。
「チノ、いくら何でも、貴方の臣下であるブラック・ホースの腕を切り落とすまでしなくても良かったのではないですか…?」
「奴のおかげで私はベヒモスの毒牙にかかるところだったのだぞ?私は相応の罰を与えただけだ。それに、奴の腕はジュチが代わりを用意してくれる。作戦には何の支障をきたすことはない」
「し、しかし…」
「何も今回の罰は奴だけに下すものではない。お前やレッド・ホースこそ重大な失敗を犯したのなら、相応の罰を下すまでよ。お前たちもその覚悟を承知の上で、我が命を遂行するようにするのだぞ?」
「っ……。承知しました、チノ」
ホワイト・ホースが私の元から去る。いまいち納得はできないようだったが、その判断は正しかったであろう。自らのエゴで自身を傷つける必要はない。傷つかない選択をしなかった彼女の判断は正しい。そこは褒めるべき点だろう。
「さあ、準備は整った…。これは、再び世界を制する偉大な物語の序章だ。必ずや、私は成し遂げてみせよう。チンギス・ハーンの名に懸けてな…」
星を包む帝国の一頁に名を刻む。必ずや私は、それを成し遂げてみせよう。蒼き狼の、青き世界を支配する王の物語だ。私はこの世界に覇を轟かせ、この世界における唯一の王となるのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます