第二十七章 初バイトin異世界(2)
カトリーナにこってりとしぼられたルーカス、そしてルーカスをしぼりまくってつやつや顔のカトリーナが私室から出て来たのを頃合いにして、僕たちも早々に雑談を止めて二人の元へと歩み寄る。
いやにげっそりとしたルーカス。どうやらカトリーナに相当怒られたようだ。
うっすらと目の下に隈をこさえたやつれ顔を晒してルーカスは重たい口を開く。
「あー、なんだ。悪いな、ハヤト。変な空気にしちまって」
「え? いや、別に気にしてないから平気ですよ」
去勢された雄犬のように急にしおらしくなったルーカス。
一体カトリーナに何をされたんだ、と背筋がうすら寒くなるのを感じて半ば無意識に股間に手を当てる。
僕の中でカトリーナが逆らったらいけない人最上位に上り詰めた瞬間であった。
僕の真横に立つフレイヤはこの夫婦のやりとりは日常茶飯事なのか、至って普通な様子だ。
それどころか実の父親を汚物でも見るかのように蔑んだ視線を送りながら、この宿屋の実質的な支配者であるカトリーナに僕との会話の内容を口伝する。
「ーーーーーーというわけで、ハヤトには明日から働いてもらうことになったから」
「そう、分かったわ。・・・・・・いいわよね、あなた?」
「!? お、おう。・・・・・・分かった」
カトリーナに話しかけられたルーカスが両肩を跳ね上がらせて上擦った声で応える。
パワーバランスが見事に逆転してるなぁ。
俗に言うカカア天下ってやつか。
フレイヤたち家族のやり取りを見て、僕は不意にこことは別の世界ーーーー地球にいる家族の事を思い出す。
こんなに仲睦まじい家族じゃなかったけど、少しはいなくなった僕の事を心配しているのだろうか。
いや、それはないな。
僕はなんて愚かなことを考えてしまったのか。こんなこと考えるまでもない。あの人たちに家族の情なんて期待する方が無駄だろうに。
ただ……、フレイヤたちを見て、あぁ、これが本当の家族の在るべき姿か。
なんて思い至ったに過ぎないのだから。
不意に黙った僕を怪訝に思ったのか、
「? ハヤト急にどうしたの? 変な顔して黙って……。もしかしてどこか痛いの?」
「いや、別に大したことないよ。ちょっと思うことがあっただけさ」
いけない。
あまり心配させちゃいけないよな。ここでは僕は記憶喪失の素性知らずの人間なのだ。
疑わしき素振りは見せないようにしないと。
僕は半ば強引に自分に向けられた疑念を剃らす方向で別の話題を彼女たちに振った。
提供する話題はもちろん僕の仕事のことだ。
働く時間や仕事場、それから仕事するにあたって気を付けねばいけないこと、この宿に泊まっている客の情報のこと。
いくら皿洗いとはいえ、不意に客と接することだってあるかもしれない。対価を払ってそれに付随するサービスを享受する彼らにとって一従業員の事情などは関係ない。
僕が記憶喪失だからといって、それがどうしたって話だからだ。
ほんの少しの同情は抱くかもしれない。だからといってサービス面の劣りを許す気はない。
僕の住んでた世界では当たり前のことだ。
表では心配はする。だって人の目があるから。
みんな他人からは“善き人”に見られたいから。
だから本当はどうでもいいと思っている他人のことを形だけは心配する。
いや、中には心から他人のことを心配する人もいる、って反論する人もいるであろう。
僕もそれは分かっている。
でもそんな稀有な人はほんの一握りだ。少なくとも僕の身近な回りにはいなかった。
だから、僕は心の底から他人を信じられない。
あれだけ会いたい友達のことも、僕はーーーーー。
いけない。
こんなの、堂々巡りじゃないか。
自分で話を振った意味がない。
意識を切り替えよう。
悩むのなんて後でも出来る。
僕は地球で経験してきたどのアルバイトより簡単すぎるほどの仕事の説明を聞きながら、こんな僕のために一生懸命に業務内容を口にするフレイヤと、そんな愛娘を誇らしそうな表情で共に寄り添いながら見守るカトリーナルーカス夫妻を複雑な表情で見つめるのであった。
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