第二十二章 彼女の名は

フレイヤの蔑むような視線を浴びつつ、僕は胃に穴が空く思いで改めて神聖国についての説明を聞いていた。


知らないと言った時は怪しまれるかと思ったが、僕はここでは名前以外は忘れた記憶喪失ということで通してるのを思い出す。


なのでフレイヤたちは疑問を抱くことなく僕の質問に答えてくれた。


説明を予約するとこうだ。


神聖国はフレイヤたちの祖国であるアルザルシア王国の隣国であり、つい最近まで戦争をしていた敵国でもある。


血で血を洗う戦は数十年と長引くも、辛くもアルザルシア王国の勝利で戦は幕を閉じた。


神聖国は敗戦の責任を負うことになり、国の最高支配者であった皇族の多くが粛清されたという。また敗戦の影響で国内も疲弊し、大小様々な反乱が頻繁に発生しているらしい。


「ーーーーーー皇族の生き残りはいないとまで噂されていて、各国では皇族の生き残りを探そうと躍起になっているのよ」


皇族の証しは垂れ耳のウサギ耳。


当代の皇帝と后妃は処刑され、遺された三人の皇太子も後に処刑。双子の皇女の片割れは幽閉されるも、もう片割れは行方不明になったらしい。


何故フレイヤたちのような一市井が他国の情報を詳しく知っているのかと疑問を抱くも、間違った噂が広まらないようにと王国の方針で真実を知らされているらしい。


それに今の神聖国は王国の支配下にあり、皇族の処刑を行ったのも王国の軍部らしい。


当初は皇族は皆殺しにするとの方針だったのを、王国の王太子が陛下である父親に待ったをかけたのだ。


「・・・・・・神聖国の双子の皇女は女神のごとく美しく、また民にすごく人気がおありだったから。それで王太子が殺すより生かした方が後の神聖国の統治がしやすくなると仰せになって。


それで慈悲深き陛下は皇女の命だけは助けることにしたと後に知らされたわ」


「表向きはそうなってるけど、本当のところはどうだか分からないわよ」


母親であるカトリーナの言葉に口を挟むようにフレイヤが嫌悪感を含んだ声でそう吐き捨てた。


彼女の発言は王族への不敬行為に当たるとカトリーナはフレイヤへと忠告の意味を込めて肘で軽く小突く。


それでもフレイヤの口撃は止まない。


「陛下は素晴らしいお方よ。それは認めるわ。けれどその息子のカルロ王太子は女好きの最低な男よ。此度の戦だって神聖国の双子の皇女を手に入れるために画策されたってもっぱらの噂なんだから」


「フレイヤ!! これ以上は止めなさい!!」


「どうして止めるの!? だってそれなら辻褄が合うわ!! 双子の皇女の片割れは幽閉された後はどうなったの? 普通なら修道院に送られるはずなのに、そういった話は一切聞かないわ!!」


フレイヤの言葉を聞いた僕はそれも一理あるなと思う。


大昔の日本でと敗戦した当主の奥方やお姫さまは敵国のお殿様の妾や側室になったり、尼寺へと送られるのが当時の常識であった。


珍しい例では奥方は自害することもあるが、それはごくごく僅かだ。


なのでその双子の皇女様も慣例に則って修道院に送られるものなのだが・・・・・・、なるほど。


これはきな臭いな。


というか完全にクロだな、そのカルロっていう王太子。


それなら、もしかして僕が奴隷商から買ったこの少女がその・・・・・・。


ゴクリと口内に溜まった唾を飲み込んで、僕は胸の中でざわつくように暴れまわる疑問を口にした。


聞いてどうするのだろう。


真実が知りたいだけの、考え知らずな阿呆になるつもりはない。


どんな真実が突きつけられようがちゃんと受け入れるつもりだ。


「ーーーーーーじゃあ、端的に聞くけど、この子がその双子の皇女様の一人、とか?」


フレイヤとカトリーナは互いの顔を見合わせた後、神妙な表情を浮かべるとどちらともなく頷いて見せた。


「恐らく、ね。本人が何も語ってくれないから確証はないけれど」


「神聖国の国民の共通の認識では“皇女様は女神のごとく美しく、この世の美の真髄を集められたかのような完璧な存在”だそうよ。 悔しいけどこれほどの美人は見たことがないもの」


・・・・・・同性の私でも見惚れるくらいにね、と羨望混じりに呟くフレイヤ。


自身のことを話題にされて恥ずかしそうに身体を小さくする少女。


心なしかウサギの耳がほんのりと赤く染まってるように見えるのは気のせいか。


ともあれフレイヤたちの言うことが本当ならば、彼女は今は滅亡した亡国のお姫さまということになる。


そして王子の画策した陰謀の末に双子の姉だか妹だかと生き別れになった哀れなお姫さま。


僕はスープを飲み干し、どこか寂しげで不安そうに俯く少女の傍へと歩み寄ると、彼女の目線に合わせるように跪く。


迷うように揺れるオッドアイの瞳を優しく見つめて問い掛ける。


「ーーーーー大丈夫。僕たちは、僕は君のことを虐めない。


いや、正直に言おう。


僕は君のことを助けたい。


だけどその為には君のことを知る必要がある。


ほんの少しでいいんだ。


僕らのことを信用してみてくれないか?」


名前も何も知らない少女。


奴隷商人からなりゆきでついつい衝動買いしてしまった少女。


出会ってから半日も経っていないが、それでも僕はこの子のことを守っていきたい。


そう思うまでに好意的に彼女のことを思ってしまった。


一度も口を開いてくれない。


それは悲しいことだ。もしかしたら先天的に喋れないのかもしれない。


それならば仕方がないことだ。


だけどそうでないのならば、何でも良い。彼女の声が聞きたい。警戒して言葉を交わしてくれないのは寂しくて実に虚しいものだ。


信用に足る人物になりたい。


それには彼女が心を開いてくれないと。気持ちの一方通行なのは・・・・・・、切ない。


少女はしばし僕の瞳を見つめていた。金と銀のオッドアイが揺らぎ、僕には彼女がどうすればよいのか逡巡しているように映った。


それでもやがて意を決したのか。


つい先程まで浮かべていたおどおどとした表情を一転させ、大国のお姫さまを思わせるようなキリリと凛々しい表情を浮かばせると、


「・・・・・・私は、私の名はナタリーア・アウロ・バルティクス・キティーネ・ゼウロパターナ。


今は亡き神聖国皇族の生き残りでもあり、先に処刑された皇帝陛下ゼウロパターナ15世の第二子でございます。


ハヤト様、と申されましたか。此度は危機的な状況下に置かれていた私を助けてくださりありがとうございます」


鈴の音が鳴るような透き通った、それでいて芯が通った凛々しさを感じさせる声で自身の名を述べた。


フレイヤのお下がりである草木色のエプロンワンピースの裾を摘まんで、高貴な女性がするように恭しく膝を曲げて頭を下げながら。


礼儀作法が完璧で、僕たちは高貴なオーラを全身から発する少女ーーーーーナタリーアを瞬きもせずに見つめていた。


さっきの少女とはまるで別人みたいだ。


だけど、少女の首にはあの不釣り合いな首輪が鎮座していて・・・・・・、このナタリーアがさっきのナタリーアと同一人物なのだと認識した。


僕を除くフレイヤ一家は目の前にいるこの少女が神聖国の皇女だと知り(薄々勘づいてはいたが)、馴れ馴れしく接したことに恐れをなしたのか、三人ともが慌てて膝をついて頭を下げる。


亡国の姫とはいえ、本来ならば皇帝の娘であるナタリーアはアルザルシア王国の王族よりも格が高い存在だ。


皇女様に一平民が馴れ馴れしく接したとなると平時ならば頚が飛んでも文句は言えないほどの不敬罪に相当するのだ。


頭では最早敬う必要がないのは分かっているのだが、もうなんというか遺伝子レベルで染み付いているのだ。


すると皇女様は頭を下げたまま固まるフレイヤたちに頭を上げるように言う。


もう自分は亡き国の姫なのだから媚びへつらう必要はないと。


先程のように気安く接して欲しいとも告げた。


皇女殿下から直々のお許しが出たこともあり、フレイヤたちは恐々としながらも取り敢えず平伏するのは止めて立ち上がる。


それでもやはり戸惑いは隠せない。


というか王国民としてどう接したら良いのか葛藤しているのだろう。


敵国の姫なのだから、憲兵に突き出すべきか。それでも一度彼女と接した今では多少なりとも情が沸き、哀れで一人ぼっちのお姫さまを匿おうという気持ちも出てくる。


カトリーナとルーカスがどう扱えばいいのか困惑する中、彼らの一人娘であるフレイヤだけは違った行動を見せた。


まるで同年代の友達のように気安く彼女の手を握ったのだ。


一瞬ナタリーアはフレイヤの行動に目を真ん丸に見開いて驚くも、すぐさま嬉しそうに微笑んでフレイヤの手を握り返して応える。


そんな娘の行動を目の当たりにしたカトリーナルーカス夫妻は覚悟を決めたようだ。


互いに目配せすると、僕の方へと振り向く。言葉はないが、目には彼らの意思がありありと浮かんでいた。


なるほど。


どうやら彼らも僕と同意見らしい。


ならば、決まりだ。


僕は年の近い友達のように仲睦まじく接し合うフレイヤとナタリーアを見て決意を固める。


決意とは彼女を守ること。


その覚悟だ。


少なからず彼女は僕たちのことを信用してくれた。心を開きはじめてくれたのだ。


ならばそれに応えるのが男だろう。


ウサギ耳をユラユラと揺らしながら歓談をするナタリーアを見つめながら、僕は今後のことを話し合うべく彼女の元へと歩み寄るのであった。

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