第十七章 一世一代の買い物
手の平の上に載せた三枚の硬貨。
今僕が出せる全財産だ。
この十二円で土地が買えるってフレイヤが言っていたから、たぶんこの女の子を身請けできるはずだ。
それでも足りなければ・・・・・・、それは後で考えよう。
僕は固唾を飲んで男たちの動向を見守る。
気まずい静けさが辺りに立ち込める。
フードの隙間から見える男たちの表情は戸惑いと驚愕。互いの顔を見合わせて何事か呟く。
「おい、これ・・・・・・」
「あぁ、本物・・・・・・なのか?」
本物かどうか疑っているのか。案外疑り深い性格なんだな。
馬鹿そうなのに、大人しく受け取れよ。
僕は苛立ちも手伝って、半ば強引に手に持った十二円を男たちに押し付けると、
「これで彼女を買わせてもらう!! 文句はないよな!?」
背中に身を潜めていた奴隷の少女と、すぐ隣で唖然としているフレイヤの手を取って、凶悪面の男たちとは反対の方向へと走り出す。
先程まで蚊帳の外だったセイラは、いつの間にか野次馬たちの外にいて僕たちを誘導すべく手招きしていた。
一介の商人とは思えないほどの身のこなしだ、と僕は離れた場所に立つセイラを見てそんな感想を抱く。
とはいえ今は疑問は置いておいて、僕は男たちが何か言う前にこの場から逃げることに専念する。
大丈夫。
僕の身元はバレてないはずだから、最悪フレイヤから身元を辿られても僕たちが姿を消せば問題はないはず。
ハァハァと吐く息荒く、僕たちは多くの人で溢れる西市場から離れる。
人目が付きにくい裏路地へと逃げ込み、どうにかこうにか僕たちはフレイヤの宿屋がある東市場まで逃げおおせることに成功した。
どうやら裏路地は街中に通じているらしく、通る道順さえ間違えなければ目的の場所へと辿り着けるようだ。
その道順を何故郊外から通っている商人のセイラが知っているのかは分からないが、今はその事を追求する気にはならなかった。
それどころか逆に感謝したいくらいだ。
フレイヤも肩で息をしながら、セイラにお礼を述べる。
「ーーーーーはぁ、はぁ。セイラ、ありがとね。貴女のお陰で助かったわ」
「いいのよ、別に。それよりもその子、本当に貴方が面倒見るの?」
あれだけ走ったのにも関わらず息一つ乱れていないセイラ。汗一滴すらかいてない端正な表情を崩さずにそう僕に問いかけてきた。
冷たさすら感じるほどの怜悧な表情だ。
僕は寒気を覚えるほどに、まるで人が変わったかのようなセイラの変わりように恐れを抱いた。
彼女の言いたいことは分かる。
今回のことは僕の独断であり、はっきり言って衝動買い以外の何物でもない。
本一冊、おやつ一個買うような気軽さのものではなく、今回の戦利品は人間の女の子。
責任感や重責具合がハンパなくデカイ。
僕に隠れるようにすぐ真後ろで息を整える奴隷少女の息遣いを感じながら、それでも自身の行動は間違っていないという意思をセイラに伝えた。
「あぁ、もちろん。伊達や酔狂でこんな真似をしたんじゃない。ちゃんと責任は取るよ」
あそこで見て見ぬフリは出来た。握られた手をほどいて少女から逃げ出すことも出来ただろう。
だけど僕は軽薄な人間にはなりたくなかった。
優しい人間でありたい。偽善だと、同情での行動だと罵られてもいい。
見ず知らずの僕を助けてくれたフレイヤに幻滅されたくなかったというのも理由の一つだが・・・・・・、正直に言おう。
僕は損得で動くような人間になりたくない。
要はフレイヤたちのような人間になりたいのだ。
この女の子を助けたことで後々己の身に火の粉が降りかかろうとも、それでも手を差し伸べられる、そんな人間に。
だから、助けた。
それだけだ。
もちろん、助けて終わりだなんて無責任な態度を取るつもりはない。
きちんと人並みの生活を送れるように努力するつもりでいるし、何なら彼女の故郷に帰れる手助けをしてもいい。
僕も男だ。
己が決断した行動の責任は果たす。
例えその行いが他人から褒められたものでなくとも。
僕の目を真っ直ぐに見据えていたセイラであったが、僕の口上を聞いて直ぐに鋭さを纏った真顔を崩すと、
「ーーーーーーそう、貴方でよかったわ」
静かな口調で一言呟く。あまりに小さな声だったのでよく聞こえなかった。
何を呟いたのか聞こうと口を開きかけるも、セイラの人差し指が僕の唇に宛がわれ阻止されてしまう。
人の良さそうな笑みは消え失せ、何か妖艶な、大人の女を匂わせるような笑みを端正な顔に張り付けて、セイラは僕の耳元で短く言葉を紡ぐ。
彼女の巧妙なところはフレイヤに見せないように位置の調整をしていることだ。
セイラの口にした言葉はこうだ。
ーーーーーーあまり深入りするな。
気さくな年上の商人のナリを潜ませて、まるで人が変わったかのような、例えるならば支配者ような高圧的な威圧感さえ感じる言葉遣いと雰囲気に、僕は何も言えず何も出来ずに固まってしまう。
僕の戸惑いもどこ吹く風というように、僕の耳元から寄せていた顔を離したセイラの表情はいつも通りの、あの人の良いお姉さんを思わせるような柔和な笑みを張り付けていた。
鋭いようでその実鈍いフレイヤは、セイラの変わりように気づくこともなくいつものように彼女に接する。
「? どうしたのセイラ。急にハヤトの方に寄っていって」
「あぁ、ごめんごめん。ちょっとハヤトくんが購入したこの娘が気になって・・・・・・」
つい大人げなく覗いちゃった、と可愛らしく舌をチョロリと出して誤魔化しにかかるセイラ。
その言葉を少しも疑わないフレイヤは、彼女の言い訳を聞いて納得してしまう。
「セイラも? 実は私もそうなんだよね。最初は考えもなしに奴隷を買ったハヤトに怒りもわいたけど・・・・・・、今はハヤトの取った行動は間違ってないと思うよ」
あんな奴らにまるで物みたいに乱暴に扱われるなんて、同じ女の子として許せないし、とフレイヤは鼻息荒くそう息巻く。
僕はフレイヤの反応を見て、一番懸念していた事案が問題なく解消したことに安堵した。
誰に何を言われるより、フレイヤに軽蔑されることが一番嫌だったのだ。
フレイヤの反応もそこそこに良いので、僕は背後に隠れるまるで小動物のような少女に声をかけた。
この人たちは大丈夫。君のことを虐めたりしないよ、という気持ちを込めて。
「怯えなくても大丈夫だよ。僕たちが君を守るから。だから、君のことを教えてほしい」
「・・・・・・」
宝石のように輝くオッドアイの双眸を真っ直ぐに見つめて、僕はなるべく声色が優しくなるように努めて語りかけた。
しかし、まだ奴隷の女の子は警戒の色を解かず、一言も言葉を発することなく僕の背中に隠れた。
彼女の警戒心を解すのは一筋縄ではいかないようだ。
これは今日はダメかもな・・・・・・、と僕は申し訳なさそうにフレイヤとセイラに頭を下げた。
「・・・・・・ごめん、まだ無理みたい」
こんなことに巻き込んじゃってごめんね、と付け足して。
重苦しい空気が僕を中心に四人の間に浸透するように広がる。
そんな空気を払拭するように、ワザとに努めて明るく振る舞い始めるセイラ。
「気にしないでいいよ。それじゃあ、ここいらで解散しましょうか。ーーーーーフレイヤ、ここからなら貴女の案内で帰れるわよね?」
「え? えぇ、それは大丈夫だけど・・・・・・」
「じゃあ、そうしましょう。私も少しほとぼりを冷ましてから街を出ることにするから」
今日は残念ながら店仕舞いね、と苦笑しながら。
残念といいながらちっとも残念そうに見えないのは僕だけだろうか?
というか、唐突なほどの話題の逸らしようにフレイヤも戸惑いを隠せない様子。
そこそこに付き合いが長そうなフレイヤが違和感を抱くほどに、今のセイラは普段の彼女とは違うのだろう。
それはよっぽどの事態なのだろう。なにかのっぴきならない理由があるのか。
残念なことにセイラの表情からはなにも読み取れなかった。
それから有無を言わさぬ圧を纏いながら、僕とその背中に隠れる少女を舐めるように視線を這わして、
「それじゃあ、またね。・・・・・・近い内に会いましょう」
それと、約束を果たせなくてごめんなさいね、と踵を翻し様に余分に付け足すセイラ。
去り際に見せた微笑みは、どこか寂しそうで、それでいて達観していて、まるでそうどこぞのお姫様を連想されるような笑みであった。
優雅さえ漂うようなセイラの後ろ姿をしばし見つめながら、まるで時が止まったかのような錯覚を抱いていた。
その証拠に息をするのも忘れていたくらいだ。
視界から完全にセイラの姿が消失したことで、やっと僕たちの周りの時間が動き出すのを感じた。
酸欠な脳に新鮮な酸素を送るべく、僕たちは浅い呼吸を繰り返す。十分なほどの酸素が脳に供給されると、ようやくまともな思考が出来るようになった。
とはいえ、ここでは話し合いをする場所には不向きだ。いくら人通りが少ないとはいえ全くないとは言えない。
それにあの男たちが彷徨いている可能性も否定できない。
ならばここは一旦この場所から移動して、ゆっくり落ち着ける場所で今後のことを話し合うべきだ。
本当ならば僕一人で対処しなければいけないのだけど・・・・・・、せめてフレイヤたちには僕が今後どうするかの方針を説明しときたい。
それらを踏まえるとやはり移動する場所は決まっている。
フレイヤの止まり木だ。
僕たちは互いの顔を見合わせると無言で歩き出した。
と、その前に・・・・・・。
「ーーーーーーそのままじゃあ目立つから、しばらくこれを被っててね」
僕の外衣の裾を握っている少女に向き直ると、身に付けいたフード付きの外衣を脱いで少女に着せていく。
ブカブカだけどないよりマシだろう。
何か言いたそうにジト目で僕を見つめるフレイヤ。
大丈夫だよ、僕の瞳はよくよく見ないと黒だって分からないから。特に明るいところだと尚更ね。
僕はポンポンと慰めるようにフレイヤの肩を叩くと、少女の手を離さないように強く握りしめてフレイヤを伴って再び歩き出す。
納得がいかなそうに眉を寄せるも、それでも僕に付き合ってくれるフレイヤの人の良さを有り難く噛み締める。
家なんかと比べたら失礼だし、論理に反するけど・・・・・・、人一人の命を買ってしまった責任の大きさを繋いだ手から感じる。
手に感じる仄かな温かさと、小さくて柔らかな肌の感触とその重さに。
一世一代の買い物って、こういうのを指すのかな。
それがまさか家とかじゃなくて、人間の女の子になるなんて思わなかったけど。
だけど、ちゃんと守ってみせる。
そう決意しながら、僕はフレイヤの先導のもと薄暗い路地を足早に抜けるのであった。
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