幕間 一方、その頃セイラは
「ーーーーーーこの硬貨を鑑定してくれるかしら」
ドンッ、と机の上に硬貨が入れられた袋を置く。ワザと大きく音が鳴るように意識して、だ。
セイラの姿を見た両替商の店主である老婆は、目深く被ったスカーフから緑色の双眼を覗かせて、加齢のせいで抜け落ちた歯を見せつけるように口を歪に歪ませる。
「・・・・・・これはこれは。珍しいお客さんが来たもんだ。お父上が心配しておられるのではないかい?」
「・・・・・・お父様の話しはしないでちょうだい。私はここでは街の外から通うしがない商人のセイラよ」
「それは失礼した。何、安心おしよ。お貴族様に逆らうような浅はかな真似はしないからね」
かかか、と愉快そうに笑いながら、老婆は机の上に置かれた袋を手に取る。
そして商売道具である年季のいった秤を手に取るとうっすらと積もった埃を息を吹いて払う。
ったく、両替商のくせに商売道具も大事にしないなんて、とあまりにもいい加減な老婆の商売に対する姿勢に憤慨するセイラ。
フレイヤにはこの店は初めて来た体を装っていたが、セイラはこの店もこの老婆もよくよく知っていた。
というか元よりこの街はセイラの庭だ。記憶力のよい彼女は街の住人の殆どの顔や名前を把握している。
そしてこの街の両替商には自身の身分を明かしている(もちろん、信用に足る人物だけだが)。
セイラは父親の命令で街の調査を任されていたのだ。
主な任務は怪しい他国の間者の炙り出しに、他国の金の流入の把握であった。
これも全て記憶力のよいセイラにしか出来ぬ任務であった。
生まれつき武芸が苦手なセイラは、それでも家の役に立つべく、武芸とは別の方法で家の役に立とうと考えた。
その方法というのが父親直属の密偵として、であった。
生まれつき物覚えのよさをフルに使って人の顔を覚える、数十各国の言葉を流暢に話す、自国と他国の歴史や文化を完璧に把握する。
将来立派な密偵になるために、セイラは人前に出るのを止めて、領民には病弱な少女として周知させた。
長年かけた作戦のお陰で、領民ならびに位の低い貴族はセイラの素顔を知らない。
なのでセイラは自由に街の中を変装もせずに出歩けるというわけだ。
「・・・・・・ふむ、見たところ神聖国の硬貨が大半を占めているようだね。払った人物に言葉の訛りはあったかい?」
老婆は会話をそこそこに切り上げて仕事に取りかかる。シワだらけの手でルーペを持ち、セイラが持ってきた硬貨を調べ始める。
この老婆、仕事はいい加減であるが卓越した鑑定力を持ち、 若かりし頃は王都の貨幣局に勤め上げて硬貨の製造の権限を任されていたらしい。
流れるような手捌きで机の上に盛られた硬貨を秤の上に一枚ずつ載せていく。
重さの規定は硬貨ごとに決まっているが、今回セイラが持ち込んできたのは銅貨、白貨、石貨の三種類である。
石貨は本物に間違いないが、問題はこの白貨と銅貨である。
実は神聖国と我が祖国であるアルザルシア王国の硬貨は非常に似通っており、最近は敗戦国の神聖国の国民が王国中の街や村に逃げ延びて生活しているとの噂が広まっているのだ。
なので賢王であるアルザルシア王国のルーフ七世は各領地を治める領主たちにお触れを出した。
その噂の審議を確かめるため、しばらく領民に支払う金はアルザルシア王国でしか発行されていない石貨、木貨のみにすること。
仮に白貨などの硬貨を持ってきた場合には然るべき調査をした後に報告するぺし、と。
(・・・・・・面倒くさい展開になったわね。神聖国との戦争が終わったばかりだというのに)
いや、本当の戦争はこれからなのだろう。
終わったと喜ぶのは何も知らない平民たちだけ。
各地で起きるであろう残党狩りや内紛を収めないと、真の意味での終戦は我が国に訪れないであろう。
その為には神聖国の皇帝一派の残党を炙り出さなくてはいけない。
確証はある。
何よりこの硬貨が既に敵の手が我が祖国に入り込んでいるのが確たる証拠だ。
パッと見では分からない程度に細工された銅貨に白貨だ。素人ならば自国の硬貨であると疑わないだろう。
だか、私の目は誤魔化されない。
もちろん、この老婆の両替商もだ。
無言で鑑定すること数十分。全ての硬貨を鑑定し終えた老婆は疲れた表情で手にしたルーペを置いた。
フゥ、とため息を吐くと、鑑定が終わったばかりの白貨と銅貨、石貨とを分けてセイラの前に置く。
神妙な顔つきでこちらを見つめる老婆を真っ直ぐに見つめて、
「・・・・・・それで、貴女の結論を聞かせてちょうだい。この硬貨は神聖国の物か否か」
老婆はセイラの問いかけに頷きながらハッキリとした口調で断言した。
「あぁ、この硬貨は間違いなく神聖国の物だ。ご丁寧に硬貨の紋章まで偽造してね」
決め手は微妙な重さの違いらしい。
アルザルシア王国が定めた硬貨の重さは厳密に決められており、今回の問題の銅貨の重さは一枚五グーム(g単位を指す)、白貨の重さは二グームとなっている。
ところがこの偽造硬貨は重さがミラ(㎎単位のことを指す)ほどずれているのだ。
昨今の両替商は秤は使わず、硬貨の見映え以外重視しない。使ったとしてもまとめて秤に載せるのでよほど重さが違ってなければ問題なく両替する。
この偽造硬貨を製造した奴は我が国の両替商の怠慢を突いたのだ。
こんな手間のかかることをしているのは、ただ一つ。
我が国の金を得るため。
得た金は反乱行為に使うつもりなのだろう。
一刻も早く出所を突き止めねば。
大丈夫、この金を持ってきた奴の顔は完璧に覚えている。すぐ傍に控えている配下の者に隠語で伝えれば明日には情報を得るなり、身柄を拘束したり出来るだろう。
「ありがとう。後で礼はするわ」
「気にしないでいいよ。それよりたまには親の元へ帰っておやりよ。きっとアンタの心配をしているだろうからね」
「・・・・・・どうかしらね」
セイラは老婆から硬貨を受け取ると再び袋の中に戻す。
彼女のお節介に眉を潜めつつも、どうにか平静を装って気丈に答える。
お父様が自分を気にかけているとはとても思えない。出来損ないの自分は家族から気にもかけられない矮小な存在なのだ。
こんな間諜もどきのやり方でしか実家に貢献できない。
存在意義の証明のために、私はあえてこの棘の道を選んだのだから文句や不満など言える立場でもない。
セイラは気を入れ換えて、この店に入った時と同じように人の良さそうな笑みを浮かべて、
「ーーーーーありがとね、おばあさん。またお願いしまーす」
ヒラヒラと手を振りながら、セイラは両替商の老婆に背を向けて店を出ようと歩き出す。
悲壮感は胸の奥にしまって。
セイラは店の外に待つ友人たちに明るく振る舞うべく意識しながら扉の取っ手に手を掛けるのであった。
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