第十一章 女店主と、黒耀眼

半日ぶりに僕は迷いこんだ異世界の市場に来ていた。


昨日と違うのは一人ではなく、フレイヤと一緒なところか。


ともあれ、これで人目を気にすることなくゆっくりと市場を観察出来るというものだ。


ただし、一つ不満を挙げるとすれば・・・・・・、顔をすっぽりと覆うほどのフード付きのマントを羽織らされたことか。


これじゃあ余計に怪しまれないか、と不満そうに唇を尖らせてフレイヤに文句を述べる。


だが、フレイヤは澄まし顔で僕の文句を華麗にスルーした。


それどころか僕の額を軽く小突くと、


「文句を言わない。これは貴方の為でもあるんだからね」


まるで聞き分けのない子どもを言い聞かせるような口調で嗜めてきた。


それでも周りを見渡してみても、僕のようなフードを被った人間はいない。


これじゃあ余計な騒動を生むだけでは、と僕は不安で胸が一杯になる。


しかし、フレイヤは僕の心配などどこ吹く風で僕の手を取って市場へと繰り出す。


人混みを掻き分けて、フレイヤは手慣れた感じで市場を巡り始める。


手始めにまずは生鮮食品を売っている店から。その中でも馴染みのある果物や野菜を売っている店へと直行するフレイヤであった。


店の店主は女性であり、年は二十代半ば。優しい雰囲気を漂わせた愛らしい容姿の女店主だった。


フレイヤはニコニコ顔でその女店主と挨拶を交わす。


「おはよう。セイラ、今日も早いのね」


「おはようフレイヤ。あら、貴方の隣にいる彼は始めて見る顔ね?」


セイラと呼ばれた女店主は目敏く僕を見つけて、フレイヤの斜め後ろに隠れていた僕へと声をかけてきた。


このまま口を開かずにしようと思っていたのに、気づかれてしまったのなら仕方がない。黙っている方が失礼だし逆に目立つ。


僕はフレイヤの背後から女店主の前に出ると、フードを外して挨拶しようとするもフレイヤに止められてしまい、不本意ながらフードは外さずに挨拶するに止めた。


「初めまして、本日からフレイヤのとまり木で住み込みで働くことになったハヤトと言います。今後ともよろしくお願いします」


ペコリと頭を下げて一息に言葉を吐く。


本当は握手を交わしたいところだけど、日本でも初対面の人で握手をすることに抵抗あるし、この異世界だってどんなマナーがあるか分からないし、先ずはお辞儀で。


フレイヤの知り合いの女店主は、いっしゅんだけキョトンとしていたが、すぐさま人の良さそうな笑みを浮かべて、


「これはこれはご丁寧にどうも。私はこの店の店主のセイラよ。街の外の村から通ってきてるの」


今後ともご贔屓に、とセイラはスッと流れるような仕草で手を差し出す。


どうやら握手を求めているようだ。僕は彼女の申し出に応える形で握手を交わす。


握っていた時間は数秒ほど。どちらともなく手を離すと、セイラは再びフレイヤへと向き直る。


「フレイヤ。結構いい男じゃない。どこで知り合ったの?」


「別にどこでもいいでしょ。それよりセイラ。ちょっと相談があるのだけど、いいかな?」


「うん? 何、フレイヤ?」


何時にない様子のフレイヤに、セイラは姿勢を直して彼女へと向かい合う。真剣な表情を浮かべるセイラは中々に様になっていた。


フレイヤはセイラに促される形で、僕を彼女の前へと押し出す。


うわわっと情けない声を上げて、僕はつんのめりながらセイラの顔と僕の顔が引っ付きそうな距離まで押し出されてしまう。


セイラの綺麗な緋色の双眸と目が合ってしまい、僕は気恥ずかしくなって無意識に視線を逸らしてしまう。


セイラは僕と瞳が合った瞬間、「あっ」と驚きに染まった短い声を上げて、すぐさまフレイヤへと何か言いたさそうな、もどかしい気持ちを込めた視線を向ける。


「・・・・・・ちょっとフレイヤ。彼の瞳、これって“黒耀眼”じゃないの?」


「そうだけど、だからセイラに協力して欲しいんじゃない」


黒耀眼?


また聞き慣れない言葉が出てきたな。


戸惑う僕を尻目に、尚もフレイヤとセイラの会話は続く。


「黒耀眼の持ち主なんて、ここいらじゃ見たことないし。そもそも黒耀眼って神聖国の王族にしか現れないんじゃなかったかしら?」


「・・・・・・だから、困ってるんじゃない。ハヤトとが衛兵に見付かったら大変なことになるのは目に見えてるし。この目を上手く隠せる方法を知っているのかなって、それで」


「黒耀眼をね・・・・・・。確かにその目は危険よね。黒い瞳は神聖国の王族でも百年に一人くらいしか現れない貴重な目だと聞いたことがあるわ。その美しさから他国では一山ほどの金塊と同等の価値があるとか」


そんな大袈裟な。この黒い目なんて地球ではほとんどの黄色人種が所持している初期装備にしか過ぎない。


どちらかというとフレイヤたちのような瞳の色が僕たちには人気だ。


フレイヤの灰色の瞳や、セイラの緋色の瞳の方が僕の黒い目より断然綺麗だ。


僕は信じられないという風に、フレイヤたちの会話に加わる。


「ーーーーーー僕の目って、そんなに価値があるの? 少し大袈裟なんじゃない? 金塊と同列の価値があるとか」


「全然大袈裟なんかじゃないわ。貴方の瞳はね、この世界の人間がこぞって欲しがる宝物なのよ」


「そうね。流石に殺されるってことはないかもしれないけど、王候貴族に見つかったら面倒よ。一生飼い殺しか、それとも黒耀眼を増やそうと無理矢理結婚させられて子供を作らされる羽目になるかも」


「それはまだいい方で、もし奴隷商人に見つかったら最悪よ。目玉をくりぬかれて殺されるか、良くて奴隷墜ちになって変態貴族たちに買われてしまうか。ともあれひどい結果になるのは目に見えてるわ」


交互に惨い未来というか、結末というか、顛末を口にするフレイヤとセイラ。


そんな愛玩動物みたいな一生死んでも嫌だ!!


王様や貴族に飼われるのも嫌だが、奴隷墜ちになるのも絶対嫌だ!!


僕はすがるようにセイラへとしがみつく。


あまりにも必死な僕に戸惑いながらも、セイラは優しく微笑んで落ち着かせるように肩を数回撫でてくれた。


「分かった、分かったから、落ち着いて。えぇとハヤトと言ったかしら? 貴方の目の事はちゃんと対策してあげるから」


「ほ、本当ですか?」


「えぇ、本当よ。・・・・・・だからフレイヤ、そんな物騒な視線を向けないで頂戴」


震える僕の体をしばらく撫で擦っていたセイラであったが、どこかひきつった表情を浮かべて僕の真後ろにいるフレイヤへと苦言する。


自覚がなかったのか、セイラに指摘されたフレイヤは誤魔化すように咳払いすると、


「と、とりあえず!! その言いぶりだと何か妙案があるのよね? 早く、行きましょう」


「良いけど、ちょっと待ってちょうだい。ついでに両替商に寄るから準備しないと」


「なに? 昨日行ってないの?」


呆れた口調でセイラを責めるフレイヤ。


お金が入った皮袋を手に取ったセイラはめんどくさそうに目を細めて、


「昨日は大変だったのよ。突然衛兵が来てものものしいったら。あちこちの店をひっくり返して滅茶苦茶にして、私の店は大丈夫だったけど、おかげで市場は混乱しちゃって」


それで両替商に行くのを止めたのよ、と呟く。


フレイヤは体を固くしてセイラに原因を尋ねるも、彼女はあまり深くは語らなかった。


僕のせいではないといいが・・・・・・、セイラ曰く僕が原因ではないとのこと。


黒耀眼の事が明らかになっていたら、衛兵どころか騎士団が出張ってくるとのこと。


「だから禁製品が出回っているか、犯罪者が市場に逃げ込んでいるかのどちらかでしょうね。とはいえ遅かれ早かれ騎士団が出てくるのは間違いないでしょうけど」


「じゃあその前にハヤトをどうにかしないとね。天気も悪くないのにフードを被っていると怪しまれるしね」


ねー、と僕はフレイヤに同意を求められるが、そんなこの世界の常識をさも当たり前に言われても困るんだよな、と困惑した表情を浮かべる。


答えられずに固まっていると、店を離れる準備が完了したセイラが助け船を出す。


「さぁ、そろそろ行きましょうか。フレイヤ、案内してくれる?」


「えっ? セイラの馴染みの両替商でなくていいの?」


「今回は特別よ? だって目的の店は南市場の方向にあるもの。私、あまりあっちの方に行かないから」


「そう、じゃあ私のあとに付いてきてね」


セイラの言葉を聞いたフレイヤは率先して案内をかって出た。


フレイヤが背中を向けたと同時に、セイラは僕の手を握ると、まるで仲の良い恋人にするように顔を近づけて、


「・・・・・・ふふ、フレイヤには内緒ね」


耳元でまるでからかうように囁く。その瞬間僕の背筋にゾワゾワと鳥肌が粟立ち、僕は弾かれるようにセイラから距離を取った。


そんな僕を見たセイラはからかいがいのある玩具を見る様に一瞥すると、鼻歌を奏でながら僕に背を向けてフレイヤの後に続く。


(僕、この人苦手だな)


ハァと重々しい溜め息を一つ吐き、置いていかれぬよう慌てて彼女たちの背中を追いかけたのであった。

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