第十章 市場偵察と奴隷商人の会話
一家団欒とはほど遠い気まずい朝食が終わったあと、僕は改めてルーカスとカトリーナ夫妻、そしてその娘であるフレイヤに礼を述べた。
一晩じっくりと考えた結果、やはりこのお金は彼らに謝礼金として渡そうということに決まった。
フレイヤたちの口ぶりから、このちっぽけなお金はこの世界ではとてつもない金額に早変わりするようだし、ならばこうした方が良いに決まっている。
僕は神妙な面持ちでポケットから取り出した十二円をテーブルの上に置き、ルーカスにこのお金を納めるよう頭を下げた。
「・・・・・・」
ルーカスは無言で天板に並んだ三枚の硬貨のうち比較的に大きな銅貨である十円を手に取る。
それをじっくりと隅々まで見回す。蝋燭に翳して十円に刻まれた刻印を目を細めて鑑札していた。
時間にして数分ほどか。
彼は十円ほか全ての硬貨を確認すると、それを無言で僕に突き返してきた。
ルーカスの想定外の行動に僕は狼狽えてしまう。
カトリーナやフレイヤと同様の行動に出るなんて思ってもなかったからだ。彼が素直に受け取ってくれれば万事上手く解決すると思ったのに・・・・・・。
どうして、僕はポツリと呟く。
そんな僕へルーカスは静かだが、それでも芯の通った声で言葉をかける。
「・・・・・・坊主。この金はお前のものだ。お前が心の底から使いたい。そう思うものに使えば良い」
「でも、それじゃあ僕の気持ちが収まりません。風体の分からない僕を助けてくれた上に無賃で宿屋に泊めてくれて、それに朝御飯まで食べさせてくれて。僕はとっても感謝してるんです」
だから、お金を受け取ってほしい。今の僕にはお金以外価値のある物がない。
この恩に報いるには僕の有り金を払うしか・・・・・・、そんな僕の不安に揺れる心を察したのか、ルーカスはある提案を口にした。
いわゆる妥協案といったところか。
その提案とは、
「ならば、しばらく俺の宿屋で下働きをしろ。お前自身が稼いだ金で薬代を返せばいい」
労働によって得た給金による借金の返済であった。
ルーカスが提示した内容は二つ。
一つ目は無給であること。
二つ目はこの宿屋に住み込みで働き、三食+お菓子休憩をつけるということ。
ただし一つ目は例外があって、何か要りようがあれば給料を支払うとのこと。
この二つの提示した要件を守ってくれれば、好きに過ごしてもいいとのことであった。
「ーーーーーーこれでどうだ? その金は誰か大切な人が遺してくれた大事な金なのだろう。お前の借金はお前自身が働いて得た金で返した方が、お前自身の気が楽であろう」
「ルーカスさん。・・・・・・その、いいんですか?」
彼が提示した提案は、僕にとっても願ったり叶ったりであった。
元々、この全財産を払ったあと、元の世界に帰るまでの日銭を稼ぐために、どこかの店で住み込みで働こうとしていたのだ。
なのに、このルーカスときたらこの十二円は持っておいて良い。そして僕をここで住み込みで雇い入れるという。
正に破格の条件だ。
本音を言えばすぐにでも飛び付きたい。それくらいに魅力的な条件なのだ。
まだ迷っている僕にトドメを刺すように、
「ーーーーーーハヤト、どこかに行っちゃうの?」
フレイヤが僕の手を取って上目遣いに、大粒の瞳をウルウルと潤ませて懇願してきた。
美少女の上目遣いには本当に弱い。というか無下に振り払える気がしない。
くそっ、あんなに仲が悪いくせにこういう時に共闘してくるなんて卑怯だ。
うぐぐ、と僕は悔しそうに下唇を噛むと、
「・・・・・・分かりました。ここで働かせてもらいます」
ルーカスとフレイヤ親子の共闘に屈し、絞り出すような声で彼らの提案を受け入れることにした。
好条件なのは間違いないのだ。
僕からも断るよりは受けた方が利に敵っているのは間違いない。
だから、その何て言うかフレイヤが引き留めてくれて嬉しかったのも事実だ。
僕は顔を赤くしてじゃれてくるフレイヤをそのままに、何だか生暖かい視線を向けてくるカトリーナに居たたまれなくなって思わず視線を背けてしまう。
恥ずかしさからくる行動で、その他の意図はなかった。
まだルーカスのように敵意を向けられる方が万倍マシだった。
やはりカトリーナの方がフレイヤなんかより手強いな、と彼女に気づかれぬようにため息を吐く。
女は男より強し、といったところか。
そんな僕の気も知らずに、フレイヤはグイグイと僕の腕を引っ張り上げて、
「難しい話は置いておいて、ほら、早速市場に行きましょう。ねぇ、お母さんいいよね?」
有無を言わさない強引さで、僕を外に連れ出そうとするフレイヤ。
それでも母親に確認を取るところが、彼女の聡いところだ。
カトリーナは愛娘のおねだりに快諾し、ついでさっきまでの人の良さそうな表情を浮かべていたルーカスが再び険しそうな表情になっているのを諌めるように睨み付けて、
「ーーーーーいいわよね? ねぇ、ルーカス?」
「・・・・・・あぁ、今日だけな」
ブルリ、とこちらが寒気を覚えるほどの怜悧な表情で旦那を見下ろすカトリーナ。
表情を変えないものの、ルーカスの声は恐怖で震えていた。よくよく見てみると冷や汗のようなものが滲んでいるのも分かる。
両親の快諾を無事に勝ち得たフレイヤは、これ幸いとばかりにことさら強く僕の腕を強く引っ張って宿屋の玄関へと向かう。
僕は逆らうまでもなく、フレイヤが引っ張るままにズルズルと引きずられていく。
彼女は一体どこに僕を連れていくのだろう。
僕の疑問はすぐに解消された。
他ならぬフレイヤの言葉によって。
彼女は大輪の花を思わせるような満面の笑みを浮かべて、
「ーーーーーさぁ、市場に行きましょう!!
世間知らずな弟に姉である私が色々教えて上げる!! 」
姉と名乗る年下の少女との市場デートが、間もなく始まろうとしていた。
一方、その頃。
西街にある市場街の片隅でひっそりと営む非合法の闇市場の一角では、ある悪徳商人たちが寄って集って“ある商品”について話していた。
その商品とは人であり、彼らは人を商品として売り買いする奴隷商人であった。
奴隷商人とはどの国でも鼻つまみものとして扱われており、かといって奴隷はいい儲けになるので奴隷商人になる人間が後が絶たない。
例え死刑になるとしても、だ。
それ以上の儲けが、奴隷市場には眠っているのだ。
そんな奴隷商人たちの間では、つい最近仲間の一人が手に入れた掘り出し物についての話題で持ちきりだった。
彼らは下卑た笑みを張り付けて、
「おい、あの噂は本当なのか?」
「あぁ、何でも市場を揺るがすほどの逸品が手に入ったそうだ」
「なんだ、その逸品ってのは」
「何でも、“あの”神聖国の姫君だそうだ」
「なに!? それは本当なのか!」
「あぁ、あの皇族唯一の生き残りである姫君だそうだ」
「・・・・・・そうか、それが本当なら上手いことやりやがったなトーゴのやつぁ」
「あぁ、ちげぇねぇ」
ガハハッと好き放題に喋り、下品な笑い声を上げる悪党たち。
悪党たちの笑い声の裏側で、少女の悲痛な叫び声が薄暗い闇市場に響く。
その叫び声を肴に悪党たちの愉快な飲み会は続く。
救いの手を待ちわびる奴隷たちの声を無視するかのように、何時までも何時までも、それこそ悪党どもが酔い潰れるまで続くのだった。
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