第八章 一夜が明けて、異世界で迎える朝
フレイヤの話を聞いてから数時間後。
解放されたのは未明近くで、僕が寝られたのはほんの二時間ほどであった。
最初の方はタメになる話であったが、後半になるにつれて段々とどうでもいい話題に逸れていった。
何時間経っても娘が階下に降りてこないことに腹を立てたフレイヤの母親の一喝のおかげで、僕はどうにかフレイヤのマシンガントークから解放された、というわけで。
それにしても、だ。
僕はベットから上体を起こすと、軽く腕とかの関節を伸ばしたり回したりしてみた。
収縮運動を繰り返してみても痛むことはない。こんなにも早く回復するものなのか。
とはいえ、軽傷で済んだのならばこちらとしては願ったり叶ったりだ。
念のため安静を取って今日一日はここで大人しく過ごして、明日にも活動を本格的に開始しよう。
重傷でもないのならば何時までも寝てはいけないよな、と僕はフレイヤが起こしに来る前に起きることにする。
あの少女は僕の事を弟だと思っている節があるで(記憶喪失による年齢詐称のせいで)、事あるごとに僕に“姉として”必要以上に構おうとしてくる。
年下の姉とかほんと笑えない。
だけど一人っ子だった僕にとって、彼女の存在は何だか嬉しくもあって、なかなか止めるように言い出せないのが現状であった。
今のところさほど困ってもいないし、フレイヤの好きなようにやらせるとしよう。そのうち飽きるかもしれないし、と僕は楽観的に考えていた。
なんとか杞憂に終わればいいが、僕はあることを失念していた。
フレイヤも僕と同様に“一人っ子”であるという事実に。
そんな彼女が自分より年下な奴がいたらどう思うかだなんて、少し考えたら分かることなのに、やはり今の僕は平静ではないのだろう。
当たり前の事が分からない。
僕はぼんやりとした頭で室内を見渡す。
異世界に来て初めて目が覚めた場所。何の変哲もない至って普通の部屋だ。
素朴と質素さを絵に描いたような場所に、僕は何とも言えぬ安堵感を覚えた。
やはり安心できる場所があると違うな。昨日は本当に死を覚悟したのに、今の僕は生に執着するまでに心変わりした。
この世界で生きて、必ず元の世界に帰ってやる。
その為にはまずこの世界に慣れないと。
世界を知るにはまずはその世界に暮らす人と親交をもたないと。
僕はフレイヤとフレイヤの両親に挨拶するべく、彼女に貸してもらった寝巻きを脱ぎ捨てて、恥ずかしくない程度に身支度を軽く整えて部屋から出た。
彼女によると今この宿に宿泊しているのは四人ほどで、夜勤が多いせいか朝早くに起きてくることはないらしい。
まぁ、顔を合わせないで済むし、それはそれでいいんだけど、人の気配が全く感じないのもそれはそれで不気味だ。
シーンと静まり返った廊下を歩きながら、僕は廊下奥に設けられた一階へと続く階段へと向かう。
階下では複数の人が動く気配と微かではあるが人の話し声が響いてきた。
どうやらフレイヤたちは起きているようだ。昨日も遅かったのに逞しいものだ。
僕は欠伸を噛み殺しながら階段を降りる。段差に足を乗せる度にギィギィと軋み音を上げ、その音につられるようにして母親と話をしていたフレイヤがこちらへと振り向く。
どうやら朝の仕事は一段落ついていた様で、パタパタと軽やかな足取りで僕の元へと駆け寄ると、
「おはようハヤト!! 早いね、昨日は良く眠れた?」
「あぁ、おかげさまで。朝までぐっすりだよ。・・・・・・おはようございます、朝から仕事なんて大変ですね」
フレイヤの屈託のない笑みを見やりつつ、僕は床の掃き掃除をしていたフレイヤの母親へと挨拶する。
彼女は僕の存在に気づくと掃除する手を止めて、
「おはよう。昨日はうちの子がごめんなさいね。今まで近所に年の近い子がいなかったから興奮しちゃったみたいなの」
にっこりと笑って挨拶を返してくれた。フレイヤは母の言葉を聞いてプゥーとむくれて、
「お母さん!! わざわざハヤトの前で言わなくてもいいでしょ!! それに私の方がハヤトよりずっと年上なんだからね!!」
「はいはい。貴方はハヤトのお姉ちゃん、でしょう?」
「そう。私はお寝坊なハヤトのお姉ちゃんなんだからね」
ふふん、と昨夜と同様に薄い胸を反らして自信たっぷりに断言するフレイヤ。
そんな愛娘をからかうように、母親である彼女は笑みを絶やさずにフレイヤの相手をする。
もちろん掃き掃除をしながら、だ。
ふむ、これが、大人の余裕か、と僕が感心していると、
「・・・・・・良く眠れたのか」
不意に右奥から野太い声がかけられ、僕は思わずビクッと身体を跳ねさせて声がした方を向く。
聞いたことのない男の声だ。
振り向いた先には声同様に、筋骨粒々の厳つい中年の男が包丁片手に立っていた。
堂々とした立ち居振舞いから、この男がここの主であると悟り、僕はおっかなびっくりと彼へと近づく。
今まで姿が見えなかったけど、どこにいたのだろうか。まるで料理人のような格好から察するに厨房で働いていたのかもしれない。
それならば今まで姿が見えなかったのにも納得だ。厨房は裏方の仕事。あまり人前に出ないのだから昨日今日ここに来た自分が見る確率は限りなく低い。
それでも彼にはきちんと挨拶しておくべきだった、と僕は今更ながらに後悔する。
きっとこの男の中では僕は礼儀知らずな奴と認識されているはずだろう。
少なくとも日本ではそうだ。
あぁ、本当にしくじった。
僕は身体を縮まらせて、仁王立ちする巨大な体躯の男の眼前へと向かい立つ。
手にした無骨な包丁が怖い。ギラリと鈍色の光を放つ片刃を見やり、僕は緊張から喉が異様に乾くのを覚えてゴクリと唾を嚥下する。
この無言タイムが胃にキリキリと負担をかける。
あぁ、怖い。
どうしよう、と困っていると、
「ーーーーーーちょっとお父さん!! ハヤトが怖がっているでしょう!!」
むやみに怖がらせないで、とフレイヤが僕の身体をギュッと庇うように抱きしめ、この厳つい男へと無遠慮に怒鳴り付けた。
というか聞き捨てならない言葉を聞いた気が・・・・・・、と僕はフレイヤの柔らかな身体の感触と甘い体臭にドキマギするのを感じつつ、
「あ、あの、お父さんって・・・・・・」
「そう、この熊みたいな大男は私のお父さんなの。お父さんの姿は初めて見る人には刺激が強すぎるから、最初のうちは厨房奥に引っ込んでもらってるの」
お、お父さん。
哀れすぎる父親と呼ばれた男へと同情の視線を向ける。
思春期の娘は父親に対して辛辣と言うが、これは中々に酷い。
実の父親を言うに事欠いて熊とは、と僕は他人事ながら泣きそうになってしまう。
愛娘に熊と呼ばれた男は、大事な大事な一人娘に抱きしめられている僕を見て、
「・・・・・・」
不機嫌そうに眉を潜めて眼力強くこちらを睨み付ける。
怒っている。
激しく怒っている。大事な一人娘に触るんじゃねぇよって怒っている目だ!!
ヤバイッと本能で危機を察した僕はフレイヤから逃れようともがくが、彼女はそんな僕の逃走を何とも軽い表情で阻止する。
そんな僕とフレイヤのやり取りを見て、ますます嫉妬の炎を煮えたぎらせる父親。
収集のつかないこのやり取りを納めたのは、今まで静観していた妻でもあり母親でもある女であった。
「はいはい。そこまでにしなさい。貴方も、フレイヤも。彼が困ってるでしょ」
パンパンと手を叩きながら、フレイヤから僕を引き剥がし、未だに僕を睨んでいる旦那の頭を軽く叩く。
流れるような動きに感心しつつ、僕はこの宿の本当の支配者はこの女性であると確信した。
フレイヤの母親は戸惑いを隠せない僕へと柔らかな笑みをたたえながら歩み寄って、
「ごめんなさいね、ウチのバカな家族が迷惑をかけて。あっちで一緒に朝御飯を食べましょうか」
「は、はい!!」
僕は女帝の申し出を断ることなく間髪いれずに快諾の意を返した。
ーーーーーー異世界でもやはり女性が強いのだと再確認した僕であった。
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