第六章 フレイヤ手製のスープと、年下な姉が出来た夜

宿屋の二階にある客室の一室に強引に押し込まれた僕。


彼女の話によると、この部屋は僕が最初に寝かされていた場所らしく、このまましばらく使ってもいいとの許可が出た。


最初はこのままタダで泊まるのは悪いからと、流石にお金を払うとフレイヤに提案するも、彼女はこの部屋はあまり人気がないからと頑としてお金を受け取らなかった。


それどころか、部屋の中央に置かれたテーブルと椅子へと指差すと、有無を言わさずにそこへと席に着くように指示した。


何だろう?


僕は疑問に思いつつも、ここは大人しく従おうと彼女の指示通りに粗末な作りの木椅子に腰を下ろす。


座面が硬くクッションが欲しいところだが贅沢は言うまい。背もたれに身体を預けるとギィと木が軋む音が響いた。


「それじゃあ、ちょっと待っていてね」


僕が席に着いたのを確認したフレイヤは、僕に背を向けるとそのまま部屋から出て行った。


何が始まるのだろう?


とはいえあの口ぶりならすぐに戻ってくるだろう。


ならば余計なことは考えずにボーとして待っていよう。


でもやはり考えずにはいられない。


僕は自分の身体に視線を落とす。


やっぱり今一番気になることと言えば、僕の身体の怪我の具合であろう。


車に跳ねられたのだ。最低でも骨折は免れないはずなのに、僕は意外にもピンピンして五体満足に地に足を着けている。


異世界ならばそれも可能なのか。


彼女は三日は寝ていたと言っていた。そんな短期間で瀕死の傷が治るのか。


もしそれが可能ならば、僕の治療代にとてつもないお金を彼女たちは支払ったハズだ。


ならばやはりこのまま彼女たちの善意に甘えるのはよくない。


恩に報いなければ、男が廃る。


子供じゃないのだから、一方的に寄りかかるのは悪だ。


このお金はフレイヤたちに払おう。もし断られたら最悪この地に骨を埋める覚悟で一生かかっても働いて返すべきだ。


僕はフレイヤに戻された十二円をズボンのポケットから取り出すと、小さな硬貨三枚をテーブルの天板へと置いた。


返すにしても、まずはこの世界のお金のことをフレイヤに教えてもらわなければ。


土地が買えると言っていたが、この世界の物価が分からないのでなんとも言えない。


昔は確か二百万円で家一軒買えたはずだ。現在では家を買おうとすると最低でも二千万はかかる。


単純計算では昔の物価は現在の十倍だと考えて方がいい(大学卒の会社員の給料は二万円だったと聞くし)。


十二円で土地が買えると言っていた。


となると一円は日本での価値に換算すると十万円で、十円は百万円ということになるが・・・・・・、そんな単純な話ではないだろう。


土地だけならば百二十万円もあれば買えるのだろうか。土地も付加価値が付くかどうかで値段が決まるというし、ここの相場がどうなのかは異世界人の僕には分からない。


坪単価はいくらなのだろうか。こじんまりとした土地だからそんなにも高くはないのだろう。


だけど、あの驚き様は引っ掛かるんだよな。


僕にはたったの十二円にしか見えないが、彼女たちの目にはまるで宝物でも見るかのように見えていたようなーーーーーー。


「・・・・・・はぁ、分からないな」


やっぱり自分だけじゃ考えても結論は出ない。この世界の人間であるフレイヤの口からこの世界のことを聞いてみないと。


と、そうこうしている内に、手にお盆を持ったフレイヤが部屋に戻ってきた。


ニコニコ顔で、いやにご機嫌そうだ。何か嬉しいことがあったのだろうか。


扉を開けた瞬間に、フワッと漂ってきた食欲を刺激するいい匂いが、僕の嗅覚とお腹の虫を刺激する。


この匂いはスープかな? フレイヤは下からこれを取りに行っていたのか。


彼女はお盆から器へと手を伸ばすと、慣れた手付きでソレをテーブルの上に置いた。


器の中になみなみと注がれたスープ。湯気と共に美味しそうな匂いが立ち上る。


彼女の手作りだろうか。だったとしたら嬉しい。


日本にいた頃も女の子の手作り料理など口に出来る機会など皆無だったから。


例えそれがお恵みだろうと有り難く頂戴する。


怪我人である僕にフレイヤは甲斐甲斐しく給仕する。手慣れていることから、彼女の仕事は給仕なのかもしれない。


(そういえばこの宿は食事が付くと言っていたし、その給仕でもしているのかもしれないな)


僕より年下なのに立派に働いていて素直に感心した。


アルバイトしているとはいえ、僕はしがない学生バイトの身。いくら働いていても学生が本業なので、責任感などは正社員の人とかに比べると希薄だった。


また余計なことを考えちゃったな。


今はこの美味しそうなスープに意識を集中させなきゃ。気もそぞろだと作ってくれたフレイヤに申し訳ない。


「これ、君が作ってくれたの?」


「えぇ、簡単なもので申し訳ないんだけど・・・・・・、三日間眠りっぱなしだったし、急にたくさん食べると内臓がびっくりするかもだから」


「ありがとう。とても嬉しいよ」


本当に人の温かさが骨身に染みるよ。


僕は感動して、対面に座るフレイヤにお礼の言葉を口にしつつ、スープを匙で掬って息を吹き掛けつつアツアツの汁を啜る。


牛乳と野菜の味がバランスよく溶け込んだ、心にもお腹にも優しいスープだ。


いつも飲んでいるスープよりも薄味だけど十分に美味しい。


彼女は料理上手なんだな、と感心しながら僕はスープを飲み進めていく。


無我夢中に自分が作ったスープを飲む僕を微笑ましそうに見つめながら、


「ねぇ、本当に名前以外のことは覚えてないの?」


何気なくフレイヤはそう尋ね返してきた。本当にほぼ無意識だったのだろう。ふと口に出してしまった。そんな感じだ。


僕はスープを飲む手を止めて、フレイヤの顔をじっと見つめて逡巡する。


答えていいのだろうか。


でも、本当のことは言えないよな、と僕は最後まで嘘を貫き通すことにした。


異世界に飛ばされてきたなんて、きっと言っても信じてもらえない。


だから、仕方がない。


「・・・・・・あぁ、本当だ。なにも、分からない。なにも、覚えていないんだ」


「そう。ごめんね、今の言葉は忘れて」


「いや、いいよ」


何となく場に流れる気まずい雰囲気。


それを破ったのはフレイヤの方だった。


彼女は僕の目の前に置かれたスープの器が空なのに気づくと、


「ーーーーーースープのおかわりは? 持ってこようか?」


わざとらしいほどに大きな声を上げておかわりするかを尋ねてきた。


ったく、気にしなくてもいいのに。


僕は変に気遣うフレイヤが何だか可愛く見えてしまい、思わずプッと吹き出してしまう。


僕が笑ったことにフレイヤは顔を赤くして、


「ちょっと! なんで笑うの!?」


「別にバカにして笑ったんじゃないよ。全然大したことないのにえらく気にするから可笑しくてさ、つい」


そんなことでイチイチ気にしていたら、日本では暮らしていけない。


だからいい意味で彼女は純粋なのだろう。


その純粋さを大事にして欲しい。


しかし、フレイヤは不服そうに唇を尖らせて、


「ふんだ、生意気よ。私より年下なのに、まるで大人みたいなこと言って」


「年下って、君の方が年下だろ?」


誰が見たって僕の方が年上だろう。


現にフレイヤの言葉遣いや雰囲気は子供っぽいし、とても僕より年上とは思えない。


すると心外だとフレイヤは膨れっ面になり、


「馬鹿言わないで、私は今年十四歳になって成人の儀を済ませたばかりなのよ。貴方はよく見ても十二歳かそこらでしょう?」


十四歳?


なんだ、やっぱり年下じゃないか。


僕の予想は的中した。


というかこの世界では十四歳で成人なのか。


昔の日本より早いんだな。しかし、まぁ、異世界ではそれくらいで成人するのはわりとテンプレなのを思い出す。


深く考えるのは止めにしよう。


というかフレイヤ。君は僕のことをそんなに下に見ていたのか。


これは本当の年齢を言って、間違いを直してやりたいが・・・・・・、僕はここでは記憶喪失という体になっている。


なので年齢を知っているとはとても言えない。


ここは涙を飲んで、十二歳ということにしておこう。


別に悲しくなんてないからな。


日本人は元より年下に見られるっていうし、それに僕は生まれつきどちらかといえば中性的な外見をしている。


なので、仕方がないのだ。


うん・・・・・・、はぁ。


もっと男らしく生まれたかった、が持って生まれた顔に文句を言っても無意味だ。


無い物ねだりはしない主義なのだ。


とはいえ三つも年下な女の子に年下に間違われるのは正直だいぶショックだ。


僕が言い返さないことに、フレイヤはやっぱりねと自信ありげに腕を組んでない胸を反らした。


「ふふん、言い返さないってことは、やっぱり年下なんじゃない。これからは私のことはフレイヤお姉ちゃんって呼びなさいよね」


年下な女の子を姉と呼ぶ。


それは一体どんなプレイなんだ、と思ったが・・・・・・、だけどフレイヤの得意気な表情を見ていると、何だが逆に微笑ましく見えてしまう。


このまま勘違いさせたままでもいいかな、とまるで妹を見るかのような温かい気持ちでフレイヤを見つめるのであった。












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