第五章 一夜にして小金持ちに? 異世界で過ごす初めての夜
「ここの土地が買える、って嘘だろう? だって十二円なんて箸にも棒にもならない金額じゃないか」
少なくとも日本ではそうだ。いや、日本だけじゃなくて地球上に存在するどの国でもだろうか。
例外はあるだろうけど、それでも大したものは買えない。
それが百円以下の金額の価値だ。
なのにこの親子はこの十二円で事もあろうに土地が買えるとホラを口にする。
全く騙すにも限度がある、と心外するも、どうにも合点がいかない。
ほぼ初対面である僕を騙しても一文の徳にもならないし、こんなはした金など騙しとる価値もないはすだ。
様々な観点から推察するに、やはり彼女たちは嘘をついていなくて、純粋にこの十二円を見て驚いている様子。
本当に、このお金が・・・・・・。
僕は信じられないといった心境で、試しにフレイヤの手のひらの上に乗った三枚の硬貨の内の一枚ーーーーー、一円玉を手に取るとフレイヤにこの硬貨の価値、この世界での相場を尋ねてみた。
「フレイヤ。正直に答えてほしい。これでここの宿屋に何泊出来る?」
普通ならばどこにも泊まれない。
それが一円だ。端数を払う時に使う以外、いつも財布の小銭入れに無数に貯まる小さな厄介者だ。
半世紀以上前の日本ならばワンチャンあったかもしれないが、現代の日本ならば不可能な話だ。
一円を笑う者は一円に泣くという諺もあるが、残念ながら今の日本ではその諺は無いに等しい。
だけど、彼女たちの驚き具合ならばもしかして・・・・・・、と僕は期待を込めた眼差しでフレイヤを見つめる。
フレイヤはしばらく迷うような仕草を見せたが、それでも僕の問いかけに律儀に答えてくれた。
「ウチだと一泊二食付きで一月以上は泊まれるわ」
そんなに!?
正に価格崩壊だ。
一円で一月も宿に泊まれるだなんて・・・・・・、一泊は果たしていくらなのか、だなんて想像することが恐ろしい。
今現在の日本円は一円玉が一番下で、それより下は確か銭とかいったか。
昔の子供のおこづかいは五銭とかだったらしく(今で言うところの五十円~百円くらいの価値があった)、それでお菓子やおもちゃを買っていたと聞く。
この世界では一円より下の硬貨が存在するのかという純粋な好奇心でフレイヤに質問した。
「これより下っていうか、価値の低い金額の硬貨ってある?」
「二種類ほどあるよ。一つは石貨っていうお金で、もう一つは木貨っていうお金。ほら、これでだよ」
と、フレイヤは自身のポケットから指の爪サイズほどの小さなお金を取り出した。
小石を円形になるよう成形し、石の表面に獅子の紋章を荒く削ったもの。
皮を削ぎ落とした木片を石と同様に円形に成形し、獅子の紋章を彫ったもの。
どれもとてもお金とは言いがたいが、この世界ではこれが普通に流通しているようだ。
価値のほどはどちらが上なのか。
というかこの世界では一円はなんと呼ばれているのか。
興味深そうにそれら二つを手にとって見ていた僕を、フレイヤたち母子は不思議そうな怪訝そうななんとも言えない表情を浮かべて、
「・・・・・・ハヤトってもしかしてどかこの国のお貴族様なの? ねぇ、お母さん」
「そうねぇ。ハヤトさんって言ったかしら?
本当にこの二つのお金見たことない? 」
怪しまれたかな。
けど、本当の事だし、嘘をつくのもなぁ。
でも、まさか異世界から飛ばされたとも言えないし。
ここは怪我のせいで名前以外の記憶を忘れた記憶喪失ってことにしようか。
その方がめんどくさく無さそうだし、それに色々とこの世界のことを聞くにも疑われずに済みそうだ。
よし、少々良心が痛むけど、えぇい!! ままよ!
「・・・・・・すみません。僕、その自分の名前以外なにも覚えてなくて。ここがどこなのかも、僕がどこから来たかも分からないんです」
異世界転生でお決まりの記憶喪失作戦スタートだ。
僕の迫真の演技? に騙されたフレイヤたちは驚きと悲しみの表情を浮かべて互いの顔を見合わす。
そして実に申し訳なさそうに身体を縮こませると、
「そ、そうだったんだ。ごめんね、気づかなくて。そうだよね、三日三晩昏睡するほどの大怪我を負っていたものね」
「あの時は私も心臓が止まるかと思ったわ。やっと数年前に戦争が終わったのに、また戦争の足音が聞こえてきたのかと錯覚するほどに、貴方の怪我の具合は酷かったもの」
初耳の新事実に僕は思わず耳を疑う。
三日三晩も眠り続けるほどの大怪我? それに数年前に戦争が終わった?
え? え? どういうこと?
というかそんな大怪我っていうか、瀕死の僕をこの状態まで治せる医療技術が発展しているのか?
でも、この世界の文明レベルでは現代の地球のような医療技術は期待できそうもないし、そもそもそんな大金彼女たちが払えるとも思えない。
ということは、この世界には医学とは違う他に病や怪我を治す方法があるのか?
それにもう一つの懸念は戦争がつい最近まであったということだ。
モンスターはいないけど、人間同士の争いは頻繁に起こっているということか。
知りたくもなかった、嫌に生々しい現実を知って僕は思わず身ぶるいをしてしまい、寒くもないのにほぼ無意識に己の身体をかき抱く。
そんな僕を見て、再び体調が悪化したのかと勘違いしたフレイヤは、
「どうしたの? 具合が悪いなら、早く部屋に戻った方が・・・・・・、お母さんハヤトを部屋に連れていっていい?」
母親に許可を求める。
彼女は優しく微笑んで、自身が身につけたエプロンのポケットから鍵を取り出すとフレイヤに部屋の鍵を手渡す。
「いいわよ。部屋の清掃はしておいたから、彼にこの鍵を渡しておいて上げて」
快く快諾してくれた。どこまでこの親子はこんな僕に優しくしてくれるのか。
擦りきれた心に打算のない優しさがしみじみと染み込む。
だけど、このまま善意に甘えたままでいいのだろうか。
十二円がとてつもない価値を秘めていることが分かったのだ。
ならば治療代として彼女たちに渡した方がいいのでは、と僕はいつの間にかに手元に戻ってきた十二円へと視線を下ろす。
しかし、フレイヤは外見に見合わない力強さを発揮して、色々と葛藤中の僕を宿の二階へと引っ張って行く。
彼女の強引さが少しだけ羨ましい。日本にいた頃の僕に少しでも彼女のような強さがあれば・・・・・・、だなんて今さらだよな。
日本を思い出すのは後でも遅くはない。
まずは怪我を治して、この世界のことを深く知ることに専念しないと。
ならばここは彼女たちの言うことに従っておこう。
ふと窓の外へと視線を向ける。
この宿に入ってきたときはまだ日が暮れ始めたばかりだったけど、いつの間にか完全に日は落ちていて、辺りには夜の帳が落ち始めていた。
時間が経つのは早い。
僕は異世界で過ごす始めての夜に不安を覚えつつ、僕の手を握るフレイヤの暖かさを唯一の拠り所にして、これからのことを考えなければと気を引き締めた。
日本では半日でホームレスに陥った僕であったが、この世界では身元不明の小金持ちになった、ある意味で180度違う肩書きに嫌な胸騒ぎを覚えた。
僕の存在は異質だ。
遠かれ少なかれ僕はきっと彼女たちに迷惑をかけてしまうだろう。
だから、それまでにどうするかを考えなければ。
焦る僕を嘲笑うかのように、夜の闇はどんどん深くなっていく。
それでも僕がまだ正気を保っていられるのはフレイヤの存在のお陰だった。
自分に好意的な人間がいる。
ただそれだけで人間は希望を持てて、生きようとする気力が持てるのだ。
他人に絶望した僕が、再び他人に希望を抱くとは、と皮肉めいた笑みを浮かべるが、それでもその有り難みを噛み締めて、僕は異世界で過ごす初めての夜を迎えるのであった。
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