第四章 十二円の価値と、フレイヤのとまり木

少女は僕が普通に話せるようになるまで、馬鹿にもせずに真剣に根気よく付き合ってくれた。


その過程で互いに名前を名乗ることになった。


「私の名前はフレイヤよ。貴方は?」


「・・・・・・颯斗」


「ハヤト? 変わった名前ね」


変わってるかな? 僕にしてみたらフレイヤの方こそ、あまり聞き馴染みがない名前だけど、とは言うまい。


ここは年上の僕が大人にならなければ、と喉元までせり上がっていた言葉を再び奥へと押し込んだ。


フレイヤはコロコロと表情がよく変わる、喜怒哀楽が激しい一面を持つ女の子だなと気づいた。


腰まで伸びるウェーブがかった金色の髪に、大粒の灰色の瞳が印象的な美少女で、日の光の下で見た彼女は、あの薄暗い部屋で見た時よりも十分に魅力的に見えた。


彼女は東地区にある街門近くに建つ宿屋の娘らしく、何でも宿の前で倒れていた僕を助けたという経緯を手短に話してくれた。


つくづく頭が上がらない。


彼女は命の恩人だ。そんな彼女を怯えて逃げ出すなんて、なんて僕は情けない男なんだろうと穴があったら入りたかった。


しかし、フレイヤの方はあまり気にしていない様子で、


「ねぇねぇ、まだ傷が治ってないし、良かったらウチに来ない? お母さんもお父さんも歓迎すると思うわ」


「で、でも、僕お金あんまり持ってないし・・・・・・」


積極的に自身の親が経営する宿屋へ来るように誘ってくるフレイヤ。


その申し出は非常にありがたいのだが、何度も言うように僕はお金がないのだ。


この世界の物価が分からない今、手にしているお金を大事に手元へと置いておきたかった。


しかし、フレイヤは僕の言葉を聞いてか聞いてないか、まごついている僕の腕を取って力強く引っ張っていく。


「そんなこと気にしないでいいから。今ウチの宿だいぶ暇だしね。それに、怪我している人を放置するほど人でなしじゃないよ」


「でも・・・・・・」


「いいから!! ほら、早くこっち!!」


フレイヤに引っ張られながら、僕たちは市場から離れて人の列が進む方向とは逆方向に進んでいく。


どうやらこっちの方角に彼女の両親が営む宿があるようだ。


となると、こっちが東地区か?


なるほど市場があるのは西地区ね。これならば覚えやすい。


というか結構走ったような気がしてたけど、あんまり進んでなかったんだな。


やっぱり怪我が原因であまり遠い距離は走れなかったのか。


まぁ、車に轢かれて、川で溺れかけたんだもんな。並みの怪我じゃないし、そりゃあ普段と同じようにはいかないだろう。


それにしても女の子に引っ張られながら歩くのは中々にくるものがある。人の目もあるし、何より気恥ずかしい。


もう一人で歩けるよ、と訴えるも彼女は聞く耳を持たない。


どうやら僕が逃げると思っているようだ。


心外だな。けれど前科があるし、仕方がないか。


半ば諦めの境地で、僕は前を歩くフレイヤの横顔をチラリと覗き見る。髪の毛が歩幅に合わせて揺れ動く隙間から、ほんの少しだけ窺い見れる横顔。


夕暮れに染まったその白く小さな顏はとても美しい彫刻のように僕の目に映った。


もうすぐ日が暮れる。


日が暮れると、すぐに夜だ。


確かに異世界で過ごす初めての夜に野宿は恐ろしすぎるな。ここはやはり彼女の好意に甘えるより他はないか。


日本ならまだしもここは異世界。未開の土地だ。


泊まれる場所があるのなら、素直にその場所にしがみつくべきだ。


そんなことをぼんやりと考えている間に、どうやら目的の場所へとたどり着いたようだ。


「ほら、着いたわよハヤト。ここが東地区一番の宿“フレイヤのとまり木”よ」


彼女の名前を冠した宿屋は、ごくごく普通の木造建築二階建ての宿屋であった。


それでもこじんまりとした、実に雰囲気の良い宿屋であることは外観を見ただけで一目瞭然であった。


宿屋の看板には枝を持った女の子の絵が描かれており、風に揺られてユラユラと前後に揺れていた。


この宿屋の玄関前に、僕は倒れていたのか。


そう思うと感慨深い。最後の最後に神様は僕に微笑んでくれたのか。


親切で善人なフレイヤに見つけてもらって本当に良かった。


彼女じゃなければ、僕は今ごろ本当に死んでいたかもしれない。


だけど、やっぱり不安は残る。


僕みたいな素性も分からない奴が、本当にお金も払わずに宿屋に泊まってもいいのだろうか。


やっぱりここは有り金はたいてでも、フレイヤたちに誠意を見せるべきなんじゃないか。


そんな気持ちも露知らずに、フレイヤは意気揚々と宿屋の扉を開けて建物の中へと入る。


「お母さん、ハヤトが見つかったよ」


そんな第一声が宿屋の一階に響き渡る。二十五畳ほどのこじんまりとした、それでも清潔感のある内装のロビーであった。


受付台を拭いていたフレイヤによく似た中年の美女がいて、娘の帰宅に気づいたのか顔を上げると、妖艶さを含んだ大人の色香を匂わせるような笑みを浮かべた。


「おかえり、フレイヤ。無事に見つかって良かったわね」


「うん、市場で迷子になっていたの。それでね、お母さん。ちょっと相談があるんだけど・・・・・・」


娘の真剣な表情に、何か鬼気迫るものを感じたのか、佇まいを直して台を拭くのを止めてフレイヤへと向き直る。


フレイヤに背中に隠れていた僕であったが、この先の言葉を彼女に言わせる訳にはいかない。


僕はゴクリと唾を飲み込んで、フレイヤの前へと躍り出て、彼女のお母さんと真っ正面から向き合う。


やはり美少女の親は美人なんだな、と完成された美貌に圧倒されながら僕は彼女の容姿に見惚れていた。


フレイヤも大人になると彼女みたいになるのかな、って今はそんなこと関係ない。


僕はグッと強く手を握りしめると、


「あ、あの!! 見ず知らずの僕を助けてくれて、その上看病までしてくれて、ありがとうございました!」


唾を飛ばさんばかりの勢いで、僕は誠心誠意を込めて頭を下げて感謝の言葉を口にする。


これは大人のマナーだ。助けてくれたことには素直に感謝の意を表する。


その上でかかったお金を払う。


僕は徐にポケットへと手を突っ込むと、全財産である十二円が入った財布を手に取る。


震える手でパチリとがま口の口を開けると、財布をひっくり返してお金を手のひらに載せる。


チャリ、チャリと金属同士がふれ合う音が静まりかえった室内に響き渡る。


これが僕の誠意だ、と言わんばかりに手のひらに載せたお金をグイッとフレイヤのお母さんへと差し出す。


十二円。


たったの十二円だけど、それでも僕の全財産だ。


もちろん足りないぶんは皿洗いでもして返済する所存だ。


瀕死の僕をここまでの状態にまで回復させるには多額のお金を使ったに違いない。


だから、せめて・・・・・・。


「ちょっとハヤト!! 何してるのお金なんかいいから!!」


「いいから! ーーーーーフレイヤさんのお母さん、これを受け取って下さい」


少ないかもしれないけど、とも付け足して。


最初は何がなんだか分かっていなかったフレイヤの母親であったが、僕の手のひらから戸惑った様子でお金を受け取る。


だが、すぐに血相を変えて僕の両肩に手を置いて下げていた頭を上げるように伝える。


「貴方!! このお金、どうしたの!?」


声が震えていた。


一体どうしたんだろう?


もしかして、安すぎてキレられたとか?


内心びくつきながら、僕は恐る恐る下げていた頭を上げると、そこには興奮冷めやらぬ様子のフレイヤのお母さんの姿があった。


いつにない母親の様子に、娘であるフレイヤも驚いた様子で尋ねた。


「お、お母さん。どうしたの?」


「ふ、フレイヤ。このお金を見てちょうだい!」


「え? 何? ・・・・・・!? お、お母さん!! こ、これって!!」


怪訝な様子で母親から渡されたお金を見たフレイヤ。硬貨を見た瞬間、フレイヤも母親同様に目を見開けて驚愕に染まった声を上げる。


全く一体どうしたと言うのか。


僕はただならぬ二人の様子におっかなびっくりと尋ねてみた。


「あ、あの、僕のお金が一体何か?」


その声に弾かれるようにして、フレイヤが僕の方へと向き直り、何故か慌てた様子で僕へとさっき手渡した十二円を目の前へと掲げると、


「どうしたって、このお金の価値が分かってるの? 貴方が出したお金全てでここの土地が買えるほどの価値があるのよ!!」


「へ?」


間抜けな声がこぼれ落ちる。


あまりにも現実感のない話に、そう呟くしかなかった。


だってそうだろう。


たったの十二円だぞ。


それがなに?


この土地が買えるほどの価値があるだって?


乾いた笑いが口から漏れる。


僕は改めてここが異世界なんだなって思い知った。


だってこんな夢のような世界、地球上のどこにも存在しないのだから。


それを僕はここフレイヤのとまり木で身体で、肌で、頭で、魂で理解したのであった。

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