第三章 続・異世界人とのファーストコンタクト
僕を助けてくれた少女が、恩を仇で返した自分をまさか探してくれているとは露知らず。
なんとか怪しまれないように裏路地から大通りに出ると、夕暮れに差し掛かり淡いオレンジ色に染まる道を忙しなく往き来する人混みの中に紛れ込む。
買い物客か仕事からの帰りか。
とにかくこの人混みは僕にとっても都合がいい。あまりに人がいないと僕のこの格好は悪目立ちするけど、こんなに混んでると僕みたいな子ども一人の存在など気にならなくなる。
とにかく目下の目標は言葉が通じるか否かだ。さっきはあの娘と会話もせずに逃げ出してきたし、それにあんなことをした手前、あそこには戻ることも出来ない。
となると、別の拠点となる場所を探す必要がある。言葉が通じるなら住み込みでしばらく場を凌ぐという手段もあるからだ。
どこか話し声がたくさん聞こえてくる場所ーーーーーー、例えば市場とか。
けれど、パニック状態だった僕は出鱈目に走り回ったため、ここがどこなのかも把握できていない。
そもそも異世界に来てから、僕が最初に目にしたのはあの狭い部屋の天井だった。自分が飛ばされた世界どころか、この街の名称すら分からないのに、市場がどこなのか知るよしもない。
案外人の流れに沿ったら目的地に辿り着けるかもしれない。
稚拙な考えではあるが、今現在僕が取れる方法はこれしかない。
ならば、と僕は人の流れに身を任せる様にして歩き進める。靴がない上にあまり靴下で歩き慣れていないので実に歩きにくい。
足の裏に細かい砂利が食い込み、しまいには足を何度か踏まれていまい、僕は声なき悲鳴を上げて苦悶の表情を浮かべる。
靴がないぶん踏まれたら余計に痛い。
こんなのがあと数分も続いたらとてもじゃないけど耐えられない。
早く終わって欲しい。
ただでさえ知らない場所に加え、知らない人に囲まれて今にもまたパニックになりそうなのに・・・・・・。
悠久に続くかと思われたが、案外あっさりとその苦しみから開放された。
人混みの流れに僕は付いていけず、波に押し流されるように僕の身体はペイッて列から弾き出された。
無様に地面に倒れた僕に目を止めることなく、人の列は流れに沿って道の先へと進んでいく。
気にかけられるのも苦手だか、無視されるのもあまり気分の良いものではない。
異世界人も案外シビアなんだな、と僕は膝を付いて立ち上がりつつ、現代に生きる地球人と同様の反応を見せる彼らに妙なシンパシーを抱く。
まぁ、僕も彼らからしたらこんな風体の怪しいやつに関わりたくはない。
なので特段彼らを責めることも恨むこともない。
それにだ、僕の目的は既に達成されていたのだから文句の付けようもない。
運良く弾き出された場所は市場の近くだったようで、僕は慌てて近くの建物の陰に身を潜ませた。
市場というのは厄介なもので目をつけられたら最後、商品を買うまでしつこく声をかけられる。
僕のような異分子は目立つだろうし、あまり注目も浴びたくはない。所持金が僅かしかないし、買わないと店の人に怪しまれて衛兵とかを呼ばれたら面倒だからだ。
それにあんな人混みにいたのに、僕の財布はすられていない。きっとこの浮浪者みたいな格好が功を奏したのであろう。
正確には浮浪者というより、訳有りみたいな格好に加えて、こんなガキが大金を持っているはずがないとスリが判断したのだろう。
(まぁ、実際に所持金が無いに等しいしね)
と、皮肉めいた笑みを浮かべて、僕は買い物客で賑わう市場へと視線を向ける。物陰からそぉーと顔を除かせて注意深く観察する。
見た感じはごくごく普通の市場だ。
簡単に言い表すとファンタジー世界の市場、というくらい。
日本の商店街というよりは東南アジアにある市場の方がイメージが近いかな。
店を構えているというよりは簡素な造りの屋台が軒を連ねている感じ・・・・・・、僕はこっちの方が好きかな。なんか暖かみがあるし、と好意的な評価を下した。
売っている物は千差万別で、生鮮食品から衣服類、はたまた小雑貨や鎧などの武具を売っている屋台もあった。
商品の説明を書いている立て看板も見えるけど・・・・・・、文字は残念ながらというか当然の結果として読めなかった。
アラビア語でも、ラテン語でも、英語でもない、明らかに地球上には存在しない文字が書き記されていた。
少なくとも識字率はそこそこ高いようだ。市場で働くような人ですら普通に書けるのだから教養は充分に行き届いているのが窺える。
とはいえ、今僕が知りたいのはそこではない。
何度も言うようだけど僕は彼らの話す言葉が聞きたいのだ。
僕はざわつく市場から少しでも意味のある声を拾おうと聴覚を研ぎ澄ませる、がやはりここからだと少し遠いようで・・・・・・。
やっぱり近くに寄らないとダメかな、と僕は隠れていた物陰から出てきて、店員に目をつけられない様に意識しながらもうちょっとだけ市場の方へと歩み寄った。
すると雑音でしかなかった人の話し声が意味を持つ言葉として聞こえ始めた。
徐々にクリアになる話し声。
一縷の望みを賭けて僕は果物に見える食べ物を売っている屋台の店員とやり取りをしている客の会話に耳を澄ませた。
『ーーーーー今日のオススメはどれ?』
『あぁ、これかなんかどうだい? 今朝採れたての新鮮なリンツァーの実だよ。今の時期しか食えねぇから、お子さんや旦那さんのおやつや酒のあてにでもどうだい?』
『そうね、なら三つほど貰おうかしら』
『まいど。一個おまけして、会計は二ツゥエンで結構だ』
ーーーーーー日本語に聞こえる!!
知らない単語も出てきたが、概ね彼らの会話の内容を理解できた。
話が通じるならば、と僕はついさっき失敗した異世界人とのファーストコンタクトを果たそうと口を開きかけたその時、僕の脳裏に
あの女の子とのやりとりを不意に浮かんできてしまい、果たして僕は声を出せるのかどうか形容しがたい不安を抱いた。
声が出なかったらどうしよう。
一か八かだなんて今の僕の心境ではとても無理だった。
となれば、やはりここから離れた方がいいかも思ったその時、
「ねぇ!! そこの黒い髪の貴方!!」
黒い髪という単語が聞こえて、僕は思わず周囲をキョロキョロと見渡すも、周りには僕以外に黒い髪をした人はいない。
けれど、人がごった返していて誰が発したか分からない。もしかして聞き間違えかなと僕はその場から離れようとした。
だけど、再び僕を探す声が聞こえてきて、つい反射的に歩みを止めて声のした方へと振り向こうとしたその時。
「や、やっと、見つけた!」
人混みを掻き分けて現れたのは、先ほど半狂乱になった僕が押し退けた女の子がそこにいた。
肩で息をして、額から珠のような汗を流して、それでも僕のことを案じた優しい眼差しで僕のことを見つめていた少女。
買い物に勤しんでいた人たちも何事かと、僕と少女たちの動向へと意識をシフトさせて、僕は無遠慮に向けられてくる視線に動転してしまう。
さっきまでスルーしていたくせに、やはり異世界人も地球人と変わらないひどい野次馬根性の持ち主だ。
しかし、当の少女は意に介さず僕へと距離を詰めてきて、こともあろうにガシリと僕が逃げないように腕を強く掴んできた。
さながら蛇に睨まれた蛙状態だ。
周囲で成り行きを見ていた通行人も男女の諍いと判断したのか、やがて興味を無くしたかのように買い物に戻った。
それを見計らっていたのかどうか知らないが、少女は僕の腕を引っ張って人気の少ない道まで誘導してくれた。
そこは市場がある大通りのすぐ横道で、僅かばかりの飲食店と住宅であろう長屋が並んでいた。
目の前で周囲の様子を探りながら息を整える少女にびくつきながら、僕は先ほどの仕打ちの文句を言いに来たのか、と尋ねたくなるも喋れないかもしれない不安から言い出せないでいた。
しかし、少女の態度からそんなことはないことは明白であった。
なのに、僕はなんて感じの悪い、ひねくれた事を考えたのか。
情けなくなる。
同年代か年下の女の子に心配されて、息を切らした上に汗だくになってまで、僕の身を案じて探しに来てくれる。
こんな優しい少女を少しでも疑った僕の器量の狭さに辟易した。
少女は僕の心の内の葛藤に知ってか知らずか、安堵の笑みを浮かべて僕へとまっすぐに向き合って言葉を紡いだ。
「・・・・・・良かった。無事で、本当に良かった。まだ怪我も治ってないのにいきなり飛び出して行ったから、私なにか気に障ることしたんじゃないかって」
あくまでも僕のことを心配してくれる少女の言葉に態度に、僕は思わず恥も外聞もかなぐり捨てて土下座したくなる気持ちになった。
だが、あと一歩のところで踏みとどまる。
彼女は僕の謝罪だなんて求めていない。ならば僕が彼女に伝えるのは謝罪ではなくて感謝の言葉だ。
この親切な少女の恩情に報いるには、僕の嘘偽りのない感謝の言葉だ。
言葉が出ないとか、喋れないかもという不安など些末事だ。
変に思われてもいい。
初めに言葉を交わすのなら、見ず知らずの僕の事を親身になって接してくれる彼女がいい。
頭の中でイメージして、僕は喉を震わしてぎこちないが、それでも意味のある言葉を紡ぐべく口を開いた。
「た、助けて、くれて、あり、ありがとう」
不器用で、つたない言葉だ。
だけど、目の前の少女は嫌な顔一つせずに、
「ーーーーーーうん、どういたしまして」
ニッコリと笑って、僕の腕を掴んだ手を離して、代わりに僕の方へと手を差し出した。
それは握手を求めるようで、僕は彼女の気持ちに応えるように差し出された手を握り返す。
ギュッと握り返された力強さと温かさに、僕は忘れかけていた人の優しさを思い出した。
優しさに異世界人も何も関係ない。
その事実を噛み締めて、僕は異世界人とのファーストコンタクトを無事成し遂げることに成功したのだった。
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