第一章 パニックと異世界来訪
落ち着け。
まずは深呼吸だ。それから状況を整理しよう。
空気を吸おうとして、僕はその空気すら日本のものとは違うと気づいた。
田舎なんかと違って空気が澄んでないので、さして美味しいとも思わなかったけど、ここの空気はものすごく美味しいのだ。
余計な不純物が含まれていない自然そのものの味だ。
混乱した脳を落ち着かせる為に深呼吸をしようと思ったのに逆効果になってしまった。
仕方がない。
一先ず深呼吸するのは諦めて、先に自身が置かれた状況を整理しよう。
確か起きた出来事を順に遡っていくのがいいんだったよな・・・・・・。
異世界転生→川に落下し溺れる→交通事故に遭う→バイト先が夜逃げ→住んでいた寮が取り壊しになる→夏休み前で浮かれていた。
今、覚えば中々に不運のフルコースだ。わずか半日の間にここまで怒涛のごとく不幸がふりかかる高校生は早々いないだろう。
それにしてもまさか自分が異世界に来るだなんて思ってもいなかった。あんなのは創作の中の世界だけでリアルとは無縁だと思っていたのに。
だからみんな楽しんで読んでいれるのだ。
よくよく考えてみて欲しい。
便利な世界で生きてきた普通の高校生がこんな中世ヨーロッパみたいな世界に飛ばされて、普通の精神でいられるわけがない。
いくらスキルやチートがあろうとも、科学の恩恵に勝るものはない。
ボタン一つで全てが解決し、衣食住全てが簡単に手に入る世界。
不便な生活に憧れはする。けれど憧れは憧れでしかない。
日常的にそんな日々を送りたいかと問われれば皆首を横に振るだろう。
だから田舎は人がいない。
最近はそうでもないみたいだけど、やはり都会の魅力さや便利さには敵わない。
僕もそんな一人だ。
田舎暮らしには憧れるけど、精々週末にキャンプしようとかそんなレベルのものだ。
とてもじゃないけど僕は田舎には住めない。
だからかな。
不安しかなかった。
不便さの塊のような世界に一人飛ばされて、僕はどうやって生きていけばいいのだ。
着の身着のまま、所持金だってたったの十二円しかない。
特別なスキルも、人が羨むチートも何もない。
そもそもそんなのを授けてくれる神さまにも会ったことがないし、脳内に響く重厚なおっさん声も、艶っぽいお姉さん声も何もない。
そうだよ。異世界転生した奴らは大体チートとか貰っていて、なんの恐怖も不自由も無しに暮らしている。
そうでなくても赤ん坊から産まれ直して、そこそこの家柄の子供として不自由のない生活を謳歌しているじゃないか。
僕もどうせなら一からやり直したかったよ。
そうしたら色々と諦めもつくのに。
どうして僕は“僕のまま”で、異世界なんかに来ちゃったんだよ・・・・・・。
やはりここはあの世なのか。
僕は包帯が巻かれた手で、軽く自分の頬をつねってみる。
痛い。
痛いということは現実なのだろう。
一縷の望みで、ここは運命の部屋でこれから本当の異世界転生できると思ったのに。
ハァ、と重苦しいため息が溢れ落ちる。
これからどうすればいいんだろう。
こんなはした金ではいくら異世界であろうと、今日一日ですら無事に過ごせる確証も何もない。
十二円だそ。十二円。
辛うじて駄菓子屋で旨すぎ棒一本買えるくらいのお金だ。
そんなもの無いのと等しい。
この世界の物価がいくらなのか知らないけど、それでも十二円じゃ何も買えないし、どこにも泊まれないだろう。
なんだよ、このハードなクソゲーは。
どんなゲームでも最初起動した時には主人公は必ずそこそこの所持金を持っているぞ。
無いなら稼げばいいじゃない、と思うかも知れないが、こんな正体の分からない怪しい奴を雇う店など存在しないだろうし、そもそも単純な話。
(この世界の人たちと言葉が通じるかどうかも分からないしな・・・・・・)
そう、単純だが非常に重大な問題。
言葉が通じなければもう詰んでいるということだ。
言葉が通じるというのは非常に重要で、これがあるだけでも大分違う。
一応僕を助けてくれて治療してくれたことからも野蛮な人ではないと思うし、この部屋や街並みを見て推察するに、そこそこの文明レベルは有しているはずだ。
だから言葉さえ通じればなんとか、いや、でも、何か異世界人と会うのが怖い。
なぜ異世界転生した人たちはああも普通にコンタクトが取れるんだろう。
全員とは言わないけど、それでも半分くらいの人たちはコミュ障だったり、オタクだったりするけど、それでも普通に会話したり出来ている。
何故? 異世界に来たら今までのことを忘れて話したり出来るの?
あれはいつ読んでも不思議だった。人格なんて早々変わりようがないのに、彼らはまるで人が変わったみたいに今までの自分を捨てて、他者とコミュニケーションを取って積極的に他人と関わろうとする。
それこそまるで生まれ変わったみたいに。
あぁ、だから異世界転生というのか。
姿も変われば、そんな気になるのかもしれないが・・・・・・、僕は僕のまま。
となれば今までの自分などそう簡単に捨てれる訳もない。
元々、僕はコミュ障の気が少しある。
知らない他人と必要以上話すのは苦手だし、そんな自分を変えたくてコンビニのバイトをしていたが一朝一夕では直らない。
同胞である日本人ですらそうなのに、外国人どころかもうワンハードル上の異世界人となると何を話していいやら分からない。
だけど、このままではいけない。
目が覚めたのならば、助けてくれたお礼もかねて挨拶しなければ失礼だし、と思うものの、やはりこの部屋を出る勇気が出てこない。
どうしようかと逡巡してると、この部屋と外を繋ぐ唯一の出入り口である木扉からコンコンと遠慮気味にノックする音が響いた。
不意打ちだったので反応も出来ずに固まってしまう。
返事をした方がいいのだろうか。
そんな簡単なことも出来ないほど、今の僕の脳は激しく混乱していた。
まだ心の準備が出来てないのに、そんな突然に来られても困るよ。
どうすればいいんだ、と身体の痛みも忘れて部屋の中を右往左往する。
そんな僕を嘲笑うかのように、木扉のドアノブが回されると、噛み合わせが良くないのかギギィと軋む音と共にゆっくりと開く。
現れるのは誰か。
ガタイのいい男か、それとも恰幅の良いおばさんか、それとも厳つい鎧を着けた兵士か何かか。
それでも一縷の望みを賭けるのは人間の性だ。
どうせなら初めて会うのならば年が近い人が良い。この際男女の区別などどうでも良かった。
バクバクと激しく脈動する心臓を服の上から押さえつつ、僕は扉の向こうからどんな人物が現れるのを固唾を飲んで見守った。
その時間は数十秒ほどであったが、今の僕には永遠にも続く長い長い時間に感じた。
そして運命の時が訪れる。
開かれた木扉の向こうから現れたのは、手に燭台を持った僕と同年代か少し年下の愛らしい容姿の少女であった。
ファンタジー世界の住人に相応しい出で立ちをした少女の登場であった。
木綿製のアッサリとした仕立てのワンピースに紺のスカーフを首に巻いている、実にTHE街娘みたいな格好の少女だ。
そんな少女の姿を目の当たりにした僕は否応なしにでもここが異世界なのだという事実を突き付けられた様な気がした。
それと同時に僕は僕の賭けた賭けに勝ったという事実に少しだけ気を良くし、この目の前の少女と対話する勇気を奮い立たそうとさした。
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