2-6. 記憶の回廊
彼は自ら望んでその路を貫き続けている。それは間違いない。彼が望んだことなのだから、彼自身にも責任は帰属する。それは疑いようもないことだ。だけどその一端だけで語ってはならない。何しろ、彼の運命を定めてしまった要因は、私たちにもあるのだから。
北方の寒冷地からやってきた一人の少年。身寄りもなく親もいなく、たった一人、戦火から逃れてここまでやってきた。実際は保護された後にこのカルディナまでやってきたというのが本当のところだけど、決して間違った表現だとは思っていない。とにかくも彼は4年前にこの城にやってきて、すぐ剣士になりたいと希望した。カルディナ孤児院に閉じ込められ、自分を見つけることの出来ない平坦な生活を選ぶことはしなかった。当時を思っても、また今の現状を見ても、そんなに若い、子供の年齢で剣士になっている人はほぼ居ない。だから注目されたことだろう。私もそのうちの一人だった。私と同年代で剣士になりたいと願う少年がいる、と。両親に聞いたのが初めてだったけれど。話を聞いても暫くは顔を合わすことも無かったし、話しかける機会も無かった。ただ、時々城の中で彼の姿を見たことはある。そのぐらいの接点しかなかった。いや、接点というのもオカシイかな。私は王家の人間。他の人たちとは異なるところにいる。たとえ彼らと同じ生活を、様式を望んだとしても、それが叶えられることは決してなかった。だからかな、はじめのうちはそんな少年がいると聞いても何も響かなかったし、どうせ同年代でも私とは全く無縁の生活をしているだろうと思っていた。本当に、時々。姿を見かけるくらいで、そのまま進んでいたら、こうして今、振り返ることも無かったのかもしれない。
「明日、騎士たちも交えてお茶会を開くことになったの。貴方も参加してね。」
「…………分かりました。お母様」
「随分な反応ね。でも明日は少し変わったお客様もいらっしゃるみたいだから、楽しみにしていてね。」
「………変わった、お客様………?」
それがお父様とお母様、そしてアルグヴェイン卿による計画の一部だったと知るのは随分後だったけれど、今思うと不思議だと思った。私は私が見る市民たちと私とでは立場も何もかもが異なり、同列に並ぶことは決してないと教わってきた。それは今も間違ってはいない。けれど、そんな私にあの少年と直接会う機会を作ったのは、お父様とお母様だった。たぶん、アルグヴェイン卿は王家の私たちと彼だけでは、彼のほうが緊張し過ぎて何もできなくなるから人員として数えられたんだろう。彼には辛いことをさせてしまったかな。でも、今ハッキリ言えることがあるとすれば、あの日彼と会って話をしなかったら、きっと今こう思うことは、無かった。
「…………私が王女様と言葉を交わすなど、畏れ多いものです。」
「…………気にしなくて、良いのですよ。あの、私たちは、同い年だから………」
「――――――――――――。」
「…………といっても、気にしますよね。そうだ、あの、何か趣味とかありますか」
私の中でも凄く緊張していた、と思う。今でもそう思う。でもなんで緊張していたのかなって、思い返すとそう疑問を持つこともある。後にお母様は私にこう言った。貴方に同年代の友人を作る機会をあげられなくて、ごめんなさい、と。なんで?と私は返した。だって私は王家の人間。他の人とは異なる立場にあって、彼らと同列に並ぶことのない存在。それは自惚れでもなく、自尊でもなく、そう定められたもので覆すことも出来ないものだから。………でも、時折羨ましいとも思った。街の子供たちは皆元気で、活気があって、ワイワイ走り回って、はしゃぎまわって、楽しそうにして。私には同じことは出来ないけれど、そういった元気の良さを見ていると、ああ、自分って一体なんだろうって、思うことはあった。王家に不満はない。寧ろ、私はこの立場に誇りも持っている。だけどそう、普通の人ではないということが当たり前だったから、普通ってなんだろう?と考えたんだ。
「…………読書、とか。一人でいることが多いので」
「…………あ、私も、本を読むのは好きです。よく、読んでます」
「…………そう、ですか。」
「―――――――――――――。」
“よく、どんな種類の本をお読みになるのですか”
彼から、そうやって話してくれた。私と話すことなど想像もしていなかっただろうし、王家の人とこうして近い距離で関わることも考えてすらいなかっただろう。緊張した顔で表情も緩むことは無かったが、その時彼が私に問いかけてきたことは、他愛のないことであったとしてもよく覚えている。どうしてだろう?初めて言葉を交わしたことなど、他の人であれば覚えていないかもしれない。
私は私のことを誰かに話す機会は無い。これまでも、これからもそうあるものではないと思う。何故なら、私は他の人たちと関わる機会が無いから。王家の人間としての立場を持ち、その立場の中で生き続ける私は、城下町にいる人や他の土地にいる人たちと関わる機会が無い。王家の者が一斉に皆の前に姿を見せるのは、年に数回ある程度だろう。…………そんな暮らしが、生き方が、窮屈に思えることがある。
「…………よく、国の作家たちが執筆した文学作品を読んでます。その、アトリさんは、どのようなものを?」
「…………自分も同じです。他には、歴史の本など、沢山。」
「…………本を読むのが、好きなんですね。」
「…………そうですね。よく、図書館で。」
毎日、勉強の日々だった。私は女の生まれで、この国を継ぐことは無いと思っていた。この国が始まって、まだ二代目の王がお父様とはいえ、女子を国王に担ぐことは無いと私の中では確信していた。そう思わせるものは無かったけれど。でも、あらゆる歴史書を見ると、国を継ぐ、自治領地の後を継ぐのは男性であるという例が多い。きっとこの国もそうなるだろう。そうすると、私の立場は一体どうなるんだろう?王家の人として生まれた。確かにその立場にあり続ける為に振る舞う必要があるだろう。けど、こうして毎日王家の人間として勉学を繰り返し、政治を学び、歴史を学び、他の人との交流を避けて城の中で生活を続ける。そんな生き方を続けて、私は一体どこへ向かうのだろう?何をしていけばいいのだろう?王家の立場に不満はない。みんなを代表する一家の人間として、誇りもある。けれど、それが楽しいかと言われれば、そうでないことのほうが多い。多かった。
………一人の人間として、毎日の生活に少しの変化が生じたのは、あの短い、一時間程度しかなかったお茶会からだったと思う。
「お父様。あの、図書館とは誰でも利用できるのですか?」
あのお茶会が終わってそう時間が経っていない頃に、私はそんなことを言い出したことを覚えている。
「図書館?市民にも開いているのだから、誰でも利用は出来るよ。そうか、エレーナはまだ下層フロアの図書館を使ったことが無かったか。」
「ええ、はい。」
「しかし、何もそこを使わなくても著書ならここにも沢山あって困らんと思うのだが………」
「………それは分かっています。はい、もちろん分かっているのですが。」
どうして?と言いたげな顔をお父様は浮かべていたはずだった。けれどすぐに私の気持ちを分かってくれたのか、笑顔でこう言ってくれた。
「………分かった。使ってみると良い。ただ王家の者が日中の時間に一人で使うと衛兵の護衛をつけなくてはならないし、利用する市民たちも気を遣って離れてしまうだろう。だから夜の時間帯に使いなさい。私から、司書には伝えておくから」
それがお父様なりの配慮だったというのは、私にもよく分かっていた。王家の人間が一人で一般市民の多く集まるところにいては、注目を浴びてしまうし、たとえどんなに安定と平穏に満ちたこの街であったとしても、危険な目に遭わないとは限らない。それに、一人で行動するのであれば衛兵を付き添いにしなければならないし、そうなると好き勝手に行動しては彼らの労力を奪い、負担を強いることになってしまう。しかし、市民の利用できない夜間の時間であれば、静かに利用することも出来るだろう。それがお父様の配慮だった。あまり大げさな話にはせず、けど司書にもそう伝えて気を付けてもらう。私の身勝手な希望だったけど、聞いてくれたことが嬉しかった。
どうして急に図書館など使いたい、なんて思ったのか。理由はほんとうに単純だけど、あの日会った彼と再びお話が出来る機会があるとすれば、図書館じゃないかな、と思ったから。図書館でお話だなんて本来の使い方じゃないし、あまり彼の邪魔をしたらいけないかなって思いながらも、内心で期待した自分が居たのも確か。たった一度会っただけのことなのに、どうしてそこまで私も意識を向けることになったんだろう。自分でも複雑に思えたけれど、今思い返せば、やっぱり私自身の身の回りのことが影響していたんだと思う。出来ることなら同じ立ち位置で同じものを見ることの出来るお友達が欲しかった。それは決して簡単にできることではなかったけれど、この自分勝手な願いを理解してくれる人がいればって、思ったんだ。だけどはじめは、中々会うことは出来なかった。王家の人間だから、兵士でもお願いすれば時間を作ってもらえるかもしれない。でも、私はそれは絶対にしなかった。まだよく分からない相手に自分の立場を示すのも失礼な話だし、彼もきっと忙しいだろうから。
――――――――その忙しさというのが、私にはとても辛く苦しいものに思えた。
彼は、死地の護り人として、多くの自治領地に赴き戦い続けている。そこに住まう人々を護る為の剣として、その身を焦がしながら幾多の戦場を越えてきた。
――――――――――。
私には、理解出来なかった。彼の生き方も、彼の心の在り方も。理解できないというよりは、納得が出来なかった、と言うべきかもしれない。弱き人々を護る為に剣を振るう。私と同じ歳でそういう信念を持つなんて、とても立派なことだと思う。でもどうして、誰でも無い自分を差し置いて他の人のために命を投げ出そうとするのか。どうしてそういう境地に身を置くことを決めたのか。私も人のことを言えたものではないかもしれないけれど、誰よりも何よりも一番自分の身が大事である、はずなのに。
時には一ヶ月近くも城から離れていると聞いて、本当にいつ帰ってきているのかも分からないことが多かった。だけど、彼がよく図書館が閉館になる間際の時間帯に利用していることを知り、その時間に私も顔を出すことが多くなった。秘書官のアルグヴェインやアルゴスから話は聞いていたけれど、この国が大陸で最も大きな存在でかつ強大な武力を持つようになってから、国に救いを求める声は各所で上がるようになった。そのすべてに応えることは出来なくても、彼は遠いところでその人たちの為に戦い続けているのだという。
「どうして、他の領地の人の為に戦うの?」
彼にも、私が半ばお忍びで夜間の時間帯に図書館に来ることがある、と分かったのだろう。毎回驚きつつも受け入れてくれた。そして何度も回数を重ねて、会う機会を作った。ある日、私は彼にそんなことを訊ねた。今思い返すと、私はあの時辛辣なことを聞いたのだと思う。私たち王家は、私たちが統治するこの国の民たちが安定した暮らしを送ることが出来ればと常々思っている。そのほかの自治領地の民を護ることが、この国の安定に繋がるとは言えない。無論、例外はあるのだけれど。
「人を救うことに国境も立場も関係ないと思っている。そこに住まう者たちの平穏な時間が壊されているのだとすれば、それを止めるのが自分のすべきことだと、信じている。だから戦う。」
それを聞いた時、ああきっと、この人にとって大事なのは人々の窮地を救うことが出来たという結果なんだ、と確信した。自分が戦って弱者を救い続ければ、そこに住まう人たちはその先の
………けど、誰にもそれを止められない。国家としても、人としても。彼が選んだ路で、国家もそれを認めているし必要としている。お互いの利害は一致している。だから止めることが出来ない。どうしてそこまで他人に尽くそうとするのか。自分よりも大事なものがあると信じ続けられるのか。きっと、私だけでなく、他の人も理解できないことだろう。
……………。
「エレーナ?………随分暗い顔しているわね。」
「えっ、………あぁいや、ごめんなさい。そうじゃないの。」
「何も謝ることなんてないのよ。どうかしたの?」
少し、昔のことを思い出していた。まだ数年しか経っていないけれど、アトリくんがここに来てから確かに時間は過ぎていった。彼は兵士としての能力を発揮し、死地の護り人としての任務に勤めるようになって、段々とその容姿も変わってきた。大人に成長するのと同時に、色々な穢れたものに触れたのだろう。元々静かで冷静な人間だったけれど、より一層その色が強くなったように思える。そうなるのも、無理もないことなのかもしれない。
「………漠然とした不安を、感じていたんです。その、彼が、戻って来ないんじゃないかという………。」
「………アトリくんのことね………?」
午後の時間。エレーナは王妃フリードリヒと共に王室の手伝いをしていた。フリードリヒはエルラッハの抱える政務の手伝いをし、エレーナはそのまた手伝いを母と共に一緒の部屋でしていた。ぼーっと一点を見つめる彼女を見て、母であるフリードリヒが問いかけたのだ。
「確か、明日には行くという話だものね」
「………はい。これまで何度かこういう機会があって、こう思うこともあったけれど、今回はその比じゃなくて………」
エレーナの不安が表情に浮かぶ。二人とも作戦の全容を知っている訳ではないが、彼が北西部の増援に送られることは知っていて、戦況が不安定であることも理解している。何しろ自治領地の防衛とは違い、自国の領地を、しかもマホトラスの戦力から護らなければならないのだ。自治領地の戦闘兵よりも遥かに熟練の兵士たちが相手となることもあり、またマホトラス勢力という不気味な存在もあり、不安は募るばかりだった。
「………そうね。そうかもしれない。けれど、あの人が多くの人々にとって必要な存在だというのは、多くの人が認めているところでもあるわ。行かない訳にもいかない。私たちに出来ることと言えば、無事を祈るくらいなのかしら。」
「…………うん…………」
そう。残念ながら、私たちには彼に出来ることは殆ど何も無い。戦いとなれば、彼は自らの手段を行使して目的を達成するために奮闘する。けど、そこに私たちが出来ることはない。
「行く前に一度、顔を合わせてみたらどう?ほら、彼はあまり自分を大切にしない人だから、それを少しでも自覚させてあげるのも良いかもしれないわ。」
「………ですが、お邪魔には、ならないでしょうか。出征前に、その」
「何を遠慮する必要があるの。今までだってそうしてたでしょう?」
いい、エレーナ。私たちだけの都合で、彼を止めるようなことはしてはなりません。彼は自らの選択肢で今の道を歩いている。本当は行って欲しくない。その気持ちはよく分かります。けれど、これは彼が望んだことでもある。彼がその道を閉ざすことがあるとするなら、それは彼自身がそうする以外には無いのです。
「っ…………それって…………」
「………道を違えることはあるかもしれない。でも、どのような形であれ、私たちに出来ることが少しだけあるはずです。少しだけで良いのです。彼には、きっと。」
出来ることは、少しだけ。ただその少しだけでも、彼の心の持ちようが変わるかもしれない。もしそんなことでも役に立つことがあるのなら。フリードリヒはエレーナにそう伝えた。気になる言葉もあった。彼の道が閉ざされるとしたら、それは彼自身の選択によるものだ、と。それは、彼の今後の未来を王妃が予想した、その断片であったのかもしれない。誰かによるものではなく、自らの手によって。
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