第二章 王国の失墜
2-1. 一時帰還
ウェルズ王国とマホトラス陣営の戦い――――――――――。
両者は元々一つの国の中に在り、国興しに至っては互いに利害関係を認め合いながら協力した仲である。当時の代表者であったフィリップを筆頭に、周辺の自治領地の貴族たちを束ねて興した一つの国、ウェルズ。だが、その後の利権争いや議会における処遇を巡り、ウェルズ王家と貴族連合会との間で亀裂が生じ、権力闘争に発展した。その結果が今、ウェルズとマホトラスの二つの陣営に分かれる事態となり、互いに認めることの出来ない存在として刃を交えることとなった。開戦当時、両陣営のほぼ全軍がこの戦闘に参加し、夥しいほどの戦果と屍を築き上げ、互いに補いようのない犠牲を払ってしまった。そのことがキッカケで両者の戦争は膠着状態に入り、それから月日は流れていく。周辺の自治領地同士の争いが頻発する中で、マホトラス陣営もまた戦力を束ね、再びウェルズ王国への進軍を始めた。西の大陸と呼ばれる地方で最も強大な勢力を誇るはずの王国は、そうしてマホトラスからの侵略を受け続け、次第に状況は悪化していくのであった。
「……………。」
久々に戻った気がする。このくらいの時間を空けることはよくあることだが、そう感じるのは、いつも以上に内容の濃い日々を送ったからだろうか。約4週間ほど不在にしていたカルディナの王城に彼は戻って来る。愛馬は厩舎に預け、その足でアルゴス卿のもとへ行こうとする。出来るだけ人目を避けて夜間に帰還したかったのだが、それよりも今は帰りを早めることを優先した。先日、彼のもとに届いた書簡。王自らが記した帰還命令に従い、彼は急いでここまで戻ってきた。それほどの事態が発生したと判断し、どこへ寄る訳でも無く、最低限の休憩だけで王城まで戻って来ていたのだ。そのおかげで疲れは溜まっている。が、まずはその呼び出しに応じ顔を出さねばなるまい。
「あ、アトリ殿!お疲れ様です。今戻られたのですか?」
「今日は日中の勤務なんですね、オルルドさん。一つ聞きたいことがありまして」
城門前の検問所にて、衛兵オルルドが彼を出迎える。今の時間帯は城門は開放されているため、比較的自由に往来することは出来る。実際に民たちも多くこの前を通っている。アトリは聞きたいことがあるために、検問所の中までやってきた。
「アルゴス卿はどちらにいるか、ご存知ですか?」
「ああ、アルゴス卿でしたら、今は恐らく王の丘にいると思います」
「王の丘に…………?」
「はい。今日、エルラッハ国王陛下は丘に行くと七騎士たちに伝えていたようですから。今城の中に騎士と王が居ないので、恐らく丘にいると思いますよ」
王の丘。建国の父フィリップの眠る地でもあり、丘から見下ろされたこの平原に王都を築き上げようと決意したところでもあり、カルディナにとって始まりの地ともされる。王家の人々でなくとも、この丘には特別な意味が持たれている。その意味は幾重にも広がり、時に深い思慮を起こさせるものとして、この地を想像するのだ。衛兵のオルルドにそのように話をされたアトリは、自分の荷物をいったん部屋に置いて、すぐに王の丘へと向かう。各機に満ち溢れた街を抜け、郊外。
「――――――――――――。」
国王が王の丘に行くとは、何か特別な事情がある時が多いというのが、アトリの考え方だ。アトリはかつて、何度も王の丘に立ち、城下町に住む民たちに声を伝えている王の姿を見ている。その警備をしていたこともある。日常的に訪れはしないものの、時々そうして丘に訪れては、民たちの前に姿を現している。今日もそういう目的があるのだろうかと思いながら、丘を登って行く。丘の途上までは民たちも多く詰めかけ、王の姿を見ようとしていた。しかし途中からは王家直属の衛兵が道を封鎖して、王の仕事の邪魔にならないように気を配っていた。彼はその衛兵と話をし、すぐにその場を通してもらう。他の民たちからすれば、話をしてすぐに奥へ入り込めるアトリの存在がどういうものなのか、不思議に思ったことだろう。丘の頂まで辿り着くと、
「……………国王陛下。アトリ、ただいま帰還致しました。」
石碑の前に国王が立ち、その脇に七騎士がいた。彼が登り切った時には皆の背中を見る形になっていたが、アトリが声をかけ、その場に伏せ、片膝を立てながら頭を下げた。その声を聞いて、王も、また他の七騎士たちも彼のほうを見る。騎士たちは皆マントを羽織り武装した姿でいた。カルディナの中で戦闘が起こることなどまずないが、彼らの威厳を保つための一つの手段であり、厳格にその方針を貫いているのである。静かに風が吹く丘の頂は、威厳に満ちた雰囲気を醸し出していた。
「アトリ。よく戻って来てくれた。北東では大変な働きだったと聞いている。」
「お褒めに預かり光栄です。」
「うむ。だが大変なのは北東だけではない。次々と各地で奴らは蜂起している。その対応のためにアトリ、貴殿を呼び戻したのだ」
やはり………と、アトリは心の中で答え合わせを完了させていた。あの封書の手紙にも書かれていたように、他の地方でもマホトラスの武装蜂起が予想されていた。それに対応するための招集なのだということがハッキリと分かった。なぜ自分一人がそのために呼び戻されたのか。国にとっても重要な事態で、かつ戦力としてこの事態に適切に対処できると信じられているからだろう。自分の力を過信する訳ではないが、多くの戦闘経験を積んでいる者の助力はどこでも欲しがるはずだ。王の隣にいる秘書官アルグヴェイン卿が、話をするなら王城に戻ろうと提案し、王もその提案を受け入れる。一行を連れて城への帰路に着く、その前に。
「この王都を遠景から眺めるだけだと、この国に重大な危機が迫っているとはとても言えない。今もカルディナは活気に満ち溢れ、人々は活き活きと生活をしている。だが、それはこの王都や他の一部の地域に限った話。“すべての地域がこの都と同じ水準で生活が出来る”日は、果てしなく遠い未来の話なのかもしれない。この地に住まう者には国の現状が見えていない。だが危機に晒された地域に住まう者たちには、いかにこの国が脆いかがよく分かることだろう。今の王国とは所詮その程度のものなのだ」
彼もまた、国の外景を眺める。王都カルディナは、たとえ王国領の周囲が激しい争いによって穢れようとも、その輝きが失われることはない。もしウェルズという国がこのカルディナに限ったものであったとしたならば、戦争にも関わらず、人々が集まり賑やかさを常に放つ素晴らしい国だ、と言えるのだろう。だが現実は違う。西の大陸最大の国家は、外敵からの侵略を受け、多くの地域で悲鳴を上げ始めている。すべての地域が平等に平穏で平和な時間が送られるのが、もっともな理想だろう。だがその理想は遠く。国王エルラッハは、建国者であり先代の王であるフィリップの残した石碑を前に、そう言葉を口にする。この街に住む者は外の穢れを知らない。外の世界に住まう者たちはこの国の脆さをよく知っている。それがいずれ、同じく共有されるものとなる時が来るのだろうか。
民衆の注目を浴びながらも、アトリは王と七騎士、王を護衛する衛兵と一緒の列に加わりながら、王城まで戻る。彼を知る者がその光景を見れば、目を疑いたくなるような光景であったかもしれない。王と騎士の列に彼が加わっているのだから。人々は見覚えのない少年剣士がいることに疑問を覚えたことだろう。あれは一体誰なのだ、と。彼が死地の護り人として各地に出向いていることを知っているのは、あくまで軍に所属する兵士たちが殆ど。民衆はその存在を話くらいにしか聞いていないし、知らない人の方が圧倒的に多かった。軍としても彼の存在を公にはしていないから、当たり前といえば当たり前だった。玉座の間に戻った王は腰を下ろし、ほかの騎士とアトリは御前で片膝を下ろし、頭を下げた。玉座の間は格式高く、床一面が高級な絨毯に覆われている。王家の紋章が縫い合わされたもので、それらは壁からも下げられている。窓から入り込む陽の光が、玉座を煌々と照らし威厳を放つ。
「さて、既に騎士たちには伝えてあるが、アトリにも状況を伝えておきたい。ガライア卿、頼む」
「はい、陛下。………貴公に伝えることは二つ。まず一つは、貴公が伝令を通じて報告してくれたように、東の地に限らず王国領の至るところでマホトラスの陣営が武装蜂起している。彼奴らはこちらの要所となる拠点や大きな街を狙い、次々に撃破している。既に北部と北西部では敗退した部隊もある。この意味が分かるか。」
「…………無論です。」
彼の報告した通り、既に各地でマホトラスの陣営が蜂起しつつある。彼は西の部隊について何ら情報を掴んではいなかったが、あの勢いそのままに中央部や西部の自治領地や直轄領地を襲撃することは容易に想像がついていた。それが現実に起こっているというものであった。彼は少しでも早くこの懸念を伝え、備えさせる手段を取るべきだと進言したが、残念ながら間に合っていない。だが、彼のもたらした情報が現実であると確認することは出来た。彼は一歩先の予測を出来ていたのだ。
「それではもう一つ。貴公には北西部の都市ウェストノーズへ行き、民たちのすぐそばで敵の襲来から都市を護ってもらいたい」
「ウェストノーズ、ですか」
王国領の北西部に位置する都市ウェストノーズは、西海岸沿いに面した都市。北部地域でありながら比較的温暖な気候を持ち、また天候が年間を通しても安定していて人々が多く住まう都市である。この街の特徴は海岸から引きこんだ運河が街の中を通っていることで、木造船舶による物流を可能とする経済の要衝でもある。船舶とは言うが大きくても十名ほどしか乗船できず、しかも基本的には手で漕ぎながら前へ進むものであるため、それほど有用的ではないが、それでも運河を通じて町の至るところに物資を届けたり、郊外や別の町にも通じているため、街としては重要な意味合いを持つ。
「かの地に敵襲来の報は届いていないが、充分に可能性はある。北西部の部隊も決して万全ではない。貴公は王国の戦士の中心人物の一人として赴き、その力を民たちのために如何なく発揮して欲しい」
「かしこまりました。そのように言われるのであれば、私はそれに従います。部隊が万全ではないという理由は?」
「ウェストノーズに配備されている兵員はそれなりにいるが、街の中に軍事拠点があり防衛手段は人の手によるものだけである。よって外部からの侵入を防ぐ方法はない。幸い後背は海なので、前方の守りのみ固めれば良いとは思うが。ここから派遣される者がいれば、彼らの気もより引き締まるだろう。」
「分かりました。微力を尽くします」
「三日以内に出立するように。必要があれば武具を揃えて行っても構わない。」
危険が迫っているのはその地域に限った話ではない。ウェストノーズが王国の経済的にも、また軍事拠点としても重要な意味を持っているから、という理由で騎士たちはアトリを送り込んだに違いない。彼としては、そこに住まう者たちを護るが為に戦うという心持ちでいた。北西のウェストノーズまでは一週間半程度は掛かるだろう。出来るだけ早めに出て、状況が悪化する前に辿り着きたいと考えていたアトリ。しかし、彼にはどうしても確認しなくてはならないことがあった。
「一つ、お聞きしたいことがあります。」
「何か。」
「過日、私は北東の地にてマホトラスの軍勢と戦闘を経験しました。その敵の中に、人ならざる力を発揮する戦士と剣を交えました。生身の人間では到底出しようもない意図的な力を私は感じました。そのようなものの存在を、ご存知ですか。」
刹那、その場の空気が凍り付くのを感じた。一部の騎士は驚かせた表情を浮かばせた。声は出さず、ただその反応のみ。しかしその表情を見れば分かる。それがなんであるかをこの騎士たちは知っている。そして、少し俯きながら思慮する面を見せた、国王とアルゴス卿も。
「抽象的すぎて理解できないな。その意図的な力とは何なのか。」
秘書官アルグヴェインが声色を低くして彼に疑問を投げかける。無表情で王と目線を合わせた後の言葉である。
「では、具体的に。確認できただけでも二人。マホトラスの槍兵と二刀使いの黒剣士。彼らは武器である槍や剣を発光させ、その直後に驚異的な力量を見せて来ました。その姿は、自分が意図した瞬間に力を宿すようなものに見えました。大抵の人間には出来ない芸当でしょう。私自身も、多くの死地を越えて来ましたが、あのような戦士は見たことがありません。………それは、魔術師と呼ばれる者の存在なのではありませんか?」
その言葉は既に彼が核心を突いていると思わせるものであり、騎士たちもそう捉えた。彼は実際にそれと思わしき人物と戦い、生きて帰ってきた。それ自体騎士たちには驚くべきことであったのだが、彼らは一切動じずその話を聞いた。彼がそのような物言いで話すので、騎士たちも少し答えるのに躊躇ってしまった。だが、その沈黙を破ったのは、エルラッハ国王だった。
「対峙した敵は魔術師であったと、アトリはそう言うのか?」
「………はい。私は魔術師と呼ばれるような特別な力は持っていませんから、確証がある訳ではありませんが、恐らく。」
いずれもアトリの敵わなかった相手。特に後者、黒剣士に関して言えば、領地で防衛役を務めていた味方の兵士たちの数多くを、たった一人で斬り殺してしまった男である。単純に彼が今までそのような兵士と遭遇したことが無いから、それを魔術師という理由付けにしているのかもしれない、とも自分の中で考えたが、王とアルゴスはその話を真剣に聞いていた。自分の身が危険に晒されたこと。その力が圧倒的に強大であったこと。槍兵の槍に何かが宿ったような、そのような光景を見たこと。それらを話していくうちに、王も理解した。何故正規兵たちが次々と殺されてしまうような状況が生まれるのかを。
「…………なるほど。魔術師、か。久しく聞いた言葉だな」
「王。それは…………」
「良い、アルグヴェイン。それでアトリ、それを確認してどうしようというのだ」
「もしそれが事実であるのなら、そのような相手に勝つ手段は限られるでしょう。こちらに同等の立場の兵士が居ないのであれば、せめてその知識だけでも身に着けたいと思ったのです。」
つい先日、北東部の部隊の統括をしていたヒラー隊長から聞いた、その話をそのまま彼らにぶつけるアトリ。魔術師という事実を王国が知っているのなら、それに関する情報を持っているだろう。それをアトリは直接的に言葉にするのではなく、そう察しがつくように伝えた。
「…………分かった。宝物庫の情報を開示しよう。そこにアトリの欲するものがある。ただし情報はそのすべてを口外せず、開示は一晩に限る。良いな?」
「ありがとうございます。さっそく今日の夜に。」
「ですが王、宝物庫はこの国の秘匿事項が数多くあります。それを一般の兵士に閲覧させるなど………」
「必要となる時が来たのだ。だが他の人には手を出させまい。そうだ、アトリ一人ではあれだけの情報を閲覧するのは時間が掛かり過ぎるだろうから、手伝いを一人向かわせよう。20時に来ると良い」
「はっ」
彼の間接的な要求を察したエルラッハは、その要求を受け入れた。この時点で、アトリは魔術師という人ならざる力を操る存在が本当に実在することを確信する。やはりあの槍兵もあの黒剣士もその一人なのだろう、と。そうすると、どのようにして魔術師になったのか。誰にでもなれるものなのか。そういったところが気になるところであった。一晩だけ宝物庫が開示されるとのことだったので、この一日が情報収集の鍵となろう。用が済んだことでアトリはその場から退出する。
「―――――――ついに、彼は気付きましたな。あの存在に。」
アルゴス卿が、沈黙していた騎士たちの前で、静かにそう呟く。
「ああ。………だが、まだそれが身近なものとは感じていない。いずれその時は来るだろうが、今はあれでいいだろう」
国王がそのように話す。この場にいる騎士たちは皆、魔術の存在を知っている。知っていて、広く知られないように秘匿し続けている。それには理由があり、そこには王国の暗い翳りがある。彼はその事実の一端に触れることになるだろう。しかし、それでも敵に魔術師がいる以上、彼が負けるのは非常に困る。だからこそ、一般兵士とはいえ情報の開示を許可したのだ。
「確か、“あの方”の息子でしたね、彼は。私などは一度も会うことはありませんでしたが………息子も素質あり、ですか。」
「卿が騎士に登用される前の話だからな、ガライア卿。その点は私とアルグヴェイン以外同じか。」
「ええ、確かに。」
「アルゴス卿。後程、鍛冶士のレイモンをここに呼んでくれ。話がある」
王はそう伝えると、立ち上がって後方の間に退いて行く。この時、エルラッハとアルゴスの二人は、アトリの先程の姿を見て、ある一人の男を思い出していた。その男は、かつてこの国に仕えた戦士で、今はどこにも居ない過去の人物だ。その人物と彼とが重なる瞬間が、確かにあったのだ。
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