1-17. 護り人の征く道




 後退を続ける部隊とそれに引き連れられる民たちに追いついた後、彼らは一週間ほど時間を掛けながら別の町まで辿り着いた。王国領中東部の町エラムス。中部地区の中では比較的大きな町を有しており、人口も多く駐留する部隊の数も多い。彼らは多くの民たちを護りながら、ここまで気の遠くなるような行程を過ごしてきた。王城までは遥かに遠く、この地も決して安全とは言い切れない。それでも最前線の死地にいるよりは幾分もマシではある。

 彼らはここに来る途中、幾つもの小さな町や村に立ち寄っては、その危機的状況を伝えた。いずれここに敵が来るから、どうか自分たちと一緒に逃れて欲しい、と。無論その声に従う者も多くいたが、一方で。

 「………忠告をありがとう、兵士殿。じゃが、どうか希望者のみを連れて行ってはくれぬか?」

 「っ………何故です!この地は明確に敵の脅威下にある。ここに留まれば明日以降の生活どころか、その命すら危うくなる!」

 「無論理解しているとも。その奴らがここを統治するために攻めてくるだろう…じゃが、この土地を愛しておる者も、大勢いる。わしのように。ここで新たな生活を迎えるも良し。それがどんな形であれ、この土地に居られることを嬉しく思う者たちのために………どうか、頼まれておくれ」



 …………。

 その気持ちは分かる。多くの民たちがそのように思うだろう。思えば、今日連れてきた彼らとて、同じ気持ちでは無かっただろうか。本当は自分たちの故郷に住み続けたい。しかし、危険が目の前に来ているという理由から、退去を命じた。おかげで、彼らは助かった。しかし、彼らは自分たちの故郷を失った。持てるものは己の身だけ。この人の言うことも分かる。この地に生まれた者たちが、この地で生を成す…。確かに自分たちは強制はしてはいけない。それが民の希望であるのなら。

 …………だが。その先に見える結末を、彼は知っている。彼だけではない。兵士の多くは、その話を既に知っている。それでもなお、この土地に留まる気持ちを持ち続ける民たちの顔を見て、心が苦しくなるのが分かる。この先。何が待っているのか。どのような姿に変わり果ててしまうのか。それを思うと、ここで彼らの気持ちを尊重するということは、彼らを見殺しにすると同義ではないか。

 この手で護れるものを護りたい。

しかし、国に尽くす一人の人間として、自由や平等を優先しない訳にはいかない。

その逆になれば、まるで奴らと変わりないではないか。元より自分は、このような土地を生み出さないために戦ってきたというのに、自分では何もできることが無いというのがあまりに歯痒かった。悔しかった。それでも、それが民たちが選ぶ道だというのなら、強制は出来ない。それは、アトリの持つ信条とは反していた答えだったかもしれない。この手で護れる者があるのなら、という想い。あの時心に誓ったその答えからは外れる承諾であったかもしれない。しかし、彼の信条は彼が成すべきことでもあり、国が成すべきことでもある。自分ひとりの信条と国と、どちらを取るべきか。彼は国を優先した。国としての在り方を。分かりました、そう答えるしか彼には無かった。

 …………そう、幾つかの町や村でこのようなことがあったのだ。彼らが引き連れた民たちは一千人にも近いほどのものであった。民たちを傷つけず、苦しい行程を乗り越えながら安全な土地まで移送させた彼らの功績は計り知れないものであろう。だが、悲しく苦しいことも多くあった。諦めたくなるようなこともあった。皆が疲弊していたのだ。

 「スゴイ数の人たちだね。なんだって言うんだい?」

 「さあ………皆ほかの領地の人みたいだけど」

 「兵士も大勢だな。逃げてきたのか?」

 「ここいらももうすぐ戦場になるのかね………」

 エラムスに大勢の民やそれを護衛していた兵士たちが到着したのを見て、そこに住まう者たちは困惑しつつも現状を理解し受け入れてくれた。しかし同時に彼らの心に霜を降らせることにもなった。あのように大勢の民たちが疎開してくるということは、彼らが元々住んでいた地域がどうなったのかは聞くまでもない。いずれはここも同じようになるだろう、と予想は出来た。逃げてきた民たちに出来るだけ多くの住処を与えたいと願っていたが、あまりに大勢であったために民たちを捌くのが限界だった。兵士たちは皆、町の外に野営場を建設してそこを臨時拠点とすることにした。町の中に在る駐留部隊の詰所だけでは収容しきれないのである。ヒラー隊長とその副官、そしてアトリの三人で駐留部隊の指揮官のもとへ行き、事情を説明して事態を共有した。町についてひと段落つくまでには時間を要し、ようやく落ち着けるという頃には夜の時間になっていた。

 「…………はぁ、こんなところか。よし、今日のところはもう休もう。」

 「そうですね。流石に疲労を感じます。」

 「ああ。今は無限の未来より一夜の睡眠が欲しいという心境だな」

 思えばこの一週間、ろくに寝ていない。後退で休息を取ってはいたが、いつマホトラスの陣営が攻めてくるかも分からない状況で、満足に眠ることも出来なかった。それは民たちとて同様だろう。千人規模の野営場など満足に展開できる余裕もなく、人目に付き辛いところを選ぶのも難しく。彼らの行程は決して楽なものではなかった。満足に食糧も無く、水も無く、疲れは溜まる一方。それでもここまで来られたのだから、町一つがオアシスのようにも思えただろう。彼らを主導し引率したのは北東部隊の統括をしていたヒラーであり、アトリでもあった。他の駐留部隊とも合流が出来たことで、少し心身に余裕が出来た。詰所での事務仕事も終えて、野営場に戻ろうかという時。

 「失礼します。アトリ殿でいらっしゃいますね?私は王城より伝令役で派遣された兵士です。これを………国王陛下からの直々の伝令文です」

 「っ………王自らが………?」

 「はっ。これをアトリ殿に間違いなく渡すようにと、申し渡されました」

 王城から派遣されたという一人の青年兵士が、彼に手紙を手渡す。王自らが筆を奔らせたものであると聞き、アトリも、隣にいるヒラーも動揺を隠せない。アトリは王城勤務であり騎士アルゴスからの命令を受けることが殆どであるが、王から直接のやり取りを手紙でされたことはない。呼ばれて話をすることはあっても。その王が自ら書き伝えたところを見ると、決して状況が良いものではないとすぐに想像がつく。彼は封書を開封すると、中には短くこう書かれていた。



 先の戦いにおける任務ご苦労である。アトリのもたらした情報により、北東部から東部にかけての部隊は編成案を練り直しているところである。今も現地にいることと思うが、一度カルディナまで帰還してもらいたい。アトリが居ない間に、刻一刻と状況が悪化し続けている。新たな命令は国王のもと発する。

                        エルラッハ・フォン・ウェルズ



 「………………。」

 彼は静かに読み終え、封の中に紙を仕舞い込む。そして一つ溜息をつく。内容そのものは明確ではないが、末文に王の名前が署名されていることもあって、容易ならざる事態にあることを想像してしまう。そのうえで、新たに必要とされる任務が発生したとみて良いだろう。ここから離れることになるとは思いもしなかったが、その時が来たようだ。

 「ありがとう。貴官は次の任務は与えられているか」

 「いえ、自分は特には。何も無ければ王城に戻るまでですが………」

 「そうか。では一つ頼みたい。これから私が記す情報を西部地区の部隊に渡して欲しい」

 「西部地区、ですか………っ!?」

 この時既にアトリは先の一手を読んでいた。マホトラスの陣営が北東部のみならず、北西部や中央部にかけて広範囲に侵攻範囲を拡大させるであろうことを予測し、事前に対応するよう注意を促す書簡を偵察兵に持たせた。軍の上層部からすれば出しゃばりだと罵られるかもしれない。が、早めに情報を渡しておけば、いざという時の対処も苦労ばかりではなくなるだろう。そう信じて、あえて誰にも許可を求めず、事態の深刻さを知らせるための伝令を走らせようとしたのだ。

 「必ず届けてくれ。頼む」

 「は、はい!承知しました!」

 伝令兵は基本的に誰かの指示を受けて、その地に赴き託された情報を渡す。その仕事は多岐にわたるが、今のご時世では非常に危険を伴う仕事でもあった。それだけに重要な役割を持つことも多く、アトリが手渡した情報もまたウェルズの情勢にとって必要不可欠なものであった。多くの地域にマホトラス陣営の侵攻を知らせる必要がある。広大な土地が美点でもあり欠点でもあるウェルズを、奴らの一方的な手段で破壊させないために。

 「状況は良くないようだな。西にも奴らが?」

 「王は明確に打ち明けませんでしたが、その危険が生じたからこそ対策を考えたいのでしょう。」

 「なるほど。アトリ殿は、王にも絶対の信頼を置かれているのだな」

 「?」

 「そうだろう。我々一般の兵士では手に届かない存在なのだからな。」

 アトリと国王との間には奇妙な縁があるのだが、それを知る人はそれほど多くは無いだろう。王城やカルディナにいる一部の人たちならば知っていることなのかもしれないが、このように王城から遠く離れた土地にいる者たちにはそれほど知られていない。だからなんだ、ということでもあるが。

 「アトリ殿。この先どのような敵が貴殿を待ち構えているかは分からない。先日の黒剣士のように、また槍兵のように、人ならざるほどの力を有している可能性も充分にあるだろう。そうなれば、その素養の無い者は倒される運命にある。」

 あの黒剣士や槍兵のような存在が、マホトラスの陣営には多くいるのだとしたら。それだけでもウェルズ王国の軍勢にとっては大いなる脅威となる。だがその脅威を排除しなければ勝ち目はない。もし方々にあのような強い者がいたとしたら?考えるだけで絶望に包まれるようだ。

 「だが、その知識を有すことが出来れば、幾分か状況は変えられるかもしれない。アトリ殿、この国の城には宝物庫があるのをご存知か?」

 「はい。入ったことはありませんが………」

 「そうか。では、どうにかその機会を得て、魔術に関する資料を読み解くと良い」

 既に、ヒラーはそれらの人物が魔術を行使する者として決めつけに掛かっているようだった。何ら根拠は無いが、人ならざるものを具現化できるものを彼は魔術師であると考えているようだった。魔術師には魔術師で対抗するしかない、ということは、彼がその存在を心の底から信じてはいないままにも、容易に想像が出来る現実だった。生身の人間であれば太刀打ちできない。だが、魔術師になろうと思ってなれるものでもない。だからその知識を手に入れさえすれば、いざそういう場面になっても機転が利くかもしれない、とヒラーはアトリに助言したのだ。

 「ヒラー隊長………」

 「俺は無論この地に戻る。ほかの部隊とも合流して編成し直さないとな。多少なりともまともな抵抗が出来るようにはなるだろう。先日のあの町での戦いのようにな」

 「とにかく、無理はなさらないで下さい。相手は手の内をよく知る者ですから」

 「はは、そうだな。」



 ある意味では身内の喧嘩のようなものだ。命懸けのな。だが、始まってしまったことを野放しには出来ないし、終わらせなければならないだろう。



 「こんな戦争で命を落とすなど勿体ない。良き未来を築くには荒んだ今を越えるしかない。だから、生き延びろよ。生きてさえいればきっとどうにでもなる」



 親指をグッと立てながら、笑顔で男はそう話した。この先どのような未来が待ち受けているのかは、誰にも分かるものでもない。それでも、どんなに辛く苦しい道のりであったとしても、生きてさえいれば何とかなることもある。ヒラーはそれを彼に伝えた。そういう言葉や意味を教わるのは初めてではなかったが、ヒラーなりの励ましというべきか。“死地の護り人”としての実体を目の前にした、一人の人生の先輩としての言葉だった。

 「皆さんにはお世話になりました。」

 「こちらこそ。アトリ殿には本当に助けられました」

 「向こうに行っても、怪我には気を付けて下さいね!」

 「また会う機会があると良いな、アトリ殿。貴殿の活躍を遠くから祈っているよ。今度会った時には美味い酒でも酌み交わそ………おっと、“君”はまだ未成年だったな」

 「お茶くらいなら付き合いますよ。」

 彼もまた、そう笑って返事をする。こうやって他愛のない会話が出来るのは、ヒラーが言うように生きていればこそ、である。死地にあって戦い続けながら、自分の命を優先したことはなく、二の次三の次にしている間に、意識することすら少なくなっていたのかもしれない。いつも王城で自分に話しかけてくれるあの少女が言っていたように、他の人を助けることが出来るのは自分が健全であるから。自分の命こそが第一だ、と当たり前のことを再確認させてくれた。

 志半ばではある。この地に逃げ込んだ民たちを今後も護り続けることが出来るのなら、彼も安心できるし民たちもきっと安心してくれるだろう。だが、彼は同じ場所に留まることはしない。これまでもそうしてきたように、これからも求められた場所に赴いて死線を越えていく。それが死地の護り人だから、その生き方を棄てることは無いだろう。この場は他の部隊に任せて自分は次の目的地へ行く。そこにはきっと、自分を必要としている人がいるだろうから。そう信じて、行くのだ。



 暫くして、この町で済ませることを終えた彼は、幾人かに見送られながら去る。その姿を見届けたヒラー。遠ざかって行く馬とその姿を見ながら、思う。



 「………あのような子供は、そうは居ないだろうな。」

 「会った時から今に至るまで、子供のような姿は一度も見られませんでした。」

 「俺も、そうだな。そう思ったことは一度も無かったかもしれん。」



 ―――――――少しばかり、生きた人間らしい姿からは離れているかもしれない。

彼は、アトリに対する印象として、そう思っていた。死地の護り人として、多くの戦場に行きそこに住まう民たちを護る。その信念は実に立派なものだろう。誰にも真似出来るものでもないだろう。同時に彼は思う。なぜ子供である彼がそこまでしなくてはならなくなってしまったのだろうか。国は何を考え、何の狙いで彼をそのような立場にしてしまったのだろうか、と。きっと、この立場を命じた者たちは、誰もアトリが不幸な結末を辿ると考えはしなかったのだろう。たとえどれほどの苦境であったとしても、死地の護り人はそれを乗り越えて来てしまった。多くの人を殺しながら、より多くの人命を護ってきたのだろう。だからこそ、その立場に磔にされ、もう二度とその立場を手放すことが出来なくなったのだろう。憶測ばかりが思い浮かぶが、恐らくそれほど的外れなものでもあるまい。だとしたら、あの少年の幸福とは一体何なのか。どこにあるのか。何をもって彼は幸せになれるのか。

 この国はすべての民が平等に平穏である時間を望んでいる。確かに、その実現のためには必要な手段を取らざるを得ないだろう。それを、今の少年が取っているというのが異常そのものであり、それを成し遂げてしまう少年もまた、異端であった。そう思わずにはいられなかった。そして同時に、それを止める術などもう持ち合わせても居ないのだろう。彼は一人の兵士という枠組みを大きく超えて、この国の重要な人物の一人としての道を辿っている。護り人の征く道は険しく、茨の山で、先の見えないものばかり。これからも多くの人々の期待に応えるだろう。それが彼の道であると男には思えた。一方で、それが進むにつれ、恐らく、彼の心は―――――――――。




 その果てに、どこへ行き付くのか。

 それを知る者はまだ誰も、彼ですら、まだ。








 ▶Next... 第二章 王国の失墜



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