1-15. 黒剣士




 元々彼らは同じ軍勢。ウェルズ王国という中より出でた同種の軍勢が、互いに袂を分かち刃を向ける存在となっている。貴族連合会の離反から端を発したこの内戦が、暫くの間膠着状態にあったのは、先の戦いで両軍が正面からの激突を繰り返し、互いに領土を維持するのが困難なほどに疲弊してしまったからだ。それから時は経ち、今度はマホトラス陣営からウェルズ王国に対し攻撃を仕掛けてきた。それに対しウェルズ王国は防戦を強いられることになる。両軍兵士の練度は、それこそ膠着する前の時は非常に高く、あらゆる自治領地をその領土とした結果も納得できるほどの強さだった。それが先の戦いで相当数失われてからは、ウェルズ王国に関しては領地の中で新兵を教育することに重点を置いた。一方のマホトラス陣営は、数こそ多くは揃えられずとも、マホトラスに縁のある自治領地やその志を共有できる領地で、戦える兵士たちを多く集めた。無論、教育も行われてはいるが、どちらかといえば協力者を得る方向に舵を切ったといって良いだろう。マホトラスの支配領域に対し、ウェルズ王国の領土は数倍の開きがある。兵員の数もそれだけ多く、数のうえでウェルズ王国と対等になることはまずないだろう。しかし、その弱点をマホトラスは多くの戦闘経験者を用意することで補おうとしている。一方のウェルズ王国は、数だけは立派に揃えられており、今もその数は増え続けてはいるが、戦闘経験の無い兵士が多い。かつての戦いで生き残った熟練の兵士が部隊の長になるなどして、未熟な若年兵士たちを引き連れるのだ。

 どちらが有利な状況になりやすいか?全体と全体が戦闘状態になるのであれば、兵員の数で王国が有利になりやすいだろう。しかし、そのような戦争は絶対にあり得ない。各所で一気に烽火が挙げられたとしても、同じ戦場で全員が戦うことはまずないのだ。局地的な戦闘において、数の優位性を活かして展開できる機会があるのがウェルズ王国。それに対し、経験者を固めて突破を出来そうなのがマホトラス陣営。兵員の運用が戦場の優劣を左右させる、従来の戦争の在り方をウェルズ王国は踏襲している。しかしそれは兵員を充分に用意が出来、かつ運用が出来る場合だ。それが出来ない状況でただ数だけ揃えたとしても、充分な戦闘力は発揮されないだろう。この地で起きた戦闘はまさにそのような状況にあった。

 「チッ!敵さん中々やるじゃねえか………!!」

 「次、来ます!!」

 さらに言えば、この地の戦闘はマホトラス陣営のほうが数の上でも勝るという、ウェルズ王国兵士側からすると最悪の状況だった。撤退する味方のために時間稼ぎをしなければならず、さらに数の上でも不利で戦闘未経験者もいる。その字面だけを並べると、この戦場でウェルズ王国の兵士たちに勝機があるのか甚だ疑問に思えるのかもしれないが、戦闘は案外単調な形で進められていく。お互いの軍勢が町の郊外で正面から衝突し、殺し合う。戦略も戦術も何も無いような展開につき、お互いの技量が純粋に試される。指揮官としての任を持つヒラーもまともに部隊を運用できずにいた。目前の敵が迫ると、彼も最前線で戦わなければならなかったからだ。

 「すまぬアトリ殿!貴殿を援護するのは難しそうだ。王城から来た兵士を守れないというのも格好がつかないが………!」

 「いえ、自分のことは気になさらず!私は前へ出ます。その気遣いは他の方に。」

 「お、おいアトリ殿!?」

 ヒラーや彼の副官が戦闘状態に入れば、指揮どころでは無くなる。混戦状態になれば命令系統も混乱する。そうなれば、どのみち統制のきいた部隊運用など出来なくなるだろう。アトリにははじめからこれが分かっていた。そしてある意味それは彼の狙いの一つでもあった。、この状況こそこちらの陣営が勝機を見出せる唯一の機会。彼は一人最前線の更に渦中に躍り出る。

 「な、なんだ!!?」

 「強いぞ!構え!構ええぇい!!」

 またしても、自分の本来の戦い方からは逸れてしまうのだが、この場においては致し方ない。出来るだけ早めに敵を倒し、味方兵士の負担を少なくして後方に退いてもらわなければ。アトリは単身で敵中に入り込むと、その細身の剣で次々と敵を斬り払い始める。その身のこなしは流れる水のよう。一人仕留めて、また次へ。あっという間に十人以上の敵を斬り倒して行く。剣捌きも身体のこなしも、とても俊敏なものでありマホトラス陣営の兵士たちは皆がたじろいだ。既に町の中まで戦線を押し上げられていたが、彼の奮闘により混戦の中でも優位な状況を作り始めていた。相手からの攻撃を受けそうになれば受け身を取り、または弾き返す。速やかに致命傷を与え、次の敵へ移っていく。

 「―――――――――――これは凄い。」

 その様子を、ヒラーは見ていた。自分にそれほど余裕がある訳ではないはずなのに、あまりの光景に思わず彼の背中を目で追ってしまっていた。とても昨日胸部に傷を負った者の立ち回りとは思えないほどの、速い剣捌きに身のこなし。アトリという少年が、今の王国の現状最も多くの戦いを経験している兵士だ、と言われている。その強さの理由がその経験から来ているものであることは明白だった。淡々と、確実に相手を仕留める。彼一人で何人分の戦力を補うことが出来ているのか。そう思わずにはいられないほどの強さが彼にはあった。これならば、多少は状況を変えられるかもしれない。我々も続こう。



 マホトラス陣営のほうが数においても有利で、また技術的にも上回っていたのだが、それを支えていたのがアトリであり、他の兵士たちもその姿を見て何とか踏みとどまれるよう奮戦していた。そのおかげもあってか、数の劣勢を覆すほどの戦果をあげ始めていた。隊長であるヒラーも、部隊の指揮という点においては落第点だったが、一人の兵士として戦況に大きく関与していた。元より混戦状態になれば、指揮など関係なしに目の前の敵との戦いが中心であった。

 戦いが始まってから、一時間ほどが経過する。

 「…………はぁ。」

 何人の敵を斬り殺したか分からない。だが、これほどまでに多くの敵を一度に相手するのは久々だった。アトリは目の前の視界が開けたところで、一度剣を地面に突き刺して気を休める。自分の周りには数えるのも呆れるほどの躯が転がっている。すべて彼が生み出したものではないが、その多くは自らがもたらした結末によるものだ。味方も多くの犠牲を出している。戦いは膠着状態に入ったが、なんとか我々が持ち堪えたといって良いだろう。

 「アトリさん!敵の攻勢が弱まりました。もう少しです!」

 「………そうですね。もう少し、いきましょう。」

 「俺、なんとか乗り越えられるような気がしてきました!でも気を抜かずにいきましょう!」

 そうだ、そのほうがいい、と若い兵士に声をかけられたアトリは、心の中でそう呟く。油断、慢心は戦場において自らの運命すら定めてしまう可能性もある。細心の注意を払う、それに越したことはない。とはいえ、この兵士の言うことも分からない訳ではない。数の上で劣勢、兵士の中には戦闘経験が無い者も多かったこの戦場で、こうして希望を持てるような状況が出来始めているのだから、少しばかり浮足立つのも分かる。そうした希望は棄てずに持ち続けていたほうが良いだろう。戦う気力がそこで再び起こされるのであれば。

 彼はほかの戦っている兵士たちのもとへ行っては、助力をする。それを繰り返し、出来るだけ戦況を良い方向へ持って行こうとする。彼一人の力でどうにかなるものでもないが、それでも彼一人の力が戦況全体に響いていることに変わりはなかった。

 「すまない、助かる!」

 「周りも落ち着いてきましたね。もう一息です。」

 特に若い兵士たち、それも戦闘経験がない状態で各地に派遣された兵士たちからすれば、彼の存在は輝かしいものに見えただろう。自分より年下の少年だと言うのに、果敢に攻防を繰り広げ前線を押し上げていく。この国の中で現在最も戦闘経験を積んでいる兵士、という理由も頷けるほどの力量。それに期待しない訳がない。敵からすれば、一人の少年兵士によって戦況が変えられてしまっているのではないか、と思わずにはいられないほどの状況に陥っていた。ウェルズの人間たちにとって優位な状況が続いている。彼が懸念していたのは、あの槍兵が今もまだ姿を見せないこと。あれと再び戦うのはかなり厳しい。あの男が前線に出てくれば、こちらの状況がひっくり返される可能性が高い。

 だが、あの男は出て来なかった。何故か?あの男が最前線で彼らを討てば、一気に状況は変わっただろうに。アトリはこれが敵の戦略なのか、それともあの男の自由意志によるものなのか、疑念を感じていた。戦況が落ち着き、ウェルズ王国側に優勢な状態が続いたところで、マホトラス陣営の兵士たちは後退を始める。すると膠着していた戦況が徐々に終息の途を辿るようになっていた。


 「おさえ、きったのか………!?」

 「よし、生きてるな………!」


 マホトラス勢力が後退していくのを確認して、ウェルズの兵士たちは安どの表情を浮かべ始める。不可解なところもあるが、とにかく敵が後退するのであれば、こちらとしてはこの戦いを勝利という結果で終えられるだろう。

 「ジェフリー………!ちくしょう、死んじまってんのかよ………!」

 「………ハルマッハ。もうその辺にしておけ。せめて遺品だけでも集めて………」



 だが、これが勝利だとしても、心の底から喜べるものではなかった。たとえ彼らがこの地で勝利したとしても、この地を離れることに変わりはない。時間稼ぎという目的で民たちを逃し、自分たちも逃れられれば一番いい形だとは思っていたし、実際そのような状況になりつつあった。だが、ひとたび戦が始まれば双方犠牲が出る。昨日まで笑顔で話し合っていた仲間、ずっと長く親交のあった友達、隣にいたはずの味方が死んでいくのだ。今まで戦闘経験のない兵士たちからすると、その結果が分かるなり絶望を感じたかもしれない。よく知る友達が一瞬にして死する。たった一日のことでそれが現実になる。認めたくはないがそれが現実であると痛感させられる。

 アトリは、そうした慟哭を少し離れから見ていた。悼む気持ちはある。同情もするだろう。しかしそれも彼にとっては見慣れたもの。見慣れたから何も思わない訳ではない。“世の中にはそうしたものが今も数多くある”ことを、彼も実感する。この規模の味方と共に行動し戦う機会はそれほど無かったから、彼も色々と思うところはあった。いつもは一人で、自治領地の自警団の人と共に戦うことが多かった。たとえ立場が違えど同じような状況にはなった。大切な友達が、家族が、恋人が、戦争により失われる。一人でもそういう人を救いたい、未来を奪われるのを防ぎたいと願い、実現させたいと彼は剣を振るう。だが、戦えば犠牲が出て大切な人間が失われるという現実から目を背けることは出来なかった。もとよりそれが戦というものだ、と分かりきっていたから。一人ひとりに情を抱くことは出来なかった。

 「なんとか防ぎきったか。こちらも結構な数やられたな………」

 ヒラーがやってくる。彼も少し手負いの状況ではあったが健在だった。周りを見渡すと、この町が死地となり多くの死体で埋め尽くされてしまっているのが分かる。家の所有者を無視して無人の室内で戦いが繰り広げられたような光景もある。町の前で防衛線を張ったつもりが、町の中まで深く入り込まれてしまった。幸いにして民たちは既に逃げている。一時間もあれば、それなりに遠くへ移動は出来ただろう。

 「北東部隊の最前線がこれほど痛手を受ければ、影響は必至だな……南の部隊とも合流しなければ」

 「そういう意味では、やはりここは民と護衛部隊と行動を同じくするほうが賢明でしょうね」

 「ああ、全くだ。ここの整理がついたら、すぐにでも出るとしよう」

 まだ日中の時間帯。彼らに追いつけるかどうかは別にしても、合流してほかの部隊との編成を整える必要もあるだろう。どのみちこの町は放棄しなくてはならなかった。この町はウェルズ王国の軍事において必要なものを持つものではなく、戦略上重要な町ではない。固執する理由は無かったのだ。すべての人が平等に生きられる社会、安定で、平和で平穏を送ることの出来る時間。それを体現するために、外敵からの攻勢を躱す仕組みが必要だった。その仕組みとして使われたのが、まさに軍であり兵士であった。すべての村や町に兵士を配置するのは不可能だったが、広い領地の中でも民たちが多く住まう地域では、出来る限り駐留させてその任に充てた。こうして不利な状況が続いているのも、広大すぎる土地を整える為の人員が少なすぎるからだ。この状況はいつまでも続くだろう。そうとさえ思われていた。

 この場の整理がつき次第、後方の部隊を追いかけよう。そう、周りが動き始めようとした、その時。




 「――――――――その必要はない。お前たちの戦いもここで仕舞いだ。」




 ―――――――――――この、感覚は。

 あまりに突然すぎることだった。誰も予想していなかった。マホトラス陣営の兵士たちが後退しこの戦場を後にする中で、ただ一人、その場に留まる者がいた。皆が後退してここを離れていくものだと思い込んでいたが、違った。視界に現れ、そんなことを言い出した“全身黒づくめの剣士”は、ゆっくりとした足取りで整理を始めようとした兵士たちに迫る。鼓動が急激に強く早くなるのを感じた。今までに感じたことのないくらいの感覚。身体の内から全身に、精神にかけて、この男には気を付けろ、と警戒を発しているようだった。

 「誰だ貴様!?」

 「マホトラスの者か、下がれ!もう仲間はいないぞ」

 幾人かの兵士たちが前へ出て、歩いて一人で接近する男を牽制する。これ以上近づけば命は無いぞ、と。だが、男の表情は変わらない。鋭く冷徹な目つきではあるが表情は固まったまま、無に等しい。それだけに印象が強かったのだろう。兵士たちが声を荒げながら止まるように伝えても、全く動じる気配すらなかった。数度の警告を無視した結果、兵士たちはそれぞれに剣を抜き、その男に向かって攻撃を仕掛けた。それを見るなり、男のほうも背中に背負っていた、自分の背よりも長いであろう剣を抜いた。どういう訳か、背中に背負っていた剣の一部はまだ残されたままである。残った剣の長さから考えても、決して出来損ないの武器では無く間違いなく剣の形状をしていることから、二刀流ではないか、という考えが瞬時に浮かんだ。

 兵士たちが斬り込もうと、剣を振るう。その攻撃を、

 「ガハッ!!!??」

 「アアアァァァッ!!!」

 ――――――――――振り下ろされる前に、一払いにて封じた。

あっという間に二人を倒し、さらに前へ。今度は味方の兵士たちが三人で同時に斬り掛かる。男はその場で停止したが、達観しているかのように、特に構えることもしなかった。明らかに彼らの動きは見切られているし、読まれている。同時に繰り出される剣戟を一つの剣で受けると、それを弾き返し、すかさず攻撃を加える。一撃のもとに絶命させ、僅か20秒で5人。

 「な、なんだあいつ………!」

 「やられるぞ…………!?」


 「――――――――――。」

 アトリとヒラーは少し遠い位置からその男と戦う味方の姿を見ていたが、明らかに技量が違う戦いを目の当たりにして、脅威を感じる。あれもマホトラスの兵士の一人だと思うが、他の兵士たちとは全く異なる服装を見に纏っているし、あの武装も一度も見たことが無かった。男は全身黒づくめの鎧を身に着け、その上から黒いマントを羽織っている。背中に剣を背負っていたが、どうも二本持ち合わせているようだった。だが一本の剣のみを手にし、もう一本は出さずに背中に背負ったまま。それはどういう意図なのかは分からない。しかしその一本の剣だけでも、多くの味方兵士を圧倒している。次々とあの男に対峙していくが殺されていく。僅かに1分ほどであの男の周囲が地獄絵図のように塗り替えられていく。

 アトリとヒラーが同時に走る。あの男を止めなければ。そして他の兵士たちの戦闘を止めさせなければ、こちらが一方的にやられてしまう。

 「―――――――――っ!!」

 二人の接近に男も気付き、僅かながらに構える。左右からアトリとヒラーが同時に攻撃を仕掛けるが、依然として男は無表情のまま一本の剣のみで対応する構え。同時の攻撃をいとも容易く剣と身のこなしで回避し、すかさず男が反撃を加える。その瞬間からアトリとヒラーは防戦一方の展開となったが、繰り出される攻撃をなんとか防いで後退しながら立ち回る。

 「…………はぁ、はぁ…………アトリ殿、この男は今までの奴とは全く違う」

 「ええ、そのようですね………」

 一度攻防が終わりお互いに間合いが出来ると、男もまた動きを止めて様子を見る。その間他のウェルズ王国軍兵士は後退する。ヒラー隊長が退け、と声を荒げたこともあって、その動きは迅速であった。たとえ彼らがここで戦いを続けていたとしても、この男に勝ち目はない。それがヒラーの考えだった。では自分たちならどうか?とてもそうとは思えないほどの力量を有している、というのが二人の共通の認識だった。

 その時。




 『ほう。中々面白い剣士がいたものだな。』




 相変わらず表情は変わらないが、その声は少しばかり興味を持った印象のあるものだった。撤退するウェルズ王国の前に現れた、マホトラス陣営の一人の黒剣士。他の兵士たちとは全く異なる感覚を抱かずにはいられない、圧倒的な力量を持つこの男の前に、アトリとヒラーが対峙する。



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