1-14. 戦いの烽火



 「アトリさん!!…無事でしたか!」

 「た、隊長!アトリさんが戻って来ました!」


 それからアトリは馬を駆け町まで戻る。道中別の何かに襲撃されることも想定に入れていたが、遭遇していれば恐らく身体が思うように動かなかっただろう。槍兵との戦いで身体も疲弊し、精神も圧迫されていたのだから。極度の緊張感から解放された後の疲れというものは、普段感じる重みよりもずっとずっと圧し掛かってくる。そのような感覚は何度も味わっている。ただ、今日のそれがその比ではなかった、ということだ。

 「貴殿も無茶をする………まずは怪我の治療を。」

 「申し訳ありません。あれ以外の方法が思い付かず………」

 「話は俺も聞いた。とにかく今は身体を労わるのが先だ。」

 ヒラー隊長も、他の随伴した兵士たちも、彼の姿を見て驚いていた。胸元に傷を負い衣服は裂け血の痕跡もある。間違いなく手負いの姿だ。その姿を見るなり、すぐに救急道具を用意するために走り出す兵士もいれば、痛む身体を支えようと傍にきて、寝具に誘導しようとしたりする兵士もいた。皆が、彼に協力的だった。きっと申し訳なさもあったのだろう。彼が言ったこととはいえ、彼一人を残して自分たちはここへ戻って来てしまったのだから。寝具に横たわるのはあまりに格好がつかないので、座ったまま治療を受けたアトリ。今は痛覚よりも疲労のほうが身体に堪えるようだった。

 「よし、落ち着いたか。それでどうだったのだ。町の様子は」

 「はい。やはり我々が想像したように………」

 彼はそこで得た情報をヒラーに伝える。町は既にもぬけの殻で、やはり住民がマホトラス陣営によって連れ去られているということ。そしてこの地より更に北でマホトラスの軍勢が次の段階に移行しようとしていること。それ以外の些細な情報も出来る限り伝えた。出来ることなら、敵がどれほどいるのか、数的な情報が欲しかった。だがそれは叶わなかった。

 「………そうか。敵の規模が分からないと、こちらから攻める手を使うのは難しいな」

 「あの町に部隊でも駐留していれば、それだけでも有益な情報になり得たのでしょうが………ヒラー隊長。この地に攻め入るマホトラス陣営の中に、飛びぬけて技量の高い敵兵士がいる、という話を聞いたことはありませんか。」

 先程対峙したあの槍兵こそが、まさにその噂に聞く強い兵士そのものだろう。彼はこの地方に来る前に、マホトラスに関する情報の中でそのようなものを聞いていた。一人で戦況を変えてしまえるほどの強者が相手にいる、と。はじめはたった一人の戦力が全体を左右するなどと考えられなかったが、あの槍兵と出会った後ではそうも考えられなくなってしまった。あの槍兵ならば、一人で何十人もの敵を相手にすることが出来るだろう。そういう手合いのものが一人でもいれば、少数で構成される部隊はあっけなく倒されてしまうのではないだろうか。

 「噂には聞くが………まさか、いたのか?」

 「ええ。恐らく私と対峙したあの男はその類のものでしょう。時折、ほどの技量を見せてくる。」

 「?」

 「何というべきか………そう、まるで意図的に何かの力を発した、というか」



 その瞬間、ヒラーは眉をピクリとさせ鋭い眼差しを見せる。それを聞いた一部の兵士は、明らかに頭の上に疑問符を並べたような顔をする。しかし、ただ一人、ヒラー隊長のみが少し険しい顔に切り替わった。周囲の空気を一瞬にして取り込んでしまうかのような、猛烈な気の通い方。槍の使用者が持つ腕と自信ありげな表情に反応し、まるで踊り狂うかのような昂る剣気を相手に与える。その気を受けるや、相手がかなりの強者であることは容易に想像できる。そしてそれは容易に実証された。命があるだけマシだと思いたいくらい。だが、命があるのなら再び戦うこともあるだろう。

 「………なるほどな。良い表現だ」

 すると、ヒラーは彼の言葉を聞いて頷きながら、目を閉じてそのように話し、そして次に。


 「アトリ殿は、魔術の存在を信じるか――――――――?」


 そんなことを、口にしていた。

同じやり取りを、王城から出発する前にグラハムとした。そう、その時に改めて思い出したのだ。マホトラス陣営に恐ろしく強い敵兵がいる、という噂を。グラハムはただ単に恐ろしく強い敵のことを想像した時に、魔術という言葉を連想させただけだと言う。しかし、あの槍兵を見た後では、それがあながち間違いではなかったのでは、とさえ思える。強さはどうあれ、あの発現の仕方は人ならざるもののように思える。魔術なんて、物語の世界だけのものだと思い込んでいたし、今でもそう思っている。彼も王城の図書館であらゆる物語が書かれた本を読むが、確かにそういう物語の中では平気で存在するものだった。魔術とは、人の理解が及ばぬ力が作用する神秘的な現象。ある時は神秘的に、またある時には邪悪なものとして現世に君臨する。物語の中では正義にも悪にも使われる、便利な力といったところだろう。それが現実に存在するのだとしたら、不自然にもほどがある。今この場で現実だと言われても、そう思わずにはいられない。

 「その………遥か昔に存在したとか、色々聞いたことはありますけど………とても信じられるようなものでも………」

 「ははは、確かにそうだろうな。俺も同様だ。」

 と、ヒラーも笑いながら正直に答えたアトリの言葉に頷く。人ならざるものの力、といえば良いのかもしれないが、あまりにもスケールの違う話であるために、素直に信じられないというのが本当のところだろう。

 「俺も今まで魔術を扱う者と会ったことはないし、今回遭遇したその槍男がそれに当てはまるのかも分からないが………そう言う不可解な現象を自発的に起こせることそのものが全くの空想ではないことは、俺も聞いたことがある。だが、魔術を発現させられる者はその存在を秘匿する、というのが鉄則のようだがな」

 「………どこでそのような話を?」

 「俺も文献を読んでのことだな。なんでも中央にはそういった秘匿文書を扱うことの出来る人もいると言う。貴殿ならそれに近い立ち位置にいるのではないかな」



 彼が魔術に関しての興味を持ち始めたのは、あるいはこの時だったのかもしれない。魔術という言葉は知っているし、それが現実離れした法外な奇蹟であるという認識がある。その認識が現実的に起こり得るものであるかもしれない、と思えるようになった時。もし本当に魔術師などという人外な相手と戦わなくてはならなくなったら、少なくともそれと同じ力を有していなければまともな戦いにならないのではないだろうか。今も魔術などという存在を心から信じることは出来ていないが、本当に実在するものなのだとしたら、それに太刀打ちできる力を用意できなければ、一方的な展開にされる可能性がある。初めから無形の脅威に何の対策も無しに挑みかかるのは愚策。だがそれを阻止する術もなければ算段も立てることも出来ない。であれば、魔術には魔術で干渉する。それが彼にとっての戦いの中でも望ましいことなのかもしれない。多くの土地に生きる民たちを救うためにも。



 「まあその槍兵が現実にそうなのだとしたら、魔術を発動させられたら勝ち目はないな。いよいよ、ということか。」

 「…………敵がどこに駐留しているかは分かりませんが、ここに来るのも時間の問題でしょう。ヒラー隊長、民たちだけでもすぐに中央まで後送する必要があるように思います」

 「同感だ。彼らを説得して、出来るだけすぐにそうさせるようにしよう。かなり負担を強いることにはなるだろうがな」

 正直、不確定要素が多過ぎる現状で魔術師の存在を信じて警戒する、というのは不可能に近かった。マホトラスの勢力が徐々に南下し始めているのは事実で、それに対抗するためには自分たちの力だけでは難しいだろう。まずは攻めてくるであろう敵から民たちだけでも逃がすべきだ、と考えた。彼らの考えは既に一致している。北東部の部隊を預かる身のヒラーとしても、出来るだけ兵力を集めて集団での戦いに持ち込みたいと考えていた。だが、現実には難しい。各部隊、各方面の町や村の警備にあたっており、そこから兵力を集中させるということは、その防衛地域を無防備にしてしまうことにもなる。そう簡単に判断が下せるものでもなかった。

 結論がまとまったところで、夜も更けてきたので解散となる。明日もまた忙しくなる。出来るだけ休む時間を増やすとしよう。




 「…………」

 しかし、身体は疲労と痛みを感じていても、深い眠りにつくことは出来ない。当たり前に寝ていた頃の自分はどう眠りにつこうとしていたのだろうか、と思ってしまうほどに。

 あの男が来れば、恐らくこちらの陣営の大半が殺されてしまうだろう。そう思わせるほどの実力があの男にはある。桁違いの、人間の言葉で証明するのも難しいほどの力がある。それに対し自分は無力だ。現実は甘くない。自分が思っている以上に厳しい世界。そんなことは誰に言われるまでも無く、分かっているつもり。つもり、だとしてもそれを常に考え続け、そして現実を受け入れてきた。いや、正確には受け入れなければならなかった。どんなに都合の良い理想や希望だったとしても、その果てに訪れた現実を直視しない訳にはいかなかった。溜息の一つや二つ、出てもおかしくはない。

 彼は夜中、月夜の照らされる大地の上に立つ。家から抜け、町の通りから外れ、町全体を見渡せる場所に移動して、一人思考を回転させていた。つい先ほどまで戦闘をしていたというのに、今となってはこの落ち着きよう。はじめ、それこそ彼が兵士として戦い始めた頃は、もっと緊張感で己の心が蝕まれる感覚を知っていただろう。だが、今はその焦りも適応できてしまっている。戦っている最中の脅威に対しては、かつてないほどの危機感を感じていた。これから死を迎えるのだ、という実感さえ湧いた。だがそれを切り抜け、命残されたこの身に思うことは、冷静なものばかり。これからも幾度となく経験することなのだろう。




 ――――――――――いつかの、あの光景を思い出す。




 彼の眼は、遠くを見ていた。月の光に照らされた大地の、遠い遠い景色を眺めていた。その眼の裏に刻まれた記憶の光景は、決して忘れることがない。誰一人居なくなった滅びの大地。躯や鎧が幾重にも広がり、美しかったはずの大地は荒野へと変貌した。………変貌させたのは、自分だ。その結末をもたらしたのも、自分だ。その念から逃れられることなく、彼はずっと己の心に暗い過去を背負っていた。夢で何度もあの滅びの光景を見ているのは、戒めからなのか。“お前が起こした惨劇の結末を決して忘れるな”という警告なのか。彼にとっては思い出すことも苦痛ではあったが、あの当時のことから逃れてはいけないという覚悟もあった。

 それから逃れては、何もかも取りこぼす。いずれ己の信条さえも手放すことになるだろう。兵士とは戦う道具であり、人を護るために人を殺す矛盾の存在。そう理解していながらも、その道を進むと決めた。覚悟を決めたのだ。たとえ自分の行為がどれほど愚かなものであるかを、分かっていても、なお。



 翌日。昨晩複数の代表兵士たちが話し合った通り、出来る限り早めに民たちを王国領の中心まで移送させようと、朝から慌ただしい動きを見せていた。これまでも逃げ続けてきた民たちを再び、半ば強引に移送させる。ここに留まったとしても、敵の攻撃を防げるとは思えない。多少無理をしてでも命を優先させる行動を取らせる。それが現場での判断だった。

 「どうか急いでください!敵の侵攻が予想されます!」

 「早く!!」

 決して多くはない兵士たちが、民たちを誘導して後方へと向かわせる。その道のりは険しい。移動手段も徒歩に頼るしかなく、次の村か町までの距離は遠い。果てしなく長い道のりを、終わりの無い迷路をひたすら歩くような気分にさえ陥る。実際は目的地に向かっていることに変わりはないのだが、この過程がいつまで続くのか、見えない不安と恐怖に駆り立てられ、心が徐々にやせ細っていくのだ。

 「結局こうなるのか……」

 「金、持ったか?」

 「王国の人でさえ敵わないだなんて…」

 「戦っている姿見なかったぞ?もうやられたのか…?」

 兵士たちの呼びかけに応じて歩き始める民たち。心休まる瞬間は無く、長く続く道のりに絶望を感じずにはいられない。それは民たちだけでなく、兵士たちも同じような思いを抱いていた。自分たちを護ってくれるであろう存在、王国の兵士たちにどれほどの期待を寄せていることか。否、たとえ自分たちを護ってくれる人たちでさえ勝てない相手もいるだろう。そうなれば、今度こそこの命が尽きるかもしれない。この場において信じられるものは何も無かった。とにかく、兵士たちの言うように、逃げるだけ。

 「アトリさん!!」

 「っ…………」

 彼は誘導役ではなかったが、マホトラスの陣営が来るであろう方角を見張りながら安全を確保しようとしていた。そこを突然声をかけられた。先日滅びた自治領地から救ったエリだった。その顔色は焦りの表情があり、元気の良さが垣間見えることは無かった。既に民たちの退去が始まっている。ギリギリの時間で彼を見つけ出したのだろう。

 「どうか、ご無事で。決して無理はなさらぬよう………!」

 「――――――――――。」




 不思議なものだった。

 今までこういう経験が殆ど無かったから、というのもあるのだろう。

 自分たちのことで必死なはずで、他の人に気を遣う余裕などありはしないだろうに、その女性は自分を気に掛けてくれた。今までそんな経験は無かった。自治領地の民たちをただただ救い、護り、その後の生活を送る機会を維持させる。その過程に、戦う己の身を案じる者がいただろうか。ふと、彼は自分の中で思い起こした。自分からそのようなものを求めることはない。戦っていればいずれ死ぬ時もあるだろうと、冷静に考えられる。それが普通の人間の思うことではないということも、分かっている。

 でも、そのように案じてくれる者の声を拒むことは無い。だから彼は答えた。彼女と同じように、どうか貴方様もご無事で、と。

 「アトリ殿!………ああ、失礼を。前方の偵察小隊から敵部隊発見の報がありました。まもなく接近します………!」

 「…………意外に早いな。これでは間に合わないか。とにかく退避を急ぐように。偵察隊は直ちに撤退するよう伝えて欲しい。それから、後衛の部隊にカルディナまで伝令を。この状況を確実に伝えるように。」

 「はっ!」

 マホトラス陣営が支配領域を拡大させつつ王都カルディナまで向かっていることは、これで明らかになった。この地は馬を飛ばしても王都からは一週間近くかかる遠方の領地。すぐに王都に辿り着くとも思えないし、その前には王国も幾つか防衛拠点があり、そう簡単に抜かれることは無いだろう。だが油断は出来ない。彼が接敵した槍兵、あのような力量を持つ兵士が他にもいるのだとしたら、一人で何人もの戦力を背負うことも出来るだろうし、その一人で戦況が変わる可能性もあるだろう。

 彼は迎撃部隊の集まる地点に行く。既にヒラー隊長以下多くの兵士が、偵察小隊からの情報を受け布陣していた。

 「………いよいよだな。アトリ殿、自信のほどは」

 「いえ、あまり。」

 「はは、素直だな。俺もそれほど腕に自信は無い。だがそれでもやらねばならないということだろう。」

 彼らには迎撃に際し、策がある訳では無かった。せめて味方と民たちの撤退をする時間くらいは稼がなくてはならない。だがその先はどうするのか。彼らだけでここを切り抜けられるのか。疑問は尽きないし、絶望も絶えない。アトリ自身、敵がどれほどの数で来てどの程度強いのかが判断できずにいる。何しろ多くの戦場を経験している彼でも、マホトラス陣営との対峙はほぼ初めてだった。

 「よし、皆も聞いてくれ!!敵は間違いなくマホトラスの軍勢だ。激しい戦闘になるだろう。だが俺たちは皆王国に仕える兵士だ!兵士であるのなら、国が敵対者に脅かされる時には戦わなければならん!相手もそう簡単にはやられんだろう。この場を死守し耐え凌ぐ!そして押し返す!それが俺たちの仕事だ!!」



 ――――――――現有戦力でここを維持する!!

 瞬間、彼の言葉を聞いた若い兵士や中堅の兵士も皆、大きく高らかに声をあげ、町を、大地を奮い立たせる。その短い言葉で彼らの士気が旺盛になったのは間違いないだろう。アトリは意外に思っていた。ヒラーと呼ばれる男にそれほどの盛んさがあるとは思っていなかったからだ。自分はその豪傑さと士気には完全に乗り遅れているが、為すべきことを果たせるようにしよう。これが最初の戦いではないのだから、もう戦いには慣れている。

 前方の大地の起伏を越えて、敵の部隊が見えてきた。どの程度の敵兵がいて後ろにどの程度控えているのかは分からないが、かなりの数に見える。パッと見てすぐに自分たちより多いと分かるくらいには。その数の多さに圧倒されそうになるが、気をその場に留める。戦いが始まる前から負けてはいけない。たとえ劣勢だと分かっていても、諦めずに向き合わなければ。皆がそう思っていた。



 マホトラス陣営により北部地域、北東地域の自治領地やウェルズ王国領地が支配されている中、小さな町の最前線で、両陣営が対峙することになる。




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