1-13. beginning




 誰もいないと思われたその町に現れた、一人の男。満月の明かりの下で照らされたシルエットは、長身で細見でありながら自分の背よりも長い槍を両手で抱えているように見える。ごく一部にだけ装甲をあてた防具を身に着けるほかは、いたってシンプルな服装。だが、そのシンプルさ故に分かりやすい姿は、彼らに瞬時に強烈な脅威を抱かせた。―――――――たった一人。だが、今まで出会った人とは決定的に違う。それはアトリの幾多の経験から得た独特の感覚が彼自身に警告をしているものだ。この“敵”はこれまでの相手とは異なる。感覚というものは説得力には欠けるが、警戒するには充分すぎるほどの要因となる。



 『いらっしゃい…って、そういう雰囲気でも無さそうだな』



 なぜ男が屋根の上にいて余裕そうに構えているのか、そもそもどうして一人でここにいるのかは分からない。だが、一目見て明らかに分かることは、あの男の持つ槍は敵を穿つ為にあるもの。即ち、敵と判断されればあれの攻撃を受けることになる、ということだ。自然と彼らは臨戦態勢を取っていた。いつあれの攻撃を受けるかも分からないと判断したことによるものであり、誰よりも早くアトリがその体勢を取った。

 「…………ここで何をしている。ここで何が起きたのか、知っているのか」

 「あ?知らなきゃこんなところに一人でいる訳ねえよ。てめぇらこそ何しにきた」

 つまり、この男、あるいはこの男の知っている者たちが当事者である。アトリは確信をもってそう判断をした。男の目的はハッキリしないが、この町は既に奴らにとって事をし終えた後の用済みの地ということなのだろう。

 アトリは後ろにいる味方の兵士に伝える。

 「………皆さん今すぐここから離れて下さい。そしてこの状況を伝えるように」

 「で、ですがアトリさん一人で………!?」

 「相手は一人です!俺たち全員で掛かれば………」



 ――――――――早く!!一切の余裕は無い。

 と、彼は強く彼らに言い放つ。後ろの味方兵士は戦闘を経験したことが無い。確かに、数で言えば明らかにこちらのほうが有利だろう。だが、近距離で同時に剣戟を振り回せるほどの立ち回りをこちらが有している訳もない。さらに言えば、相手の槍はそのつもりなら複数人を相手に防御を展開できるし、剣戟の間合いの外から穿つことも出来るだろう。そして何より、不気味に心臓を圧迫する相手の威圧感を前に、戦うという選択肢自体が間違いであると思わずにはいられなかった。この状況を味方の兵士たちに押し付けるのはあまりに無理がある。であれば、経験だけは多い自分が抑え役にならなくては。アトリの強い口調が彼らにも刺さったのか、不安げな顔を浮かべたまま、走って離脱をする。

 「ほう。味方を逃がす余裕があるとは、大したモンだな。こりゃちと楽しめそうだ。まあ俺も背中を晒して逃げる若造をあえて討とうとは思わねえけどよ?」

 自信ありげな表情さえ浮かべそのように笑みをこぼしながら言葉を残す男。そして急いで走り出してその場を後にする二人の兵士を、その男は追うこともせず、その場から動くこともしなかった。

 月夜の中、誰もいない町の中で、二人だけが顔を合わせている。アトリの目的は彼らが逃げる時間稼ぎに切り替わった。馬に乗りある程度逃げてくれなければ、この状況を持ち帰ることが困難になる。自分がどれほどあの男を押さえられるか、という点にかかっていた。

 「お前がどれほどの実力者なのかは分からないが、その期待に応えられるとは思えない。そんな実力は俺には無い」

 「ハッ、ぬかせ。この状況で一人で俺を止めようって思い付くだけでも、てめぇは普通の兵士とは違うんだよ」

 「…………どうだか。」

 何か勝手なことを言われている気がするが、とにかく今は集中を途切れさせてはならない。この男から目を離せば、あの槍が飛んでくるだろう。そうとしか思えない固定観念を意識しながら男と対峙することを選んだアトリ。



 …………だが、それにしても。

 この感覚は何だ?

 なぜ、これほどまでにあの男が、



 説明できるものは無い。証明できるものでもない。何しろ彼の感覚的なものなのだ。彼はそれを裏付けるものを一切知らない。無理もない、当然のことだ。兵士としての経験で、対峙した相手が強そうだと意識することは何度もある。その人となりや姿かたちに合わせて構え直すこともよくある。だが、どうしてだろうか。この槍兵と対峙した瞬間、本能的にこの男には今は敵わない、と思ってしまった。ただ一人で屋根の上にぽつんと座って、笑みを浮かべながら見下ろしているその姿が、あまりに驚異的であったから?―――――――否。この本能の所以は、あの男自身に。

 「改めて聞く。お前はマホトラスの手のものか?」

 「まあ立場上はそうなるな。俺には正直面倒でどうでもいいことなんだが」

 「は…………?」

 「てめぇの察する通り、此処も他所の自治領地とやらも、マホトラスの奴らが支配下に置いてる。もうこの町は用済みだが、一応俺にも役割ってのがあるんでな。ここを通るものすべてを確認し、敵対勢力の場合は排除しろってな」

 これで明確になった。この一帯は既にマホトラス勢力が支配下に置いている。まあ予想できてはいたが、確信が持てた。そしてこの男の目的も今明らかになった。自分から色々と話してくれたので、こちらとしては踏み込んだ質問をせずとも状況が明らかになって楽ではある。問題はその情報を持ち帰れるか、というところにあるのだが。既にこの町の住民もマホトラスの占領地に連れていかれたのだろう。

 「てことで、てめぇもその対象だろうな?なんせそんなこと聞く奴は、ウェルズの剣士以外に考えられねえからな」

 「…………まあ、そういうことになるな。」

 「こんなところで俺一人待ちぼうけってのも退屈なもんでな。でもてめぇの目を見りゃ分かる。少しは楽しませてくれそうだな―――――――?」




 刹那。目の前で起こった出来事が、何かの嘘ではないかと思った。




 『てめえが強ければ俺も嬉しいが、そうでない時は、てめえの命、この槍が貰い受ける――――――――――』




 屋根の上で立ち上がった男。明確な殺意と敵意。今にもやってくるという強烈な圧迫感プレッシャー。ここまでなら幾度となく感じたこともあるし、それほど驚くことでもない。多くの敵と対峙してきた。自分よりも強い敵とも戦った。そのすべてを手段はどうあれ切り抜けてきたのだから、今がある。だが、今目の前で起こったことは、その幾多の経験の中で一度も見ることも感じることも無かったものだ。

 あの男が構えたその瞬間、槍の全体が一瞬赤く光ったように見えた。更にその直後、一瞬ではあるが強烈な風圧を感じた。月がハッキリと照らされるこの夜は、風も吹かず穏やかな静寂に包まれていた。風が急に強く身体をよろめかせるほど吹く理由などどこにもない。今のは何だ、と考えている間もなく、

 「――――――――――!!!」

 「ッ―――――――――!!?」

 屋根の上から飛び上がった槍の男は、アトリの目の前に着地してその槍を突き出した。あまりに突拍子の無い行動に、いつでも戦闘が出来るように構えていたはずのアトリは反応が遅れた。抜剣し向かってくる槍に対応する。反応が遅れたとは言っても、ある程度対応が出来るのは、アトリの経験から来るものなのかもしれない。槍の動きは不規則で、穂先の刃は短剣並みに長く、突き穿つことも出来れば、薙ぎ払って斬り倒すことも出来る。無論、槍を扱う者としてそれを熟知しているであろう男は、あらゆる攻撃手段でアトリを攻め立てる。

 「ほう、中々やるな。ここまで防げる相手は久々だ。」

 一方のアトリは防戦一方。だが相手の攻撃をすべて防ぎきれている。攻撃するチャンスは全くないが、それでも受けるだけ受けて直撃を避けている。常に思い浮かべていた訳ではないが、城の鍛冶士であるレイモンが言っていたように、彼の戦い方は果敢に攻め立てるものではなく、受け流して反撃の機を窺うという傾向がある。その通りの戦い方が出来るのであれば、その機も訪れるのかもしれない。槍と剣を打ち合い始めてから1分。彼の心には冷静さが取り戻されていた。取り敢えず一方的に敵わない訳ではないだろう、と。

 しかし、状況が打開されている訳ではない。いつもなら切り返せるものも、全くその隙も無い。状況が極めて悪いのは変わらない。この男からの攻撃を受け流すだけでは、ここを脱出することすら出来ないだろう。とはいえ、こうして時間を稼いでいれば、少なくともあの人たちは逃げられる。まずは、それだけでも。

 「ハッ――――――――!!」

 「チッ…………!!」

 それにしても…………その槍捌きは見事なものだった。彼がこれまで出会ってきた敵の中でも群を抜いて技術に長けている、と感じられる。彼は槍に詳しい訳ではなく、そうした敵と多く対峙したことが無かったので、自分の中で槍を持つ人間との戦いをそれほどイメージ出来ていなかった。つまり、出たとこ勝負で繰り出される槍を躱していたのである。それ自体が他の人が見れば異常な能力と技術に思われるに違いないのだが、当の本人にはその自覚は無い。一方、槍兵も言葉に表したように、自分の槍をここまで退ける人は久々だった。

 一度、両者の間合いが広まる。槍ですら届かない間合いの外に置く。



 「まだ未熟だが経験だけは多いようだな。んまあ、それもここで殺られちまったら何の意味もなくなるが」


 「…………そうだな。いや、死ぬわけにはいかないのが現状だが。」


 「じゃあどうするよ?ただ俺の攻撃を受けてるだけじゃ何の解決にもなりゃしないぜ。そら、剣を振るってみろよ」



 明らかに槍兵の挑発だったしアトリにもその自覚はあったのだが、この男の言うことすべてが挑発とは思えなかったのだ。あの男の言うことにも理解が出来る。このまま受け流し続けたとしても勝ち目はない。何度も槍を受け続けていれば、剣にも傷が入るし耐久度も減る。最悪、折られてしまえばその時点でこちらの詰みだ。どうにかして状況を打開する必要がある。アトリは、あえてその誘いに乗った。この時点で先程手にした冷静さを再び手放してしまっていた。

 剣戟に力が入る。槍というものはリーチが長く、剣の間合いの外からでも攻撃を加えられるというのに、槍兵は笑みを浮かべながらその間合いを活かすことなく、アトリの剣戟を受けていた。付き合っていた、という言い方が正しいだろう。この男はアトリの力量がどれほどのものかを、数度受けて測ろうとした。

 「………ま、子供にしちゃ達者なモンだが、全然だな。」

 そして、それが終わった時、男はそう言って、一度だけ反撃をした。



 「ッ―――――――――!!?」

 「でもまあ、ちょいと楽しめただけでもよしとするか。」




 その反撃というのが、彼にとっては命を奪われかねないギリギリの一線だったことは間違いない。槍兵にとっては他愛のないことなのかもしれない。だが、彼はその反撃を真に受ける直前に回避行動を取った。剣戟を跳ね返すと同時に穂先が胸元に伸びてきた。まともに受けていれば、その時点で命は無かっただろう。それを辛うじて回避した彼は、すぐにその間合いから飛び退けるように後退し、体勢を立て直そうとした。

 口から血が零れる。抑えきれない違和感が襲い掛かり、つい吐き出した。身体はじわじわと痛みが広がり、傷を受けたのは胸だけだが全身に響き渡るようにして痛覚を感じ始めていた。直撃した部分が妙に熱く感じられる。服装が血に汚れる。これでは交戦を避けたなどと騙すことも不可能になってしまった。まずい、このままではあの男の槍の間合いに入れず最後の一刺しを受けてしまう。だがどう状況を打開するべきだ。考えても纏まらないし、妙案も思い浮かばない。この男、桁違いの強さを持っている。それに…………。

 「それじゃ、ここらで戦いは仕舞いだ。」

 再び男の槍が光を放つ。。この世のものとは思えない光景。たとえ空から雷光が降りたとしても、ああはならないだろう。しかもあの光る槍を操るように男は構えている。そう、この世のものとは思えない光景。目を疑う、あり得ないとさえ思うその姿。目前に迫る死という現実、それを前に彼は自分でも可笑しいなと思うことを考えていた。もしかして、この男が今までとは異なり普通じゃない、と直感を得られたのは、これがキッカケなのではないか?と。訳の分からない力のようなものを扱えると直感で感じてしまったのではないか?それは今までの戦いの経験から活かされたもの、と言えるのだろうか?

 男の槍が彼の間合いの外から伸びる。全身をバネにして腕一杯に伸ばされたその槍は、今までよりも長いリーチで彼の胸に穿たれるだろう。



 いつ、その番が自分に回って来るかは分からないが、いずれは必ずその時が来るだろうと、思っていた。それは確信とも言えた。何しろ彼は死地の護り人として、この国の兵士の中で最も危険な位置で戦いを繰り広げてきたのだ。そういう機会はいつ何時訪れても不思議ではない。彼は今まで幾度となく危機を乗り越えてきたが、死線と隣り合わせでいつか自分が負けることも考えていた。実際その瞬間が訪れると、妙なものだった。無論、死にたくはない。死にたくはないのだが、妙に冷静というか。案外、死ぬ間際というのは、こういうものなのかもしれない。

 まだ、やり残したことが数多くある。

 何一つ、己が理想を叶えることは出来ず。

 幾度の戦場を越えてもなお、焦がれた想いを成すこと叶わず。

 ならば、そうであれば、なおのこと。



















 ――――――――どうか多くの幸がありますように。





 どこからか、そんな、微かに届く残響を聞いた。












 「………まさか、こんなところにもいたとはな。」

 気が付けば、男との間合いは離されていた。数刻前の記憶が無い。あの男の槍が心臓を穿たれるものと確信していた。ここでこの生は終わるのだろう、と。だが今はその危機的状況にはない。今も生きている。彼はその場の状況が全く掴めていなかった。ただハッキリしているのは、両手に握られた剣から煙が立ち、地面には二つの足跡が激しく引きずられた痕跡があり、目の前にいたはずの槍兵は、驚愕の表情を浮かべながら目を細め、彼を鋭い眼光で睨み付けるようにして立っていた。

 俺は、助かった、のか?誰かが助けてくれた、のか?


 「今日はこれで終わりだ。お前とはまた良い戦いが出来そうだな…………」

 少しだけ笑みを浮かべた槍兵は、そのまま身を翻し、町の奥、暗闇の中に歩いて消えていく。


 「――――――――――。」

 良い戦いが出来そうだ、そう言葉を残し、その余韻も感じさせないほど綺麗さっぱりといなくなっていた。屋根のうえに上がり、それを飛び越え早々に消えてしまった。その直前、何が起きたのか彼にも分からなかった。もう一度剣を見るが、もう少しで粉々に砕けそうになっているのが分かる。先程まで少し昇っていた煙はもう見えない。両手には今も強い衝撃が残っていて、剣を持つ手が震えているのが分かる。これは恐怖からではない。自らの意思によるものでもない。だが、何かが、そう何かが起こった。そうとしか思えないしそれ以上の回答は得られなかった。男の残していった言葉も気掛かりだ。

 ともあれ、生き残った。思えば最大の脅威であり最も死に近い瞬間だっただろう。それを、自分の力で切り抜けた…………のだろうか。少しだけ、溜息をつく。痛む体を気遣うが、それで痛覚がおさまる訳ではない。むしろこの程度で済んだのが奇跡だったのかもしれない。かつてないほど命の危険を感じた。だが、兵士であるのなら、その脅威は戦いが起こり続ける以上、常に感じ続けるもの。相手が相手だったために、焦りは隠せなかったし挑発にも乗せられた。それでもあの槍兵が恐ろしく強い相手であることは分かる。………自分に殺されたかつての人間が、自分に対しそのような思いを抱いていた、それと同じように。

 痛む身体を動かしながら、決して早いとは言えない速度で歩き続け、愛馬のところまで辿り着く。町の様子は確認することが出来た。あの槍兵に出会ったことも情報としては収穫だろう。もっとも、こちらの命が無ければそれも無価値であったかもしれないが。槍兵がどこの出身でどこから流れあの町にいたのかは分からない。だが、それには必ず目的がある。それを突き止めたいとは思うのだが、あの男を相手に深追いはそれこそ自殺行為だろう。今は、この情報と様子から得たものを持ち帰り、話し合わなければ。




 ――――――――取り敢えず、命はあるな。

 月下の槍兵と激しい打ち合いになり、不可解なことも幾つも起こったが、とにかくも彼はその難を乗り越えることが出来た。




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