1-12. 夜の灯りの下で




 マホトラス陣営が、いずれはウェルズ王国に攻め入るであろうことなど、多くの人が予想出来ていたことだ。強大な勢力を持ち続けるウェルズ王国に対し、その内情に詳しいマホトラス陣営が対峙する。彼らの最終的な目的がどこにあるのかは定かではないが、王都を攻略し国をわが物にしようと考えるのは、これまでの歴史の中でも数限りなく繰り返されてきたことであり、それにより行動も引き起こされてきた。何も不思議なことではない。

 しかし、それが何故最近になって動きを見せるようになってきたのか。それには何らかの理由があるはずだ。4年前の戦いで、両者は互いに激しく消耗し疲弊した。その末に戦いそのものが膠着状態に陥り、長い月日大きな戦闘が起こらなくなった。それが最近になって再び動きを加速させつつある。彼らは何を持って機が熟したと判断したのだろうか。直接問いただすことなど出来るはずもなし、疑問は増えるばかりである。

 「ウェルズ王城所属のアトリです。騎士アルゴスの命令により参りました」

 「これは………!ヒラー隊長のもとへご案内します。どうぞこちらへ」

 「民間人の方は私にお任せを。………さあこちらへ。お辛かったでしょう」


 ウェルズ王国領レスコー地区に辿り着いた、アトリと生き残った民たち。彼は半日かけて彼らの自治領地からこの王国領の地までやってきた。子供たちも連れていて、民や子供たちは皆が疲れ切った表情であった。アトリは平然としていたが、途中自分たちを襲い掛かる人が居ないかどうか、常に気を張っていた。ここまで辿り着ければ他の部隊からの護衛も得られる。もう心配することは無いだろう。アトリが自らの身分を明かすと、町の入口で検問をしている兵士たちが一斉に敬礼をした。民たちは別の兵士が町の中へ誘導し、彼はこの一帯の兵士を統率する隊長のもとへ行く。

 アトリが通り過ぎ、暫くしたところで、兵士たちが再び集まる。

 「もしかして、あれが隊長の言っていた、アトリさんって人か?」

 「そうみたいだね…噂の」

 と、彼の存在について噂話を始めた。アトリが彼らに頭を下げられる理由などどこにもない。だが幾度かアトリもこのような経験をしている。今ここにいる兵士たちも、自分より年上であるはずなのに、自分をまるで上士のように扱ってくる。それには理由がある。確かに彼ら王国の正規兵たちには、上下関係がしっかりと存在している。城の中ではアトリは下士であり、アルゴスのような部隊長やその管理をしている者は上士にあたる。アトリが現場に来ると、城にいる時とは違い関係が逆転することが多い。その理由は、アトリが王城直属の兵士だというところにある。

 「態々城から派遣されてるってんだから、結構ヤバい相手かもな」

 「アトリさんは…元々派遣されてばかりだって、聞いたけど?」

 「だとしてもだ。今回は部隊も来てるんだぜ」

 「んー…」

 兵士になるためには、兵士としての訓練を十分に受けなければならない。その教育機関は王城が中心ではあるが、他の直轄地で兵士が駐留している場所であれば、そこでも兵士としての訓練を受けることが出来る。アトリの場合は、兵士の見習いから今に至るまで、ずっと王城で鍛錬を重ねてきたため、直属の兵士扱いをされる。アトリとしては、直属の兵士=王家を護る者、という定義をしているのだが、彼らのような兵士からすると、直属の兵士=城に仕える優秀な兵士、という風になってしまっている。年齢もまだアトリの方が若い場合が多数あるのだが、城に仕えるという一点を考えれば、それだけで王家の目に届く兵士だという認識に変わる。自分が直轄地の部隊長や管理職にいない、普通の兵士であるという自覚が常にあるのなら、アトリのような王城直属の兵士に対しては頭が上がらなくなる。奇妙ではあるがそうした上下関係が働いている。それはアトリも何回か経験したことである。はじめは戸惑い訂正を求めたこともあったが、そこでこの経緯を知る。まだその時は穢れも知らない青年だっただろうが、今となってはその頃の陰は無くなっているだろう。

 「私はウェルズ王国北東部防衛部隊の統括をする、ヒラーだ。貴殿は死地に数多く派遣された経験があると聞くが……この地域にはまだそれほど詳しくはないようだな」

 「はい。幾度かこの先へは行っていますが、それほど回数は」

 「そうか。それでは貴殿にも情報を共有しておきたい。」

 どうやらこの地域でも噂は来ているようだ。だからといって特に配慮することもないだろうが。と、彼は思いつつも本題に入るとする。彼のおかげで十数名の大人と子供が護られた。まずそのことに対する功績を高く評価された。その後すぐに本題に移る。


 「自治領地の警備隊でも同じことがあったと聞くが、つい先日俺たちが指揮する幾つかの分隊との連絡が取れなくなった。ここから北にある領地タンベリーに駐留する部隊だ。タンベリーより更に北にあるシンシア中央区でも同様のことが起きている。これを受けてここから偵察部隊を送り込んだが、その部隊とも連絡が取れない状況が続いている。シンシア地区より更に北に進めば、そこはマホトラス陣営の支配領地だ。よって、俺はシンシア地区の全域がマホトラス陣営の強襲を受けたのではないか、と考えている」

 「なるほど。」

 ここまでの情報はアルゴス卿からも聞いている。現場で指揮を執るヒラー隊長も、マホトラス陣営によるものと考えているようだ。まだ彼らに確証は持てていないようだが、王国領地に攻撃を仕掛けてくる対外勢力など、この地域の特性からしてマホトラス陣営以外にあり得ないだろうと容易に考え着く。

 「こうも立て続けに送り込んだ部隊や駐留する部隊がやられたとあっては、迂闊に動くことも出来ん。そこで貴殿の到着を待っていたのだ。」

 「え………?」

 「王の城より派遣された剣士、貴殿ならどう考える」

 期待されているのか、それとも単に見識を伺いたいだけなのか。その場にいるのはヒラー隊長とその副官や兵士たち5人。ヒラーは王の城から派遣された、という語句を強調して伝えた。それに応えようという気持ちは無かったが、とにかくは自分の考えを彼らに伝える。

 「残念ですが、送り込んだ部隊が襲撃を受けたのは明白でしょう。彼らの生存を望むのは難しい状況ですが………しかし、やはり相手の情報は最低限必要です。どの程度の規模なのか。それだけでも分かると次の行動が選択しやすくなります。そして可能であれば、受け身ではなくこちらから攻めるくらいの気持ちで行きたい。ヒラー隊長、私含め少数人数で、敵の懐に夜間偵察を実行したいと思いますが、幾人か人選をして頂けませんか」

 アトリの発案はかなり大胆なものではあった。ヒラーとしても、また他の兵士たちからも驚きを持って迎えられた意見である。何しろヒラーはその手段を既に実行していたし、それで帰って来なかった部下たちがいる。同じ手段が成功するとも思えない、と思うのが正直なところであった。

 「危険が大きすぎるのではないか。隣町を確認しに行った兵士たちからの連絡も途絶えたのだ。既に命は無いと思った方が良い。襲撃されたと見るのなら、同じ轍を踏むことになると思うのだが」

 「逆に考えてみて下さい。彼らのほうもこちらを偵察している可能性がある」

 「なに……………?」

 「もし私が同じ状況にある中で偵察をするのなら、一般人に紛れ込むか、こちらの軍勢の軍服でも借りて偵察を強行するでしょう。この町では流石に出入りの人数や顔と名前を記録している訳ではないでしょう?」

 「ま、まあ確かにそうだが…………」

 「今日私は隣と言っても遠いですが、被害を受けた自治領地からここに来ました。町は襲われ多くの人が殺されたようですが、その多くは彼らに抵抗した自警団や大人たちです。他の民たちは、どうもどこかへ連れ去られてしまっているようです。恐らくは彼らを労働力として扱おうとしている。その町は確かに襲撃後の悲惨な状況でしたが、町には数名の敵兵しかいなかった。奴らは一度大勢で襲撃を行い、占領民を部隊ごと引き連れて後退している可能性があります。であれば、その所在がどこなのかを掴めれば、そこに対し組織的な攻撃を繰り出せる可能性を見出すことが出来るでしょう。」

 だからこそ、偵察は必要です、と彼は言う。しかし今までと同じように、部隊を送り込んでの偵察は見つかりやすいうえに効率も悪い。犠牲者が出ればこちらが更に不利な状況に陥る。だからこそ少数での偵察を行い、そこでの情報を持ち帰ることをまずはするべきだ、と彼は進言したのだ。ヒラーは顔を俯けながら額に手をやり、じっと考える。極めて危険な任務ではあるが、少数かつ夜間であれば、発見されづらいし最低限の情報を掴めるかもしれない。ここでいう最低限の情報とは、アトリが言うように敵の規模がどの程度なのか、またそこに占領民は含まれているのか、ということだ。あらゆる考えと危険を同時に考えるヒラー。隊長として、この地の部隊を預かる者として、直接的には部下ではないアトリを頼りにそれを実行するか否か。結論が出たとき、彼は一つの条件をアトリに出した。

 「よし分かった。幾人か選ぶとしよう。だが、交戦は避けること。これが条件だ。どんな些細な情報でも持ち帰る、それが意味のあることのようだからな」

 「ありがとうございます。早速、明日の夜に実行できるようにしましょう。」

 「アトリ殿は、その若さにして多くの死線を越えてきているのですね。」

 「王城から遠くではありますが、色々な話を聞いたことがあります」


 具体的な打ち合わせが終わると、今度はアトリについての話に移る。正直彼としてはあまり自分の話をしようとは思っていないため、居心地が良いとは言えない状況になってしまったのだが、次々と質問が来るのでそれに答えるやり取りが続く。

 「いえ、自分はまだまだ。」

 「私も気になってはいたのだ。随分と腕の立つ少年剣士がいると聞いていてな。こうして会えたのも何かの縁だと思いたいものだよ」

 「城や城下町では、子供たちも兵士を目指す人が多くいるのですか?」

 「多いかどうかは別にして、憧れて目指す人はいると聞きます」


 “兵士の卵”などという呼ばれ方をすることがある。これから兵士を目指すために修行を重ねる子供たちのことをそう呼ぶのだ。教養を身に着け、身体を鍛え、国に仕えるための行程を繰り返し続けていく。兵士になれるまでの期間は一年以上かかるもので、それまでの間に厳しい行程を送らなければならない。アトリは例外中の例外ではあったがその行程の一部を経験している。それぞれなりたい目標やその意思は様々であるが、その中で剣士や騎士に対する憧れというものがある。王国に仕え、国を背負う者の一人として振る舞う。その高潔な姿や気高き理想が時として輝かしいものに見えるようだ。

 「貴殿から見て、どうなのだ。この国は慢性的な人員不足に陥っている。すぐにでも戦場に送れる人材が欲しいとは思うのだが、その辺りは進んでいるのか」

 「なろうとする者の意志を尊重していますので、無理に送り込んだりはしないでしょう。人となりや実力も判断材料の一つです。適合すれば、組み入れられるかと」

 「そうか………それでは遅いと思うのは、私だけでは無いだろうな。無論、彼らの意思を捻じ曲げて兵士を増やせ、と言う訳ではない。だが流暢に構えていても、何も変わらないと私には思える。手遅れになる前に、手を打ってほしいものだが………」

 それが現場からの声というものだろう。アトリは自治領地の救援に出向くことはあっても、出先の同軍兵士と顔を合わせる機会はほぼ無い。単独行動をすることが殆どで、任務が終わっても町に寄ったり彼らに声をかけたりはしないからだ。そのため、彼は現場の状況がどのようなものなのか、彼らがどう思っているのかを聞く機会がこれまであまり無かったのである。北東部の部隊の統率を行うヒラーとしては、もっと人員がいても良いと考えている。しかし王国の中枢は使える人材を固めて送り込もうと考えている節がある。それではいつまで経っても状況は変えられない、というのが現場からの声だったのだろう。

 「しかし、このようなこと貴殿に話しても無理があるな。」

 「………そうした声は声として、私からお伝えすることも可能ですが」

 「いや、それには及ばん。ただ、城に近いものにそういう現状を聞いてもらいたかっただけなのかもしれんな」

 気持ちは分からない訳ではない。彼とて思うところはある。死地と化した自治領地を防衛するために、もっと他の選択肢を持つことは出来ないのか、と。しかし現状を維持することばかりが先行し大胆な発想を打ち出すこともそれが展開する余裕も無いのだ。

 「さて、今日はそろそろ休むとしよう。貴殿には古びた空き家ですまないが、一つ用意がある。たまには野宿以外の方法で休むのも良いだろう」

 「お心遣いありがとうございます。」



 この町も、本来はもっと活気のあるところだったのだろう。しかし今となっては、マホトラス陣営と思われる勢力との戦いに備える最前線と化している。近頃彼らはその手を伸ばして侵攻を再開している。その手がいつこの町に伸びるかも分からない中で、人々はそれぞれの意思でこの地を離れた。無論、全員では無かったが、身の安全を確保するために遠くの、より王都に近い地方へ移動したのだった。戦争の拡大のために故郷を離れなくてはならない。そうした境遇は人々の精神こころを間違いなく傷つけるだろう。それを減らすのも彼の役割であり信条である。

 ――――――――――翌日、18時過ぎ。

 「それでは、行ってきます。」

 「くれぐれも気を付けるように。」

 アトリと他三名、分隊としての偵察部隊が組織され町を離れる。大人数では警戒されるだろうから、少数での偵察を試みるというアトリの発案によるものだ。既に陽は傾き夜の闇が空を覆い始めている。闇に紛れるように、彼らは北上する。町の近くまでは馬で移動し、その後は歩きで近寄る。どれほどの情報を入手できるかは行ってみなければ分からないが、ヒラーは町を離れる彼らに、安全を第一に考えるよう伝えている。アトリとしては自らが発案者でその責務を果たす必要があると感じていたが、それ以上に重要なのは皆の命だ、と彼は伝えたのだ。はじめから歩いていくとすれば3時間以上は掛かると見ていたが、馬も使いながらの移動なので、1時間少々で近づくことが出来た。目標の町に近づいてからは、馬を置いて静かに歩いて接近していく。アトリは冷静であったが、他の三人には緊張の色も見えていた。

 「アトリさん………自分たち、実は戦闘の経験がなくて………」

 「?」

 「だからその、もしもの時には足手まといになるかもしれないな、と………」

 「そんなことはありません。経験のうちだと思えれば。しかし、本当にそのような状況に陥った時には、まず真っ先に自分の命を優先して下さい。それに、本来戦いなど経験すべきではない、と私は思っています。」

 彼ら三人はそれぞれアトリより若干年上なのだが、誰よりも戦場を経験しているのはアトリただ一人だけで、ほかの三人は戦闘すら経験が無い兵士だった。彼は、兵士としては経験無いことが痛手になることもあるのかもしれないが、人として考えればそのほうが良いと思っていた。あのような地獄のような経験をせずに済む。彼の中だけに留まる記憶の断片、決して消えることのない経験が脳裏に思い浮かぶ。

 「………見えた。しかし………明かりが無い」

 町が見えて最初に見た印象が、明かりが無いことだった。今は既に19時を過ぎている。夜の町で既に眠りについているという可能性ももちろんあるが、それにしては早いようにも感じられる。町は小さなもので、数百人も住めるかどうかという程度。町の中には幾つかの道が通っていて、細道に沿って住宅が並んでいるようにも見えるが、それぞれの道に外灯は無い。月明かりが無ければ町の姿を確認するのも難しいというくらいだ。

 「そう、ですね………誰もいないのでしょうか………」

 「そう思えるくらい静かな気はしますが………」

 「―――――――ここからでは遠い。もう少し近付いてみましょう」

 町の外縁部まで静かに歩いて接近した。そこに町はあるのに町としての機能は全く持っていないような、そんな印象だった。ひと気もなく、ただそこに物があるだけで全く生活感のない空間がそこにあった。



 ―――――――――静か過ぎる。

 彼は心の中で不気味な違和感を感じていた。彼の経験でこうした状況が全くない訳ではなかったが、なぜか今回は異なる感覚を覚えていた。それがなんであるかは言葉には表せない。



 「てっきり占領地かと思いましたが、違うのでしょうか………?」

 「いや、まだそうと決まった訳ではありませんが、ここにいた民たちは皆どこかへ連れていかれたのでしょう。」

 「戦った形跡もここにはありませんが………アトリさん、これは………」

 もう一度頭の中で状況を整理する。定時連絡の途絶えた兵士たちを確かめるために、町から警備兵が送り込まれた。各地に点在している兵士たちと交代制で防衛を行う彼らとの連絡は、今もう無い。この町に来て、民たちは見当たらない。家の中を見ても誰一人確認できない。不気味なほど静かなこの町の空気が彼らに圧力をかけるようだった。状況としては、彼が昨日までいた自治領地と似通う部分はある。恐らくこの町には本当に誰も居ないのだろう。ただ、それでは持ち帰る情報の数は限られてしまう。出来ればもっと多くの情報を得て戻りたいところだが。




 戻りたいところ、だったのだが。





 『―――――――よお。少数で来るとは、大したモンだな?』






 雲の切れ間から、月明かりが差し込む。大地を、町を、彼らを照らす光。その時、突如として感じられた悪寒は、その場において彼らを恐怖に陥れるもう一つの対象から発せられていた。





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