1-10. 他方への警戒




 鉄の矢を放ってきたのだから、意図は明白であろう。であれば、何も遠慮することはない。黙っていれば殺られるのはこちらなのだから。



 彼のそうした考えは、これまで数えられないほどの死線を潜り抜けてきたからこそ身に染みたものである。この場において自分を標的とする行動をとるのなら、それを回避する/打開するのが最善である、と。少なくとも今のこの状況においてはそれ以外にないと彼は考えた。この場合彼でなくてもそうするだろう。彼はその考えに自信を持っている。これまで幾多の戦いを経験して、慣れてしまったからというのもあるだろう。他の普通の人たちとは違い、自分を狙い殺そうとする者の多くを斬り倒してきた。今回もそれに変わりはない。

 だが、目的も忘れてはならない。ここで何が起きたのか、問いただす。その前に、自分を狙う似たような格好をした集団の男を、倒さねばなるまい。5人いる男のうち、まず3人が前に出て来て剣を構えた。5人が一斉に剣戟を振るうことになれば、同士討ちを起こす可能性もある。それを避けての立ち回りということだろう。しかし、それでも剣の間合いを考えれば不自由な広さと言うべきだろう。それに対しアトリは単独。どのように立ち回ろうと他に害はない。何の気兼ねなく敵を倒すのに集中できる。

 それは、数のうえではアトリが劣勢である。しかし、数名程度の劣勢など、それを覆す腕があれば、この包囲網さえ容易に突破できよう―――――――――。



 「ッ―――――――――!!」

 三人が一斉に剣を振るう。しかし統率の取れていない攻撃は見やすく、回避も容易いものであった。一つの剣は受け流し、もう二つは身を翻して回避する。二撃目、三撃目と剣戟が放たれるが、彼は基本的に受け身の姿勢を取った。鎧を着込んだ相手から振るわれる剣は、決して手数の多いものではない。一つひとつの威力は強めだが、受け止められないほどのものではなかった。

 「どうした!反撃しては来ないのか!!?」

 「―――――――――。」

 次々と振るわれる剣を躱すアトリ。相手から見れば不気味な存在に思えただろう。見た目はただの少年だし、鎧も殆ど着ていない。やや細身の剣で自分たちの攻撃を受けるその姿からは、どことなく余裕すら感じられる。しかし彼らが絶対にこの場で勝る要素があり、それが数だ。彼らのやり方は、三人で突入して剣戟を浴びせ、疲労したところで次の二人にスイッチして更に剣戟を加えるやり方だった。今この場で思い付いたのか、そういう戦法なのかは分からないが、ひたすら受け流すアトリに対し継続的な消耗を与えようとしたのである。ところが彼は我慢強い人間であった。それほど受け流しを苦にしていなかったこともあるが、平静を保ち続けている。この場合、相手からは平静よりも冷淡、という風に思えただろう。

 彼が防御の姿勢を維持するのには理由がある。それほど深い理由ではないが、先日新しい剣を貰う為に王城の工房を訪れた時、レイモンが彼の戦うスタイルについて口を出したことを思い出していたのである。彼が振るう剣戟は並だが、防御は堅い。その隙を突くやり方のほうが良い、と。

 彼は防御から攻撃に転ずる瞬間を、相手が疲労の色を見せたその瞬間と定めている。そのため、防御しながら相手の様子を窺い、その時が来た時に最大限の速度を以て攻撃に移るのである。手数はそれほど多くは出せないが、その速力で相手を仕留める。その技術がこれまでの戦いの中で培われてきたものであった。

 ―――――――こうして戦っていれば、狙撃されることも無いだろう。

彼の中では完璧な読みだった。近接戦闘の最中に一人の敵を正確に狙い撃てるような人はそうそういない。味方を誤射してしまう可能性があるからだ。そうなれば、狙撃手の仕事は殆ど限られる。こうして目の前の敵に集中する場を整え、彼は数分で3人の敵を斬り倒した。



 「チッ………なんて強さだ!?」

 「さてはお前………王国の手のものだな!?」



 正直に言ってしまえば、彼らより強い敵と対峙したことは幾度もあり、それに比べれば取るに足らない存在だった。敵となる者の力量はそれぞれ異なるが、彼は実力がどうにも敵わない相手と出会うことはそれほど多くなかった。だからこそ今もこうして任務に取り組むことが出来ている。敵にとっては命懸けの戦いであるが、これも言ってしまえば運命というもの。彼はそうした敵を幾多も斬り倒してきた。戦わなければならない相手に人情をかけ手加減をするようなことは一切ない。どちらかが倒れるまでその剣は収まることを知らない。

 「お前の狙いは何だ!?」

 「こちらが聞きたい。ここで何をしでかしたんだ」

 「よそ者には関係ない!」

 どうにも会話になりそうな様子も無い。彼らの表情は曇り焦ったようなもので、目の焦点すら微妙に合っていないような状況。身体もどことなく震えているように見える。つまり、目の前に迫った自らの運命を恐れているのだ。この数分の戦いを見ていたが、見ただけでこの少年には勝てそうにもない、と分かってしまったのだから。それでも男たちに退く手段は無いようで、またアトリとしても彼らに譲歩するものを持ち合わせてはいなかった。

 これ以上話を聞きだすことも出来ないだろうと判断し、瞬時に二人を斬り倒した。



 「…………敵なら、容赦しねえってか…………悪魔みてえだな…………」



 一人、死する前にそう呟いたが、その言葉が彼の脳裏の中で幾度も再生される。それ以上考えると深い穴から抜け出せなくなりそうだったので、そっと蓋をし冷静な自分を取り戻そうとした。

 ―――――――思い出す。一番はじめの任務で、自分が初めて人を殺した時のことを。あの時も戦っていた相手は、死に逝く前に一言呟いたのだ。

 『これからいっぱい殺すことになるんだからな。』と。

彼にとっては忘れることもない言葉であり、瞬間であり、光景であった。たまに夢の中でもその時の情景が蘇って来る。そのくらい彼にとっては残像として存在し続けているものである。

 あと一人、弓を射る狙撃手がどこかにいるはずだが、矢が飛んでくることはもう無かった。出来れば残った一人の敵にここの状況を問いただそうと思ったのだが、接近戦で惨敗した味方の姿を見て逃げたのだろう。弓に頼るということは、それほど近接戦闘が得意では無かったのかもしれない。この町の脅威は消え去り、形こそ崩れてはいないが廃墟と化した。十数キロ先に自治領地の中心町がある。この町で既にこのような有り様なら、既に中心部もこのような状況になっている可能性は高いだろう。

 「―――――――――――。」

 とにかく行ってみよう。その様子次第では町の中に入るだろうし、王国領まで撤退しなくてはならなくなるだろう。



 西大陸 自治領地 セヴァルニ

キエロフ山脈から続く周辺の山岳地帯は、地形も荒く天候も乱れやすい。人が住まうには決して優しい環境でないことも多く、また冬が訪れると豪雪の降りしきる地方とも言われており、基幹産業が農業であっても気候に悩まされることが多い。他の大きな町とのアクセスも悪く、人の往来もそれほど多い訳ではない。だからだろう。山岳地帯は今も多くの自治領地が点在しており、彼らは独自の生活を営んでいる。自分たちの土地で何とかして生活するしかないと考える人々も多く、他所者に対して排他的な思考を持つ人も多い。そういった性質を持つ者であれば、他所から侵略されることに敏感になるのも当然だろう。侵略を受け入れるよりも排除し、逆に敵対する勢力を潰したいと望むのは、彼らの性質から生み出される本心の一つだ。無論、それは全員が共通して持つものではないだろう。自治領地に住まう者たちは、その領主の意向に従って生きている。領主の気質が彼らの運命すら変えてしまうこともある。

 だが、それを根本的に封じ込めてしまうことだってある。他者を圧倒する力を以てそのような思考すら封殺するのだ。



 「これは…………」

 予想していたことではあるが、実際にその光景に出くわすと目の前の景色が揺らぐようだった。これが現実だ、と言われれば直視せねばならないだろう。だが、あまりに酷い光景をすんなりと受け入れるほど、彼も出来た人間ではない。寧ろ、この状況を見た後ですぐに分析を始められる、彼の切り替えこそが普通の人たちからすると異常だと思われるだろう。

 無残な光景が広がっている。ここが救援要請を受けた自治領地で間違いは無いのだが、端的に言えば間に合わなかったのだろう。彼の受け持つ任務の数々で多いのがこの状況だ。しかし、ここは王都から馬で駆けても5日はかかる遠方の地。さらに救援要請が届くまでの日数を考えると10日ほどの遅れがあると見て良いだろう。その間に状況が動くことも、珍しいことではない。だから、彼にとってこの町の状況は。このような光景は彼にとって見慣れているものであったから。それでも、彼としてはこのような光景を一つでも減らしたいと願って戦っている。

 町の至る所に死体が転がっており、中には原形を留めていないものや腐敗の始まったものまである。悪臭が風に乗って町の中を吹き荒れ、ある意味で廃墟よりも酷い現状を生み出してしまっている。斬殺された死体が多いように見られるが、武器を携えていたであろう男の死体が殆どだった。この自治領地の自警団だったのか、襲撃者に対して最後まで抵抗したことがハッキリと分かる惨状だった。

 「―――――――似たような鎧の男たち、か。」

 幾つも転がっている死体を見比べると分かることがある。お互いに敵対し殺し合いをしたことは無論分かるが、その装備に歴然とした差があるということだ。片方の死体はほぼ全身を鎧で覆っていて、鎧は比較的最近の主流の作り方によって模られたものだ。素人にこのようなものを作るのは不可能で、鍛冶士が作るレベルのものであることがすぐに分かる。もう一方の死体は、鎧こそしているものの身体の一部分だけを守るもので、形も色も統一性がないうえに古びたものもある。持っていたであろう剣にも同じような特徴がある。装備の差という点で充実した相手と、そうでない相手。アトリは恐らく後者がこの町の自警団のような者たちだろうと推測した。先程戦った時の相手も、装備は充実していた。この自治領地がそれほど大きくない規模のものであるとすれば、装備が全員に等しく充実に渡されていないことも容易に考えられるだろう。

 町には既にひと気が無い。やはりここにいた町の民たちも連れていかれたのだろうか。そう思いながら町の中を静かに歩いていたとき。


 「――――――――――――!!」

 「動くな!お前も奴らの手先か!?」


 突然周囲を複数人に囲まれたアトリ。明確な敵意を向けられている。一部には殺意にも似た何かも混じっているだろう。普段の彼ならすぐに身構えて、攻防を展開できる用意を整えることだろう。だが、今の彼はそれ以上に驚きに満ちていた。身体が硬直してしまったと言っても良い。本来このような状態を敵の前に晒せば、命などすぐに消え失せてしまうはず。だが、そうはならないだろうな、という確信もまた、驚きの中に生み出されていた。

 なぜか?彼を囲んだのは、皆自分より年下の、少年少女たちだから。

 「―――――――――あ、あの」

 「その武器を置いてけ!後ろを向いて跪けぇ!!」

 一人の少年が発した声色は怒号のそれと等しいが、そこには大きな恐怖の念が染みついているようだった。実際その少年が持っていた小さくボロボロでさび付いた短剣はぶるぶると震えている。どうだろう、歳は6つほどは離れているだろうか。少年が3人、少女が1人。みんなそのくらいの年齢差があるだろうと思えた。殺意はともかく、その敵意はあまりに無邪気なもので、彼はそれを感じた時点で一切の武装を抜くことはしないと決めた。―――――――この子供たちのことを素直に聞けばいいのかどうか、分からない自分がいる。戸惑っているというのもあるだろうか。

 仕方がない。偵察者としては明らかに失格だが、身分を明かそう。

 「武器は置こう。だけど私は君たちの敵じゃあない。私は南西の地にあるウェルズ王国の王都から来た剣士だ。これが王の国の印。どうかな、見たことくらいはあるんじゃないかな」

 元々アトリは装甲の厚い鎧を好まず、装着しないまま剣士として振る舞っているので、身体も顔もよく相手に見せることが出来る。だからきっと、これが一番の解決方法だろうと彼は確信した。剣を手に取り、それを地面に置く。地面に手をついたまま、子供たちに笑顔を見せつつその印を授ける。王国の紋章だ。自らが王の国に仕える者であることを証明するものでもある。ウェルズ王国の印が一つ、王国の剣士団としての印が一つ。一つあればこの場は充分だから、もう一つは子供たちにあげてもいい。

 「お、王国………王国ってあのおっきい………?」

 「“くに”って言われてる??」

 「そう。よく勉強しているね。こっちじゃ一番大きな“くに”だ。私はそこからこの周りの様子を見にやってきた。………ところで、君たちを今守ってくれている大人たちはどこにいるのかな」

 それを言われると、子供たちは皆揃ってだんまり、下を向いてしまった。彼には既に確信が持てている。この子供たちが何の目的でこうして自分を捕えようとしたのかは明白だ。既にこの町には町としての機能がない。自治領地としての姿も無くなってしまっている。でも、ここにいる子供たちは他のごく少数の人たちのおかげで守られていたのだろう。あるいは自警団の真似事なのか。そういった地獄を見てきたはずの子供たちが、死する領地の中で懸命に生きようとしている。やり方はちょっとマズイと思うが、それでも子供たちの強い意思は今も健在である。願わくば、表の通りには顔を出さない方が良いだろう。諸悪の根源が戻って来るようなことがあれば、子供とはいえ容赦はないだろうから。

 向こうから、心配そうで必死な顔で一生懸命走って来る一人の大人の女性がいる。彼らの保護者だろうか。傍に来るまで声をあげず、辿り着いた途端に子供たちを叱る。勝手に外に出てはいけません!と。やはりそうだったか。いや、この方の言うことは至極最もであり、自分がその立場に陥ったとしても同じことを言うだろう。保護者と言うには少し若すぎるような気もするが………?

 「ごめんなさい………でもエリお姉ちゃん、この人国の剣士なんだって!」

 「敵じゃないんだって!」

 「………?貴方は…………」

 無論、その方に憶えはない。初めて会う人だ。しかし子供たちの言うことを真正直にすぐ受け入れるはずもない。当然警戒されるだろう。彼は涙目ながらも警戒心を向けるエリという女性に、自らの身分を名乗る。

 「ウェルズ王国の………剣士」

 その時、エリと呼ばれる女性はアトリの背丈や佇まいを確認するように、数秒間彼を上から下まで見続けた。なんて思われたかは想像できるので、あえて聞く必要もない。けれど確かな証拠があるので、それを子供たちから返してもらい、彼女にも見せた。見たところそれほど年齢差は自分と無さそうだ、と彼は思う。

 「お辛いところとは思いますが、状況を窺いたい。安全なところまでご案内いただけますか」

 「わ、分かりました………その、アトリさんは、ここへ何しに………?」

 「それについての詳しい話も、そこで。今ここで確かに言えることは、出来るだけこのような状況を増やしたくない、そのために私はここに情報を確かめに来た、ということです」



 彼の推察はあたっていたようで、既にこの町は酷い惨状と化してしまっているが、僅かな希望は残されているらしい。襲撃を逃れるために地下に避難した、僅かに十数名の子供と大人が今も狭苦しい中で必死に生活を営んでいるのだとか。彼はそこに案内を求めた。敵から事情を強制的に聞くよりも、安全なところでより詳しい事情を知っている者から聞いたほうが、情報の精度も良いだろう。

 「お兄ちゃん!僕たちを護ってくれるの?」






 ―――――――――――――。






 「こら、ミクリ。そんなこと聞いては駄目。」






 そう。彼らは突発的な外的要因により、このような境遇を強いられた社会的弱者。彼らを救い、その彼らを生み出す要因となった根源を討ち滅ぼすのが、彼の役割だ。弱者が虐げられるような状況を作ってはいけない。その状況が作られてしまうのであれば、その状況を生み出す元を討つ。それが彼の信念の一つでもあった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る